アラブと私

イラク3千キロの旅(76)

 

                               松 本 文 郎 

 

 前回の末尾に記した安倍首相のアルジェリアのテロ事件にたいする決意の一部は、1月28日の所信表明演説の冒頭だった。(以下、全文を引用)

「事件発生以来、政府としては、総力を挙げて情報収集と人命救助に取り組んでまいりました。

 しかしながら、世界の最前線で活躍する、何の罪もない日本人が犠牲となったことは、痛恨の極みです。残された御家族の方々のお気持ちを思うと、悲痛の念に堪えません。無辜(むこ)の市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は決して許されるものではなく、断固として非難します。私たちは今般の事件の検証を行い、国民の生命・財産を守り抜きます。国際社会と引き続き連携し、テロと戦い続けます」

 所信表明演説のまくら言葉とはいえ、ポピュリズム丸出しの官僚的作文というほかない。

 これでは、9.11のアメリカ同時多発テロの原因を検証することなく、(日米同盟のくびきで)自衛隊のイラク派遣に踏み切った小泉政権と変わらない。

 前回、唐突に政権を投げ出したことを反省して、国家のかじ取りをつかさどる重責を改めてお引き受けるとも表明しているが、イラクはじめ各地で手詰まり状態のブッシュ政権末期、イラクの戦地にまで出かけ、自衛隊に檄をとばしている。

「国家国民のために再び我が身を捧げんとする私の決意の源は深き憂国の念にあります。危機的な状況にある我が国の現状を正していくためになさなければならない使命があると信じるからです」「外交政策の基軸が揺らぎ、その足元を見透かすかのように、我が国固有の領土・領海や主権に対する挑発が続く、外交・安全保障の危機」

 前者には、自衛隊員を前に奇妙な自決を敢行した三島由紀夫の演説に重なるものを感じ、後者は、前回の首相就任時に憲法改正を最大目標にした意気込み、そのままである。

 日米同盟の基軸を揺るがしたのは、同様に坊ちゃん的元首相鳩山由紀夫が、アメリカ依存の脱却と対等な日米関係の構築への第一歩に、「年次改革要望書」(拒否できない内政干渉リストと揶揄されていた)を廃止したり、中曽根元首相が不沈空母と表現した沖縄米軍基地の不要論を吐いたりしたことを指しているのだろうか。

 政治家としてやや不用意な発言だったとしても、(大学教授なら問題にされなかった?)ある種の正論ではなかったか。

 先のオバマ大統領との会談成果を自画自賛した安倍首相だが、アメリカ当局の評価は高いものではなかったろうし、TPPをめぐるやりとりも自作自演の観を免れないし、裏切られたと感じた自民党員や支持者たちも少なくなかったようだ。

 一体、あのカタカナ英語まじりのはきはきとした物言いの中身は自分自身の考えなのか、そうでなければ、学生時代に弁論部で鍛えた演説上手か。

「デフレと円高の泥沼から抜け出せず、50兆円といわれる莫大な国民の所得と産業の競争力が失われ、どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない日本経済の危機」

 日本経済をそんな状態にしたのが民主党とでも言うのではあるまいが、日本の円高は、世界の主要通貨が変動相場制(1973年、クウエート在勤中の筆者は円建て滞在費の恩恵に浴した)に移行して以来、一貫してその恐怖に怯えてきた。

 それまで続いた1ドル360円の固定相場は、高度成長期の日本経済の実力を考えれば、実質的には円安だったとされる。そのなかで日本は、たゆみない努力と技術研鑽を続け、輸出競争力を高めて、戦後復興を成し遂げたのである。

 石油をはじめ輸入原材料を工業製品に加工して海外輸出する「加工貿易立国」として、70年代後半には、世界第1位の外貨保有国を誇るまでに高度経済成長を遂げていた。

 変動相場制移行後の「円相場」の変動はめまぐるしく、76年から78年にかけての200円を切る円高では、輸出産業は大きな損害を被った。

 79年からは円安ドル高が進行し、1985年初頭のドル高(250円台)では、国際競争力の喪失を恐れたアメリカは、G5を招集した会議でドル安誘導を各国に要請して承認を得たのが、プラザ合意である。

 その結果、85年末には200円までに修正され、日本銀行による高め放置路線などの影響もあって、その後も一貫して円高ドル安状況が継続した。

 プラザ合意は、70年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進5ケ国が、アメリカの対日貿易赤字の解消を図ることを主眼とした協調的ドル安の実現をめざしたとされる。

 日本では、急速な円高による「円高不況」が起きると懸念されたが、その後数年間のインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映した名目金利の低下が、貨幣錯覚を伴う不動産・株式投機をうながし、バブル景気をもたらしたと考えられている。

 この円高で、「半額セール」といわれた米国資産の買い漁りや海外旅行ブーム、賃金の安い国への工場移転をする企業が増え、東南アジアへの直接投資の急増で、奇跡と言われた東南アジアの経済発展をうながすことにもなった。

 プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後10年の長期不況の起点との見解がある。

 円高になると、「何とかしろ」の声が経済界や政治家、メディアの間で強まるのが常だが、80年代に円高阻止を決めた日銀の金融緩和がバブルを招き、「失われた20年」のデフレ時代へとつながり、今日に至ったのである。

 安倍首相が言う日本の経済危機は、戦後の長期化した自民党政権がもたらしたものだということを真摯に反省しているのかどうか。

 通貨外交の現場で長年、活躍してきた元財務官の行天豊雄さんが、朝日新聞の「証言そのとき」で語っているのを抜粋すると、・プラザ合意で円高がどんどん進んだが、日本の財政にゆとりはなく、大蔵省の方が日銀よりも 強く、アベノミクスと同じように、金融緩和が 頼りだった。

・本当は、輸出主導の成長から国内需要で成長するモデルに転換する構造改革が必要だったが、できなかった。

・87年10月の株価大暴落(ブラックマンデー)が起き、金融引き締めに転換できない日本は、バブルに突入してしまった。

・G5は、73年の春、ホワイトハウスの図書室で米英独仏の蔵相が会合して以来、通貨問題を秘密裡に話し合う場が生まれ、それに日本が加わったもので、「通貨マフィア」(主要通貨国の当局者でその役割をになう人)が生まれた。

・市場はさまざまな要因でぶれ、行き過ぎや乱高下を生じるので、監視して、乱れを直すことが必要だが、相場は思いどうりにはならない。

・関係国が協力して影響を及ぼす黒子が通貨マフィアだ。日銀の新総裁黒田東彦氏はその後輩で、理論にも強いし、いい意味でずうずうしい。

・いまはデフレ脱却が先決で、大胆な金融緩和をしてもすぐにバブルになるとは心配していない。

・安倍さんがデフレ脱却の重要な手段が円高是正と言っただけならまだしも、輸出競争力を強くするために円安の金額まで言うのは、国際常識では、為替相場の操作を政策目標にしているとの批判が出る。

・通貨安競争の原因である最近の金融政策の先行きは見通しにくいが、金融緩和で将来への期待を高めてデフレを克服するアベノミクスは成功してほしい。

・その上で、規制緩和などで新しい産業を興し、アジア経済圏を内需と考えて、円相場に一喜一憂しない、競争力のある経済をつくるべきであろう。(抜粋・了)

 
  
日本の通貨マフィアの一人として、円高是正に汗をかいた行天さんの苦い経験に基づく証言だ。

アジア経済圏には、東南アジアだけではなく、日本・中国・韓国の東アジアがふくまれ、さらには、チベット・モンゴル・シベリア・極東ロシアの北アジアも視野にいれるべきだろう。

  

  (続く)

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2013/05/03 18:58 2013/05/03 18:58
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