アラブと私
イラク3千キロの旅(12)
松 本 文 郎
9・11テロの直後に、「われわれと共にあるか、それとも、テロリストと一緒になるか」と、議会の演説で叫んだブッシュ大統領は、イスラム教徒らのテロに報復する十字軍の総大将に見えた。
前のめりで開戦に踏み切ったイラク戦争は、開戦の大義だった大量破壊兵器も9・11と旧フセイン政権を結びつける確証も見つからず、米兵の犠牲とイラク国民の困窮は増すばかりだった。
振りかざした侵攻の大義(?)を自由と民主主義の伝道(?)に切り替えたブッシュ大統領の舞台の幕は、間もなく引かれようとしている。
ユーセフが話したカルバラのシーア派聖廟の由来を記している途中だが、イスラム史初期のスンニ派とシーア派の発祥が、ムハンマドの教義伝承の争いの衣装を纏った共同体統治の権力闘争だったのではと思われ、イラク戦争と宗教の関わりの視点からも道草をつづけ、イラク情勢の重要な変化を書きとめておきたい。
そうした経過への不満を募らせたアメリカ国民が突きつけたのが、二期目の大統領支持率の史上最低という世論調査結果である。
戦争に際して米国民が重視するのは、任務の明確さとその成功だとされ、ブッシュ大統領はその双方で大きな過ちを犯し失敗したと見られている。
今回のブッシュの訪問は、米軍撤退時期についてマリキ首相と取り決めることだったようだが、二○○六年五月の正式なイラク政府の首相に就任してから指導力不足を指摘され続けてきたマリキ首相が、米軍撤退後、イラク国民が求める治安回復と和平を実現できるのかどうか……。
求心力のないマリキ政権下で、過激派テロの横行と内戦状態がつづき、治安、行政サービス、インフラ整備などは旧フセイン政権時代よりも悪化したといわれ、人々の生活は一向に改善されず困窮を深めている。
マリキ首相の政権運営に対するイラク国民の抗議が高まり、彼の出身母体であるシーア派の閣僚辞任が相次ぎ、スンニ派有力会派「イラク調和戦線」も政権から離脱、クルド人参謀長と九人の軍司令官が辞任して、政権はいっそう弱体化した。
強権で国家を統一していたフセイン政権が消滅してパンドラの箱が開いた結果、シーア派、スンニ派、クルド人らの宗教的・民族的対立が顕在化し、石油の利権をめぐる覇権争いも激化するだろう。
連載の(3)で書いたように、バスラの油田地帯の利権を巡り、首相直系の治安部隊とサドル師傘下の民兵組織マフディ軍(シーア派同士)との戦闘で多数の死者が出た結果、戦闘はバグダッドにも拡大し、米軍も戦闘正面に出ざるをえなくなった。
反米宗教指導者のサドル師の背後にいるとされるシーア派大国イランへの非難を強める米軍に押されるように、国民会議のシーア派議員団をイランに派遣したが、「タラバニ大統領とマシュハダニ国民議会議長ら、旧フセイン政権時代からイランとの太いパイプをもつ有力者が主導する問題解決しかない」といわれ、マフディ軍解体の目途どころか、首相の力量不足を露呈するにとどまって今日に至る。
当時のブッシュ大統領は「イラクの指導部に不満はあるが、更迭を決めるのはイラク国民だ」と言い、次期大統領候補の一人だったヒラリー・クリントン上院議員も「イラク議会がマリキ首相を交代させ、もっと各宗教・民族をまとめられる人物を選ぶよう望む」との声明を出している。
冷戦下のベトナム戦争で、南の傀儡政権を担いで不当介入した挙句に敗退した教訓を生かせない米国の復元力はどうなったのかと訝っているところへ、なんと初の黒人大統領バラク・オバマの登場である。
小田 実なら、この待望の歴史的瞬間を書く横道をさらに歩きつづけただろうが、私は後にしよう。
イラクでは、拘束された記者の早期釈放を求めるデモ行進が報じられ、「靴で敵(米国)を打ちのめした」「ブッシュ(大統領)に最高の贈り物をした」のメールが活発に飛び交っているという。
イラク戦争をミスリードした不名誉の挽回を画策したブッシュ大統領は、この著述の冒頭で引用した自作の替え歌どおりにホワイトハウスを出て、芝生のある自宅での気ままな暮らしに戻るだろう。
しかし、アメリカ発の世界同時経済不況が民衆の暮らしに深刻な事態をまねき、世界各地域で米国に対する見方が悪化している状況では、ブッシュ政権の今後の評価はきわめて否定的なものになるにちがいない。
マーチン・ルーサー・キング牧師の「夢」を叶えたオバマが、はたして、期待される「チェンジ」を米国と世界に巻き起こせるか。世界中の人たちが米国民と共に見守るだろう。
リンカーンの「奴隷解放百年」を期した人種差別反対のワシントン大行進で二十五万人の先頭に立ったキング牧師が、あの「アイ・ハブ・ア・ドリーム」の歴史的演説をしたのは一九六三年。
ケネディが大統領に就任した六一年にオバマが生まれたというのも、奇しき縁ではないか。
公民権法案を議会に提出して差別撤廃をめざしていたケネディ大統領は、キング牧師をホワイトハウスに招いたが、テロの凶弾に倒れた。翌六四年に法案は可決されたが、六十八年、理不尽にもキング牧師は暗殺されてしまった。
奴隷解放から一世紀半近く経ってようやく実現した黒人大統領。その道筋で、リンカーン大統領の暗殺をはじめ、邪悪なテロによっておびただしい血が流されてきた。
ブッシュ大統領は、9・11テロへの自衛攻撃として強引にイラクへ攻め込んだが、米国の歴史は、自国民の手によるテロで血塗られているのだ。
憎悪が憎悪を増幅して、果てしない殺戮の応酬が繰り広げられる現実が私たちの目前にある。
キング牧師は、戦争と暴力の二十世紀に非暴力の抵抗を唱え祖国インドの独立を勝ちとったガンジーを尊敬し、彼から多くを学んだ人だった。
だが、植民地主義のイギリスからの独立を導いた宗教的聖人で政治的指導者だったガンジーもまた、凶弾に倒されてしまったのである。
ガンジーは、「真理が神」と唱え、世界の宗教はすべて一本の大樹の枝や葉でその根は一つなのだ、と壮大な宗教観を説いていた。スンニ派とシーア派は、大樹の一枝である「イスラム」の葉っぱ同士ではないか。
ムハンマド後継の正統性をめぐるスンニ・シーア両派の抗争が、共同体統治の権力闘争の大義を主張しあう争いだったように、イラク侵攻の決断をしたブッシュ大統領が、「これは十字軍の戦いだ」と叫んだのは、宗教戦争とみなされていた十字軍の目的が実は版図拡大にあったとする最近の歴史学の定説に符合している。
人類史のおびただしい戦争の動機は、政治・宗教権力の版図拡大であったが、異教徒や異端を滅ぼすことを大義としても、“衣の下に鎧が隠されていた”のは、古今東西に変わりはないようだ。
そもそも、国や民族の「歴史」は、権力者の側に立って書かれたものが多く、国民国家でさえそうだから、“歴史認識”の論争が生じるのだ。
(続く)
イラク3千キロの旅(12)
松 本 文 郎
9・11テロの直後に、「われわれと共にあるか、それとも、テロリストと一緒になるか」と、議会の演説で叫んだブッシュ大統領は、イスラム教徒らのテロに報復する十字軍の総大将に見えた。
前のめりで開戦に踏み切ったイラク戦争は、開戦の大義だった大量破壊兵器も9・11と旧フセイン政権を結びつける確証も見つからず、米兵の犠牲とイラク国民の困窮は増すばかりだった。
振りかざした侵攻の大義(?)を自由と民主主義の伝道(?)に切り替えたブッシュ大統領の舞台の幕は、間もなく引かれようとしている。
ユーセフが話したカルバラのシーア派聖廟の由来を記している途中だが、イスラム史初期のスンニ派とシーア派の発祥が、ムハンマドの教義伝承の争いの衣装を纏った共同体統治の権力闘争だったのではと思われ、イラク戦争と宗教の関わりの視点からも道草をつづけ、イラク情勢の重要な変化を書きとめておきたい。
そうした経過への不満を募らせたアメリカ国民が突きつけたのが、二期目の大統領支持率の史上最低という世論調査結果である。
戦争に際して米国民が重視するのは、任務の明確さとその成功だとされ、ブッシュ大統領はその双方で大きな過ちを犯し失敗したと見られている。
今回のブッシュの訪問は、米軍撤退時期についてマリキ首相と取り決めることだったようだが、二○○六年五月の正式なイラク政府の首相に就任してから指導力不足を指摘され続けてきたマリキ首相が、米軍撤退後、イラク国民が求める治安回復と和平を実現できるのかどうか……。
求心力のないマリキ政権下で、過激派テロの横行と内戦状態がつづき、治安、行政サービス、インフラ整備などは旧フセイン政権時代よりも悪化したといわれ、人々の生活は一向に改善されず困窮を深めている。
マリキ首相の政権運営に対するイラク国民の抗議が高まり、彼の出身母体であるシーア派の閣僚辞任が相次ぎ、スンニ派有力会派「イラク調和戦線」も政権から離脱、クルド人参謀長と九人の軍司令官が辞任して、政権はいっそう弱体化した。
強権で国家を統一していたフセイン政権が消滅してパンドラの箱が開いた結果、シーア派、スンニ派、クルド人らの宗教的・民族的対立が顕在化し、石油の利権をめぐる覇権争いも激化するだろう。
連載の(3)で書いたように、バスラの油田地帯の利権を巡り、首相直系の治安部隊とサドル師傘下の民兵組織マフディ軍(シーア派同士)との戦闘で多数の死者が出た結果、戦闘はバグダッドにも拡大し、米軍も戦闘正面に出ざるをえなくなった。
反米宗教指導者のサドル師の背後にいるとされるシーア派大国イランへの非難を強める米軍に押されるように、国民会議のシーア派議員団をイランに派遣したが、「タラバニ大統領とマシュハダニ国民議会議長ら、旧フセイン政権時代からイランとの太いパイプをもつ有力者が主導する問題解決しかない」といわれ、マフディ軍解体の目途どころか、首相の力量不足を露呈するにとどまって今日に至る。
当時のブッシュ大統領は「イラクの指導部に不満はあるが、更迭を決めるのはイラク国民だ」と言い、次期大統領候補の一人だったヒラリー・クリントン上院議員も「イラク議会がマリキ首相を交代させ、もっと各宗教・民族をまとめられる人物を選ぶよう望む」との声明を出している。
冷戦下のベトナム戦争で、南の傀儡政権を担いで不当介入した挙句に敗退した教訓を生かせない米国の復元力はどうなったのかと訝っているところへ、なんと初の黒人大統領バラク・オバマの登場である。
小田 実なら、この待望の歴史的瞬間を書く横道をさらに歩きつづけただろうが、私は後にしよう。
イラクでは、拘束された記者の早期釈放を求めるデモ行進が報じられ、「靴で敵(米国)を打ちのめした」「ブッシュ(大統領)に最高の贈り物をした」のメールが活発に飛び交っているという。
イラク戦争をミスリードした不名誉の挽回を画策したブッシュ大統領は、この著述の冒頭で引用した自作の替え歌どおりにホワイトハウスを出て、芝生のある自宅での気ままな暮らしに戻るだろう。
しかし、アメリカ発の世界同時経済不況が民衆の暮らしに深刻な事態をまねき、世界各地域で米国に対する見方が悪化している状況では、ブッシュ政権の今後の評価はきわめて否定的なものになるにちがいない。
マーチン・ルーサー・キング牧師の「夢」を叶えたオバマが、はたして、期待される「チェンジ」を米国と世界に巻き起こせるか。世界中の人たちが米国民と共に見守るだろう。
リンカーンの「奴隷解放百年」を期した人種差別反対のワシントン大行進で二十五万人の先頭に立ったキング牧師が、あの「アイ・ハブ・ア・ドリーム」の歴史的演説をしたのは一九六三年。
ケネディが大統領に就任した六一年にオバマが生まれたというのも、奇しき縁ではないか。
公民権法案を議会に提出して差別撤廃をめざしていたケネディ大統領は、キング牧師をホワイトハウスに招いたが、テロの凶弾に倒れた。翌六四年に法案は可決されたが、六十八年、理不尽にもキング牧師は暗殺されてしまった。
奴隷解放から一世紀半近く経ってようやく実現した黒人大統領。その道筋で、リンカーン大統領の暗殺をはじめ、邪悪なテロによっておびただしい血が流されてきた。
ブッシュ大統領は、9・11テロへの自衛攻撃として強引にイラクへ攻め込んだが、米国の歴史は、自国民の手によるテロで血塗られているのだ。
憎悪が憎悪を増幅して、果てしない殺戮の応酬が繰り広げられる現実が私たちの目前にある。
キング牧師は、戦争と暴力の二十世紀に非暴力の抵抗を唱え祖国インドの独立を勝ちとったガンジーを尊敬し、彼から多くを学んだ人だった。
だが、植民地主義のイギリスからの独立を導いた宗教的聖人で政治的指導者だったガンジーもまた、凶弾に倒されてしまったのである。
ガンジーは、「真理が神」と唱え、世界の宗教はすべて一本の大樹の枝や葉でその根は一つなのだ、と壮大な宗教観を説いていた。スンニ派とシーア派は、大樹の一枝である「イスラム」の葉っぱ同士ではないか。
ムハンマド後継の正統性をめぐるスンニ・シーア両派の抗争が、共同体統治の権力闘争の大義を主張しあう争いだったように、イラク侵攻の決断をしたブッシュ大統領が、「これは十字軍の戦いだ」と叫んだのは、宗教戦争とみなされていた十字軍の目的が実は版図拡大にあったとする最近の歴史学の定説に符合している。
人類史のおびただしい戦争の動機は、政治・宗教権力の版図拡大であったが、異教徒や異端を滅ぼすことを大義としても、“衣の下に鎧が隠されていた”のは、古今東西に変わりはないようだ。
そもそも、国や民族の「歴史」は、権力者の側に立って書かれたものが多く、国民国家でさえそうだから、“歴史認識”の論争が生じるのだ。
(続く)
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