アラブと私
イラク3千キロの旅(77)
松 本 文 郎
安倍首相が、自民党内の論議で消極的な姿勢をみせながら、オバマ大統領との初の会談で一転積極的とも見える言動に変わったPTT(環太洋戦略的経済連携協定)参加問題は、アジア経済圏と深くかかわっている。
2006年、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4ケ国で発効したこの協定は、加盟国間すべての関税の90%を撤廃し、15年までにすべての貿易の関税を削減してゼロにすることが約束されている。
この包括的協定では、産品の貿易/原産地規則/貿易救済措置/衛生植物検疫措置/貿易の技術的障害/サービス貿易/知的財産/政府調達(国や自治体による公共事業や物品・サービスの購入など)/競争政策などすべての主要項目をカバーしているが、目的のひとつは、「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」だった。
2010年から始まった拡大交渉会合に、米国、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアが加わり、「2010年日本APEC」で、TPPは、ASEAN+3(日中韓),ASEAN+6(日中韓印豪NZ)と並んで、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の構築に向けて発展させるべき枠組みと位置付けられた。
「2011アメリカAPEC」までの妥協と結論をめざしたが、大枠合意にとどまり、「2012年内の最終妥結を目指す」と先延ばしされていたところへ、日本の参加問題が生じたのである。
小国の4ケ国でスタートしたTPPの拡大交渉に熱心なアメリカと日本の参加問題を考える上で、協定域内のGDPの91%を両国で占めていることは見過ごせないポイントで、実質的には日米のFTAとの見方もあるが、あくまでも、原加盟国4ケ国間で発効している「環太洋戦略的経済連携協定」の拡大なのだ。
アメリカは、2000年以降、「Asia Only」(アジアのみ)の経済ブロックを懸念していたが、このTPP拡大を進めることは「アメリカ締め出し防止」推進の機会、06年のAPEC首脳会議から本格化したFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)構想は、東アジア地域での経済統合に米国が関与できる機会とみたのである。
サブプライム住宅ローン危機に端を発した08年のリーマン・ショックで深刻な不況に陥って、5年間で海外輸出を二倍にする「輸出倍増計画」をオバマ大統領の一般教書演説で公表し、輸出促進関係閣僚会議が計画のためにまとめた報告書では、「アメリカの経済的利益の増進を図る手段と輸出拡大のツールを生み出す」として、TPPの実現を明記したのである。
日本APEC出席で来日したオバマ大統領は、輸出倍増計画の大部分がアジアにあり、TPPはその計画の一環であるとしたスピーチで、国外に10億ドルの輸出を増やすと国内に5千人の雇用が維持されると発言している。
「巨額の貿易黒字のある国は輸出への不健全な依存をやめて内需拡大策をとるべきで、いかなる国も、アメリカに輸出さえすれば経済的な繁栄ができると考えるべきでない」とも言っている。
「TPP推進のための米国企業連合」は、TPPはアメリカにとっての死活問題として、ホワイトハウスに様々な要求を突き付けているのである。
この圧力団体は、「TPPにおいてアメリカの製品やサービスを拒むことができるような手段を作ってはならない」と、24の作業部会を推進して、アメリカ政府に迫っているという。
日本からみたTPPのメリット・デメリットには様々な主張・意見・反論・異論があり、効果の試算も学者の間で開きがあるが、メリットとしては、関税撤廃で貿易自由化が進み、日本製品の輸出額増加/貿易障壁の撤廃で大手製造企業の企業内貿易が効率化して利益が増大/鎖国状態から脱したグローバル化の加速でGDPが増大などが挙げられている。
デメリットは、海外の安価な商品流入でデフレの可能性/関税撤廃で米国などから安い農作物が流入して日本農業に大きなダメージ/食品添加物・遺伝子組換え食品・残留農薬などの規制緩和で食の安全に脅威/医療保険の自由化・混合診療の解禁で国保制度の圧迫・医療格差の危惧などだ。
また、TPPの問題点としては、
・海外企業保護のための内国民待遇の適用では、当該企業・投資家が損失・不利益を被った場合、国内法を無視して世界銀行傘下の国際投資紛争 解決センターに提訴可能で、日本政府・自治体が法外な賠償金を請求され、不都合な法改正を迫られる「ISD(N)条項」
・一度自由化・規制緩和された条件は、当該国の 不都合・不利益にかかわらず取り消しができない「ラチェット規定」
・ルール上はいつでも離脱が可能なTPPだが、海外企業からの莫大な損害賠償請求が予想され るので、離脱は極めて困難とされる。
こうした問題点がもつ危険な面に取り合わずに、関税項目に例外があれば不参加の前提はなくなるとして、「聖域なき関税撤廃が前提であるPTTの交渉には絶対に参加しない」と啖呵を切った安倍首相が、いとも簡単に積極的姿勢に転じたのに対して、ペテンとかワナと揶揄する向きもある。
上記の6項目の自民党政権公約について首相は、「6項目をしっかりと念頭において、日米首脳会談にのぞまねばならない」と、確約どころか、曖昧な態度でアメリカへ出発したのである。
・政府が、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り交渉参加に反対する。
・自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れられない。
・国民皆保険を守る。
・食の安全安心の基準を守る。
・国の主権を損なうようなISD条項は合意しない。
・政府調達・金融サービス等は、わが国の特性をふまえる。
第1回の拡大交渉に次いで交渉参加を認められたマレーシアの厚生大臣は、米国の主張する医薬品の特許権保護期間算定方法に疑問を呈し、国益を大きく損なうとして参加すべきでないと主張しているという。
東アジア3国の韓国は、参加に前向きな姿勢を見せていたが、その後、自国に不利に働くとみて、アメリカとの2国間交渉に切り替え、米韓FTAで合意・妥結に至っている。
中国は、関心を示して情報収集を行っていたが、その後の判断で、参加しないことを明らかにした。
東南アジアでは、交渉参加しているベトナムに正規の交渉メンバーとして臨む覚悟があるか疑問視する見方があり、タイは、ASEAN閣僚会議(2011年)で経済統合の道筋は「ASEANが中心になって行うべき」としてTPPへの警戒感を表明したが、2012年のインラック首相とオバマ大統領との会談後の会見で、参加を表明。
インドネシアは、「自由化品目の割合が非常に高く、対象品目の関税撤廃が一気に進む」と不参加の意向を明らかにしている。
原加盟国のニュージーランド政府は、アメリカ外交文書で「PTTはそれほどメリットがあるとは考えていない」と伝えられていたとされたが、表向きでは、TPPを外交の主要な柱とするとの国内説得を行っているという。
また、TPP主席交渉官の「TPP交渉8ケ国でゴールド・スタンダード(絶対標準)に合意できれば、日本・韓国その他の国に対して強い圧力となり、長期的な実質的利益となる」との発言も、米外交公電経由で流出している。
つまり、当時の加盟予定国グループ内での貿易を互いに有利にすることで、非加盟の日本・韓国その他の国の経済的優位性を奪えるという意味である。
TPPをめぐっての各国のこうした思惑を知り、米国の「アジア回帰」への強い意志を見るとき、行天さんが言う、「アジア経済圏」を日本の内需とみることがた易くないことは明白であろう。
PTTの第1回交渉参加国のオーストラリアのケビン・ラッド前首相が「アジア回帰を超えて」と題する論文を米国の外交誌「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿した記事が朝日「オピニオン」欄に載っていた。
中国が、米国の「アジア回帰」に反発を強めるなか、中國通と知られる氏が、「アジアの最重要課題は米中の衝突回避」との見方に基く、相互信頼づくりの私案を示している。
アジアについては、最近のNHKテレビ番組でみたシリーズ「日本人は何を考えてきたか」の『昭和維新の指導者たち 北一輝と大川周明』で、日中戦争から太平洋戦争へとなだれ込んでいった日本の政治・外交の未熟さと統治権力者の蒙昧さをまざまざと見せつけられた。
この原稿を書いている4月6日、日本維新の会の橋本徹共同代表が、石原慎太郎共同代表が朝日新聞のインタビューに「日本は強力な軍事国家、技術国家になるべきだ」と語ったことについて、「軍事力もそういう技術も持たない、技術供与もしないという安全保障観では国は成立しない」と理解を示した記事が出た。次回も寄道を続けざるを得まい。
(続く)