アラブと私
イラク3千キロの旅(80)

 

                           松 本 文 郎        

 

 ガレージの店先のテーブルに座ってから2時間余りが経っていた。

 アレコレと話が弾み、出前のコーヒーを二度もごちそうになり、いとまを告げようとしたとき、ハッサンに大阪万博のことを訊ねられ、話は原子力発電にまで及んだ。

「つい長居をしてしまいました。お仕事の邪魔になったのではないですか」

「とんでもない! こちらこそいろいろと教えていただきありがとうございました」

 カレージ前の道から流れてくる空気の温度が下がったように感じた。チグリス川からの夕風になったのだろう。

 ユーセフとハッサンがアラビア語でなにか話し始めたので、私は奥から出てきた見習い少年に、「シュクラン ヤーニ」と、出前コーヒーを頼みに行ってくれた礼のつもりで握手をした。

 小年の手は、荒れていてやや固かった。

 3人の歓談の半ばは英語だったが、私の英語をユーセフがアラビア語で伝えた部分は、少年にもいくらか分ったのではないかと思った。好奇心があふれるような彼の目は、キラキラしていた。

 ハッサンと話を終えたユーセフが、「キャブレターのフィルターの目詰りはきれいにしたので、バグダッドまでは大丈夫だと言っています。バグダッドの知り合いの大きなガレージで見せて、クウエートに戻るまで問題ないようにします」

「うん。それでいいよ。長い時間お邪魔したけど、なにかお礼しなくてもいいのかい?」

「大丈夫ですよ。どうしてもというお気持ちなら、クウエートから持ってこられたタバコでも」

 輸入タバコに関税がかからないクウエートでは、日本で2百数十円もした20本入りケント1箱が40円。日に80本を喫うヘビースモーカーの私は2カートンを、寝酒にするジョニウオーカーの黒と一緒に車のトランクに積んでいた。

「イラクでは外国タバコが高いので、よろこぶでしょう。自分で喫わなくても、友人にやればよいですから」

 私は車のトランクから2箱のケントを出して、ハッサンに手わたした。

「こんな高価なタバコを、どうも。お返しに差し上げたいものがありますから、ちょっと待っててください」

 ガレージ奥の居住部分に引っこんだ彼は、しばらくして、1本のワインを抱えてきた。

「モースルのワインです。教会で出されたのと同じ自家製です。この辺りでは良いブドウが採れてうまいワインが出来るのです。ユーセフと今夜の宿で飲んでみてください」

「地ワインですね。ありがとうございます。今夜、飲むことにしましょう」

 名残惜しそうなハッサンと握手を交わした私は、トヨペットクラウンの助手席に座り、窓のそばに立っている彼に言った。

「イラクの未来は、あなたたち若い技術者のものですよ。長いオスマン帝国やイギリスの支配からやっと抜け出したお国の近代化がうまく行くように祈っています!」

「戦争で敗れた日本の復興にガンバッテこられたバッシュモハンデス・マツモトにたいへん刺激を受けました。イラクの石油と日本の家電製品や車などで交易が盛んになることを願っています」

 運転席のユーセフと二言三言やりとりした彼は手を挙げた。

「サラマレイコム。インシャーラ!」

 動き出した車の私は、「シュクラン(ありがとう)マッサラーマ(さようなら)」と応え、手をふった。

 車が表通りへ出て、ユーセフが訊ねた。

「今日はあちこちご案内したのでお疲れでしょう。モースルにはバスラのようにクラブもありませんし、泊りも朝食だけの安宿です。この大通にカバブの店がありますから、ホベツ(パン)とペプシを買い、宿でハッサンのワインを飲みながら夕食にしましょう」 

「ああ、それがいい。とてもくたびれているから、シャワーを浴びて一休みしてからだね」

 

しばらくして着いた店先で、細長い鉄の箱の炭火焼きのカバブ数本とペプシコーラ4本を手に入れた。

ユーセフが予約していた宿は、ハッサンの店のように裏道に面していたがパーキングがないので、道路わきに停めるしかなかった。 

「ここで大丈夫かい?」

「モースルの人たちは純朴ですし、宿の前のほうが安全ですよ」

 ベッドと小机だけの小さな部屋が並ぶ廊下に、共用のトイレ・シャワーが2ケ所ある。

 部屋に入るなり、からだをベッドに投げ出して横になった。疲れがドッと出て、そのまま眠ってしまいそうだった。

シャワーを浴びてシャンとしようと廊下へ出ると、ユーセフも、自分の部屋から出てきたところだった。

「シャワーのあと、30分ばかりウトウトさせてくれないか?夕飯はそれからでもいいだろ?」

「ええ、私もちょっと横になりたいですから。小1時間ほどして、部屋に伺います」

 

 シャワーで、疲れと眠気が洗い流されたのか、意外なほど、生き返った気分になった。ベッドに大の字になってユーセフが出合せてくれた人たちの風貌と人柄をなぞって、その背景にある風土と歴史に思いを馳せた。

 古代、初期アッシリアの砦の町だったモースルは、ニネヴェに首都を築いたアッシリア帝国滅亡(紀元前609年)の後、シリアとアナトリアを結ぶ幹線道路のチグリス川渡河点として栄えて、重要な交易拠点としてペルシャ・アラブ・モンゴル・オスマン諸帝国が去来する要衡の地となった。

 ペルシャ・ササン朝を滅ぼしたアラブ人たちの、ムスリム史上初の世襲ウマイヤ王朝の首都として、繁栄の絶頂期を迎えたモースル。

 古代から数千年に及ぶ諸王国の興亡のなかで、この地には数えきれないほどの人間の血が流れ、アッシリア東方教会信者の末裔の牧師やハッサンには、先祖の悲惨な運命もあった。

 モースルは、第1次世界大戦の戦後処理でオスマン帝国が解体された1921年まではトルコの1行政州で、イラク自体が、バグダッド・バスラ・モースルの3つの行政州をイギリスが恣意的に統合して作った、新しい国である。

 行政州と云っても帝国の威令が及んだのは一部の都市部だけで、地方では有力な部族が跋扈して、諸侯乱立の状態だった。

 住民の大半がイスラム教徒で、ジャズィーラ(島)とよばれたバグダッドやモースルのスンニ派社会がシリアに抜ける交易圏だったのに対し、バグダッド以南のメソポタミアと呼ばれた地域のナジャフ、カルバラーはシーア派社会の聖地として、イランやインドからの巡礼や留学の往来で1つの経済圏を成していた。

 数千年にわたり色々な民族・文化が往来して興亡を重ねてきたモースルで、非ムスリムの2人のクリスチャンとクルドの民族宗教ヤズィーデー信者の老人との出会いに感謝したとき、ドアにノックの音がした。

「少しは眠られましたか?」

「いやネ。シャワーを浴びたら案外と疲れがとれて、キミが会わせてくれた人たちのことを考えていたんだヨ」

「チーフはやっぱり建築家ですね。牧師やハッサンと交わされた話の幅広さに、好奇心や知識欲のすごさを感じましたよ」

「それじゃ、ハッサンにもらったワインを飲みながら夕飯にしよう。アハラムが持たせてくれたクレーチャが昼飯がわりだったので、腹が空いているだろうね」

「私にとってのクレーチャは帰省してクウエートとバグダッドを往き来するとき、いつも母親が弁当代りに持たせてくれる大好きな食べものです」

 ワインを飲むコップを、ユーセフが自分の部屋の洗面所へ取りに行った間に、ワインとペプシのボトルを私のベッドわきの小机に並べた。

 椅子は1脚だけなので、ベッドカバーの上に向き合って胡坐をかき、シシカバブーとホベツの包を開いて、倹約ひとすじの旅の夕食を始める。

店先で求めたカバブはホベツに包まれていて、焼き汁がほどよくホベツにしみている。

「旨そうなカバブだね!」 

「あのカバブ屋のは美味しいのです。護岸工事の現場監督のときは、よくテイクアウトして下宿の部屋で食べました。レストランは高くつくし、安い食堂はありませんでしたから・・・」

「カバブは、典型的な中東料理の一つだね」

「そうです。クウエートでは多くのエジプト人が働いていますから、コフタと呼ぶ塊肉の串焼きの店もありますが、イラクのカバブは、アハラムの家で食べたように、羊肉のミンチにいろんなスパイスを混ぜこみ、串に長細く練りつけて焼きます」

 私たちはまず、ハッサンのワインで乾杯した。ワインがなくなれば、ホワイトホースのペプシ割りウイスキーだ。

 ラマダンなので沢山つくったからと、数食分ももらったクレーチャは、かなり残っていた。

 車から移したポータブル・カセットデッキのレバノン音楽をBGMに、手で千切ったホベツにカバーブを包み、せっせと頬張ってはワインで流しこんだ。

 空腹が満たされ、ほろ酔い気分になった2人に、みるみる元気が戻ってきた。

「出会ったばかりのハッサンといろんな話ができてよかったね。教会の牧師さんもだけど、日本の若者との時局談義と変わらない感じだった」

「それはよかったですね。大学出のインテリたちですから、バース党政権のイラクがどうなるのかを真剣に考えているのでしょう」

「よく知らない人間に警戒心を抱かずフランクに応対をしてくれたのは、とにかくキミのお蔭さ」

「チーフが一所懸命にアラブのことを考えているのが、彼らに伝わったからですよ」

「電気通信研究所・建築計画の技術指導で2年前に滞在したテヘランでは、よく知らない人間とは、政治的、思想的な話を絶対にしてはいけないと、出国前のレクチャーでくぎを刺されたよ」

「そういえば、この旅にご一緒するまでのチーフと、こんな話をしたことはなかったです」

「ワインが空になったから、ウイスキーのコークハイにするかい?」

「いいですね。今夜は語り明かすとしますか?」

「そうしたいのは山々だけど、明日はニネヴェの遺跡に寄って、バグダッドまで戻る強行軍だから、そこそこ、寝なくちゃならないだろうけど・・・」

 私は旅行カバンからジョニウオーカーを取りだして小机に置いた。コーク割りもわるくない。

いわゆる「ジョニ黒」の日本国内の値段は、「赤」の2、3倍だが、クウエートでインド人のヤミ屋から手に入れるジョニウオーカーは、なぜか均一の5千円。青島ビールの小瓶の千円に比べたら、ウイスキーは割安だ。

 私と自分のコップにコークハイをつくりながら、ユーセフが訊ねた。

「差支えなければ、ソ連の社会主義をどうみておられるかを聞かせてくださいませんか。さっき、日本の敗戦前後にソ連軍が唐突に参戦したので、イヤな感じをもたれていると仰っていました」

「うん。ポツダム宣言受託をめぐる日付け問題もあるけれど、中国大陸にいて捕虜になった日本兵を60万人もシベリヤに抑留し、厳寒の地の過酷な強制労働で1割もの死者が出た残酷さがね」

「国際条約では、捕虜を強制労働に使役するのは禁止されているのではないですか」

「そうだけど、条約加盟の有無もあるし、日本軍もやっていたようだから、なんとも言えないところがあるんだよ・・・」

「大阪万博のソ連館入館者は、アメリカ館よりも多かったとか・・・」   
     

                                                                     (続く)

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2013/07/10 21:01 2013/07/10 21:01
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