いのちと「動的平衡」 
                                 2013
12日(金)

                       

 先月の25日に傘寿を迎えた。食道(がん)全摘手術で再生した20周年でもあるが、再びの《いのち》を享け、いま、ここに在ることは天寿というほかない。

 早期発見と「鬼手仏心」のドクターⅠのお蔭だ。発見が遅く、手術を受けても2年以内に逝ってしまった中・高・大の学友ら数名が遺した時間(十数年)を生きてこれたのだ。福島第一原発事故の際、東電本社首脳部の優柔不断さにタテついて、海水注入を勇断した元所長吉田昌郎さんも、先日、食道がんで亡くなった。東電現場関係者一同が尊敬し信頼した人だったという。合掌。

 がんと言えば、前立腺PSAの数値が30.36になって受けたMR検査の顛末を、2012年1月25日の「残日録」に書いた。MRの白い画像が前立腺外周と近接のリンパと骨盤にあるので、早く治療をした方がいいと勧める担当医に、いま享受しているQOL(生活の質)に支障をきたす可能性のある治療は避けたいと告げたことをである。

 ブログ掲載の直後から、手術や治療(放射線、抗がん剤、ホルモン療法等)を受けている多くの友人・知人とご夫人たちから、ありがたい助言や励ましが届き、この病気の仲間がいかに多いかを知らされた。手術や治療で数値が目安以下(4.0)になっても、さまざまな生活の質の変化が生じ、治療効果に年限があることも分かった。

 3ケ月毎のPSA数値は上がりつづけ、今年の2月末で40.34、5月末で60.35と急上昇したが、生活の質に特別な変化は現れていない。まだ、やりたいことはあるが、平均寿命を迎えた人生に悔いはないから、いつお迎えがきてもたじろぎはしないだろうと思う。

 がんの末期には耐え難い苦痛が待つとされるが、さる老医師は、「末期がんで死ぬのは怖くない。自分が関わってきた老人施設の入居者で放射線・抗がん剤治療もなにもしない末期患者は、苦痛を訴えることなく、次第に衰弱して自然死に至る」と自著や対談集で述べている。

享年78で逝った父の火葬・骨上げを担当した人に、「どうやら、お父さんは末期のガンだったようですね」と告げられたことを思い出すが、がんの自覚も痛みもなかった父は、食欲と気力をしだいに無くす老衰状態におち入り、いわゆる“自然死”を迎えたことになる。

「残日録」の『NTT関東病院と私』(2012.1.30)に書いた建築家國方秀男(好きな寺社めぐりで奈良へ通いつづけた)は、奈良を訪ねたい一心で、末期がんの手術を受けられたのであろうが、術後ほどなく、治療の苦しみの中で亡くなった。不用意な言は慎むべきだが、上述の老医師に会われていれば、いま少し、奈良に遊ばれたかもしれない。

 最近の医療分野で、「ホリスティック・メディシン」という概念が整えられつつあると知った。

人間を心身一体としてみることを主張し、西洋近代的な医療の対症療法偏重の欠陥を検証して、人間が本来もっている自己免疫力の活性化を眼目にしているらしい。

 ほとんどの病気が生活習慣から生じている事実からも、対症療法偏重でなく、規則正しい生活、睡眠、食事、運動、精神・感性を高める活動をトータルに実践する大切さを説く、この考え方に強く共感する私だが、分子生物学者福岡伸一著『動的平衡』の説とも重なる

福岡によると、「生命現象(バイオ)は、本来、工学的(テクノロジー)操作、産業上の規格、効率よい再現性などになじまない。全身の細胞は例外なく“動的平衡”状態にあり、日々絶え間なく壊され更新されている。私たちにできることは、生命現象が本来の仕組みを滞りなく発揮できるエネルギーと栄養を十分に摂り、サステナビリティーを阻害する人為的な因子やストレスをできるだけ回避すること」だという。

 傘寿を迎えても相変わらず、《唄い》《描き》《詩文を書く》日々を楽しんでいる私の“いのち”の動的平衡状態に、前立腺がんに対抗する“がんキラーT細胞”が活性化されている実感をもつ。

添付画像



2013/07/16 21:15 2013/07/16 21:15
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