アラブと私
イラク3千キロの旅(81)
松 本 文 郎
「ソ連に対するボクらの国民感情には複雑なものがあるんだよ」
「それはどういうことですか?」
「一口に言えないけど、明治維新以後の富国強兵政策の果ての日露戦争で勝った日本の国家統治者と、ロシアの芸術文化に魅了されていた知識人の間には、大きな感情の隔たりがあったんだ」
「長い間、オスマン帝国の支配下にあったイラクで、極東に日本という国があるのを知ったのは、強大なロシア帝国との戦争に勝ったときと言ってもいいくらいですが、国民にはいろいろな想いがあったのですね」
クレーチャを頬張ったユーセフは、コークハイで流し込みながら、私の話をうながした。
「日露戦争の戦勝国となった日本は、世界の人々に欧米列強に伍した1等国と認められたようだけど、調子づいた軍部が政治権力を握って軍国主義への道を突っ走った挙句の敗戦だったんだ」
「ポツダム宣言受託前後のソ連の唐突な参戦にはいやな感じをもっているとハッサンに話されましたが、どんな状況だったのでしょうか」
「ソ連の対日参戦は、日本の植民地のような満州国で1945年8月9日未明に始まったんだが、その背景には、戦争の早期終結を図るアメリカが、ソ連の対日参戦を2年前から画策していたこともあった上に、日露戦争から12年後のロシア10月革命で成立したソヴェト政権が、世界の共産主義化を至上目標に掲げてヨーロッパや東アジアへの勢力圏拡大に積極的だったからなんだ」
イラク・バース党政権に積極的なアプローチをしているソ連への関心からか、ユーセフは真剣な表情で聞いている。
「日本がポツダム宣言を受託して無条件降伏をした8月15日以降も、関東軍とソ連軍との戦闘はつづいたそうだが、関東軍の指揮下にあった部隊はほぼすべてが、激しい攻撃を仕掛けるソ連軍に抵抗していたため、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の戦闘停止命令は、8月19日のソ連軍の本格的停戦と日本軍の武装解除まで実行されなかったし、ソ連軍の作戦は9月2日の日本との降伏文書調印も無視して続けられ、満州、朝鮮半島北部、南樺太、北千島、択捉、国後、色丹、歯舞の全域を支配下に置いた9月5日になって、ようやく終了したんだ」
「日露戦争に負けたことへの報復でしょうか?」
「歴史的なロシア民族の南下政策は、ロシア皇帝を倒した革命政権の首魁スターリンにも引き継がれたのかもしれないね」
「ルーズベルトがソ連参戦の条件として千島列島と樺太をソ連領として容認するとモロトフ外相に伝えていたそうだから、ソ連はアメリカの足元をみていたんだろう。関東軍兵士らのシベリア抑留の強引なやり口も、そうした状況で行われたのだと思う」
「皇帝の支配下で搾取・抑圧された人民を解放した共産主義政権らしくないやり方ですね」
「ソ連共産党の指導者スターリンはヒットラーのナチスドイツと苦しい戦いをして勝ち抜いたが、政敵や不穏な同胞の粛清(シベリアの強制労働・大量虐殺)をやった恐ろしい一面をもつ人物でもあったんだ」
「軍国主義時代の日本では、共産主義的な思想は弾圧されたのでしょうね」
「共産党は非合法化されたので、党員やシンパは地下にもぐって活動したんだ。ソ連へ密入国したり、官憲の監視をかいくぐって中国の革命家らを支援したり・・・」
「ミスター・マツモトは、資本主義・社会主義両陣営の東西冷戦をどうみているのですか?」
思い切った質問を投げかけてきたユーセフに、ジョニ黒を注ぎながら、思案の一呼吸をした。
「思想的に先鋭な学生も少なくなかった京大生のころ、マルクスの『資本論』や毛沢東の『矛盾論』などは読んだけど、学生運動には参加しないノンポリ学生だった」
「それらの本から学ばれたことはなんですか」
「多感な若者の一人として、人類社会を二分している資本主義と社会主義の光と影について知り、さまざまな社会矛盾や人間疎外にどう立ち向かうかを学ぼうと・・・」
ユーセフはグラスを手にしたまま、訊ねた。
「マルクスから学ばれたことを、かいつまんで話してくださいませんか」
「ボクが高校・大学生だった頃の日本は、東西冷戦下での朝鮮戦争勃発後、軍事特需の工業生産活況が戦後経済復興の口火となり、サンフランシスコ対日講和条約・安全保障条約の調印で資本主義の西側陣営に組み込まれたが、同時に、マルクスが『資本論』で説いた矛盾や疎外が生じる資本主義的社会を変革する社会主義への関心が高まったんだ」
「イラクの社会主義・バース党政権はイギリスに支配されてきた石油資源を国家の近代化のために開発・活用しようとして、親ソ的な外交路線をとっていますが、ソ連のような社会主義国には、帝国主義的な支配のおそれはないのでしょうか」
「それはなんともいえないね。東西冷戦の下で、スターリンのソ連が世界の共産主義化をめざしたのは、自由市場経済よりも国家計画経済の方が人類社会により繁栄と平和をもたらすという思想に基づいているというが、どこかおっかないような気もしている。そのせいかどうか、2年前にモスクワで開かれた「世界共産党会議」に、日本、中国、北朝鮮、北ベトナムの共産党は欠席しているよ」
「それは、ソ連が、エンゲルスとマルクスが想い描いた国家社会像と違う方向へ向かっているとみているからでしょうか」
「うん。スターリンの圧政的な権力統治とロシア帝国時代の覇権主義と南下政策に懸念を抱いたのかもしれないね」
「大学の一般科目《人類社会の発展段階の概説》で階級社会の矛盾をはらむ資本主義社会はいずれ破たんして、平等で格差のない社会主義社会から共産主義社会へと進化発展すると学びました」
「ボクにとっては、『聖書』と同じように、一般教養として読んだエンゲルス・マルクス『共産党宣言』にも、そんなことが書いてあったような気がするが、なんだか、観念的な理想論のようで、鵜呑みにはできなかった。だけど、国際的な労働運動の指導もしたマルクスが、フランスの社会主義的な労働者の集会で話した箇所には感動した」
「マルクスが、どんなことを言ったのですか」
「それはね。『人間の兄弟のような愛は彼らにあっては空文句ではなく真実であり、人間性の気高さが労働によって頑丈になった人々のうちから、私たちに向かって光を放っている』という人間性への賛歌だよ」
「スターリンは、マルクスの社会主義的人間性を無視して、独裁的な圧政を敷いたのでしょうか」
「そうかもしれないね。労働者階級といっても、マルクスが嫌った俗物根性の人間もいるだろうし、革命運動の闘士にも支配欲や裏切りはあるからね」
「敬虔なクリスチャンといえない私でも、宗教を否定されているソ連のキリスト・イスラム教信者に同情しています。その点で、バース党は宗教を認めていて、指導者や支持者に世俗的なスンニ派が多いのです」
「社会主義国の動静だが、共産党政権の中国で5年前(1966年)に始まった《プロレタリア文化大革命》では、封建的文化、資本主義文化を批判して、新しく社会主義文化を創生するとして、政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動がおこなわれていて、当初は、思い切った自浄作用の実践だと感心したけど、紅衛兵とやらの少年少女による全国的な粛清運動で党権力者や知識人だけでなく、一般人民に多数の犠牲者が出たり、儒教・仏教など伝統文化の破壊と経済活動の長期停滞が生じているらしい」
「欧米の自由主義陣営では、社会主義大国のこうした状況をみて、資本主義の勝利として喧伝しているようですが・・・」
「資本主義的社会の高度経済成長が進行中の日本では、昨年(1970年)の「70年安保闘争」の挫折と共に、社会変革への関心が急速に弱まったと感じているよ」
「ミスター・マツモトは、社会主義ではダメだと感じていられるのでしょうか?」
私を見つめるユーセフの目が鋭くなった。
「そうでもないよ。戦争中、官憲の監視の目をくぐって社会主義思想の文献を熱心に読んだ若者や知識人のなかに弾圧で転向したり、戦後、企業経営者として日本の復興に活躍した人物は少なくないけど、社会人になってからも是是非非的なノンポリで通してきたボクは、学生時代に受けたマルクスの社会思想の骨子だけは持ちつづけているんだ」
「マルクスが『資本論』で予見した資本主義社会の行方は、まだ正しいと思われているのですね」
こころなしか、ユーセフの顔が和んで見えた。
「少なくとも、スターリンのソ連や文化大革命の中国は、マルクスの思想に忠実ではなかったと言えるのではないだろうか。彼らの統治が失敗したと見えるのは、マルクスの思想を実践したからではなくて、むしろ実践しなかったからだと思うんだ」
ユーセフの熱心な質問に答えながらいつの間にか、大学生時代の仲間との論争や万博基本構想の策定の場での論議にも出た『資本論』をめぐる熱い想いがよみがえってきた。
思えば、日本のインテリにとっての『資本論』は、貨幣経済の「剰余価値問題」よりも、社会的矛盾に立ち向かうある種の道徳的・宗教的な論説の面が強かったようだ。
不合理な社会の変革を夢見る学生や若い社会人には、左翼思想の重症にならない予防ワクチンの注射を受ける気持ちで読んだ者も多かった。筆者が建築家の活動を展開するなかでは、マックス・ヴェーバーの社会科学的方法論に惹かれることもあったが・・・。
その夜のユーセフとの語らいは『資本論』だけで、毛沢東の『矛盾論』に触れる時間はなかったが、大きな影響を受けた社会思想の哲学的著作のポイントを書き留めておこう。
『矛盾論』の骨格をなす唯物弁証法は、人類史上の長いあいだの人々の思想の中で支配的であった形而上学的な観念論に対して現われ、社会変革のメカニズムを解明する論理とみなされてきた。
『矛盾論』の世界観では、事物の発展を事物の内部またはある事物の他の事物に対する関係から研究するよう主張する。
事物の発展の根本原因は事物の内部の矛盾性にあり、自然界の変化は主として自然界内部の矛盾の発展により、社会の発展は社会内部の発展である生産力と生産関係との矛盾、諸階級間の矛盾、新しいものと古いものとのあいだの矛盾によるとされる。
社会の前進や新旧社会の交代は、これらの矛盾の発展によって促され、森羅万象のすべてにある矛盾した側面の相互依存と相互闘争とがすべての事物の生命を決定し、すべての事物の発展を推進する。
どのような事物も矛盾を含まないものはなく、矛盾がなければ世界は存在しない。
新しい社会への発展過程においては、古い社会での統一とその統一を構成する対立的要素が、新しい統一とその統一を構成する対立的要素に場を譲り、新しい社会が古い社会にとって代わる。
その新しい社会はまた、新しい矛盾を含んでいて、それ自身の矛盾の発展史がはじまる。
事物の発展過程の始まりから終わりまでの矛盾の運動については、マルクスの『資本論』のなかに模範的な分析がなされているとレーニンが指摘しているという。
毛沢東は、「中国共産党員は、中国革命の歴史と現状を正しく分析し、革命の将来を正しく予測するには、必ずこの方法(『矛盾論』)を身につけなければならない」と書いている。
