68年目の夏に想う             
                              2013年8月15日(木)
                          
 国民やアジアの人びとの尊い命と財産を奪ったあの無謀な戦争に敗れた日から、68年目の夏。憲法記念日の「残日録」で、“大東亜戦争聖戦論”(太平洋戦争の侵略性の否定)を唱える安倍首相の錯誤の歴史観と強引な改憲姿勢について書いた。終戦の日、政府主催の全国戦没者追悼式の首相式辞は、アジア諸国に対する加害責任に触れず、歴代首相が繰り返してきた“不戦の誓い”の表現はなかったが、「戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすら平和の道を邁進してまいりました」と述べた。 2007年(第一次安倍内閣)の追悼式では、「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「国民を代表して深い反省とともに犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す」と述べた安倍首相の本心は、一体どこにあるのだろうか。やや危うい足どりで祭壇に向かわれた天皇(戦争責任を論議された裕仁天皇を継承されて以来、真摯に「世界平和」を祈念されてきた)が、A級戦犯に指名・収監された祖父をもつ安倍首相の二度目の式辞の変りようを、どんなお気持ちで受けとめられたのか・・・。
 日本人が自由と民主主義を尊んだのは、敗戦後が初めてではない。明治の自由民権運動や大正デモクラシーの時代に目覚めた国民が希求した自由と民主主義を、忌まわしい軍国主義が踏みにじったのを忘れてはならない。「不戦の誓い」を守ってきた日本人の平和主義は、占領軍に押し付けられたどころか、日本書紀に書かれている聖徳太子の17条憲法・第1条にみる「和」や古事記の底流にある“やまとごころ”に通じる、わが民族が誇るべきアイデンティティーではないか。「6年前、総理大臣として靖国神社に公式参拝しなかったのは痛恨の極み」と言った安倍首相が、かろうじて踏みとどまったのは菅官房長官ら側近の忠告によるものだろうが、「不戦の誓い」に触れないことで、支援団体や資金源からの反発をかわしたものかと推量する。
 これからの世界がめざす規範にしたい“平和憲法”の下、国民がこぞって戦後復興に邁進し、世界第2の経済大国を築いた日本の戦後史を否定する首相は、どこへ向かおうとしているのか。
 衆参両選挙で大勝した自民党の総裁として再び首相の座につけたのは、国民が期待したはずの民主党の呉越同舟の党内混迷と未成熟な政治に“漁夫の利”をえたからだ。
“平和憲法”の第9条は、戦死・戦没者の尊いいのちと引き換えに国民が手にした、掛け替えのない遺産。長く続いた自民党政権が憲法改正をしないできたのも、保守本流の政治家たちが国民の悲願を尊重しなければ政権維持ができないと認識したからにほかならない。
 軍国主義日本の被害を受けたアジア諸国の人たちが、日本の首相・閣僚の靖国参拝に反対するのは、“A級戦犯合祀”の一点からで、家族や祖国のために亡くなった戦没者一般の追悼ではない。憲法9条の改正で、アジアや世界に日本の軍事国家化を懸念させる事態になれば、英霊たちの尊い犠牲が無に帰すことを、“これ見よ”とばかり15日に参拝する議員らは分かっているのか。「国民の生命安全を守る」総括責任者たる安倍首相の歴史に逆行した言動が、戦争時代のように全国民の生命と平和な暮らしを脅かし、国益を損なうことになるのに気づいてほしいと切に願う。
 本家の長男は中国大陸で、妻の父は沖縄戦で戦死した。跡取り息子を戦地に送ったおばさんは、「生きて帰るんだよ」と言ったが、石ころが入った箱が届いただけだ。妻の母親は遺された4人の子供たちを、女手一つで苦労して育て上げた。侵略的な戦争で多大の損害と苦痛を与えたアジア諸国との友好平和を脅かす安倍首相の言動にいちばん憤っているのは、無謀な戦争に駆り出されて戦没した英霊たちではないか。 合掌。

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2013/08/19 16:11 2013/08/19 16:11
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