アラブと私 
イラク3千キロの旅(82)

                                      松 本 文 郎 

 私のベッドの上に広げていたクレーチャの箱とコップを手にしたユーセフが、自分の部屋へ戻っていったあとで、すぐ眠りにつこうとしたが、アタマが冴えていてなかなか寝つけない。
 教会の牧師やガレージの主と話したことのなかで、言い足りなかったことや言い過ぎたことが気になりはじめたのだ。
 いちばん気になってきたのは、CIAの影だ。
 イギリス支配のイラク石油会社が収奪してきた石油資源を国有化によりイラク国民の手に取り戻すバース党政権の動きが高まっていると聞くと、20年前のアングロイラニアン石油(BPの前身)国有化の騒動とCIAの暗躍が思い出される。1951年、イラン議会で石油国有化法案が可決されてモサディクが首相に就任したが、2年後、CIAが動いて、パーレビ国王によるモサディク解任と米国が主導したイラン石油協定成立と国際合弁会社の設立があいついだ。
 モサディクが自国の石油をイギリスから取り戻す国有化に成功したとき、日本人出光佐三が率いる小さな石油会社は、BPの妨害をものともせず、イラン石油の買い取りに奔走・成功して気を吐いた。(*注 出光佐三がモデルとされる「2013年本屋大賞」の『海賊と呼ばれた男』はベストセラーに)
 イラクのモースルにCIAの影がちらつくのは、バース党社会主義政権に肩入れしながらイラクの石油を狙うソ連の(ロシア帝政時代以来)南下政策をけん制する米国の動きの一つだろうか。
 イランの石油では米国にしてやられたイギリスも、イラクの石油国有化のきざしのなか、ソ連、米国双方にどう対処してゆくのか。
 イラクの隣国クウエートの電気通信技術コンサルタント事務所の建築班チーフが関わる問題ではないし、私的な旅での言動がCIAの耳目にとらえられるのは、絶対に避けなければならない。
 思えば、アッシリア、バビロン、ペルシャなど古代の王国・帝国の地に大量の石油が埋蔵されていると分かってから、二度の世界大戦から今まで、欧米諸国とソ連が資源獲得でしのぎを削るイランとイラクに、私は訪れているのだ。
 1969年春、二ケ月ほど滞在したテヘランで、パーレビ国王の背後でCIAが動いていることを滞在年数の長い日本人から告げられたことは、既に書いた。 国際万博を開催するまでになった高度経済成長を持続するために中東石油を確保しなければならない日本のアラブ外交戦略はどうなっているのか。米国からの輸入をとめられた石油確保のためとした戦争に敗れた日本が、世界の石油を独占支配する戦勝国米英などの石油メジャーを相手にして、はたして太刀打ちできるのだろうか。
 そういえば、クウエートへ着任して間もなくの日本人会の会合で、アラビア石油の山下太郎なるすごい人物の話を大手商社の駐在事務所長に聞いたとき、やはり「官」ではなく「民」だと思ったものだ。1916年に設立した「山下商店」で戦前からウラジオストックや上海でいっぴきオオカミ的な事業活動をした実業家で、事業網を国内から満州、中国、朝鮮まで拡大したが、敗戦ですべての在外資産を没収されたという。
 戦後は日本復興のための石油資源に獲得に奔走し、1957年にペルシャ湾海底油田の開発利権を得た。翌年にはアラビア石油を設立し、サウジアラビアとクウエート両国から採掘権を獲得した。
 クウエート国が、数多くのライバルの中で日本に利権を与えたのは、長年にわたってアラブ諸国を支配した欧米諸国に対抗する民族意識からだという。なんともうれしい話に感銘をうけた。
 ユーセフと飲んだコーラ割りウイスキーの酔いも醒めてきたアタマに、クウエート国電気通信技術コンサルタント・プロジェクトをNTTが獲得したのは、宗主国だった英国の電気通信会社の汚職工作が発覚したので、日本に白羽の矢が立ったという内輪話が甦ってきた。
 豪快な言動と事業業績から満州太郎・アラビア太郎の異名で呼ばれた山下は、1960年に採油に漕ぎつけたが、1967年に享年78で死去。
 慶応義塾普通部から札幌農学校へ進んだ山下は、児玉誉士夫のような右翼の政商ではなくて、自分の才覚で財(オブラートを発明して特許を取得)をなし、特許売却で海外貿易進出の資本を得た、奮励努力の人だったという。
 山下太郎が亡くなって2年後に訪れたテヘランでは、出光佐三という傑物がイラン石油を国有化した愛国者モサディクと肝胆相照らし、イランの石油を収奪してきたBPの向こうを張って、輸入契約に漕ぎつけた武勇伝を聞いた。CIAの影に気をつけるよう忠告してくれた人物からである。(2012年に亡くなった彼の海外活動の体験談から推測すると、CIAと接点をもっていたかもしれない。日本の国益を思う立場からではあろうが・・・)出光佐三は、1911年(「山下商店」より5年早く)「出光商会」を設立して、日本石油の特約店として機械油を扱うことから事業を始めた実業家・石油エンジニアである。
 京大の教養学部1年のとき報じられた「日章丸事件」は、国際石油資本の圧力におもねる官僚らと日本石油・石油配給公団の陰険なイジメをものともせず、国有化されたイラン石油の輸入を敢行した、まさに国士的な壮挙だった。「日章丸」は、モサディクが国有化したイランの民族石油を精製したガソリン・軽油をアバダンから川崎へ運んだ、「出光興産」が誇る大型タンカーである。
 これが事件とされたのは、英国のアングロイラニアン社が積荷の所有権を主張して東京地方裁判所に提訴したからで、石油メジャーに屈せず勝訴した出光は、敗戦日本の経済復興が立ち上がりかけた時期の日本国民を勇気づけ、イランと日本との信頼関係を構築したのである。
 勝訴を言い渡した東京地裁の裁判長に出光佐三は、「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の1人として、俯仰天地に愧じない行動をもって終始することをお誓いします」と述べたそうだ。
 列強が収奪してきたイランの石油を国有化したイラン国民の民族意識を重んじた出光佐三の度量に感激したモサディクは、国際的に破格の低価格で契約書にサインしたとされる。
 
 サイドデスクの時計をのぞくと10時だった。
 ガレージと宿へ帰ってからの話のなかで、工科大学卒の若者のハッサンとユーセフが自国イラクの近代化に熱い想いを寄せていると知った私は、彼らの民族意識と愛国心にいたく共感していた。
 バグダッドのアハラムの実家のパーティーで、彼女の従兄(新聞記者)マリクと語り合ったこととも重なり、彼らが期待する近代国家の建設が、石油メジャーやソ連のような権謀術数の連中らに邪魔立てされないことを念じながら、ジョニ黒のボトルとグラスを取りにベッドから起きて出た。
 昨日から今日にかけて交わした会話の多くに、4百年ものオスマン帝国による支配とイギリスの委任統治を経て独立したイラク共和国が、貴重な資源の石油から財源をえて近代国家の構築に邁進することへの期待があふれていた。
 イラク・バース党についてはなにも知らないが、ナセルが牽引したアラブナショナリズムやシリアのバース党とは一線を画す政治・経済路線を歩んでいるように感じている私だ。
 近代的なイラクの国家建設を担うユーセフたちエンジニアの関心は、東西冷戦下の資本主義陣営の欧米諸国と社会主義陣営ソ連の科学技術・文化芸術・生活の豊かさの比較にあると思われる。
 イランの国有化がアメリカCIAの暗躍と国王の裏切りで転覆し、国民から信頼されていた首相の更迭・失脚の果てに、石油メジャーによる支配に逆戻りしたことを、ユーセフらエンジニアたちやマリクのような言論人たちは、よく知っているにちがいない。
 イラクが大阪万博に出展しなかったことを残念がりながら、展示された各国の文化や科学技術の水準に強い関心を示していた。
 ペプシコーラがなくなったので、ジョニ黒の水割りを飲みながら、この国の行方に想いが向く。
 2日後には戻るクウエートは、石油に浮かぶ国と称されて国民1人あたりの所得は世界一だが、石油の輸出だけに頼る国が石油枯渇後に、国家の運営を持続可能にする手立てはまだ見えていないのだ。
 王制統治のクウエートは、元宗主国イギリスがしっかり押さえているように見え、CIAの影を感じた体験はしていない。
 その国へ出稼ぎに来ているユーセフは、中古のアメリカ車に乗り、ペプシコーラもキライでなさそうだ。イラク人の協力者を探すCIAがアプローチするターゲットの条件は、それなりに満たしているのではなかろうか。
 CIAといえば、万博パビリオンの基本計画に携わって目覚めた海外への関心から自費で1年通った日米会話学院・夜間クラスの男性教師ナム・クン(中国系アメリカ人)は、目から鼻へ抜けるようなアタマの良さを感じさせる人物だった。
 なにが目的の英会話学習かと訊ねた彼に、「NTTでは、フルブライト奨学金を得た社員が休職して米国へ留学することは認められるので」と答えてから、なにかにつけて親切に指導してくれるようになり、面白半分ながら、ひょっとしてCIA工作員ではないかと勘ぐったものだ。
 敗戦後の日本へプロ野球・テレビ放送・原子力発電を導入した功労者の正力松太郎は、CIAの非公然の協力者のウワサのある人物だったから、アメリカがイラクの石油資源を狙っているのなら、バース党幹部・実力者や周辺の若者にアプローチして、イラク近代化に手を貸しながら自分たちの狙いの実現を目論むことはありえるのだ。
 ガレージを営みながら、石油資源の活用による国家発展を夢みるハッサンに、石油枯渇の心配や地球の資源・環境の限界を警告するローマクラブの提言を話したが、そんな観念的な問題意識より、CIAの誘いと段取りの米国留学で訓練を受けてイラクに戻って、政府関連の組織で活動する方にやりがいを感じることは、ハッサンのみならず、ユーセフにもありうるのではないか。
 残り少なくなったジョニ黒のビンを抱え、酔いを取り戻したアタマにいささか不穏な妄想が湧いてきた。
 いや、そんな心配は無用かつ彼らに失礼だろう。アッシリアやバビロンの遺跡への誇りと愛着をもつ二人が、そう易々と先進大国の手先になるとはとても思えないではないか。
 取りとめない自問自答をしながら、ユーセフ・ハッサン・マリク・アハラムのイラクが、東西両陣営の石油争奪の術中に陥ることなく、むしろ、双方を手玉にとって、自分たちの祖国をすぐれた近代国家にするくらいの賢明さを発揮してもらいたいと思った。
 気になっていたCIAのことはあれこれ考えたからか、酔いが戻ったアタマから遠のいていく。
 世界3大文明の1つメソポタミアの地に、念願の旅をしている建築家としては、イラクの現実的な問題にやや深入りしすぎているようだ。
 残る2日の「イラクの旅」は、ニネヴェ遺跡とバグダッド博物館の見学に集中するとしよう。
 これから見る夢に、ニネヴェが繁栄した往時の壮大な姿とアハラムが出てくるといいのだが・・・。
                            
                                   (続く)



添付画像

石油利権獲得のためにサウード国王に謁見する山下太郎氏

添付画像


2013/09/20 18:28 2013/09/20 18:28
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