アラブと私
イラク3千キロの旅(83)
松 本 文 郎
ふと目覚めると、腰高の窓から朝日が差しこんでいる。サイドテーブルの腕時計を見ると6時半だった。
「イラク3千キロ」の旅の最北端のモースルで、古代アッシリア人の末裔という牧師・若いガレージの主と熱心に語り合って疲れはて、ぐっすり眠りこんだようだ。夢に出てほしかったアハラムの笑顔が、まぶたに浮かぶ。
今日は、アッシリア帝国の古都ニネヴェに立ち寄って、一路、バグダッドめざして車を走らせる。
窓を開けて見上げた空は快晴。夜は気温が下がったが、もう17、8度くらいに上がっていよう。
日本の5月か10月半ばころのこの快適な季節は、わずかな期間だけで、クウエートに戻って1ケ月もすれば、日中の気温は45度前後の熱砂の気候になるのだ。
シャワーを浴びて身支度をしていると、ドアをノックしてユーセフが入ってきた。
「おはようございます。チーフ! よく眠れましたか?」
「やあ、おはよう!ぐっすり眠ったよ。昨日は、一日中話をしてとても疲れてたんだね」
「朝食は7時から用意できると聞きましたから、そろそろ行ってみましょうか」
食堂はフロントがある近い小さなロビーの横で、2年前、テヘランで滞在した民宿「パンシオン・スイス」(ペルシャ美人のマダムとスイス人の主)の小ざっぱりした食堂に似ている。人の姿はなく、私たちは勝手にテーブルについた。
「チグリスの護岸工事の仕事でモースルに住んでいたのは貸し部屋で、外食でしたが、時に、ここへ来て食事をしていました」
「泊っている人たちだけじゃないんだ。イランで2ケ月ほど逗留した民宿もそうだったけど」
「ここで出される料理は田舎風ですが旨いです。モルガ・バーミヤ(羊肉入りオクラ・トマトシチュー)をよく食べました」
「テヘランのマダムはウエイターに下司しながら客にお愛想を言ってたけど、ここはどう?」
「マダムというより、私にはモースルのオッカサンでした」
「アハラムのお母さんはモスリムだから、ボクたちの前に出てこなかったけど、モースルのオッカサンはどうなの?」
「ハッサンと同じ教会のクリスチャンですから、間もなく現れるでしょう」
仕事でテヘランにきていた外国人がかなり逗留するパンシオンとはちがい、地元の人たちやイラク人の旅行者が古くから利用している宿のようだ。
「昨日はお疲れだったので、フロントではキーをもらってすぐ部屋へ行きましたが、飲んだあとで自分の部屋へ戻る前に久しぶりのオッカサンにロビーで会って、チーフやモースルで訪ねた人たちのことを手短に話しておきました」
「キミも疲れていただろうに・・・」
噂をすればナントやら。そのオッカサンが朝食のトレイを両手にもったウエイターとテーブルにやってきた。50過ぎに見えるオッカサンは、伯母さんが甥っ子に言うような親しさで、「サラム・アレイコム」と朝のあいさつをにこやかな笑顔で言った。
「グッドモーニング」と応えた私だったが、すぐ、アラブのあいさつ「アレイコム・サラム」をつけ加えると、うれしそうに「シュックラン!」
ウエイターがテーブルに置いた二つのトレイの朝食のメニューを、ユーセフが説明してくれた。
「平べったいコロッケのようなクッバ・モースルと、土地の名物チーズとヨーグルトです。トルココーヒーは、オレンジジュースを飲まれたあとで、出すそうです」ユーセフの説明をニコニコしながら聞いていたオッカサンは、アラビア語でなにか早口に言った。ユーセフの通訳によれば、クッバ・モースルはいつもの朝食メニューではないが、オッカサンの自慢料理をチーフにとユーセフから頼まれ特別に用意したそうで、挽き肉とタマネギのみじん切りを混ぜた肉団子をひき割り小麦で包んで揚げたものという。
チーズもモースル名産で、ニンニクを練りこんだものとハーブ野菜やいろいろなスパイス入りの変わりチーズ。液状ヨーグルトも美味しいから、しっかり腹ごしらえをして、アッシリア人の誇りであるニネヴェ遺跡を訪ねてほしいとオッカサンは言っているという。
昨夜は挨拶せずに失礼したのに、朝早くから、手のこんだ料理を準備してもらって感謝しているとユーセフに伝えてもらう。
オッカサンは、ゆっくり召し上がれとばかりに、大きな腰をふりながらテーブルを離れて行った。
初老だが童女顔のアッシリア人の末裔女性との初対面でふと感じたのは、バグダッドのアハラムのお母さんとの共通性だった。
小太りな二人には母性的な愛情があふれていて、会ったとたん、親類の伯母さんのような懐かしさを感じたのである。
フライパンで焼かれた大きな円形の信州御焼のようなクッバ・モースルを、8つのクサビに切って食べながら、つらつらと考えた。昨日も大いに話し合ったが、チグリス・ユーフラティス両河に沿った地域のメソポタミア文明の歴史的発展の過程では、北のアッシリアと南のバビロニアとの間に、さまざまな葛藤や交流があっただろう。
アハラム一家が住んでいるバグダッドから南の肥沃な沖積平野では、両河流域の豊富な水で植物は豊かに育ち、自然の生産力が高い一方で、山岳地帯で気候が寒いモースルから北での生産力は低かったところへ、キルクークの石油が近代の産物として脚光をあびているのだ。
近代国家の発展には工業生産力の豊かさが必要だから、農業生産が中心だった沖積平野に対して、クルド人や少数民族のアッシリア人の末裔が住む北方の地域の日当たりがよくなったのである。
古代アッシリア人が非常に戦闘的で強かったのは、地形と風土的な環境があったからではないか、クルド人はその流れをひいているとの説があり、豊かさで発達した南の文明地域の人びとが弱くなったところへ、北からの脅威の刺激が加わることで、古代オリエント文明は活発化させられたと論じた人もいた。
クッバ・モースルの切れを口に運びながら考え事をしている私に気を使ってか、ユーセフも黙ったままで食事に専念している。
「オッカサンに訊いてみたいことがあったけど、政治的な内容なので遠慮したよ」
「いったい何でしょうか」
「アハラムの父親や教会の牧師との話で、共和国になってからのモースルの市内では、軍事政権の権力闘争やクルド人との石油をめぐる利害衝突で多数の死傷者や虐殺された人びとの血の川が大通りを流れたと聞いたので、その悲惨な出来事をオッカサンがどう思っているかだよ」
「共和国成立後に相次ぐ軍事クーデターの内戦は、少数民族でクリスチャンの彼女に、オスマントルコ統治下の戦争のない時代の先祖の暮らしに思いを馳せさせたのではないでしょうか。私の勝手な想像ですが・・・」
「そうだろうね。古今東西のどんな戦争だって、女たちは、男たちが権力や富や名誉のために血を流したことを苦々しく思っていたにちがいないよ」
「ところで、このクッバは美味しいでしょ。私の好物でもあるのです」
「とても美味しいね。日本の信州という田園地帯によく似た食べ物があるよ。大きさは手のひらにのるくらいで、揚げるのではなく焼くんだけどね」
「ニネヴェ遺跡あたりに食堂らしいものはなくて、バグダッドまでひたすら走り続けなければなりませんから、お昼の弁当にもたせてくれるように、オッカサンに頼んできます」
気の早いユーセフは、そそくさと席を立った。モースルの変わりチーズもそれぞれの味を楽しみ、ビールがあればなあと想った。しばらくして、ユーセフが、トルココーヒーのカップとポットをのせたトレイをもつウエイターと一緒に戻ってきた。
「バッシュモハンデスが飲まれたあとのカップの底の模様で運勢を見ましょうかと、オッカサンが言ってますよ」
「うれしいね。アハラムのお母さんの占いとどう違うか、興味深々だよ」
「ところで、クッバ・モースルは、もたせようと思っていて、ちゃんと準備してあるそうですよ。さすがは私のオッカサン! チーズも入れておくからと」
「オッカサンは、時々やってくるユーセフのことを気に入ってたんだ。きっとね」
「いいえ。はるばる日本からモースルを訪ねてくださったバッシュモハンデスに敬意を表しているのですよ」
ウエイターが注いでいったコーヒーが冷めないうちにと、カップを手にした。苦くドロリとした液体の喉ごし感に、コーヒーの出前を二度も頼みにいってくれたガレージの見習い少年を想った。
飲み干したカップをソーサーに伏せてしばらく置いておく。
「オッカサンにきてもらいますか?」
「そろそろ朝食にくる他の客のための準備で忙しいだろうから、キミがもっていって見立てを聞いてきてくれないか」
ユーセフは、両手でソーサーをもちあげ、ゆっくりした足取りで歩いていった。
「チーフ! 聞いてきましたよ」
思ったより早く戻ってきたユーセフが告げた。
「チーフのこれからの人生はとても起伏に富んでいるそうです。困難な仕事をいろいろやり遂げて立派な地位につかれるそうですが、20年くらい先で、生死を分ける岐路に立たれるとも出ていると言いました」
「それは、まるでアハラムのお母さんの見立てとほとんど同じじゃないか!」
「そういえば、チーフの占い結果を母親に聞いたアハラム嬢が、運勢は自分の力で切り開いてゆくしかないから、占いに一喜一憂する生き方はしませんと、キッパリ言っていましたね」
「うん。しっかりした意見に感心したけど、キミも彼女の意気込みにすっかり魅せられていたようだナ」
「コーヒー占いは、しょせん遊び心で楽しむものでしょうが、なんだか当たっているようでギクッとすることもあります」
「生死を分ける岐路というのだけは気になるね」
「でも、チーフの生命力がとても強そうなので、きっと「生」の方へ進まれるから、ご心配なくとも言っていました」
そろそろ部屋へ戻り出発の支度をと思っていると、泊り客らしい2組が食堂へ入ってきた。
ロビーへ出ると、オッカサンがフロントへ現れて、昼の弁当らしい包みをユーセフに差し出した。
私は、モースル自慢の美味しい朝食といろいろな気遣いへの謝意を伝えるようユーセフに頼み、それをアラビア語で聞いたオッカサンは、じっと私の目をみて、「マッサラーマ」と言った。
「サヨウナラ! マッサラーマ!」と私は手を挙げた。
荷物を持って宿の前に出ると、トヨペットクラウンはちゃんと道端で私たちを待っていた。
ユーセフがかけたエンジンの音は、なにも問題なさそうでホッとする。さあ、アッシリアの都城ニネヴェに向かって出発だ。
「ニネヴェ遺跡は、都大路を偲ぶ柱1本、壁1枚もなく、野原と丘しかありませんから、長い時間は要らないでしょう。私は、巡礼月の祭日に来たことがあります。その折のにぎわいをお話しますから、現地に立ってイメージしてみてください」
「旧約聖書にあるニネヴェの叙事詩も教えてもらったから、ありったけの想像力を掻き立ててみるか」
(続く)