アラブと私
イラク3千キロの旅(85)
松 本 文 郎
「ユーセフ。あそこにアネモネが咲いているよ。アハラムにあげるニネヴェの土産に摘み採りたいけど、バグダッドまで保つだろうか」
「チーフ。摘むのはおよしになったほうがいいです。萎れるだけでなく、この花にはアッシリア王の娘スミュルナにまつわるコワイ伝説があって、アハラムも知っているかもしれませんから・・・」
「へえ、そんな伝説があるなんて!摘むのはよすから、バグダッドへの車の中でそれを聞かせてくれないか」
ニネヴェ遺跡を見はるかす堤に咲くアネモネにどんな伝説があるのか。クンジュクとネビ・ユヌスの丘を見納めて、トヨペットクラウンの助手席に座った。
「じゃ、出発しますよ」
「エンジンの調子はよさそうだから、3時過ぎにはバグダッドへ着けそうだね」
「ええ、途中の町の食堂でトイレ休憩をしながらでも大丈夫ですよ」
道中、ユーセフとしゃべる時間はいっぱいあるが、アハラム父娘を市内のクラブへ招待してあるので、昨晩の睡眠不足をカバーする居眠りもしておきたい。
ユーセフが語りはじめた興味深い伝説の概略は以下である。
このアッシリア王の家系は代々、愛と美の女神アプロディーテを信仰していたが、王女スミュルナが女神の祭祀を怠ったので、激怒したアプロディーテは、王女が実の父親に恋をするように呪いをかけた。父親を愛してしまい思い悩んだ王女は、自分の乳母に気持ちを打ち明け、乳母の手引きで一夜を共にして想いを遂げるが、明かりの下でわが娘と知った王は怒り、王女を殺そうと追いかけた。なんとか逃げのびた彼女を哀れに思った神々が、没薬(スミュルナ)の木に変え、その幹の中ではぐくまれて生まれ落ちたのがアドーニスという。
アプロディーテはアドーニスの美しさに惹かれ、自分の庇護下においたが、狩猟が好きだったアドーニスは野猪の牙にかかって死ぬ。
女神は嘆き悲しみ、自分の血を彼が倒れた大地に注ぎ、芽生えたのがアネモネだという。
アッシリア帝国全盛期の首都ニネヴェの遺跡を立ち去ろうとして、たまたま見つけたアネモネに、こんな伝説があるとは全くのオドロキだった。
「このアッシリア遺跡の地にそんな伝説の花を見たのは素晴らしい思い出になるけど、土木エンジニアのキミが、いろんなことを知っているのには感心するよ」
「そう云ってくださるのはうれしいです。少年のころから、ギリシャ神話や国の歴史にかかわる説話を読むのが好きでしたからね」
太平洋戦争前の軍国的愛国主義時代に少年だった私は「国づくり神話」や『古事記』の物語が好きだったから、似た少年期をもつユーセフにいっそうの親しみを感じた。
「説話では、アドーニスの死後、アプロディーテが彼を祀ることを誓う「アドーニス祭り」が、アテナイ、キプロス、シリアで執り行われたとされていますが、地母神と死んで甦る穀物霊としての少年というオリエント起源の宗教の特色を色濃く残していると云えるでしょう」
ギリシャ神話として知られる神々と英雄の物語の始まりは、およそ紀元前15世紀まで遡るが、紀元前9世紀~8世紀頃に属するホメイロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に立つ傑作。
ホメイロスから少し時代を下る紀元前八世紀の詩人ヘシオドスは、口承された神話を文字の形で記録し、神々や英雄たちの関係や秩序を体系的にまとめたとされる。想像すれば、クンジュクの丘にアッシュール・バニパル王が建てた(紀元前7世紀頃)図書館へ津々浦々から集められた粘土板文書にホメイロスの二大傑作もあり、アッシリアの王女とアネモネの花との関係がユーセフが語った説話としてこの地に伝った可能性もあるわけで、今も、好奇心をゆさぶられる思い出だ。
ギリシャ神話のアプロディーテは、オリンポス12神の1柱。美において誇り高い最高の美神とされるが、元来は、古代オリエントは小アジアの豊穣の植物神・植物を司る精霊・地母神とみられ、生殖と豊穣を司る春の女神でもあった。
あのときユーセフが話した「アドーニス」の話をウイキペディアの記事(原典はギリシャ神話?)で読むと、なんと、アッシリア王の娘スミュルナが、フェニキア王の王女ミュラーとなっているのである。
どちらの女神アプロディーテも、王の娘に実父を愛するように仕向け、怒った王に殺されそうになった王女が、神々によって没薬の木に変えられ、その幹から美少年のドーニスが生まれたところまでは同じだが、その理由と経緯はかなりちがうので抜粋しておこう。フェニキアの王キュラースの家系も代々、女神アプロディーテを信仰していたが、王女ミュラーがとても美しいので、一族の誰かが、ミュラーがアプロディーテよりも美しいと言ったのを聞いた女神が激怒し、王女がキュラースを恋するように仕向けた。
神々が父親の王に殺されそうになった王女を没薬の木に変え、その木に野猪がぶつかって裂けた幹からアドーニスが生まれたあとの物語は、次のようになっている。
赤ん坊のアドーニスに恋をしたアプロディーテは彼を箱に入れ、冥府の王ハーディスの妻で冥府の女王ペルセポネーに預け、箱の中は絶対に見るなと注意したが、好奇心に負けたペルセポネーは箱を開けてしまう。中にいた美しい男の赤ん坊を見た冥府の女王もアドーニスに恋をし、しばらくは彼を養育することになった。
少年に成長したアドーニスをアプロディーテが迎えにきたとき、彼を渡したくないペルセポネーと争いになり、天界の裁判所に審判をゆだねた。
その結果、アドーニスは1年の3分の1づつをアプロディーテとペルセポネーと過ごし、残りを自分で自由にすることになった。
だが、自由時間もアプロディーテと一緒に居たいと望むアドーニスにペルセポネーは不満だったので、アプロディーテの恋人・軍神アレースに、「あなたの恋人は、たかが人間に夢中になっている」と告げ口をした。
これに腹を立てたアレースは、アドーニスが熱中していた狩りの最中に、猪に化けて彼を殺してしまい、アプロディーテはたいへん悲しんだが、やがて、アドーニスの血が流れた大地にアネモネの花が咲いた。
この記事で眼をひくのは、父親に殺されそうになったミュラーが逃げのびた先が、なんと、アラビアだということである。
私の勝手な想像では、アッシュール・バニパル王が命じて図書館に集めさせた大量の粘土板の中にこの物語が見つかったので、アラビアへまで逃げてきたフェニキアの王女の顛末を、アッシリア王家の物語として書き換えさせたのではないか。
ギリシャ神話のこの物語を知らなかった私はユーセフの話をうのみにしたが、あの場面では、それでよかったと感じている。
アドーニスの名はアラブ民族のセム語が起源で、フェニキア神話の植物の神という。旧約聖書のアドナイ(ヤハウエの呼び名「主」)と関係があるとされ、美少年の代名詞としても使われているともいう。ヘシオドスの『神統記』のアプロディーテは、クロノスが切り落としたウーラノスの男性器にまとわりついた泡(アプロス)から生まれたとされ、西風が彼女に魅せられて運んだキプロス島に上陸したとき、アプロディーテから美と愛が生まれたとある。
美と愛は、エロスと深いかかわりがあることを物語るすばらしい神話ではないか。
「ギリシャ神話」の二大傑作のホメイロスによるアプロディーテは、ゼウスとディオーネーの娘で気が強く、ヘーラーやアテーナーと器量比べをしてトロイア戦争の発端となったり、アドーニスの養育権をペルセポネーと奪い合うなどして、ほかの女神との折り合いが悪かったとされている。
古くから崇拝された神ではないアプロディーテを伝える説話は様々で、軍神アレースと情を交わして「エロス」を生んだ伝承もあるようだ。彼女が美・愛・性の女神とされる所以だろう。
ニネヴェの遺跡でアネモネを見つけたことから、イラクの説話にギリシャ神話がかかわっているのをユーセフに教えてもらえたのも、アネモネの花の季節だからこそで、ほんとうにラッキーだったと想い起こしている。
「イラクの歴史の説話に、ギリシャ神話の女神が出てくるとはねえ。日本と比べれば、キミの国の古代史がギリシャ・ローマの文化と深くかかわっているのを、つよく感じるよ」
「メソポタミアの古代史には、互いに興亡を重ねたペルシャやギリシャ・ローマの文明がおおいに影響していると思いますね」
「そうした歴史があったから、中世イスラムがギリシャ・ローマの文明をヨーロッパへ伝達して人間社会の近代文明が今にある、という立派な役割を果せたのさ」
「クリスチャンの私でも、そのことに誇りをもちます」
「世界の国々には興亡の歴史があるけど、ユーラシア大陸の東端にある島国の日本では、建国以来、外からの侵略もなく、中国・朝鮮半島を経て到来した異国文化を自国の風土と伝統文化で咀嚼して日本独自のものを構築したわけで、ローマ・ギリシャやペルシャ、インドなどの文化の恩恵を受けたことを、こころから感謝してるんだ」
「明治維新後の近代化でも、欧米の社会システムや科学技術に学んだものをすばやく身につけて、列強に伍した近代国家を築いた日本人のことを、ガレージのハッサンと聞かせてもらいました」
「ボクの話をチャント受けとめてくれて、とてもうれしいよ」
モースル市街から遺跡に向かうときに通った橋に戻り、バグダッドへの幹線道路をひた走る車は、気合いの入ったエンジン音を響かせている。
「もうしばらく話をして、居眠りさせてもらいたいので、運転の方を頼むよ」
「はい。私はよく眠りましたから、いつでも後ろの席で横になってください」
「ありがとう。けど、居眠りはここでいいよ」
ひざ下の床に置いたカセットデッキのスイッチを入れると、後ろの窓に並ぶ2つのポータブル・スピーカーからイラクのアラブ音楽が流れ出た。
「一時間ちょっと走るとアッシュール遺跡ですが、モースルへ来るときは眠られていたので、その辺の風景はご覧になっていません。そこまでは話をしていませんか?」
「うん、そうしよう。クルドの老人の横穴住居に祀られたドラゴンを見たとき、日本古代の神話の記録(古事記)と楔形文字に書かれたシュメルの洪水神話がそっくりと云った、あの話のつづきをしたいんだ」*(41)参照。
「シュメル洪水神話は、5千年前にチグリス・ユーフラテスの河口地帯で農耕と牧畜で暮らしていたシュメル人の神話ですが、日本神話の記録というのはどれくらい古いものなのですか」
「『古事記』は、72年(和銅5年・イスラム歴90年)に編纂された日本最古の歴史書だけど、シュメル神話から3千7百年も後だから、とても比較にならないよ」
「クルド族は、紀元前6千年からモースル周辺の山岳地帯に住んだ先住民の末裔とされますから、その民族宗教の祠に祀られているドラゴンと日本の神話のヤマタノオロチは、自然信仰・原始宗教的な普遍性を偶々、もつだけでしょうか」
「洪水を鎮めるために、クルドの老人が、美しい生娘を生贄にするところまで同じだと驚いていたから、ユーラシア大陸の数千年の人間往来の中、メソポタミアの地から日本まで伝来した風習なのかもしれないよ」
「チーフの想像力は、大胆で、楽しいですね。」
「クリスチャンのキミが、唯一神による世界創造の旧約聖書『創世記』をどう受けとめているかはともかく、多神教的な発想で書かれているシュメル人の「天地創造神話」をどのようにみているのか知りたいね」
「シュメル神話の最大の特徴が、『天地創造神話』で、その神々は、「天空神」を中心に数百におよび、メソポタミア地方へ侵入したアラブ起源のセム族にシュメル人が征服されたあとは名前を変えて、「アッカド」と呼ばれるセム族の神々として引き継がれました。バビロニアとアッシリアはセム民族の部族で、私たちの祖先なのです」
「シュメルからアッカド、オリエント全域を征服したバビロニア・アッシリアの2つの部族の神々は、《シュメルの神々に融合したセム族の神》ということだ。多神教から一神教への壮大なプロセスが、古代オリエントで展開したんだね!」
「おっしゃるとうりです。旧約聖書の「ノアの洪水と方舟」は、シュメル洪水神話や『ギルガメッシュ叙事詩』など複数の古い伝説を取り込んでいるので、その記述には一貫性がないと云われます」
(続く)