安倍政権の行方
松 本 文 郎
押しつまった師走は“脱兎のごとし”だが、わが国の民主主義の将来の根幹をゆるがすと懸念される「特定秘密保護法案」を参両院で強行採決した安倍政権は、先日の靖国参拝にいたる一連の国の安全と国益を損ねかねない言動を“脱兎のごとく”遮二無二に押し進めている。
あの法案は、日本の安全保障にとって支配的軍事力をもつ同盟国アメリカからの「軍事機密漏えい」を防ぐ法律制定の要請がきっかけと思ったが、安倍首相や石破幹事長らの我武者羅としか言いいようのない猪突猛進ぶりには、当のアメリカもその真意を計りかねているようにみえた。
アベノミクスによる円安・株価上昇に勢いを得たような靖国参拝(首相自身の信念と背後からの圧力に基づくものと思われる)には、戦後歴史の否定(戦後レジームからの脱却)と認識する中国・韓国からの猛反発のみならず、安保同盟国のオバマ政権の失望に加え、EUからもアジア地域の不安定化への懸念が表明されている。
安倍首相は参拝の真意を丁寧に説明して誤解(?)を解きたいと言っているが、太平洋戦争のA級戦犯の靖国合祀(その昭和53年からは昭和天皇も今の天皇も参拝をしていない)が、軍国主義日本の侵略を受けた被害国のみならず、米国までもが、無条件降伏をした日本がまだ戦争の正当化を主張していると誤解しないかと危惧される。
因みに、真珠湾奇襲攻撃で始まった戦争で、「打ちてし止まん鬼畜米英」のスローガンで愛国心を掻き立てられた日本国民は「一億火の玉」となり、米国国民は、「リメンバー・パールハーバー」を掲げ、互いの国家威信をかけた徹底報復の総力戦となった。
9・11多発テロに報復を誓ったブッシュ政権が、「テロへの報復」を錦の御旗に掲げた(真珠湾奇襲攻撃への怒りで米国民が一致団結した再演)ように、「特定秘密保護法」の法案審議の政府答弁では、国家の安全が仮想敵国や「テロ」の黒い影に脅かされていると国民に印象づけようとする論調が目立った。
日本の尖閣諸島国有化による日中政治外交関係の悪化と竹島や従軍慰安婦問題等の日韓の歴史問題をめぐる応酬など、東北アジアの友好親善関係に不穏な波風が立つなかの法案の提出だった。
真珠湾攻撃が国際法の「通告」(遅延事情もあったようだが)なしで行われたことが東洋の野蛮な「ジャップ」への徹底的な報復を米国民に誓わせ、他方、奇襲成功の大勝利に酔いしれた日本国民は無謀にも、侵攻中の中国に加えて東南アジア諸国に一気に戦域を拡大し、68年前の悲惨な敗戦への坂道を転げ落ちたのである。
今年の憲法記念日に寄稿した拙稿にも書いたが、戦争を知らない政治家の安倍首相が、太平洋戦争の開戦当時の東条内閣の閣僚だった祖父岸信介元首相(A級戦犯被疑者)に吹き込まれたかのような「大東亜戦聖戦論」に添う言動を繰り返すこと自体が、中国・韓国の反日感情を煽って国の安全を危うくしているのではないか。
世界第2位の経済大国となった中国が向う先が那辺かには、論議が分かれるであろう。しかし、軍事大国となる前提での仮想敵国視で、憲法九条改正、特定秘密保護法案、国家安全保障会議(日本版NSC)設置などを矢つぎ早やで打ち出し、日米安保同盟の強化を見せつける政策は、軍国主義日本の侵略を忘れない中国や韓国の警戒心をいたずらに強めるだけではないか。
かつての日中友好条約締結の際、周恩来と田中角栄とで“棚上げ”された尖閣諸島の領土問題の“パンドラの箱”を開けたのは、日本による国有化だったのではないか。安倍政権とその支持者が戦争の歴史認識を捻じ曲げようとする動きに中国、韓国、東南アジア諸国が不安を募らす不穏な状況は、憲法に基づく平和主義(不戦の誓い)を堅持する国民が草の根レベルで深めてきた友好親善を台無しにする極めて遺憾な事態と云わざるをえない。
凶暴なグローバル金融資本の跋扈が引き起こした世界経済不況からの立ち直りさなかに直面した原発事故処理の先が真っ暗な上に、アベノミクスの行方も定かでない超高齢老人大国日本が、近隣諸国と友好親善関係を保つことなくして、国民のいのちと暮らしをどうやって守ってゆけるというのか。
平均寿命を超えた私(戦争中の言論統制の残酷さを目の当たりにした)は、敗戦の日に仰ぎ見た青空のように眩しい自由を実感した少年だった。
特定秘密保護法案に対しては、自民党内部にも反対意見があり、憲法学者、ノーベル賞科学者、映画監督・俳優、言論人、各種有識者や新右翼の論客までもが反対を表明し、朝日新聞の最近世論調査では、70%以上の人びとが反対している。
私と同世代の作曲家服部公一さんは、「日本は負ける」と云った叔父が特高警察にしょっぴかれ、頭の上をB29が飛んでいるのにラジオが「安全」を繰り返していたので、幼心にも、隠されることへの警戒心が芽生えたと、朝日新聞連載の「意義あり」で述べている。
漫画家小林よしのりさんのコメントは、特定秘密保護法案は安倍首相のマッチョイズムの表れで、中国や韓国が反日を強めるなかで軍事・経済的に強い国を目指す姿勢を示せば国民がついてくると思っているが、長く政権にしがみつくための演技にもみえる。本当に「この国のため」と考えているのか、秘密に触れればわしも逮捕? 戦前の治安維持法は共産主義運動の規制が目的だったのに、無関係の人間が捕まって拷問を受けた。「戦前みたいにはならない」とみんな、タカをくくってないかと云っている。
劇作家永井 愛さんは、国旗・国歌法が成立した当時の総理大臣の言明と正反対の現実が、特定秘密保護法にも生じる懸念を述べていた。「日の丸・君が代問題」は憲法を盾に争えるが、秘密保護法では、何の秘密に触れたかが分からないまま罪に問われかねず、国旗・国歌法以上に暴走するおそれがある。安倍首相が目指す国づくりをしていくうえで、軍事や原発などについて隠したい情報を国民が調べるのを封じることが目的と思われても仕方ない。
多様な価値観や歴史認識を持つ人たちの懸念と重なるような法案反対デモの人々を「テロ」まがいの集団と呼ばわった石破幹事長の暴言は、日本記者クラブの会見で、特定秘密保護法で指定された秘密を:報道機関が報じることについて、「何らかの方法で抑制されることになると思う」と報道規制の必要がある考えを述べるまでエスカレートしたあげく発言の撤回・訂正を余儀なくされたが、安倍政権の馬脚が現れたとしか言いようがないのではないか。
「国際ペン」からの懸念表明も、言論の自由と情報公開をめざす世界の潮流に逆らう日本政府への牽制であろうが、オバマ大統領は、在日米国大使に元大統領ケネディの息女を任命して日米の絆を強化する一方で、中国との戦略的友好関係の進展を探っているようだ。中国の「防空識別圏」(ADIZ)」の設定に、安倍政権はいち早い撤回要求と民間機の事前飛行計画通告をしないことを表明したが、米国は民間航空機についての通告差し止めはせず、むしろ、日中間に、日韓同様の緊急連絡システムを設置するように促したのである。
やや唐突と思われる中国の防空識別圏設定の意図は推測するほかないが、尖閣諸島を圏内に入れたのが尖閣問題への日米の温度差を見極めるためとすれば、米国の柔軟な反応からみて、成功したのではないか。
中国の歴史的な中華思想や最近の「海洋大国」志向を警戒する論議もあるが、中国本土までの航続距離をもつオスプレイの沖縄基地配備や日米合同の島しょ防衛軍事演習などが中国に与える緊張感を念頭に置かないと、問題の海・空域で不測の事態が暴発する可能性もありうるのだ。第一次安倍政権では中国訪問を先行させたのに、今回は関係悪化に拍車をかけるばかりの安倍首相だが、オバマ政権の対中国外交戦略を見誤って、ニクソンの電撃的中国訪問の後塵を拝した田中角栄元首相の二の舞を演じないように願うばかりである。
「少子高齢化」日本の未来には、アジア地域の安定と近隣諸国との親善友好が不可欠なのである。