続・安倍政権の行方
松 本 文 郎
本誌139号(2014年1月)寄稿『秘密と公開』の末尾で、中国をめぐる日米間の温度差について触れたが、その後の安倍首相の我武者羅なリーダーシップの言動から、オバマ大統領の中国外交の真意をとり違える懸念が深まるばかりだ。
米国の対中国外交戦略で思い出すのは、かつて、マッカーシズム(反共主義者・共和党上院議員・ジョセフ・レイモンド・マッカーシーの社会政治運動)が吹き荒れた時代とベトナム戦争中の米国の対中国政策を激変させた、ニクソン大統領の中国電撃訪問である。
『アラブと私』の連載で関連記事に触れたことがあるが、筆者のクウエート在勤(クウエート国電気通信施設近代化・技術コンサルタント・建築部門責任者)中の出来事だった。
日本の頭越しに行われた「寝耳に水」の訪問に驚くと共に、段取りをしたキッシンジャー大統領補佐官のしたたかさと外交センスに舌をまいたのを憶えている。
当時、ベトナム戦争への介入で国内批判を浴びて再選を断念したジョンソン大統領を引き継いだニクソンは、ベトナムからの名誉ある撤退を模索しており、中国の国連加盟が確実な国際情勢の中で、米国外交の中国に対する主導権を確保しようとしたである。
世界をアッと驚かしたニクソン訪中は1949年の中華人民共和国成立以降、初めてのアメリカ大統領の中国訪問で、第2次世界大戦後の冷戦時代の転機となったとされる。
この頃の中国は文化大革命による混乱が収束へ向かう一方、緊密だったソ連と袂を分かち、独自の路線を歩みはじめていた。
1972年2月、北京を訪問したニクソンは、初日に毛沢東主席と会談し、周恩来首相との数回にわたる会談の成果として米中共同コミュニケを発表。中国共産党政府が統治する中華人民共和国を事実上承認したのである。
その約半年後、「今太閤」のあだ名で親しまれた田中角栄首相が北京を訪れ、周恩来首相と肝胆相照らす会談をして、「日中共同声明」(日本国政府と中国人民共和国政府の共同声明)に調印した。
これらの動きの前年(1971年)7月には、ジョンソン政権の国務長官キッシンジャーの北京極秘訪問とニクソン・ョックと呼ばれた「ニクソン大統領の訪中予告宣言」が先行しており、新しい東アジアの秩序形成を構想していたキッシンジャーは、中国をパートナーとして模索していたのである。
日本抜きで事をはこぼうとしたキッシンジャーの動きを察知した日本政府と田中角栄は、米国の先手をとって「日中国交正常化」を果たすことを決断した。
「日中国交正常化」は、国際政治状況からみても差し迫った政策課題だったが、当時の自民党内は、中華民国(台湾)支持勢力(石原慎太郎・浜田幸一など親台湾派)が圧倒的で、様ざまな権益が絡んでおり、時間的制約の中で交渉にあたった外務官僚は隠密行動を余儀なくされた。
日中国交回復を真剣にめざしていた田中角栄は、社会党委員長成田知己に親書を託して訪中させ、毛沢東に手渡す手配までしていたとされ、いかにも秀吉流「人たらし」を彷彿とさせる。
「日中共同声明」の調印がクウエート・テレビで報道された翌日、アラビア湾の魚市場で出会った中国人からいきなり握手を求められた。
京大建築学科の学生のときの恩師西山夘三先生が、日中友好協会(1950年設立)理事だったこともあり、恩師の想いも重ねた固い握手を交わした筆者だった。対中国外交戦略のオバマ大統領と安倍首相との温度差のことで、1972年のニクソン大統領と田中首相の相次いだ中国訪問を引き合いにしたのは、東西冷戦の中での中ソ離反を見逃さずにすばやく東アジアの新秩序形成を構想した米国の世界戦略のしたたかさを思い起こす必要を感じたからである。安倍首相は再度の首相就任直後の所信表明演説で、「日米同盟を一層強化し、日米の絆を取り戻さなければならない」と述べ、日米安全保障の強化政策と見られる、「集団自衛権行使」のため憲法改正、米軍の機密保持のための「特別秘密保護法」「武器輸出三原則の変更」などの一連の法改正に前のめりで取り組んできた。その背景には、竹島・尖閣をめぐる韓国・中国との関係悪化があり、海洋大国をめざすかのような中国の牽制に、日米同盟強化策を急ぐことで、日本への信頼をつなぎとめる魂胆があったと思われる。
ところが、絶対多数を手にした強気の安倍首相の靖国参拝が、中韓両国の猛烈な反発と東アジアの安定をめざすオバマ大統領の失望発言を招いてしまったのである。
この米国政府の「失望」に、首相側近が「失望した」と応酬したことで、オバマ大統領の4月の訪日を目前に日米関係がきしみはじめ、不信感が募っている。
衛藤晟一首相補佐官の「米国は同盟関係の日本を何でこんなに大事にしないのか」と萩生田光一・自民党総裁特別補佐の「共和党政権の時代には、こんな揚げ足をとったことはない。民主党政権だから、オバマ大統領だから言っている」の発言を、安倍首相自身が抱いている不満を代弁しているとみる首相に近い政府関係者もあると報じている。
第2次安倍政権発足のとき、「政権が躓くとすれば歴史問題だ」と述べた管義偉官房長官の預言が的中しそうな情勢といえる。
悲惨を極めるシリア内戦やクリミヤ半島の緊張した状況でオバマ大統領が軍事介入に逡巡するのは、単に共和党が非難する弱腰や米軍の縮小再編のためではなく、オバマ大統領の世界平和構築への理念に基づく判断と、キッシンジャーが構想した東アジアの新秩序形成戦略を受け継ごうとしているからではないか。
太平洋戦争で米国と戦った日本は、「八紘一宇」のお題目で西欧列強の侵略からアジア全域を解放するとの理想を掲げ(実態は列強に伍しての侵略だったが)、1億国民を無謀な戦争に駆り立てた挙句、無残な敗戦を迎えたのである。残酷きわまる治安維持法を想起する「特定秘密保護法」の拡大施行や「集団自衛権」を閣議決定する暴挙がまかり通れば、国民皆兵制や日本軍の海外派遣などはアッという間に進められるのではないかと危惧するのは、下種の勘ぐりなのか。
折しも、昨朝(3月7日)のNHK連続ドラマ《ごちそうさん》で、女主人公(め以子)の夫・次男に次いで赤紙が来てしまった大学生の長男が最後の夜を母親と過ごす寝室のシーンがあった。
戦争に駆り出された若者の真情を吐露させた長男の語りを書きとめたので、安倍政権への警鐘として記しておきたい。
「おかあさん ぼくは おそかれはやから こうなるやろうとおもうてて もししぬとしたら さいごにだれをまもりたいやろうとおもうたら それは おかあさんやった!」
「おかあさんは いちばんだいじなことを おしえてくれたで いきているいうことは いかされていきとるということやて ぼくは いのちのぎせいのうえになりたったいのちのかたまりなんやて!」
「せやから ぼくのいのちは すりきれるまで つかいたいとおもうてた!」
「ぼく やりたいこと いっぱいあるんや もう いっぺんやきゅうしたいし おさけとかものんでみたいし くだらんことでけんかしてなぐりあいのけんかもしてみたいし おとうさんみたいに じぶんをかけてしごとしてみたいし おかあさんみたいに だれかをあほみたいにすきになってみたい!」
「ぼくは ぼくにそれをゆるさんかったじだいをぜったいにゆるさへん ぼくは このくにをかえてやりたい!」
「せやから はってでもかえってくるさかい いきかえらせてや あそこでまた ごはんたべさせてな!」
母親は、長男の寝床に近づき、息子を抱きしめながら、
「まかせとき! まかせとき!」
次のシーンは、“学徒動員の行進”の写真と同じ服装に赤いタスキと布カバンを斜に掛けた長男が、一人で立ち去ってゆく後姿に頭を垂れる母親がいた。
安倍政権は、一体どこへ向かおうとしているのだろうか。メルトダウンした深刻な原発事故処理の目途もない運転再開と輸出促進/A級戦犯合祀の靖国神社参拝で東アジア不安定と同盟国の懸念/独りよがりの歴史観で戦後日本の60余年を否定/不戦の平和主義を掲げる憲法九条改定への無謀な言動等。内閣総理大臣が絶対君主であるかのような児戯にも似た国会答弁をする安倍首相に、再びの機会と一定の支持率を与えている日本国民は、彼に何を期待しているのか。安倍首相が叫ぶ「日本を取り戻す!」の行方は、《ごちそうさん》のセリフ「ぼくは、この国を変えてやりたい!」と真逆であるのは確かだ。