アラブと私

イラク3千キロの旅(88)

                                松 本 文 郎 
 
 ニネヴェ遺跡を去る際に見たアネモネの花にまつわる神話がきっかけで、バグダッドへ向かう車中では、ユーセフの先祖・セム族(アラブ起源)が征服したシュメル人の「天地創造神話」の神々が、「ヤハゥエ」「キリスト」「アッラー」など同根の「唯一神」に変遷した話となった。
 ユーセフが訊ねた日本の「天地創造神話」については、「古事記」の国生み神話がシュメル神話や東南アジアの同種の神話に類似していると話したが、天皇をキリストのような「神」と信じていたのかときかれたのを思い出し、少年時代に体験した天皇(「現人神」)の写真を拝まされた苦い想いが蘇り、ユーセフとの会話から脱線し、天皇機関説事件や昭和天皇の信任が厚かった鈴木貫太郎のことにまで、つい筆が走ってしまった。
 それは、本誌に二度も書いた「安倍政権の行方」のイヤな気分の延長でもあった。
 明治維新で近代国家の道を歩きはじめた日本は、古代社会の権力構造の頂点に天皇を据えた「日本書紀」から千数百年を経た明治憲法の第一条で、「万世一系の天皇が大日本帝国を統治する」とし、天皇家の永続性を統治者としての正統性に結びつけ、「国体」と称したのである。
 安倍首相自身がまさか、昭和の軍国主義を牽引した連中が天皇を「現人神」と祭りあげて、その権威を利用して国民を無謀な総力戦に巻き込んだ二の舞を演じるつもりとは思いたくないが、妙な取り巻きの言動や自民党の憲法改正案に天皇主権など時代錯誤もはなはだしい考えがあると仄聞すると、居ても立ってもいられない。昭和天皇の意に反して天皇独裁国家を演出した者らと、北朝鮮の金王朝独裁を支えている者らは似た者同士ではないだろうか。
 太平洋戦争の戦況が不利になると、「神国日本」には「神風」が吹いて鬼畜米英に勝つなどの奇天烈な呪文が唱えられたが、安倍首相のお友達とされるNHK経営委員(女性)の言動に通じるものがある。
 中国の強硬な海洋進出がもたらす緊張関係に拮抗するかのように、集団的自衛権・武器輸出緩和・無人機配備などを矢つぎばやにうち出す安倍政権だが、世界第2の経済大国になったばかりの中国は、国内にさまざまな矛盾を抱えたままに「中二病」の様相を呈しているわけで、日本だけがむやみに居丈高になって、燃えあがる緊張関係に油を注がなくても、ASEAN・欧米諸国の反発や批難を受けて強硬路線を変えざるをえないのではないか。「中2病」の傲慢から周辺国からの孤立を招く愚は避けるだろう。
 中国政府が主導する反日運動が、国内問題への国民の関心を逸らす狙いがあるのは否めないが、東京都知事の尖閣諸島買い上げ発言から国有化に及ぶ尖閣問題に加え、沖縄の米国基地へ強硬配備されたオスプレイが中国大陸まで航続距離を有すること、それを搭載できる空母の建造・配備など、日本が中国をむやみに刺激している事実がある。
 集団的自衛権の行使範囲を無限定にする動きは、かつて、アジア進出の欧米列強への対抗を理由に大陸に侵攻した関東軍や自由と民主主義を「錦の御旗」に他国への武力介入をしてきた米国の二の舞になりなしないのか。そろそろ、モースルをあとに一路、アハラムが待つバグダッドへとトヨペットを駆るユーセフとの話に戻らねばなるまいが、もう少し辛抱していただき、第337回「こぶし会」(昭和57年発足)で酒井和義氏(昭和五年生れの電気通信技術者)が話された「尖閣問題について」のレジュメを、一般的見方の1例として転載させていただく。 日本政府は「1895年以来国際法上も明らかに日本の領土である」と主張している。中国側は「清朝が弱体化した時に日本帝国が侵略した」と言っている。領土編入した時期は日清戦争最中で、清国側に照会せずに閣議決定した。中国側には証拠となる歴史的記述は見当たらない。一方、ポツダム宣言では「日本は本州、北海道、九州、四国と吾等が決定する諸小島に限定」となっているので戦勝国である中国の主張は認めざるを得ない。また、日中国交正常化の時の田中首相と周恩来との交渉で「棚上げ」にしたこともあり、日本側の主張には無理もあるので話し合うか、国際司法裁判所に提訴することが望ましい。(酒井 記)
  
「ユーセフ。シュメル神話と古事記の話が天皇家の由来の話にまでなったね。キリストを「現人神」と信じないクリスチャンのキミが、日本の天皇をキリストのような「神」と信じた昭和の日本人のことは、とうてい理解できないだろうね」
「ええ。進化論を知り、人間が月の石を持ち帰った今では、神話の世界と現実をごちゃまぜにするわけにはいきませんよ」
「ムハンマドが、キリスト像のような偶像崇拝を排したのはさすがだよ」
「多神教のシュメル人の神々が一神教のヤハゥエ、キリスト、アッラーへと進化したのでしょう」
「西洋近代の科学技術を学んだエンジニアのキミは、イスラム教のバース党政権と宗教排斥の社会主義のソ連がどんな技術協力関係を結ぶのか気にならないか」
「ホテルで昨晩、チーフが話してくださったことを考えると、ソ連も米国もイラクの石油がほしいだけかもしれません。バース党とソ連が同じ社会主義政権だからといって油断できない気持ちです」
「うん。そこまで言うこともないだろうけど」
「大阪万国博のお話でも、ソ連より米国への関心が圧倒的だったようですし。機会が与えられれば、アメリカの方を訪れたいですね」
「クウエートのプロジェクトが終わったら、それをめざしてみるといいかも」
「でも、それは見果てぬ夢でしょう。クウエートで一緒に住んでいる姉にいつまでも家事の世話をしてもらうわけにいきませんから、ワイフを見つけるのが先ですね」
「アハラムなんかイイんじゃないの?」
 百二十キロで飛ばしている真剣な横顔をチラと見て、ユーセフの反応を待った。
「ワルクないですね。スリムな美人だし、父親は建設会社の主ですからね。でも、アハラムはなかなかのしっかり者のようですから、私なぞ眼中にないでしょうよ」
「当たって砕けろというから、父親と一緒に招待している今晩のクラブで当たってみたら?」
 少しでも早くバグダッドへ着きたい気分になってきた。
「さすがに眠くなってきた。アッシュール遺跡が見える辺りまで眠らないつもりだったけど、もういいから、バイジの町が近くなったら起こしてくれないか。このまま運転してもらっていいのかな」
「はい。大丈夫ですから、今晩のためにも、よく眠っておいてください」
 目をつむる前に辺りを見回すと、人家や畑などはなく、茫漠とした砂漠の広がりの彼方に丘陵が連なっているだけだった。
 
 ふと目覚めて時計を見ると、半時間も経っていないではないか。
 窓の左手に畑やナツメヤシの木立が見えているのは、モースルをたってからずっと、チグリス川から離れていた国道が、川の西岸に近づいたからだろう。
「もうお目覚めですか。間もなく、アッシュール遺跡の大きなジッグラトが右手の砂漠に見えてきます」
「やはり、遠くからでも眺めておけというご託宣だろうね」
「そうかもしれません。なにしろ、紀元前3千年紀の初めにまで遡り、南のシュメール地方に古くから伝わる女神イナンナ(アッシリアではイシュタル)への信仰を物語る神殿遺跡が発掘されたところです。また、シュメールの最高神エンリルに捧げられた神殿があったことを示す史料もあるのです」
「ウル遺跡のジッグラト(日干し煉瓦を積んだ聖なる塔)は大学の西洋建築史で教わったよ」
「紀元前21世紀、都市国家のアッシュールが政治的に独立し、都市神アッシュールがエンリルにとって代わり、ジッグラトはそのシンボルで、その周りには広大な神域をもつアッシュール神殿が営まれたのです」  
 モースル近郊で遠望したクンジュクの丘にあるニネヴェ遺跡は、アッシリア帝国の最後から二番目の王が建設した都市だったが、このアッシュールは帝国最初の古代都市であり、経済基盤は遠くアナトリア中央部に及んで、前19世紀までには植民地都市を築きあげていた。その後のアッシュールは、ニネヴェと同じような国際的交易の拠点としてゆるぎない地位を保ち、  前十四世紀から前九世紀まで栄えたという。
「チーフ! ごらんなさい。右前方にジッグラトが見えてきましたよ!」
 モースルに向かうときはサンドストーム気味の悪い視界だったのが、今日は打って変わる晴天の下に、小山のよう日干し煉瓦の巨大な塊が国道からかなり離れた地点にうずくまっている。まるで、崩れかけたピラミッドのようだ。
 しばらく走って、ユーセフが車を停めた。車外に出て辺りを見回すと、左には、チグリス川の水面がナツメヤシの並木の向こうにきらめき、ジッグラトを望む側の路肩には、黄色の小さな花をつけた野の草がちらほらと風に揺れている。
「チーフ! もうすぐ12時です。まもなく着くバイジの町でトイレ休憩を考えましたが、ここらの草地で用をたして、宿のオッカサンがもたしてくれた弁当と昨夜の残りのペプシコーラで、簡単なピクニックランチにしませんか」
「グッドアイデア! 草地に座ってジッグラトを眺めながらのランチとは、すばらしいじゃないか」
「ではそうしましょう。バイジの町のレストランに立ち寄れば1時間くらいは余計にかかります。直行すれば、早くバグダッドへ着きますよ」
 後部座席から弁当の包みとペプシコーラを抱えてきたユーセフは、それらを座りよい草地の上に並べた。包みには朝食に出たクッバ・モースルと特産チーズが入っていた。
「朝食でクッバ・モースルを美味しいとチーフが云われたので、オッカサンに頼みました」
 円形のクッバ・モースルは8つの楔形に切られていて食べやすく、コーラによく合った。
 はるか彼方に見える小山のようなジッグラトは、西洋建築史の図版で見たウルのジッグラトのように、数層階に日干し煉瓦を積み上げた構築的な形態をほとんど残していない。ジッグラトは高い所を意味し、シュメルが起源と教わったが、バビロニア語では「天の山」を意味し、平原ばかりのメソポタミアの各都市の守護神の聖域に神を天から迎えるために造られ、バベルの塔もジッグラトの1つという。ネブカドネザルの7層からなるジッグラトは、7つの惑星球層を表し、最下層に掘られた7つの穴は、天界の7七惑星球層に相当する冥界の7七球層に通じる下降口を表し、祭司の通過儀礼の内、「死と再生」の儀式のときにつかわれたとされる。
「ジッグラトのような聖なる塔がなぜ造られたのか、知っていれば教えてくれないか」
「詳しいことは知りませんが、メソポタミアの諸都市の守護神の聖域に造られたのは、各都市の間で王たちの勢力争いが繰り返される中で上下関係ができると、その守護神同士の関係も大系づけられたからとされます。シュメルの大いなる神々のアン、エンリル、エンキなどのために、それぞれが守護する都市の聖域中央にジッグラトが建設されましたが、初めは、数10センチの高さの神殿土台にすぎなかったそうです」
「古代の王たちが己の統治権力を神意に基づくとしたのは、どこも同じなんだね。メソポタミアのジッグラトと日本の歴代天皇家が祀る伊勢神宮はかなり似ているようだ」
「神と民のあいだに位置して神意を授かる権力者らは、神を民から隔てるために神域を何重もの周壁で囲い、聖所を高みへと押し上げていきました」
 ウルのジッグラトの第1層の底面は、62.5mⅩ43m、高さ11m、第2層は、38.2mⅩ26.4m、高さ5.7m、で、最上部に月神ナンナを祀る神殿を載せていた。長方形の基部の四隅はほぼ東西南北を指す。正面と左右から真直ぐに階段がかかり、正面の階段だけが第3層目まで達していた。
「素材や形態は異なっても、神域を民から隔てる神殿と神域の構成は、伊勢神宮でも全く同じだよ」
 クッバ・モースルを食べながら、ジッグラトが崩れた小山を遠望していると、巨石を積み上げたエジプトのピラミッドに比べ、日干し煉瓦の脆さが痛々しく感じられた。
 それにしても、伊勢神宮の20年毎の式年遷宮の伝統は、飛鳥時代に天武天皇が定め、第1回を持統天皇が行って以来、戦国時代の中断や延期がありはしたが、千数百年も行われてきたわけで、天皇の君主的象徴性を利用する権力者らの思惑はともかく、さまざまな建築・工芸技術と祭祀儀礼の伝統文化の伝承はわが国の貴重な文化遺産だ。
 万物に霊魂が宿るとする「八百万の神」の自然崇拝・信仰(古代神道)には、「神」が人間を造り、自然を与えたとする旧約聖書とは対照的に、人間も自然の1部で、生きとし生けるものが互いに関わりあって生かされているとする人間観があり、「日本書紀」に拠って天皇を神格化した復古神道
(信奉者が、安倍首相をとりまく者に少なからずいるようだ)は、古代神道から作為的逸脱をした思念と云わざるをえない。

                              (続く)


添付画像
宇治橋


↓ 伊勢神宮 第62回式年遷宮「内宮遷御の儀」より

-2013年10月、伊勢神宮(正式には「神宮」)の式年遷宮「内宮遷御の儀」が執り行なわれました。

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朝日新聞 : 遷御の儀のため、正殿に参進する臨時祭主の黒田清子さん(中央)と神職たち=2日午後6時10分、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮、川津陽一撮影

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朝日新聞 : 遷御の儀のため、正殿に参進する神職たち=2日午後6時12分、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮、川津陽一撮影

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朝日新聞 : 夜の闇が広がる中、「神体」を納めた器は絹垣と呼ばれる白い絹の布で覆い隠され、神職たちに守られながら新しい正殿へ進んだ=2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮、細川卓撮影

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読売新聞 : 遷御の儀で、絹垣に囲まれたご神体を新正殿にうつす神職たち(2日午後8時13分、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮で)=加藤学撮影

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時事通信 : 「遷御の儀」で、白い絹布で囲った「絹垣(きんがい)」に覆われて新正殿に移るご神体=2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(代表撮影)

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時事通信 : 「遷御の儀」で、白い絹布で囲った「絹垣(きんがい)」に覆われて新正殿に移るご神体=2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(代表撮影)

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時事通信 : 「遷御の儀」で、白い絹布で囲った「絹垣(きんがい)」に覆われて新正殿に移るご神体=2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(代表撮影)

2014/05/15 16:43 2014/05/15 16:43
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