アラブと私
イラク3千キロの旅(92)
松 本 文 郎
「ところで、明日はクウエートに戻られるそうですね」と社長が訊ねた。
「ええ、私たちのイドの休暇は明日で終わりです。
午前中に国立イラク博物館を見て、バスラに向かう帰路の途中、カルバラ廟へ立ち寄るつもりです」
アハラムと話に興じていたユーセフが聞き耳を立て、私たちの会話に加わった。
「バスラからバグダッドへの往路で、カルバラを通過する前後に、ムハンマドの血縁のフセインが惨殺された《カルバラの悲劇》(イスラム共同体がシーア派とスンニ派に分裂するきっかけの史実)をチーフに話したら、帰り道で寄りたいと言われたのです」
「そうなんですよ。もう夜中近い時刻でしたが、ユーセフの熱の入った語りが、日本の平家物語の壇ノ浦悲劇を熱演する講談師と重なりました」
「このシーア派の聖地に埋葬する死体をルーフに載せたイランからの車を何台も追い抜いたことで、チーフが関心をもたれたのでしょう」
ユーセフが熱弁をふるった《カルバラの悲劇》は、(13)(14)に記したが、随分と前の記事なので、以下にその抜粋を読者の便宜に再掲。
ハーシム家とウマイヤ家によるイスラム共同体の統治をめぐる確執のなかで見過ごせないのは、ムハンマドの後継者の資格を「イマーム」と呼び、預言者の血を引くアリーと子孫だけとするシーア派の主張だ。
「イマーム」はムハンマドの啓示によりイスラム共同体を宗教的、政治的に指導する者で、人間の魂の救済に重点をおくキリスト教などの宗教とは対照的に、共同体の営みの政治、経済、社会、文化などのすべてに関わるとされてきた。7世紀から14世紀にかけての「イスラム帝国」の全盛をもたらしたのは、アラブ遊牧民が中心の強大な軍事力であるが、その新しい世界に秩序を与えたのがイスラムの教義《コーラン》だった。
「カルバラの戦い」は、ムハンマドやアリーが属したハーシム家と帝国の第2期を築いたウマイヤ家との共同体統治権をめぐる確執の果てにあった。
イスラムの少数派でありながら、「イマーム」を中心にすえた宗教思想で独自の存在を続けてきたのがシーア派である。
「カルバラの戦い」当時のシーア派は、イスラム史で「正統カリフ時代」と呼ばれる歴史認識さえも否定していた。
当時のシーア派の拠点はアリーが居をかまえたことがある都市クーファにあり、そこを拠点に勢力拡大するウマイヤ朝からの自立をめざした。680年、ムアーウイアの死をカリフ位奪還の機とみたクーファのシーア派は、第3代イマームに就いてメディナにいたフセインに再三、密使を送り、ウマイヤ朝への反旗を翻すよう要請した。しかし、ムアーウイアの指名で第2代カリフになっていた息子のヤズィードはこの動きを察知し、クーファのシーア派決起を封じ、4千の兵士をクーファの北西70キロ、ユーフラテス川の西20キロにあるカルバラにさし向けた。
カルバラの荒野に到着したフセインの軍勢、水補給源のユーフラテス川への道を敵軍に遮断され、渇きに苦しみながら惨敗し、フセインとその軍勢は灼熱の砂漠に果てた。
フセインの首は、ヤズィードが待つダマスカスへ送られ、遺体は仲間や兵士の遺体と一緒にカルバラの地に埋葬されたという。クリスチャンのユーセフがイスラムの歴史に詳しいことに驚いた私に、
「そうでもありません。『カルバラの戦い』の物語は、アラビア半島を統一したイスラム教の創始者であるムハンマドの跡目争いの話ですから、誰でも知っています」
「そういうことなら、日本にも平家物語という、時の政治権力の軍事集団の平家と源家の軍記物語があるよ」
平家一門の栄枯盛衰を記した長大な叙事詩的物語は、仏教的な無常観で貫かれ、盲人法師に語られて伝わったという。琵琶の伴奏で語られる「壇ノ浦」の平氏全滅のシーンが、子供心にも涙を誘ったのをおぼえている。
「ボクら日本人が読んだり聴いたりする軍記ものでは、強い方より弱い方を、勝った側より負けた側に同情や贔屓が集まる『判官びいき』というのがあるんだけど、アラブではどうかね」
「争いや戦争をするからには勝つ方がよいですが、崇拝する人物や英雄が殺される話には同情もあるでしょう」
全滅したフセインとその仲間たちが埋葬された地カルバラはその後シーア派の聖廟となり、殺されたイマームを慕う教徒が自らの死後、この地への埋葬を願うようになって20世紀の今日まで続いている。
一方、捕虜になったフセインの女性親族たちは、病気で戦いに参加できなかったフセインの息子と共にクーファ経由でダマスカスに連行され、その後解放された遺族たちはメディナに戻ることができ、フセインの息子が第4代イマームになったので、ムハンマドの血縁は保たれたようだ。
源平の争いの歴史でも、源義頼が平清盛を討とうとして起こした平治の乱で義頼が敗れた年に生まれた義経は、捕らえられたが死を免れたために、平家壊滅の「壇ノ浦の戦い」で活躍した。
幼いときに講談社の絵本で読んだ牛若丸の物語は、「カルバラの戦い」と殉教した第3代イマームのフセインと息子の物語に重なるようだ。
清盛が牛若丸を殺していたなら、この若き悲劇の英雄は存在せず、「義経記」や「判官びいき」の言葉も生まれなかっただろう。私は、ユーセフの熱のはいった口演に応えようと歌舞伎の『勧進帳』『船弁慶』のさわりを話してやった。『勧進帳』で放浪途上の義経一行が、忠実な家来武蔵坊弁慶の主を想う真情と機知で「安宅の関」を無事に通過するくだりは、話しながらウルウルとくるところだ。
「カルバラの戦い」から数年後、シーア派の一団はフセインを死に追いやった自責の念から、幾度かの殉教覚悟の蜂起でウマイヤ朝への抵抗運動をしたという。
その中に、初代イマーム・アリーとハウラという女性の間に生まれたフセインの異母兄弟を救世主とみなす反ウマイヤ朝運動「ムフタールの乱」があり、一時はクーファを支配するほどだったが、2年後には鎮圧されてしまった。ほかの抵抗運動もすべて政治的な完敗に終わったシーア派は、政治への関与に否定的となって、預言者の孫を惨殺させてしまった罪を贖う追悼の儀礼を行う宗教運動に向ったという。
ところで、7世紀の「カルバラの戦い」から千四百年を経た1980代、カルバラの名が戦争の作戦名に登場した。イラン・イラク戦争のイラン側《カルバラ作戦》の由来がこの「カルバラの戦い」とされるのは、シーア派原理主義が統治するイランらしい命名と想ったものだ。また、9.11後のイラク戦争の米軍侵攻の際、カルバラ市一帯での会戦でイラク軍の強固な抵抗に遭った米軍が撤退を余儀なくした記憶もある。この地は、俗にいうパワースポットなのか?2008年8月。治安回復が伝えられたカルバラのシーア派宗教行事に参加した3百万人以上の信者を狙ったテロで、多数の死傷者が出た。宗教間対立をねらうテロリストにとって巡礼団は格好の標的で、道路脇の自動車爆弾や女性の自爆によるとされた。これは、残留米軍やイラク政府軍を手こずらせていた「イラク・イスラム国」(前身は2003年に結成)によるテロだったのではなかろうか。 (抜粋了)
《カルバラの悲劇》を物語りながら、真夜中前にバグダッドのホテルに着こうと、ユーセフが車を飛ばしたのは四日前のことだ。
招待客に気づかれないように腕時計を見ると、8時半を過ぎていたが、九時までには30分ある。
社交の場で政治と宗教を話題しない方がよいのはアタマにあったが、イスラムの国のイランとイラクを相次いで訪れたのもなにかの縁と想われ、シーア派の話をつづけことにした。
ディスコ音楽が鳴り響くフロアで踊る人たちもずいぶん増えてきた。
「アハラム! ボクたちはお父さんともう少し話がしたいので、ジャミーラと踊ってきたらどう?」
その言葉を待っていたようなジャミーラはアハラムの手をとって、フロアに向かう。
ほの暗いホール照明にミラーボールがふり撒く光がきらめき、群れ踊る人影が浮かび上がる中へ、ふたりは入っていった。
「奥さんはシーア派と伺いましたが、ご家族一緒にカルバラの聖廟に行かれるとはありますか」
かなり立ち入った問かけを、社長の反応次第では中断するつもりだったが、
「フセインの殉教祭(アーシュラー)の時期に何回か訪ねたことがあります。毎年のムハッラム月(イスラム・ヒジュラ歴の1番目の月)の最初の10日間、フセインの死を悼む行事があるのです」
「その行事のことはテヘランで聞きました。黒い喪服で身を包んだ人々が鎖の束を自分の胸や背に打ちつけ、声を合わせて行進するそうですね」
「バグダッドの公道で見たことはありませんが、惨殺されたフセイン一家の痛みを味わい、シーア派の連帯を示すものとされます」
「スンニ派・シーア派の異なる家系出身のご夫妻の家庭の日常で、こうした行事が支障になることはないのでしょうか」
「特にありません。あなた方は、ラマダーン後のイド・アルの祝日の間にイラクの旅をされていますが、ラマダーンは、断食をする月の名前です」
「ラマダーンは、断食を意味する言葉ではない?」
「ええ、ラマダーンはヒジュラ歴(純粋な太陰暦で、太陽暦とは毎年11日ほど早まり、約33年で季節が一巡)の第9番目の月、イスラム教徒の義務の一つとして日の出から日没までは飲食を絶つ、《サウム(断食)》月のことです」なにごとも訊いてみるものだと想っていると、ユーセフが、「チーフ! ラマダーン明けの‘断食’の習慣は、ムハンマドが3百人ほどの信者と共に、マッカの大規模な隊商を襲おうとしたとき、その阻止にやってきたマッカの部隊を返り討ちにできたことをアッラーの恩寵として記念したのが始まりです」
「へえ、そうなんだ。」
「ムハンマドが勝利したのはヒジュラ歴624年の第9月でした」
「クウエートを発つ前の晩に、パキスタン人コックのハジが教えてくれたけど、断食の開始と終了を決めるのは長老らによる新月確認だってね」
「でも、雲やサンドストームなどで新月が確認できなかったら1日ずれます。夏は太陽が沈まない極地帯では、近隣国の日の出・日没時間に合わせる調整もあるそうです」
「それにしても、大陰暦は大陰太陽暦のように約3年に1回の閏年の調整がないから、同じ季節が巡ってくるのに33年もかかるんだねえ」
「ムスリムは同じ季節のラマダーンを、人生で二度経験します。日常生活は世界共通のグレゴリオ暦でも、ムスリムの祝祭日や行事はヒジュラ歴なんですよ」と言うアハラムの父親に、「東アジアの中国・日本・朝鮮半島・ベトナムで旧正月(旧暦1月1日)を祝う人たちの正月は、グレゴリオ暦の1月21日頃から2月20日頃までの間を、年毎に移動します」
「イスラム歴ができる前はどうだったのでしょう」と訊ねた私に、歴史に強いユーセフが、
「世界で最初に大陰太陽暦を用いたのは、紀元前2千年前のメソポタミア文明ですが、イスラム教が広まってからの西アジアでは用いなかったようですね」
「断食月のラマダーンが終わってから数日ですが、お宅では、第1月の殉教祭の10日間も断食されるのですか?」
「いいえ、敬虔なモスレムの妻も、ラマダーンの断食行事を家族一緒にするだけです。断食といっても1ケ月の完全な絶食ではなく、日没から日の出までの間は飲食できるので、馴れてしまえばどうということはありません。お腹がすいている上、ご馳走を親族が集まって楽しむ習慣なので、ラマダーンが来るのが待ち遠いくらいですね」
「日本を発つ前に注意されたのは、外国人や旅行者は断食の慣習を免除されるが、イスラムの神聖な慣習に敬意を表して人前での飲食は慎むこと、でした」
「そうですか。旅行者のほかに、重労働者・妊婦・産婦・病人・乳幼児・断食できない高齢者なども免除される、柔軟性と巾のある慣習です」
「日本では僧や修験者が人間の欲望からの解脱を求めて相当長期間の断食(水は飲む)をすることがありますし、病気治療や美容が目的の短い断食をする人たちもいます」と言うと、ユーセフが、
「宗教的な慣習と暮らしの関係は時代や社会と共に変化してきて、クウエートやサウジアラビアとイラクでは、《クルアーン》に基づく生活慣習の守られ方に、大きな差異がありますね」
「宗教上の由来は知らないけど、極暑の砂漠生活でブタを食べないとか酒を飲まないというのは、ムスリムでなくても分かる、暮らしの知恵だね」
「サウジでは公開処刑がありますし、非イスラム教の外国人が、ラマダーン期間中に公共の場で、飲食や喫煙をすれば国外追放だそうですよ」
ユーセフは、自分の国が王制を廃して共和国になったことを誇らしげに言った。
「立憲君主制度のクウエートでも、エレベーターの中でアバイヤ(全身を覆う黒い布)を着た女性に挨拶の声をかけた日本人が、国外追放になった話を聞いたから、ボクも気をつけなければね」
アラビア湾の海岸で近くを歩いていたアバイヤの若い女性に出会ったとき、海風に煽られた黒い布の下の真紅のミニスカートが見えても平然としていたことがあった。
エレベーターのケースは婦人の老亭主が訴えたもので、女性自身の申告ではなかったのではなかろうか。
「バグダッドの未婚女性でアバイヤを着ているのは、《クルアーン》を厳守する家庭なのでしょうか」と訊ねると、
「そうかもしれませんが。私の妻が外出する時にアバイヤを着けるのは、自分でやっていることで、私が命じているのではありませんからね」
「欧米では美人や若い奥さんを他人に見せたがるくらいですから、いずれ、この慣習もなくなると思います」とユーセフ。
「日本の家庭婦人が‘奥さん’と呼ばれるのは、妻は家の奥に居て家事に専念し、あまり人前には出ない方がよいとした夫が少なくなかったからなんですよ」
「今でもそうですか」と社長が訊ねた。
「都会では限られていても地方ではまだ少なくないでしょう。私の母は戦時中から進歩的女性でしたから、‘夫に3歩おくれて歩け’という風習を嫌がり、敗戦前の二人連れの外出は好きでなかったと聞きました」
「私にとっての《クルアーン》は、自分らの生活を律する教えですから、王制の統治権力や宗教的な権威で強制されるのは好みません。イラクでは、そうした考えが一般的になりつつありますよ」
「お宅のラマダーンは、日本の盆と正月のように家族が集い、親族が寄り合ってご馳走を食べて歓談する慣習に似ていると思います」
「こうした場所へ妻を連れてきたくても遠慮するでしょうが、それは慣習からだけではなく、次女のように性格的なものもあるでしょう。アハラムやジャミーラが結婚すれば、欧米のライフスタイルで暮らすのはまちがいないと思います」
私は、ふたりの踊る姿を、ミラーボールの光が照らし出す人の群れに探した。
(続く)
イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院「イマーム・モスク (Imam Mosque)」
http://youtu.be/GMW5YDdrQSg



