アラブと私
イラク3千キロの旅(93)

                       松 本 文 郎 
 
 アハラムとジャミーラは、踊っている20人ばかりの人の群れの中にすぐに見つかった。
 ベイルート風アレンジのディスコ音楽に乗り、ゆったりと体を動かしているアハラムと向き合うジャミーラは、手足を激しく動かす奔放な踊りに陶酔しているように見える。
「お嬢さんたちは楽しそうに踊ってますよ」
「アハラムが踊ることはめったにありませんが、テレビ番組のレバノン音楽やインド映画のダンスシーンが好きなジャミーラは、踊りに目がありません」
 うす暗いフロアに目をこらすと、姉妹の周りには、50代と見える外国人カップル数組とアラブ人の若いカップルや男同士のシルエットがうごめいている。
 踊っているふたりの娘をみつめていた社長が、
「明日、イラク国立博物館を訪ねられると仰いました。ロンドン、パリは勿論、エジプト、イランの国立博物館と比べても収蔵品の種類や数量は多くないのですが、シュメール、古代バビロニア・アッシリア・新バビロニア遺跡の出土品をご覧になって、遺構がほとんどないアッシリア帝国の都ニネヴェの往時を想像してくだされば幸いです」
「はい。メソポタミア文明の建築・都市の想像図やウルのジッグラトなどの遺跡のことは、大学のオリエント建築史で学びましたが、風俗や暮らしにかかわる出土品が見れるのが楽しみです」
「そのようにご覧くださるのは、たいへんうれしいです」 
「オリエントは〈日が昇る〉つまり〈東〉をさすラテン語で、古代ローマから見た東方世界を意味し、シリア、ヨルダン、イラク、イランなどの西アジアを中心に、トルコ、エジプトをふくむ地域です。オリエントや中国大陸の東の果ての日本も、〈日出る国〉と称されてきました」
「日本の遺跡や遺物はどんな形で残されているのでしょうか」
「東京の国立博物館には、中国や朝鮮から渡来した品々や日本古来の文物がたくさん収蔵・展示されています。奈良の国立博物館や東大寺の正倉院には、多くの優れた仏像や聖武天皇が遺したシルクロードで運ばれたペルシャのガラスの水差し・楽器などの貴重な品々も収蔵・展示されています。都市や建築は、ギリシャ・ローマの石造とちがう木造ですから、自然災害や戦火による破壊と復興を重ねてきました」
「メソポタミアでは、石材、鉱物資源(金・銀・銅・鉛・鉄)、木材などが少なかったので、《豊暁の三日月帯》の農耕・牧畜を背景にした都市文明が栄えて支配者・貴族層が現れると、水晶やメノウの装飾品や金、ラピスラズリ、象牙、トルコ石等の高価な財が交易で集まってきました。対価は、麦などの農産物や羊毛、肉、乳製品でした」
「メソポタミアの諸王・帝国は強大化と版図拡張をめざし、その頂点に立ったのがアッシリア帝国だと、モースルでユーセフから聞きましたよ」
「紀元前3千2百年頃のウルやウルクのシュメール人都市国家の交易・商取引記録の必要から楔形文字が始り、階級、職業、法律、文学、商業、度量衡など、現在の生活にある基本要素はすべて、早期メソポタミア文明で整えられました」
 ひと呼吸したユーセフが続ける。
「野生麦の改良・栽培や動物の家畜化が北シリアで行われて農耕・牧畜が始りましたが、年間降水量が2百ミリ以下では麦が育たず、灌漑の考案でユーフラテスから畑に水を引くことで農地面積は飛躍的に拡大しました。南メソポタミアの肥沃な三日月帯は灌漑も容易で、灌漑システムと運河の管理をふくめ、古・新バビロンの都市が生まれるきっかけになったのです」
「ユーセフはバグダッド郊外の灌漑用水路の改良工事でも、現場監督をしたんだよね」
「ええ。その工事現場の地中六米から出た土器が実家に置いてあります。今夜、母親の所へ泊まりますので、明朝、イラクの旅の記念として差しあげたいと思います」
「そんな貴重な遺物をもらって、いいのかい?」
「私が持っているより、チーフのそばにある方がうれしいですから」
「イラク国立博物館に展示されている土器と比べると、年代がわかるかもしれないよ」
「そうですね。私が見た類似の土器は紀元前千数百年前のものでしたが……」
「思いもしないメソポタミアからのプレゼントに、ワクワクだよ。東京の国立博物館で見せびらかしたいくらいだよ」
 はしゃぐ私の眼にウインクをしたユーセフが、「チーフ! そろそろ9時ですよ」と囁いた。
「ジャミーラは夢中で踊ってるけど、大人の時間になると、アハラムに知らせてくるよ」
 踊る人たちの間を縫って姉妹の近くにいくと、アハラムはすぐに気づき、汗ばんだ顔が上気していたジャミーラも、陶酔から覚めたようだ。
 3人で向き合って踊りながら、アアハラムの傍に寄っていき、「9時になるから、お開きにしようか」
「ええ。ジャミーラも十分踊って満足でしょう」
 かかっていた曲が終わり、ホールがすこし暗くなると、ジャミーラは父親とユーセフのテーブルへ向った。するとスローなムード音楽が流れた。ディスコで時おり仕組まれる‘チークタイム’だ。
 私はためらうことなく、アハラムの手をとった。
「この1曲だけ踊ってくれませんか」
「ええ、よろこんで」
 離れて向き合っていた人たちが体を寄せ、抱き合って踊りはじめた。
 アハラムの背なかに掌をおいた瞬間、シフォンのブラウスの下のひきしまった筋肉がピクリとして、汗のしめりとほのかな温かさが指先に伝わる。
 ミラーボールの断片的な光に浮かぶアハラムの顔に、魅惑的な微笑みが浮かんだ。
 そばで静かにゆれている初老の外国人カップルらは、互いの腰に両手をあててチークしている。
 ためらいをふりきり、思い切ってアハラムに頬を寄せると、しっとりして弾力のある頬が押しあてられた。鼻腔に感じる香りは、控えめな香水と髪の匂いが交りあっているようだ。
 互いにからだの重みをあずけて揺れていると、バスラからバグッダッドに着いた夜の夢で見た、千夜一夜物語の大宴会の踊り子(アハラム)と再会した気分だった。
 サマーラの塔への遠出やホームパーティなど、思いがけない長い時間をアハラムと共にできたのは、忘れられない思い出となるだろう。アハラムがまたクウエイトへ来ることがあるとしても、会うことはしないだろうと想いながら、やさしくハグしたら、音楽がやんでホールが明るくなった。
「アハラム! 一緒に踊れてうれしかったよ」
 テーブルに戻るとすぐ、チーフ・ウエイターが勘定書きを手にやって来た。ユーセフが気をきかせて頼んでいたのだ。
 ロビーへ出ると2,3組の外国人カップルがエントランスから入ってきた。やはり、これからが大人の時間だ。
 外に出ると冷ややかな空気がからだを包んだ。昼間より10度くらい下がる夜の気温だけでなく、お安くなかったワインの酔いとアハラムとのハグの火照りの余韻のせいであろう。
 ユーセフは、父親とジャミーラの3人で並んで、パーキングへの小径を歩いている。手をつないだアハラムと私は何も言わないで、ゆっくり歩いて行った。
 父親の車のそばに着いた私は、あいさつをした。
「今宵はお出かけ下さりありがとうございました。また、お嬢さんたちとサマーラの塔へのドライブができ、お宅のホームパーティでは、すばらしいおもてなしをいただいたことに、こころから感謝しています」
「こちらこそ、ありがとうございます。アハラムとのご縁で、イラクから遠い国日本の建築家と出会い、いろいろなお話ができて、とてもうれしく思っています。私も時々、クウエイトに行くことがありますので、またお目に懸かれるのを楽しみにしています」
「その折は、NTTコンサルタント事務所を訪ねてください。まだ2,3年は居ることになるでしょうから」
「クウエイトのど真ん中に建つテレコムセンターの立派な完成をお祈りしてますよ」
「アハラムさんによいおムコさんが見つかって、会社の発展につながるとよろしいですね。ご一家のお幸せをこころからお祈りします」
 父親に次いで、ジャミーラ、アハラムと握手をし、2人を後の座席に入れてから、ドアを閉めた。
 ユーセフは、運転席の社長とあいさつを交わしている。
 走り出した車を見送った私たちは、トヨペットクラウンにおさまり、ホテルへと向かった。
「クラブでお話したように、ホテルへお連れしたあとは、実家に泊まり、明朝ホテルへ戻りますが、よろしいでしょうか」
「ああ、それでいいよ。知り合いのガレージが開いてたら、キャブレターのチェックをしてくれるといいんだけどね」
「わかりました。調子はよさそうですが念のためですね」
 
  ホテルの自室に戻るとすぐ、バスタブに湯を張り、疲れたからだを横たえて目を閉じた。
 クウエイトを発ってから、バスラ、バグダッド、モースルの道筋の風景は様々な人たちとの出会いと語らいが、走馬灯のように浮かんでは消える。
 4泊5日の間の出来事とは思えないほど多彩で充実した旅のシーンのアルバムを、網膜に繰りひろげながら、じっと湯につかっていた。
 イドの休暇の旅に、ユーセフが勧めたイラクを選んでほんとうによかったと想う。
 単身の在勤者が共同で住むハワリのフラットと7ケ所におよぶ建築工事現場とを往復する仕事の日常からは、アラブの人たちの家族の暮らしや、ものの考え方、感じ方は、なかなか見えてこない。
 事務所では、パレスチナやヨルダンから出稼ぎに来ている若い運転手やオフィスボーイが働き、郵電省側の雇われ監督には、たくさんのエジプト人技術者(電力、空調・電気・衛生など)がいるが、仕事上の議論はしても人間的な内面や価値観を伝えあう機会はほとんどないと云ってよい。
 そんな風な人間関係を避けようとする日本人のスタッフには、日本人とアラブ人を水と油くらい違うと感じ、はやく工事を完成させて帰国できる日が来ることだけが楽しみな、外人部隊の心境も垣間見られるのだ。
 クウエイトから電気通信コンサルタントの仕事を電電公社が受注した経緯に、日本の電気通信産業の海外進出の先鞭をつけるというS技師長の熱い想いがあったと聞いていた。
 昭和27年に発足した電電公社は、翌年から「海外技術協力」の業務として東南アジア諸国やパキスタンなどに駐在事務所を開設し、開発途上国の電気通信技術者の人材育成を通じて電電公社の技術力や日本の電気通信機器を訴求してきた。
 これは、欧米諸国の電気通信メーカーが政府と一体になって相手国へのセールスを強力に展開するのに比べて非力な感じがあるものの、商売気を超えて、相手国の人材育成を真摯に図ることは、無償の国際貢献につながる一面をもつと云える。
 1969年にテヘランへ約2ケ月間出張した筆者の役目は、イラン電気通信研究所の基本計画策定の技術指導で、途上、タイのバンコクとパキスタンのラワルピンジ郊外にある施設を訪ねることも旅程に含まれていた。電電公社の肝いりでできた研究所で相手国の人材育成に大きな成果を上げているのを見聞するためだった。その駐在員には家族同伴の人たちもかなりいて、訓練相手の技術者の家族や村長など地域の有力者とも付き合いながら、息の長い技術協力・支援に献身している姿が印象に残った。
 見聞の体験で、クウエイトのような双務契約に基づく工事監理の仕事であっても、その国や民族の歴史、風土、生活習慣などへの深い理解が大切なことを学んだのである。
 大幅な工事進捗遅延が見込まれるエジプト国策建設会社の現場状況に対応するため、筆者の在勤が2,3年延長される羽目となって、3ケ月後には、妻お千代が2人(小2の健、小1の晶子)の子供を連れて熱砂の地(最高気温は日陰で46度)へとやってくる。
 バスラ・バグダッド・モースルの往復「イラク3千キロの旅」のきっかけは、アハラムという魅惑的な女性への単純な好奇心だったが、旅先で出会う人びととの生身の交流を通じてアラブを理解したいとの願いが、内心のどこかにあったと思われる。
 アハラムへの好奇心はユーセフの関心とは同床異夢と分かったが、アラブの歴史・風土・慣習についての思いがけない見聞ができたのは、まさに、ユーセフのお蔭というほかない。
 明朝、灌漑改良工事の深い地中で見つけた土器を実家から持ってきてプレゼントしてくれる彼は、いまごろ、おフクロさんとなにを話しているのだろうか。あれこれと想っていると急に眠くなってきた。湯舟で眠り込み、溺れ死んではイケナイとばかりに、イヤッと立ち上がった。
                 
                         (続く)


添付画像



◆Iraq's National Museum is partnering with Google to offer a virtual tour of the museum
شركة جوجل تنشر الاثار العراقية بالمتحف الوطني ببغداد على الانترنت

http://youtu.be/uy_nlWu5VDw

2014/12/10 15:11 2014/12/10 15:11
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