行雲残日録

  =喜寿から傘寿=

                      松本 文郎

 

 われわれは どこからきたのか

  われわれは なにものか

  われわれは どこへゆくのか

         (ゴーギャンの画題)

 

人の一生を「行雲流水」と言えば年寄りじみるが、父親の享年78を超え80歳まで生きてきた。58歳で食道全摘出手術を受けて再びのいのちを戴き、66年前に中学で出会った初恋の妻と、今生かされている。東日本大震災を機に、「浦安残日録」をブログに連載している。70歳から右肩上がりをつづける前立腺PSA(昨夏)154.63である。

 

浦安が大きく揺れた               (2011年3月)
             

 まさに晴天の霹靂の東日本大地震だった。マグニチュードが8.8から9.0ニ訂正された、千年に一度くらいの未曾有の巨大地震という。建築家の私もビックリ仰天。そのとき私は、書斎のパソコンで締切りが数日後の『アラブと私』の原稿執筆に余念なかった。

 ゆっくり始まったかなりの揺れで、正面の書棚の本が2、3冊落ちた。揺れはしだいに大きくなってきた。背面の書棚の上部には重い大判の美術書がぎっしりと天井まで積んである。一斉に頭上に雪崩れると危ない。私は、急いで廊下に飛び出した。

 リビングダイニングにいたお千代は、大事な食器戸棚の扉が開かないようにけんめいに押し返している。私もいっしょに戸棚全体を支えたが、かってない長くて大きい地震動に、生まれて初めての恐怖を感じた。これは大変なことになるぞ! 

あれからはや10日が経った。

 わが浦安も被災地となった。小さな漁村の海を埋立てて拡張した街の海側半分の地区が液状化現象に見舞われたのだ。いたる所で道路や歩道の隆起陥没が生じ、泥水と砂が噴出して堆積した。私たちが住むテラスハウス住宅団地内の道路の一部も同じ状況だ。大きく揺れても住戸に損傷はまったくなかったが、ガス・水道はピタリと止まった。

 幸い電気はきており、テレビに映し出される巨大津波が襲う被災地の惨状から、終日、目が離せなかった。市内の海に近い19階建て高層マンションに住む娘の電話で、16階の住戸内のほとんどの家具が転倒し、壁からの額の落下やペンダント照明の衝突で、家中がガラスの破片で足の踏む場もないという。ガス・水道は遮断され、エレベーターも停止。

 渋谷幕張中学一年の孫遥大は幕張の校舎にいるはずだが、連絡がとれないという。

 会社員の婿ドノと息子健の安否は、それぞれのケイタイで銀座と新宿のオフィスで無事との連絡があり、ひとまず安堵。娘は、3年前バンコクから一緒に帰国した愛犬のトビーを連れてわが家に緊急避難してきた。トイレが使えない高層住宅からの脱出だ。

 家に着くやいなや、人目のつかない庭の隅でガマンしていた小用を足す。娘は豪胆!

 10日間見つづけてきた、地震・津波・原発事故の三重被災に苦悩する被災者の姿に言葉もない。私たちの生活インフラ遮断による不便など、タカがしれている。

 地震・津波に被災した福島原発の危機的状況は予断を許さないが、最悪の事態回避に命がけで立ち向かっている全ての関係機関の人たちの姿には感謝感激だ。

 地震から9日の昨日、つぶれた家の中から80歳の祖母と孫の16歳男性が奇跡的に発見・救助された。1万数千人とされる行方不明者の中のお二人だった。

 不自由な避難場所で9日ぶりに温かい汁椀を抱えて啜る人たちの笑顔をテレビで見たが、半壊の自宅でがんばる人たちへの救援物資が届かないという。

神戸淡路大地震で自発的に秩序立てられた避難所運営の経験ノウハウと、あのとき目を見張った若いボランティアの活躍などが、これからは期待できると信じたい。

 昨夜来の半徹夜で、『アラブと私』の原稿残部を書き、締切りに間に合った。ヤレヤレ!!

福島原発の危機的事態は依然として予断を許さない状況だ。関係者の必死の苦闘が不眠不休でつづけられている。東京消防庁の福島第1原発への放水作業を指揮した隊長のテレビ会見の画面に、思わずねぎらいの言葉をかけた。

自衛隊・消防・警察など国の機関の隊員・署員は、国民の生命財産を守る重大な役割を担っている。この命がけの危険作業に出動した夫を、健気に励ました妻たちがいた。

東日本大震災の陰で最近まで報じられなかった浦安の被災を知った学友、元職場仲間、友人知人から、つぎつぎと見舞いの電話やメールが届くようになった。ありがたい。

 481戸のわが住宅団地内の水・ガス供給が2、3日前から相次いで復活したが、広い範囲の下水道の復旧見込みは立たず、トイレの「大」以外の生活排水は庭の雨水桝に流すように指示された。風呂・洗濯は厳禁だ。

断水で高層マンションから我が家へ避難していた娘一家は、給水再開でトイレ・風呂・洗濯が可能となって自宅へ戻って行き、私たちに、入浴・洗濯に来るよう言ってきた。

ディズニーリゾートのホテル群が浦安市民に入浴サビースを始めたとの報に、早速出掛けて12日ぶりの入浴。立派な大浴場で手足をのばして湯にひたっていると、天国に湯浴みする心地だったが、寒さのなかで震えている被災地のお年寄りや災害の爪痕と闘っている関係者らに申し訳ないとも想った。

32年同期入社「三二会」の仲間数人から届いた見舞いメールに、近所に住む君の家が液状化で傾いて困っているとあり、すぐ訪ねてみると、ゴルフボールが容易にころがるほどに床が傾斜している。生活インフラのダウンで不自由している私に遠慮して連絡しなかったと言う、やさしい人柄の彼だ。住友林業に勤める息子に連絡し、修復工事の相談にのる手配を頼む。

復興への迅速で経済的な創意工夫が、さまざまな分野で生まれることを期待したい。

 

スケジュールも大揺れ              (2011年3月

居住区域には排水規制の不自由があるが、日常生活は徐々に平常に向かっている。

喜寿残日、音楽(唄い)/絵画(描き)/文芸(詩文を書く)を楽しむ日々のスケジュールは、さまざまな変更を余儀なくされた。

《音楽》では、練習会場の公民館が避難場所となり、第10回「浦安男声合唱団定期演奏会」を4月半ばに開催する市文化会館が防災本部の拠点になって、演奏会どころか、これから毎週の練習さえ目途が立たない。今年中の開催は難しいと思われる。

昨年暮れ参加した第11回『IKSPIARI第九』がきっかけの「合唱団LICHT」の結団式と練習会場も閉鎖され、スタートは5月までムリのようだ。

鑑賞を楽しみにしていたコンサートでは、敬愛する山陽地方出身のソプラノ歌手・横山恵子さんがプリマの『アイーダ』の中止連絡があった。残念だろうが、被災地の惨状と不自由な避難生活に想いを馳せた苦渋の決断であろう。

 ボランティア仲間と毎月出前する、高洲の特別養護老人ホーム・愛光園への3月17日の訪問コンサートも、停電と施設の一部損壊で仮移住の破目となり中止。最高百歳の高齢入居者の不安な気持ちとヘルパーさんたちのご苦労を想い、みなさんが好きな懐かしい歌を一緒に唄い、リクエスト曲を聴いてくださる日が早く来るようにと祈る。

《絵画》では、「日比谷彩友会展」の作品講評と春秋の絵画研究会の講師をお願いしている白日会副会長の深澤孝哉先生に、「白日会展」(新国立美術館・3月18日)をご案内いただく予定だった。余震を危ぶみ中止に踏み切ったが、案の定、当日は休館となる。

 うれしい出会いもあった。銀座教会ギャラリーで一見した個展がすばらしくて記帳してから5年ぶりで、「野島朱美透明水彩展」の案内状が届き、池袋の小さなギャラリーへ最終日の午後に出向いた。国内外の風景が多い水彩作品の数々を久しぶりに拝見すると、四季折々の色彩のみならず空気までも見事に捉えた透明感溢れる画面に感銘した。

 自己紹介にと持参した『文ちゃんの旅と暮らしの絵・ポストカード集』を見てもらい、親しく歓談すると、自然の感じ方や描くときの心得えが驚くほど似ていて意気投合した。うれしい出会いを互いに歓び合い、大震災後初めての至福の時間に感謝した。

《文芸》では、地震勃発で執筆が遅れた『アラブと私』は締切りになんとか間に合った。

前々回、約50年前のイラク軍事革命と共和国成立のことを執筆中にチュニジア政変が勃発したので、前回は中東・北アフリカ諸国に波及しはじめた反体制勢力による市民民主革命の巨大なうねりを書いた。 

 

「第九」のシラーの詩の力            (2011年4月

 NTT入社同期の小野文朗さんが姪御の横山恵子さんが「第九」のソプラノ・ソリストで出演すると知らせてきた。恵子さんは岡山出身で私たちの故郷福山と同じ瀬戸内生まれ。1992年に渡欧して、ドイツを中心にヨーロッパ各地でプッチーニ、ヴェルディー作品を主にタイトル・ロールを唄い、日本でのタイトル・ロールデビューは1996年。主なレパートリーは、小澤征爾指揮・浅利慶太演出『蝶々夫人』、「びわこホール・ヴェルディーシリーズ」、日本初公演の『エジプトのヘレナ』をはじめ、『マノン・レスコー』『オテロ』『トウーランドット』『トスカ』『ワリキューレ』『タンホイザー』ほかと数多い。

強靭で美しい歌声、高い音楽性と精神性で表現する主役の人物像に、私たちは魅了されてきた。『ワリキューレ』のブリュンヒルデや『トウーランドット』姫のタイトル・ロールでの迫真の歌唱は、いまも耳に残っている。

 東日本大震災後間もない3月25日のドイツでも被災者への鎮魂の『第九』を指揮した佐渡裕指揮の「題名のない音楽会」の『第九』(東京フィルハーモニー・晋友会合唱団、東京オペラシティーホール)は圧倒的で、恵子さんの歌唱も見事だった。

 美しいグリーン色調のドレスと金髪ヘアーのいでたちは天性の声を響かせる大柄な体躯にピッタリで、選抜きのソリストのなかで一際、私たちの耳目を奪った。

私にとっての「第九」は、19年前、食道がん手術で再びのいのちを与えられた歓びで参加した『浦安市民第九』に12回連続参加し、ディズニーリゾートの恒例年中行事となった『IKSPIARI第九』でも、毎年暮れのカウントダウンで唄ってきた。 

 その合唱指導者古澤利人さんは、人類平和を神に祈るシラーの詩『歓喜に寄す』に魅了されたベートーベンが、30余年を費やした不朽の曲の深い意味をしっかり理解して唄うことを求め、精魂込めて指導されてきた。紛争や戦争がつづく人類社会を憂いたシラーが、創造主の存在を信じて書いた一節「抱き合え、幾百万の人びとよ!」は、226年を経た今も、私たちのこころを強く揺さぶるのである。

佐渡 裕さんは、さだまさしと共演した『さど・まさしコンサート』(阪神淡路大震災記念ホール)でも、災害や戦争に苦悩する人びとに届く音楽の力について語り合ったが、佐渡に師事した柳澤寿男は、長い民族対立の歴史の果てに独立したバルカンのコソボで対立するアルバニア・セルビア人の音楽家による「戦場に、音楽の架け橋を」の演奏会実現の活動などで、2007年の「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれた。

 

 日本全体の復興をめざそう           (2011年4月)

 世界が見守る福島原発事故の行方が定かでない状況で、歴史的政権交代をしたものの、迷走する政治と経済不振で、社会全体に閉塞感が充満している。

 年金制度への不信がきっかけの社会保障・福祉政策の見直し、リーマンショック以降の世界経済不況のなかの経済・財政構造改革、外交・安全保障の自立化政策等の課題を抱えたままの「3・11」だったことを、決して忘れてはならない。

 私たちは今、大震災と原発事故からの復旧と国全体の復興を重ねて構想すべき地点にいる。京大建築学科の恩師西山夘三先生は、人間居住環境・地域計画の学術調査・建築都市計画学を民衆の立場から推し進めた世界的権威だった。先生がいま、安藤忠雄さんの座につかれたらどんな提言をされるかと想うが、鬼籍に入られて久しい。

 卒業同期に、大学教師となって先生の学問的所産を発展的に受け継いだ学友数人がいる。浦安被災で電話やメールをくれた学友らに、阪神淡路大震災の復興計画に関ったノウハウを東日本の再生に生かせないかと訊ねると、都市と農漁村とでは復旧・復興のポイントが違うし、深刻な原発事故が複合した事態では、簡単ではないと言う。

そうかもしれないが、喜寿の歳ならではの学術的知識・経験は、若い人らに引けをとらないのだから、終生現役といかないものか。政府お抱え学者より自在な立場で、西山夘三流の在野精神で最後のひと働きをしてはどうか。

 折しも、朝日新聞社が設立した「ニッポン前へ委員会」が、あすの日本を構想する提言論文を募集している。締切りまでの日数はわずかだが、ダメもとで8千字の小論を書いてみるか。

 自然の力を腕ずくでねじ伏せる考えは、西洋近代の科学技術思想と無縁ではなく、東洋の自然観(宇宙観)からは出てこないものだ。地震・津波・台風・洪水などの来襲・被災に順化してきたアジアには、自然と調和する居住環境づくりの歴史がある。

 日本の復興・再生構想では、電力の生産・消費の大変革への提言がメダマになろう。

原子力発電依存から早期に離脱するか、段階的削減と自然エネルギーへの転換の道筋を選ぶかに分かれる論議を、世界中の人びとと共に深めて行こう。

地球の全生命との持続的共生を科学技術の光と影の中で探求するのは、人類の課題だ。

 


  出前コンサートが再開 
            (2011年4月)

 エイプリルフールの今日、ボランティア「歌の花束」の四月訪問コンサートが開けるとのうれしい知らせがあった。特別養護老人ホーム「愛光園」の建物が震災に遭い、高齢の居住者の皆さんが避難生活を余儀なくされて3月は中止に。4月の目途もたたない矢先の朗報だった。

 百1歳の義母が入居されている女史主宰「歌の花束」は3年目。ピアニストのさんと男女数名のヴォーカルが、童謡・唱歌・歌謡曲などの懐かしい歌を入居者のみなさんと楽しく唱うひとときだ。

毎回の訪問を待ち遠く想われているみなさんが、大きな声を張り上げて唄われる笑顔に、歌を「出前する」私たちは力をいただいている。

 プログラムには2、3のリクエストのソロもあり、今回、『帰れソレントへ』を唄わせてもらう私は、知人女性にパヴァロッティの『Best of  Italian  Songs 』のCDを借りて猛練習中。本番までに一度、ピアノ教室を開いているさん宅で特別に練習する予定。

喜寿老人はパヴァロッティならぬ[ババッチ爺]だが、昨秋、『恋人よ』をリクエストしてくださった83歳の可愛らしい女性を、また泣かせたいものだ。

 女史からのメールに、「歌の花束」の名称が、昭和12年の国民歌謡『春の唄』の歌詞の「ラララ赤い花束車に積んで」に由来したこと、この歌が50数年後の阪神淡路大震災の被災者への励ましとなったので、震災から2年後、作詞者喜志邦三の歌碑が詩人ゆかりの地西宮に建立されたことが書かれていた。

 さらに、「愛光園」の復興を励ます歌とし4四月の曲目に入れたいので、3番の詞を書くようリクエストされ、「愛」「光」「園」などの言葉を入れた即興の詞を返信メールで届けた。

 歌が聴く人・唄う人双方に力を与え、いのちを掻き立てるとは、古今東西に遍く認められてきた。近ごろ私と同じ食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんや桑田佳祐さんも、人生の大きな節目に立って歌の力の大きさ、不思議さを改めて深く感じたと述懐された。

 

毎朝の散歩風景                (2011年5月)

すばらしい五月晴れの朝だ。住宅地内の毎年の花見場所、私が勝手に命名した「クジラの背」の潮吹き穴の位置から青空を見上げると、周りを囲むサクラとケヤキの梢の新緑が光に煌めいて美しい。タブの林を抜けて見明川沿いの遊歩道に出る。伝平橋にはもう稚鮎を釣り上げる人の姿はない。

毎朝のように、橋の袂のコンビニで缶コーヒーを買い、橋を渡って桜並木の遊歩道から「ふれあいの森公園」をめざして歩く。

途中の東屋の手前に川面に降りてゆく階段があり、歌の屋外練習場にしている。

今朝は、特養老人ホーム・愛光園の6月訪問で唄う『都鳥』の練習に、端唄師匠さんから戴いた芳村伊十郎の唄の音源を聴きながら声を出す。長唄調の端唄『都鳥』は、情緒纏綿として、なかなか佳い曲である。

さんは端唄師匠で、「愛光園」のボランティア親睦会の出会いが縁で、主宰されている邦楽同好会「江戸の華」の仲間に加えてもらった。吉住門下で20年あまり長唄を学んだ私は、定年退職後は唄う機会など、もうないとあきらめていた。

 辺りに人影はなく、対岸に向かって大声を張り上げた途端、1羽のカラスが近くの柵にきて眼をキョロつかせて私を見ている。長唄とカラスの声の周波数に似る音程があるのか、時折、カラスも奇妙な声を出している。

 そういえば、日本建築学会男声合唱団で「東京都シニア男声合唱コンクール」に出場したとき、審査結果の発表を待つあいだに訪れた井の頭公園の池の畔で、組曲「沙羅」の『鴉』を口ずさんでいたときも、1羽のカラスがやってきた。

公園入口の老舗で仕入れた焼鳥の匂いに釣られたのか、清水重道の詩『鴉』さながらに、ひょうきんなヤツだった。

 遊歩道の先に架かる見明川中央歩道橋を渡り、「ふれあいの森公園」に入った。

朝露でキラキラ光る大芝生を巡る周回路に、ひたすら速 足で歩く人たちがいる。   「公園を育む会」のボランティアの妻と私は、夏場には花壇の世話と水遣りをしている。

グリーンハウス近くのビオトープの池に紅白の睡蓮が開き、池に注ぐ流れにカキツバタと河骨が咲いて、ウッドデッキの横の花壇では、ピンクの牡丹と黄色い芍薬の大輪が競うように咲き誇っている。

 毎年、古代赤米を植えて収穫する小さな2枚の田で、番の鴨がせわしげに嘴で水の中を物色している。ニホンアカガエルのおたまじゃくしを狙っているのか。県の保護動物指定の絶滅危惧種であることを、鴨たちは知らないのだ。

 番の朝食の邪魔をしないように、流れを挟んだベンチに腰掛けた。背に射す朝の光で、すぐ側の枝垂れ柳の影が足元にゆれている。

ハウス内の正面の壁に、寄贈した絵・詩『ビオトープと森』の大きな額が架っている。

 

ブッシュとオバマ               (2011年5月)

オバマ大統領が、「やった!ビンラディンを仕留めたぞ!」と叫んだのは、米海軍特殊部隊とCIA軍事部門による急襲作戦の映像をモニタールームで見ていた最中という。

9・11同時多発テロの首謀者で米国の「対テロ戦争」の最大の標的を仕留めた瞬間だ。

リベラルで穏やかな人物のイメージをもつ彼も、やはりアメリカ人だと感じた。

2001年 のテロ発生の翌10月、国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディンを首謀者とみなした米国はタリバーン政権のアフガニスタンを攻撃した。同政権は2ケ月で崩壊したが、テロの黒幕として世界に知られることになったビンラディンは、アフガン・パキスタン国境の山岳地帯を転々としているらしいと報じられるだけで、多額の懸賞金にもかかわらず所在は杳としていた。

ブッシュ政権による膨大な戦費と米国兵士の生命をかけた掃討作戦も虚しく、10年近い年月が経過。アフガンからの米軍撤退を公約に当選したオバマ大統領は2期目の選挙を目前にして、ビンラディン容疑者の捕捉に懸命だったようだ。「やった!」に、その強い想いを感じる。

 オバマ大統領の命を受けていたCIAが、パキスタン国内の隠れ家の情報を入手したのは昨年の8月。今年初めには特定したとされる。掃討の急襲作戦がパキスタン政府に知らされずに実行されたとして両国に不穏な空気があるが、オバマ大統領声明に、「パキスタン政府の協力の下に作戦を遂行した」とある。

 武器を持たないビンラディンを捕捉せずに殺害して遺体を速やかに水葬に付したこと、遺体写真の未公開などについて、ブッシュ政権より透明性を約束したオバマ政権に対し、AP通信が情報公開を要求している。

 イラクのフセイン前大統領が、捕捉されて裁判にかけられて死刑になったのに比べて乱暴なやり口と思われるが、軍事評論家によると、テロリストは「違法戦闘員」だから、「武器を持たない者を殺してはならない」 とするジュネーブ条約45条違反ではないし、9.11テロのような多数の犠牲を再び出さない予防戦争では、隠れ家のあるパキスタンに無断で侵入しても正当性があるという。なんとも物騒な論理を開陳していた。

「予防戦争」なる概念が国際的に認められているかどうか知らないが、米国のように世界最強の国家ならば、他国に対してなんでもできることになりはしないか。

「憎悪は憎悪を生み、報復しても愛する人たちは生き返らない。軍事的反撃は新たなテロを誘発するだけではないか」と語った遺族たちがいることを忘れてはならない。

 ときあたかも、中東にうねる民族革命の波は、アルカイダの暴力を是認しない若者らが推進力になっている。「テロへの報復」と「さらなるテロ」の悪循環を絶ってこそが、米国と世界の混迷に「チェンジ」を叫んだオバマ大統領の真骨頂ではなかろうか。

 

GINNYさんのクラス            (2011年6月)

 GINNYさんの「Let’s enjoy chats and debates in English 2011年前期クラスが始まった。浦安市国際交流協会の外国語学習講座の一つ「中級英会話」に前年前期から参加している私は3期目になる。

GINNYさんはシアトル出身で20年前に来日。新潟の高校で英語教師を8年間勤め、日本酒・酒盗・納豆などが大好きという豪快な女性教師で人気がある。日本の伝統文化にかなり詳しいのは、来日前、米国の大学で「日本学」を学んだからか。

クラスメイトの3分の2は女性で、ロシア・中国・韓国系の人も混じる。定員20名だが受講を始めてから、高いレベルに追いつけずに中退する人もある。3月からの前期が、浦安が東日本大地震被災地となり教室が使えなくなったので、5月半ばにスタートした。

Chats and Debatesの話題は、GINNYさんが準備したのと輪番のショートスピーチのトピックスから選び、質問をきっかけに活発な談論風発が始まる。

 浦安の思いがけない被災で、当面のトピックスは地震・原発・節電だ。常日ごろは使わないヴォキャブラリーを、GINNYさんだけでなくみんながよく知っているのに感心。  

各人が節電の具体策を提案したが、私は、朝日新聞社公募の提案論文で書いた『脱原発とエネルギー政策』からの私見を2、3述べた。

 引退した老建築家なりに、「方丈記」の鴨長明流「家のつくりは、夏をむねとすべし」を披露した私に、「超暑がりの私にとっては、この夏が生死の問題なのヨ!」と大きな体躯をゆさゆさと揺すったGINNYさんだった。

 

人間と自然との間柄              (2012年8月)

 地震・津波・熱帯低気圧(台風など)・洪水など、甚大な自然災害をもたらす自然力に対して、日本では、「地震・雷・火事・親父」の言辞のように、「抗いがたい相手」との認識がある。

 しかし古代では普遍的だった「自然=神」の原始的自然崇拝を捨て、「人間を造った神」を信じる人たちは、自然の生きとし生けるものや資源・環境の与奪を許されていると考えているのではないか。熱帯低気圧の巨大エネルギー制御に原水爆を使うという荒唐無稽な発想もあったと記憶する。

 近代の科学技術の基礎には、イスラムが伝承したギリシャ・ローマ文化があったとされるが、イスラムが偶像的でない「神」に敬虔な信仰をもち続けてきた一方、アングロサクソン的な欧米人の「神」への畏怖はいまでは人間の所業への免罪符に堕した感が否めない。

古代社会の統治者と民衆は、自然の偉大さへの畏怖の念を共有しており、自然と人間の関わりのなかで、「神」の概念が生み出されたのではないかと思う。

古代文明の発祥地、メソポタミア、エジプト、インド、中国などに、「自然神」を敬い、祈願するさまざまな宗教が生まれたがそれらは多神教的で、一神教が出現するのは数千年のちのことである。

キリストより約5百年前のブッダは仏の教えを広めた仏教の始祖とされ、生れたインドの混迷した人間社会の救済を広大な自然の大地を遍歴するなかで思索した。

 ブッダは、世界宗教の始祖というよりも、量子力学的な宇宙の摂理を直観した智慧者で、『般若心経』の「色即是空」がまさにそれだと愚考している。

 仏の慈悲に帰依することを説いた経典は、キリスト教の聖書やイスラム教のクルアーンに書かれている文言と、ほとんど変わらない。

 インド哲学・仏教学者として世界的にも名高い中村元が、最古の仏典『スッタニバータ』から抜粋した意訳「ブッダのことば」を自分の墓に刻ませた。

   慈しみ

一切の生きとし生けるものは/ 幸福であれ 安穏であれ 安楽であれ

  一切の生きとし生けるものは 幸いであれ/ 何びとも 他人を欺いてはならない

  たとい どこにあっても/ 他人を軽んじてはならない

  互いに 他人に苦痛を与えることを/ 望んではならない

  この慈しみの心づかいを/ しっかりたもて

 新約聖書のマタイによる福音書第五章から七章の「山上の垂訓」は、イエス・キリストが山上で弟子たちと群衆に語った教え「幸いなるかな」と8回繰り返される冒頭の3節から10節までが最も有名な部分である。

「山上の垂訓」が、神のことばとして伝えられたのに対して、「ブッダのことば」は、人間ブッダが地上のあらゆるいきものと共に生きることを諭したもので、宗教の原点は、自然と共に生きた原始人たちが、自然の偉大さを畏怖した宗教心とでもいうものだ。

豊饒な自然崇拝から生まれた多神的な宗教ときびしい自然風土を背景にした一神教の教典が、内容において驚くほど類似しているのは、生活環境に関係なく人類社会のさまざまな負の側面が、その時代すでに露わになっていたからにほかならない。

 太陽が発している核エネルギーを科学技術の力で実現したとき、「プロメテウスの火」に譬えられたのは、プロメテウスが天界から火を盗み出して人間に与え、人類の恩人になったというギリシャ神話に由来する。

神話では、怒ったゼウスがプロメテウスを岩山に繋ぎ、ワシにその肝を食わせて多年苦しめたが、のちにヘラクレスにより解放された。この譬えには、地球の自然界には存在しない天の火(太陽)を手にした科学技術者の人類社会に貢献した自負と、原爆による人間殺戮という、なすべきでない所業への天罰(神の怒り)の怖れの両義性があると思われる。

 今こそ人間の叡智の集合である哲学は、自然・人間・宗教・科学を総合的に論じる役割を担い、自然の環境・資源の汚染・枯渇、宗教的対立、核兵器廃絶、民族・領土問題など人類社会に山積する諸問題解決に真価を発揮しなければならない。

 原始時代に畏怖した「自然」を征服しようと「人間」の科学技術を振りかざすのでなく、謙虚な気持ちでその利用と保全に努めることが求められる時代にわたしたちはいる。

 福島第一原発の事故を契機に、「人間と自然」の新たな関係を探究して「ブッダのことば」の実現をめざしたいものである。

 

理香りんのピアノコンサート          (2012年8月)             

 自称「理香りん」の宮谷理香さんご案内のヤマハホール・サロン・コンサートを拝聴。80人限定のよい席を得ようと、世界のブランド店がひしめき、猛暑の地熱が立ちのぼる銀座通りを妻のお千代とわき目もふらずに歩く。

 理香さんはショパン国際ピアノコンクール入賞の才媛で、去年の春、NTTフィルハーモニ―管弦楽団と共演したショパンのピアノ協奏曲に深く感動してから、親しくさせていただいている。彼女の父君とは、NTT建築総合研究所で一緒に仕事をした間柄だ。

ロビーに、演奏曲目を二分するドビュッシーとショパンの自筆楽譜コピーの展示があり、ドビュッシーがペン先を踊らせた筆致の美しさに感嘆し、ショパンが推敲で抹消した箇所の生々しさに見入る。

 第1曲目の武満 徹『雨の樹 素描』の数小節の音を聴いた途端に、鳥肌が立った。

まるで、水琴窟と化したコンサートサロンに落下する水滴の得も言えぬ神秘さに身も心も包まれた。なんというファンタスティックな音の連鎖であろうか。魂の演奏というほかに言葉がみつからない。

 理香さんが語る演奏曲目の楽想やエピソードのMCには、親しさと楽しさがいっぱいだ。

『雨の樹 素描』の作曲では、大江健三郎著『レイン・ツリー』からインスピレーションを受けたことや、ドビュッシーに『金色の魚』を作曲させた『金色の魚が描かれた蒔絵』にブリジストン美術館「ドビュッシー展」で対面したことなどを聞き、そのオンリーワンの演奏に並外れた読書や美術鑑賞で育まれた感性と知性が満ち溢れていると感じた。

 ドビュッシー『水の反映』では、「光の妖精」となって水と戯れながら飛びまわり、武満の曲では「水の精」となり「水琴窟」で遊ぶ、理香さんの繊細・大胆で自在な演奏に揺蕩っていた。

2つの水の曲の楽想と音色の差異が鮮やかに弾き分けられ、いまは亡き武満 徹と吉田秀和が、理香さんの『雨の樹 素描』を聴かれたらどんなことを語られるかと想像したくなる見事な演奏だった。

敬愛するショパンと対話するように『幻想ポロネーズ』を弾く表情や体の動きに眼を凝らすと、理香さんにはスラブの血が流れていると想像するなにかがあると思った。

 

ジュウシンさんを偲ぶ             (2013年6月)    

日比谷同友会報の訃報連絡で鈴木重信さんの逝去を知り、突然の他界に愕然となった。

その数日前の「みなづき会展」来訪者との歓談で、重信さんの近況が話に出た。肺気腫悪化で酸素ボンベを離せずに外出を控えているが、自宅でメールのやり取りをして聞いて、、久しぶりにメールする矢先のことだった。

 重信さん(愛称はジュウシンさん)と私が親しく仕事したのは昭和55年からだが、2年後輩の彼にはすでに大人(たいじん)の風格があった。

 長身でイケメンの彼は、新入社員のころから女性社員にモテモテでも、いつも爽やかな笑みを浮かべるだけで、浮ついた感じは微塵もなかった。

 重信さんとの想い出は数々ある。平成4年の食道(がん)全摘出手術で長期入院したとき、中島みゆきの曲の手作りカセットを持って見舞ってくれた。カラオケ大好き人間のふたりだった。

 ぜひとも書いておきたいのは、ジョン・パーキンス著『エコノミック・ヒットマン途上国を食い物にするアメリカ』だ。

「松本文郎のブログ」に長期連載中の『アラブと私』読んでくれていた重信さんが届けてくれたのが、この思いがけないノンフィクションだった。

 私の執筆意図にうってつけの本を、ミステリー愛好家の重信さんが見つけてくれたのは願ってもないことで、連載記事の中で、「この貴重な参考文献は、長く職場を共にし、敬愛してきた人から送られた。その人のことはいずれ、序章『イラク3千キロの旅』のあとの本論で記述したい」と匿名にしていた。ほんとうに、重信さんの急逝が残念でならない。

数年にわたり連載中の『アラブと私』を読み続けた重信さんの励ましに応えるためにも、いのちあるかぎり、この創作的ノンフィクションを書き連ねたいと念じている。

 

心配な安倍政権の行方            (2013年12月)

 押し詰まった師走は「脱兎のごとし」だが、わが国の民主主義の将来の根幹をゆるがすと懸念される「特定秘密保護法案」を参両院で強行採決した安倍政権は、先日の靖国参拝にいたる一連の国の安全と国益を損ねかねない言動を脱兎のごとく遮二無二に押し進めている。

 アベノミクスによる円安・株価上昇に勢いを得たような靖国参拝には、戦後歴史の否定(戦後レジームからの脱却)と認識する中国・韓国からの猛反発のみならず、安保同盟国のオバマ政権の失望に加え、EUからもアジア地域の不安定化への懸念が表明されている。

 安倍首相は参拝の真意を丁寧に説明して誤解を解きたいと言っているが、太平洋戦争のA級戦犯の靖国合祀(その昭和53年からは昭和天皇と今の天皇も参拝していない)が、軍国主義日本の侵略を受けた被害国のみならず米国までもが、無条件降伏をした日本がまだ戦争の正当化を主張していると誤解しないか。

 9・11多発テロに報復を誓ったブッシュ政権が、「テロへの報復」を錦の御旗に掲げ、真珠湾奇襲攻撃への怒りで米国民が一致団結したことを再演したように、「特定秘密保護法」の法案審議の政府答弁では、国家の安全が仮想敵国や「テロ」の黒い影に脅かされていると国民に印象づけようとする論調が目立った。

 日本の尖閣諸島国有化による日中政治外交関係の悪化と竹島や従軍慰安婦問題等の日韓の歴史問題をめぐる応酬など、東北アジアの友好親善関係に不穏な波風が立つなかの法案の提出だった。

 戦争を知らない政治家安倍首相が、太平洋戦争の開戦当時の東条内閣の閣僚だった祖父岸信介元首相(A級戦犯被疑者)に吹き込まれたかのように、「大東亜戦争聖戦論」を繰り返すこと自体が、中国・韓国の反日感情を煽って国の安全を危うくしていると危惧する。

 かつての日中友好条約締結の際に、周恩来と田中角栄とで棚上げされた尖閣諸島の領土問題の「パンドラの箱」を開けたのは、日本による国有化ではないか。

安倍政権とその支持者が戦争の歴史認識を捻じ曲げようとする動きに中国、韓国、東南アジア諸国が不安を募らす不穏な状況は、憲法に基づく平和主義(不戦の誓い)を堅持する国民が草の根レベルで深めてきた友好親善を台無しにする、極めて遺憾な事態と云わざるをえない。

 特定秘密保護法案に対しては、自民党内部にも反対意見があり、憲法学者、ノーベル賞科学者、映画監督・俳優、言論人、各種有識者や新右翼の論客までもが反対を表明し、朝日新聞の最近世論調査では、70%以上の人びとが反対している。

 「少子高齢化」日本の未来には、アジア地域の安定と近隣諸国との親善友好が不可欠で、2次にわたる世界大戦の悲惨な歴史から学び、国境のないヨーロッパを目指して困難な道を歩んでいるEU諸国を見習いたいものだ。

 

いのちの動的平衡               (2013年7月)

 先月の25日に傘寿を迎えた。食道(がん)全摘手術で再生した20周年でもあるが、再びの「いのち」を享けて今ここに在るのは、天寿というほかない。 

早期発見と「鬼手仏心」のドクターの見事な手術のお蔭だ。

発見が遅く、手術を受けながら2年以内に鬼籍に入った中・高・大の学友数名が遺して逝った10数年を生きてきた。

 福島第1原発事故の際、東電本社首脳部の優柔不断さにタテついて海水注入を勇断した元所長吉田昌郎さんも、先日、食道がんで亡くなった。東電現場関係者一同が尊敬し信頼した人だったという。合掌。

前立腺PSA数値が30.36になって受診したMR検査の結果を伝えた担当医に、「MRの白い画像が前立腺外周と近接のリンパ・骨盤にあるので早く治療をした方がいい」と勧められた私は、「いま享受している生活の質に支障をきたす可能性のある治療は避けたい」と告げた。

 ブログ掲載の直後から、手術や治療(放射線、抗がん剤、ホルモン療法等)を受けている多くの友人・知人とご夫人たちから、ありがたい助言や励ましが届き、この病気の仲間がいかに多いかを知らされた。手術や治療で数値が4.0以下になってもさまざまな生活の質の変化が生じ、治療効果に年限があることも分かった。

 3ケ月毎のPSA数値は上がりつづけ、今年の2月末で40.34,5月末は60.35に急上昇したが、生活の質に特別な変化は現れていない。

がんの末期には耐え難い苦痛が待つとされる。さる老医師は、「末期がんで死ぬのは怖くない。自分が関わってきた老人施設の入居者で放射線・抗がん剤治療もなにもしない末期患者は、苦痛を訴えることなく、次第に衰弱して自然死に至る」と自著や対談集で述べている。

享年78で逝った父の火葬・骨上げを担当した人に,「どうやら、お父さんは末期ガンだったようですね」と告げられたことを思い出すが、がんの自覚も痛みもなかった父は食欲と気力をしだいに無くす老衰状態におち入り、いわゆる自然死を迎えたことになる。

 最近の医療分野で「ホリスティック・メディシン」という概念が整えられつつあると知った。人間を心身一体としてみることを主張し、西洋近代的な医療の対症療法偏重の欠陥を検証して、人間が本来もっている自己免疫力の活性化に着目しているらしい。

 バランスのとれた睡眠、食事、運動をベースに、ボランティア社会活動やいろんな趣味

で精神・感性を高めるなどを、トータルに実践する大切さを説いている。

傘寿の残日をどう生きるか。ゴーギャンの大作の「画題」のことばがアタマをよぎる。

 慌しい現代社会を駆け抜けるように生きた頃は、この人類社会の根源的な問いについて考える余裕はなかったが、傘寿ともなれば、自分なりの答えを求めつつ生きるのも一興。

 年金暮しの自在な時間を得てからの日々の創作・思索・執筆・ボランティア活動では、このゴーギャンの問いを念頭において取り組んできたつもりだ。

「松本文郎のブログ」に長期連載中の『アラブと私』、『文ちゃんの浦安残日録』や《唄い》《描き》《詩文を書く》日々からのメッセージは、「人間とはなにか」「人類社会はどうあるべきか」を私なりに探求した、子や孫たちへ遺言だ。

 やりたいことはたくさんあるが、平均寿命を超えて今を迎えたわが人生に悔いはなく、いつお迎えがきてもたじろぐことはないだろう。

                  

雨のおとが きこえる

  雨がふっていたのだ。

  

  あのおとのように、 そっと世のために

  はたらいていよう。

 

  雨があがるように しずかに死んでゆこう。

 

(八木重吉『雨』)

                                  (了)
2015/02/09 11:28 2015/02/09 11:28
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