アラブと私 イラク3千キロの旅(96)

                          松 本 文 郎 


 
 世界中を震撼させた「イスラム国」メンバーによるフランス「風刺画新聞社襲撃」と日本人二人を含む「人質処刑」を論じるキイワードとして、「自由」「宗教」「民主主義」を挙げた前回を承け、拙論を述べてみたい。
 その中に、第345回「こぶし会」(三十数年続く談話会)で話した『「イスラム国」について』(二○一五年二月二十三日・情報通信エンジニアリング協会ビル)の梗概(項目は左記)の一部も加えたい。
 1.「イスラエル・パレスチナ問題」
 2.過激思想と「テロリズム」
 3.「宗教」「自由」「民主主義」
 4.人類社会と「動的平衡」
 5・日本の立ち位置と安倍政権の行方
 
 前回、イスラエル・パレスチナ問題に関わる体験(杉原千畝夫人の述懐・パレスチナ人オフィスボーイらの証言)を書いたが、「イスラム国」出現のきっかけがブッシュ元大統領政権のイラク侵攻だったとしても、その背景に、第二次世界大戦後に生じた「イスラエル・パレスチナ問題」があることを、しっかり認識する必要があろう。
 パレスチナ・コマンド(ゲリラ)の「テロ」を非難する一方で、国連決議を無視したイスラエルの国家テロ(女性・子供を含む無差別大量虐殺)の非人道的過剰報復の残虐無比を非難しないで「人道的云々」を声高に言うのは、まやかしと言うほかない。
 そもそも、アラブ人とユダヤ人がセム族で同じ系統の民族だと知らない日本人は少なくないが、アラブという名称はセム語のアラバ(大砂漠)に由来し、紀元前二○○○年頃メソポタミアから移住してきたセム系諸族の中、パレスチナの海岸近くに住みついた半農半牧の民がのちのユダヤ人、大砂漠の放牧民がアラブ人と呼ばれた。
 ヤハヴェを信じて団結したユダヤ人には他民族を蔑視する傾向があり、誇り高い砂漠の民アラブ人に反ユダヤの感情が流れたという。
 紀元七○年、ローマ帝国のエルサレム攻撃では、この感情を利用してアラブ人騎兵部隊を参加させたが、パレスチナのユダヤ人を撃破して世界へ四散させた一方で、砂漠に砦を築いて、アラブ人をアラビアの砂漠に押し込めたのである。
 それにしても、ローマの帝国支配のやり口と、第一次世界大戦後の英仏によるアラブ分割(サイクスピコ協定)の欺瞞性の類似に慄然とし、「イスラエル・パレスチナ問題」の歴史の長さと奥深さに茫然となる。
 第二次安倍内閣のスタート時点で菅官房長官が、「この政権がつまずくとすれば、歴史問題だ」と報道陣に述べたのが印象的だったが、中国・韓国との歴史認識問題にとどまらず、数千年におよぶアラブの歴史を学んでいれば、(スピーチ作成黒子も)ネタニヤフ首相と並んだ不用意なスピーチで日本の安全保障を危うくしかねない状況を招かずに済んだのではないか。
 先日、上下院の合同特別議会でオバマ大統領のイラン政策を猛列に批判したネタニヤフ首相演説に大統領が不快感を示したことで、これまで超党派でイスラエルを支持してきた民主・共和両党の支持者やユダヤ系米国人の間に大きな波紋が生じている。
 米国は、一九四八年の建国とその後の中東情勢の様々な変化の中でもイスラエル支持の立場を貫いて、毎年三○億ドルの軍事援助を続けてきた。
 二年後退任のオバマ大統領の外交政策に対して保守派の揶揄が姦しいが、イランの核兵器・開発中止交渉は、イスラエルの安全保障だけでなく、中東和平にとっても重要な意味をもっている。
米国との関係改善をめざしているイラン現政権は、「イスラム国」壊滅の戦闘に加わっており、
一九六九年にOECD技術協力で訪問したイランで米・イの親密な関係を見た筆者は、交渉の行方から目が離せない。

 再び、アラブ人とイスラム教の歴史に戻ろう。
 ユダヤ人を世界へ放逐したローマ帝国によって砂漠へ押し込められたアラブの放牧民は、砂漠では多数の人間を養えず、数世紀ののち、ムハンマドのイスラム教と共に砂漠から四方へと進出して、イスラム(サラセン)帝国を建設した。ムハンマドの没後百数十年を経てバグダッドに帝都を築いたアッバース朝は一二五八年まで命脈を保った。
 イスラム帝国が六百年近く続いたのは、征服した他民族が敵対しないで税を払えば、その宗教や文化を容認して多様性を維持したからとされる。
 以前欧米で、アラビア人が「剣かクルアーンか」の態度で征服した諸国民が争ってイスラムに改宗したと言われたが、いまだに、誤解したままの人が少なくない。なにしろ「宗教」は、人生における最も重要な課題についての信念なので、心から納得しないかぎり、剣をもって迫られても易々と改宗するはずもなく、異教徒への武力征服は数年から数十年で終わっても、帝国内住民がイスラムの真義を理解して改宗までには、数百年もかかった所が多いとされる。イスラム帝国の終焉が十字軍による宗教戦争の結果ではなく、版図奪還だったとみるのが定説になってきたが、「イスラム国」が有志連合を十字軍と規定し、日本が十字軍に参加したと断定したのは、史実をなぞったのか。かつてのイスラム帝国の版図を取り戻すという
「イスラム国」の最高指導者バグダディ(カリフを自任)の宣託は、誇大妄想の極地の観があるが、欧米各国で貧困と差別に苦しんでいるイスラム教徒(アラブ・アフリカ人移民と子弟)にとっては神がユダヤ人に約束したカナンの地(旧約聖書)と同じ意味をもつかもしれない。
「イスラム国」の過激思想とテロリズムに関連して想起されたのは、パレスチナゲリラに参加した「赤軍派」と「オーム教」による「サリン事件」で、両者に共通するのは、容認できない世界や国の状況変革には殺人を含む破壊行為も辞さないという「過激思想」である。
「イスラム国」へ参加する各国の若者には様々な動機があるだろうが、十把一絡げに異常な連中と断じると、赤軍派・オーム教の場合のように事件への対応や事後対策を誤る可能性がある。恐るべきサリン事件を起こしたオーム真理教に帰依した優秀な大学卒業生は、教祖麻原が唱えたミレニアム終末思想を妄信したとされ、その深層心理の解明を試みた某宗教社会学者が、マスコミの袋叩きに遭って沈黙させられたと記憶するが、「イスラム国」をめぐって、また生半可は論議でおわることがあってはなるまい。人々が「イスラム国」出現に戸惑っている今は、「宗教」とはなにかを考え、イスラム教の歴史に関する知見と理解を深める絶好のチャンスだ。 

 先日、オバマ大統領がリードした「イスラム国」対策の国際会議での「若者への教育や啓蒙活動を地域中心に行う」提案は、ブッシュ元大統領の武断的姿勢とは一線を画した。だが、対象の若者がイスラム教徒に限定されるならば、若者の心理を逆なでするオソレがあるのではないか。米国のイラク帰還兵の五人に一人が,残虐極まる戦闘行為でPTSDを患い悲惨な生活に苦しんでいる中には学歴がなく職につけない黒人の若者(戦地でも帰国後もヤク漬け?)が多いとされ、黒人差別が根強い州では、無防備の黒人少年を無造作に射殺した警官が不起訴となって、地域暴動が起きるなども、同根だと思われるからである。
「テロ」と称された事件は古今東西を問わず枚挙にいとまなく、日本の近代では、水戸藩士の桜田門外事件、新撰組による吉田屋・池田屋襲撃事件、二・二六事件を知らない日本人はいないだろう。
 これらの「テロ」は「志」を共有する有志集団によるものだが、フランス革命・ロシア革命・明治維新等の反体制武装集団による革命運動も体制側から見れば「テロ」の範疇に入ると思われる。
「イスラム国」を非難して、極悪非道、残虐無比、言語道断などの言葉がテレビ・新聞報道で連発されているが、欧米列強の植民地支配、日本の朝鮮半島・中国大陸侵出、日本が受けた無差別爆撃、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、東西冷戦下の朝鮮・ベトナム戦争、9・11後のアフガニスタン・イラク侵攻でも、これらの言葉が当てはまる実態があったことを忘れてはなるまい。

「イスラム国」をめぐる報道や論議に、「宗教」「自由」「民主主義」の言葉が飛び交っている。
「イスラム教」という「宗教」については、この連載の各所での記述を参照していただき、ここでは、イスラム教徒が各自の日常生活を律する教典(クルアーン)の規律の一、二を記すにとどめる。
 酒や豚肉の飲食禁止は今でもまだ守られているが、ムハンマド時代の生活環境での賢明な「養生訓」だっただけでなく、欧米社会の豚を含む過剰な肉食やアルコール依存にみる心身の健康障害を予見していたとも言えるのではないか。
 文明が発達し、豊かな暮らしを享受できる現代でも、当時の規範を守っているのは、神の教えを盲信しているというより、その暮らし方を心からよいと想い、感じるからではないか。
 フランスの公立学校で禁止された女性の服装について、いろいろな考え方や受け止め方の議論がある。ムスリム女子学生のスカーフは、「コーラン」の規定にあるのでフランス憲法の政教分離の理念に反するとして禁止されたが、風刺画事件で声高だった偏狭な「自由」の概念と同じく、とても奇異に感じたものだ。
 ムハンマドは、「慎ましい服装をしなさい」と言っているだけで、全身を隠すのか、一部だけにするかは、「慎ましさ」の解釈で変わるものだ。
 全身を隠す「ブルカ」はアフガニスタンの地方的な伝統で、イスラム教普及の前からあった風習というし、フランスの公立学校へ通う女子学生がスカーフを被らないと、「クルアーン」を守る両親が、通学のための外出をさせてくれないという。ちなみに、「女性の勉学は不要で、家にこもっていればよい」とするタリバンの女性抑圧の行為は、ムハンマドの教えにはないとされる。
 不躾かもしれないが、白いスカーフで髪を覆ったナイチンゲールの清楚さや映画「パルムの僧院」の修道女の美しさは、鳥肌が立つほどだったし、クウエイトの海辺を散歩していた若い女性の黒い被り物が風に煽られ、真紅のミニスカートが見えた瞬間のトキメキを鮮明に思い出す。美しい和服の女性が階段を上がるときチラリと見せる足首にドキリとするのも、露出の少ない衣装の方がかえってエロチックな事例である。女性の勉学を認めない男尊女卑の考えも、古今東西の男社会の規範として普遍的に存在してきた。日本も例外でなかったはずで、男女共学や女性の国政選挙権が認められたのは敗戦後の新憲法からである。
 ところで、安倍首相を取り巻く人たちに、戦勝国アメリカから押し付けられた日本国憲法より、大日本帝国憲法の精神に回帰したいと考える人が多いようだが、戦争末期の暗闇から出て、真青な八月十五日の空を仰ぎ見た筆者には、「世迷言」としか思えない。

「自由」はフランス革命が人類社会にもたらした三つの理念の最も重要な一つと考えている私だ。
 その定義が、「他人を害しないすべてをなし得ることに存する」とあるにもかかわらず、「他人が
信じる宗教とその始祖を穢し、傷つける自由」を主張し擁護するフランスの一部の政治家・学者・市民らの「理性」のレベルに、ただ驚いている。
 NHKテレビ番組「WISDOM」《広がる不寛容 多文化は共存できるか》(二月二十八日)の討論に参加した女性学究アラナ・レンティンさんは、表現の自由を言い募る反面で、イスラム教徒の子女の公立学校でのスカーフ着用の自由を法律で禁止したご都合主義について、「いまのフランスには偽善が多い」とった主旨の発言をし、パリ政治学院教授ファブリス・エペルボワンさんも、うなずいていた。
香り高いフランス文化と感性豊かなフランス人を敬愛してきた筆者も、今回の事件で直視させられたムスリム移民への差別や異文化への不寛容さに、失望を感じることしきりである。
「政教分離」の理念は、民衆(市民)を支配してきた王権(法王を政治的に利用)の権力を市民革命で奪い取った歓びを掲げたものだが、キリスト教社会(国家を含む)の政治的儀式で聖書や司教が関わるものは少なくない。(大統領の就任式)
「平等」「友愛」も然りで、この三つの「理念」は、その後、市民社会と国民国家の原理である「民主主義」の土台となった一方で、「理性」を絶対視し、理性に基づけば社会変革のための暴力も正当化しうるとしたことから、自由主義、全体主義、社会主義、共産主義などの諸理念を掲げる統治国家間に、紛争や戦争が連綿とつづいたのである。
 人間の生き方やその社会の在り方に関する社会的・政治的見解である「思想」を掲げ、それぞれの「正義」「大義」を主張して争ってきた人類社会に生まれた「イスラム国」という鬼子と、人類の普遍的「理念」とされる三つの原理「自由」「平等」「友愛」は、どのように関わり合うのか。
  次回も「寄り道」を続けて、人類社会の土台とされる「民主主義」の現実について考察したい。                                                                                     (続く)

2015/03/07 16:53 2015/03/07 16:53
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