文ちゃんがツブヤク!
2015年5月23日(土)
「イスラム国」と安倍政権の行方
「イスラム国」による日本人人質殺害事件の対応を検証する政府の委員会が報告書を出した。報告書は事件を3段階に分けて、「イスラム国」に拘束された湯川・後藤両氏の解放に向け、情報収集や分析に問題がなかったかを検証したとしている。
そのうちで最も重要な第2段階は、犯行グループからのメールに後藤さんの妻が気付いた12月3日から2人の拘束映像が公開された1月20日までの期間と思われる。それは、中東歴訪中の安倍首相が、エジプトのカイロで1月17日、「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度の支援を約束する」と表明したスピーチが「イスラム国」を刺激した可能性があると、国の内外で論議が生じたからである。
報告書はこの点で、テロとの闘いを進める中東諸国に人道支援を表明することが重要との考えに基づいて検討し、問題はなかったと結論づけたが、「松本文郎のブログ」の長期連載《アラブと私》(95)で書いたように、この残虐極まりない事件の発端が安倍首相のスピーチにあったのではないかとみる国民や有識者が、少なくないと感じていた。エジプトやイスラエルでの安倍首相の言動は、「イスラム国」の出現が9.11後のブッシュ政権のイラク侵攻と深く関わっていること、その底流にあるイスラエル建国後のパレスチナ問題の紆余曲折、「アラブの春」後のアラブ諸国の混迷の現状とそれらを植民地支配した欧米諸国のさまざまな思惑などを、しっかり念頭に置いてなされたかを、問われていたと思う。安倍首相が演説したエジプトでは、「アラブの春」の民主革命後の選挙で選ばれたムルシ元大統領(ムスリム同胞団が出身母体)を軍事クーデター(オバマ大統領が非難)で追放したシ-シ元国防相が大統領に就任している。
「アラブの春」のデモ隊に発砲を命じて殺人罪に問われていたムバラク元大統領への審議を無効とした(事実上の無罪判決)シーシ政権下の刑事裁判所は、5月16日、ムルシ元大統領に死刑判決を言い渡した。ムスリム同胞団へのシーシ大統領の締めつけは、これまでも同胞団指導者ら1千人以上に死刑判決が出され、厳しさを増している。
報道によると、この日の判決で死刑になった被告に11年前のエジプトの民主革命前からイスラエルの刑務所で服役中のハマスメンバーも含まれるなど、被告不在のままで死刑が言い渡されるケースも相次ぎ、裁判の正当性について、国際社会からの批判が出ているという。国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、「無効な手続きによるもの」として、ムルシ氏の釈放や再審を求めたと、ロイター通信が伝えた。
検証のための委員会は、杉田和博官房副長官を筆頭に官僚10人のメンバーで進められ、中東や危機管理が専門の有識者5人からも意見を聞いた報告書は、「政府の判断や措置に人質救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」とし、「検証を通じて得られた教訓を生かし、対応の改善に取り組む」としている。
“対応の改善”の具体的な意味は分からないが、ISとメールで解放交渉に当った後藤さんの妻と連携しなかったことや、検証作業で改めて話を聞かなかったことが気にかかる。
首相スピーチの時点で、湯川・後藤両氏がISに拘束されている可能性は「排除されない」と政府は認識していながら、首相が「イスラム国」を名指しした危険性をどのように検証し、問題がなかったと判断した根拠は何なのか。
そもそも、この種の検証委員会のメンバーが官房副長官(委員長)、警察庁、外務・防衛省など事件対応責任官庁の官僚(委員)で構成されたこと自体が、おかしいのではないか。
“検証”は、中立公正、第三者的立場で行われてこそ、信頼に足る分析や検討が可能なのではないか。外部有識者の顔ぶれも、政府の各種政策審議会委員の人選にみる政府寄りの人だけでなく、中東の歴史・外交・政策についてより深い造詣・見識・知見をもつ人たちを選ぶべきであろう。人質事件をめぐるテレビ番組で、首相スピーチが「イスラム国」を不用意に刺激した可能性に言及した有識者は、少なくなかったのだ。
政府自前のような検証委員会は、「政府による判断や措置に人質救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」と結論づけたが、個別の対応の詳細は明らかにされていない。
人質事件への対応は“解放される”ことが第一で、フランスやトルコの人質が解放された“交渉の経緯”情報収集や分析能力に不備はなかったかどうか。捕虜交換や身代金支払いを拒否する米国の方針に追従したからではないか。
湯川氏は戦闘請負会社を設立していたと報じられたが、イラク北部・クルド地区の米国の軍事会社やシーア派民兵(イランで訓練)のように「イスラム国」の敵とみなされて、殺害されたのではないか。解放交渉に日本政府が関わらなかった後藤さんについては、「見殺しにしたのではない」という“検証”の具体的説明責任があるのではなかろうか。
エジプトとイスラエルでの首相スピーチ「極悪非道のISと断固闘う」との強い調子が、二人が殺害された後では、「あくまでも難民救済の人道支援」とトーンダウンしたあたりに、首相の勇み足を懸念する内閣官房スタッフの気配を感じたのである。
安倍首相が米国上下院で大見得を切った「安全保障法制」の国会審議が始ろうとしている。「平和安全法制」のキャッチコピーで、“積極的平和主義”を旗印にした集団的自衛権を行使し、日本と世界の平和と安全のために地球の裏側の戦闘地域の後方支援に弾薬も運ぶというものだが、派兵する自衛隊員に危険があるときは撤兵するという。
安倍首相は、ホルムズ海峡の機雷除去のために自衛隊を派遣することにご執心のようだが、戦闘状態でないときの除去でも、敷設した国が攻撃してくる可能性は大きいのではないか。後方支援で弾薬供給をする自衛隊が攻撃対象になるのも“然り”であろう。危険になったとして戦闘地帯で命がけで戦っている米軍や友軍を置いて撤退するなど、戦争を知らない政治家の“絵空事”ではないか。フセインのイラクのクウェイト侵攻の折、憲法9条を知らないクウエイト人が、“日本は金を出しただけ”と無理解な非難をしたが、安倍政権がやろうとしている自衛隊派遣では、それどころではないブーイングを浴びるだろう。
派兵される自衛隊員の安全をめぐる首相と中谷防衛大臣の答弁の食い違いにみるように、政府内部にチグハグさを抱えたままで、米国に約束した「安全保障法制」の成立を遮二無二押し進める与党に、野党(連合)はどう立ち向かおうとしているのか。この法制成立を阻止できないなら、敗戦後70年間、平和国家として一定の国際的評価を得てきたわが国の“不戦平和主義”に、極めて危うい変化を生じるだろう。小泉元首相の自衛隊イラク派遣では、アラブ諸国の人々にわが国の平和憲法遵守への懐疑を招いたが、中東地域の紛争・戦争に米軍と一心同体で参加する日本のイメージが軍事的な色彩を帯びるのは、わが国の安全保障を脅かすだけではないのか。

2015年5月23日(土)
「イスラム国」と安倍政権の行方
「イスラム国」による日本人人質殺害事件の対応を検証する政府の委員会が報告書を出した。報告書は事件を3段階に分けて、「イスラム国」に拘束された湯川・後藤両氏の解放に向け、情報収集や分析に問題がなかったかを検証したとしている。
そのうちで最も重要な第2段階は、犯行グループからのメールに後藤さんの妻が気付いた12月3日から2人の拘束映像が公開された1月20日までの期間と思われる。それは、中東歴訪中の安倍首相が、エジプトのカイロで1月17日、「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度の支援を約束する」と表明したスピーチが「イスラム国」を刺激した可能性があると、国の内外で論議が生じたからである。
報告書はこの点で、テロとの闘いを進める中東諸国に人道支援を表明することが重要との考えに基づいて検討し、問題はなかったと結論づけたが、「松本文郎のブログ」の長期連載《アラブと私》(95)で書いたように、この残虐極まりない事件の発端が安倍首相のスピーチにあったのではないかとみる国民や有識者が、少なくないと感じていた。エジプトやイスラエルでの安倍首相の言動は、「イスラム国」の出現が9.11後のブッシュ政権のイラク侵攻と深く関わっていること、その底流にあるイスラエル建国後のパレスチナ問題の紆余曲折、「アラブの春」後のアラブ諸国の混迷の現状とそれらを植民地支配した欧米諸国のさまざまな思惑などを、しっかり念頭に置いてなされたかを、問われていたと思う。安倍首相が演説したエジプトでは、「アラブの春」の民主革命後の選挙で選ばれたムルシ元大統領(ムスリム同胞団が出身母体)を軍事クーデター(オバマ大統領が非難)で追放したシ-シ元国防相が大統領に就任している。
「アラブの春」のデモ隊に発砲を命じて殺人罪に問われていたムバラク元大統領への審議を無効とした(事実上の無罪判決)シーシ政権下の刑事裁判所は、5月16日、ムルシ元大統領に死刑判決を言い渡した。ムスリム同胞団へのシーシ大統領の締めつけは、これまでも同胞団指導者ら1千人以上に死刑判決が出され、厳しさを増している。
報道によると、この日の判決で死刑になった被告に11年前のエジプトの民主革命前からイスラエルの刑務所で服役中のハマスメンバーも含まれるなど、被告不在のままで死刑が言い渡されるケースも相次ぎ、裁判の正当性について、国際社会からの批判が出ているという。国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、「無効な手続きによるもの」として、ムルシ氏の釈放や再審を求めたと、ロイター通信が伝えた。
検証のための委員会は、杉田和博官房副長官を筆頭に官僚10人のメンバーで進められ、中東や危機管理が専門の有識者5人からも意見を聞いた報告書は、「政府の判断や措置に人質救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」とし、「検証を通じて得られた教訓を生かし、対応の改善に取り組む」としている。
“対応の改善”の具体的な意味は分からないが、ISとメールで解放交渉に当った後藤さんの妻と連携しなかったことや、検証作業で改めて話を聞かなかったことが気にかかる。
首相スピーチの時点で、湯川・後藤両氏がISに拘束されている可能性は「排除されない」と政府は認識していながら、首相が「イスラム国」を名指しした危険性をどのように検証し、問題がなかったと判断した根拠は何なのか。
そもそも、この種の検証委員会のメンバーが官房副長官(委員長)、警察庁、外務・防衛省など事件対応責任官庁の官僚(委員)で構成されたこと自体が、おかしいのではないか。
“検証”は、中立公正、第三者的立場で行われてこそ、信頼に足る分析や検討が可能なのではないか。外部有識者の顔ぶれも、政府の各種政策審議会委員の人選にみる政府寄りの人だけでなく、中東の歴史・外交・政策についてより深い造詣・見識・知見をもつ人たちを選ぶべきであろう。人質事件をめぐるテレビ番組で、首相スピーチが「イスラム国」を不用意に刺激した可能性に言及した有識者は、少なくなかったのだ。
政府自前のような検証委員会は、「政府による判断や措置に人質救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」と結論づけたが、個別の対応の詳細は明らかにされていない。
人質事件への対応は“解放される”ことが第一で、フランスやトルコの人質が解放された“交渉の経緯”情報収集や分析能力に不備はなかったかどうか。捕虜交換や身代金支払いを拒否する米国の方針に追従したからではないか。
湯川氏は戦闘請負会社を設立していたと報じられたが、イラク北部・クルド地区の米国の軍事会社やシーア派民兵(イランで訓練)のように「イスラム国」の敵とみなされて、殺害されたのではないか。解放交渉に日本政府が関わらなかった後藤さんについては、「見殺しにしたのではない」という“検証”の具体的説明責任があるのではなかろうか。
エジプトとイスラエルでの首相スピーチ「極悪非道のISと断固闘う」との強い調子が、二人が殺害された後では、「あくまでも難民救済の人道支援」とトーンダウンしたあたりに、首相の勇み足を懸念する内閣官房スタッフの気配を感じたのである。
安倍首相が米国上下院で大見得を切った「安全保障法制」の国会審議が始ろうとしている。「平和安全法制」のキャッチコピーで、“積極的平和主義”を旗印にした集団的自衛権を行使し、日本と世界の平和と安全のために地球の裏側の戦闘地域の後方支援に弾薬も運ぶというものだが、派兵する自衛隊員に危険があるときは撤兵するという。
安倍首相は、ホルムズ海峡の機雷除去のために自衛隊を派遣することにご執心のようだが、戦闘状態でないときの除去でも、敷設した国が攻撃してくる可能性は大きいのではないか。後方支援で弾薬供給をする自衛隊が攻撃対象になるのも“然り”であろう。危険になったとして戦闘地帯で命がけで戦っている米軍や友軍を置いて撤退するなど、戦争を知らない政治家の“絵空事”ではないか。フセインのイラクのクウェイト侵攻の折、憲法9条を知らないクウエイト人が、“日本は金を出しただけ”と無理解な非難をしたが、安倍政権がやろうとしている自衛隊派遣では、それどころではないブーイングを浴びるだろう。
派兵される自衛隊員の安全をめぐる首相と中谷防衛大臣の答弁の食い違いにみるように、政府内部にチグハグさを抱えたままで、米国に約束した「安全保障法制」の成立を遮二無二押し進める与党に、野党(連合)はどう立ち向かおうとしているのか。この法制成立を阻止できないなら、敗戦後70年間、平和国家として一定の国際的評価を得てきたわが国の“不戦平和主義”に、極めて危うい変化を生じるだろう。小泉元首相の自衛隊イラク派遣では、アラブ諸国の人々にわが国の平和憲法遵守への懐疑を招いたが、中東地域の紛争・戦争に米軍と一心同体で参加する日本のイメージが軍事的な色彩を帯びるのは、わが国の安全保障を脅かすだけではないのか。

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