文ちゃんがツブヤク!
1215年9月7日(月)
続「安保法制」反対の高まり
参院で審議中の安保関連法案反対の12万人市民デモが、30日の小雨の中、国会議事堂前や周辺(霞が関・日比谷)で繰り広げられた。「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」が主催し、都内大学生がつくる「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)、「学者の会」(大学教授・研究者)、「安保関連法案に反対するママの会」(子育て世代の母親)など諸団体が加わったと報じられ、抗議やデモは、北海道、名古屋、大阪、福岡、沖縄など全国の約3500カ所に及んだとされる。
前回の拙文で、数を恃む自公与党による法案成立を阻止するため、日本列島の各地で法案反対運動が高まり、結集した野党勢力が世論を動かす国会審議を執拗に展開することを期待したので、「続」を書いて、反対市民運動の片隅で参加したい。
主催した「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」は、60年安保闘争に参加した中高年の人たち(当時は高校生)を中心に、毎木曜に議員会館前で抗議集会を続けている市民平和運動で、野党国会議員や弁護士らも加わり毎週数千人が集まるという。(筆者に、学友や建築家仲間から参加したとのメールがきている)
60年安保闘争では約30万人のデモ隊が雨の降りしきる国会を取り巻いたが、京大生時代はノンポリで通した私(昭和32年、電電公社(建築局)の入社試験・局長面接で支持政党を訊ねられて社会党と答え、A採用(幹部候補)で合格)もデモの群衆の中にいた。大学に入った28年に朝鮮戦争は終わったが、(戦争特需景気に沸いた関連産業界に、再軍備を画策する動きがあったことは前回触れた)戦争終結後の経済不況がつづく32年は大学卒の就職難時代で、同期の学友に多くの各大学名誉教授たちがいる。
岸信介首相の安保改定では在日米軍が日本を守る義務がない片務性を改める名分が唱えられた。だが、朝鮮戦争でみた東西冷戦の緊張した国際情勢の下(60年末、ベトナム戦争が勃発)、米軍基地のある日本が再び戦火に巻き込まれることを恐れた国民の改定反対運動が急速に高まったのである。
1959~60年と1970年の二度に及ぶ日米安全保障条約への国民的反対運動では、国会議員・労働者・学生・市民と国内左翼勢力が参加し、史上空前の反政府・反米運動の大規模デモがあった。
入社して2年経った頃、岸内閣の安保改定をめぐる論議が緊迫度を増し、建築局設計課内でも安閑としておれない雰囲気があり、全電通・本社支部建築分会組合員の私は、分会の先輩の誘いで、「時局問題学習会」なるものに参加したことがあった。
翌日、資材局長Y氏(福山出身で結婚したばかりの妻の就職で世話になった人)から呼ばれて局長室へ行くと、「松本君。キミはなぜあのような会へ参加したのかね。結婚したての身の将来をよく考えて行動することだ」と諭されたのである。会の参加者名が公安から職員局の関係部署に届けられたことに、私は言いしれぬ恐怖を覚えた。
「安保闘争」では、過激学生らが中心の放火(火炎瓶ん)・傷害・器物損壊(鉄パイプ)も生じたので、自民党などの政権側からは「安保騒動」と呼ばれている。麻生太郎副総理が、「60・70年安保騒動に比べ、今回はたいしたことはない」と言ったとされるが、自派二年生議員の暴言といい、政権とは異なる政策主張の抗議・デモを軽視し、国民主権をないがしろにするものではないか。
60年安保での岸内閣は、国会強行採決の混乱の責任で、総辞職に追い込まれたが、70年安保では、左翼陣営の分裂や暴力的な闘争・抗争が激化し、反対運動は大衆や知識人の支持を失っていった。
浅間山荘立て籠もり事件や大学共闘時代の騒乱なども災いし、高度経済成長の象徴だった大阪万博を契機に、若者の社会運動参加は急速に退潮した。
筆者が「大阪万博でんでんパビリオン」基本構想策定に参加して2年後、「NTTクウェイトコンサルタント」業務でアラブ在勤(4年間・家族同伴)をした経緯は、長期連載『アラブと私』でも触れた。
70年安保闘争で挫折した赤軍派一味が各地でパレスチナコマンドを自称したハイジャック・銃撃事件は、日本及び欧米諸国の顰蹙をかったものの、コンサルタント事務所で働くパレスチナ・ヨルダン人(ドライバー・オフィスボーイ)からは称賛されて対応に苦慮したものだ。
日本赤軍とPFLPによる在クウェイト日本大使館占拠事件では、我われコンサルタントが構築した情報通信システムによる日本本国とゲリラグループの交渉が支障なく進み、大使・館員の殺害・致傷が回避されて事が運び、日本人一同はホッとした。
あれから約40年(2010~12年)後に生じた「アラブの春」は、長年続いた軍事独裁政権への前例のない大規模な反政府デモを主とした若者たち中心の抗議活動だった。発端となったチュニジアの「ジャスミン革命」は、アッという間にアラブ諸国へと波及していった。
ケイタイを介したSNS(ツイッターやフェイスブック)で盛り上がった現政府打倒の抗議活動は、安保反対闘争の若者たちが夢想もしなかった新しいスタイルで、インターネット時代の「光」の側面を感じた。
クウェイト国の情報通信近代化のコンサルタントの一翼を担った私は、「アラブの春」の到来をずっと待ち続けていたが、政権打倒後の民主化運動の翳りと混迷を目にして、今後の推移に注目している。
70年安保・大学共闘の挫折からか、表立っては鳴りを潜めていたような日本の学生たちが、「アラブの春」への連帯的共感を表明したのか、マスコミが報じたかを知らなかった筆者は、イラク戦争反対の若者グループが、仮装して音楽に合わせて練り歩いたパレードやインターネットで参加の呼びかけをし、反原発や「特定秘密保護法案」への反対世論の盛り上がりと共に彼らの運動が脚光を浴びたのが、「安保法制」反対デモの中心の「SEALDs」に繋がると知り、日本の行く末への深い懸念は弱まった。
大阪梅田駅での女子学生の反対アピールがすごい勢いでインターネット・シェアされたと同じように、「SEALDs」の「民主主義って何だ?」という彼らのラップ調の声がツイッターなどで急速に拡散しているという。
デモに参加した都内の大学院女学生は「まだ学生で、国会前で声を上げるのにためらいがあったが、SEALDsの後押しで安保法案への疑問の声を上げていいと実感した」とインタビューで話した。
大半が自発的市民参加の今回のデモは、労働組合による動員が多かったかつてと比べ、やわらかさとのびやかさを感じるが、参加者の大合唱に包まれた大規模デモが、ひとときの煌めきで終わることなく、日常や選挙を通じた政治参加につながるよう願う。
中咽頭がん治療の休養から復帰したばかりの坂本龍一さんも、「現状に絶望していたが、若者たち、主に女性が発言するのを見て、希望があると思った」と、国会前で声をふり絞り、「民主主義や憲法が壊される崖っぷちになって、日本人に主権者や憲法の精神が根づいていると示された。憲法は自分たちの命をかけて闘いとったものではなかったかもしれないが、今まさにそれをやろうとしている。ぼくも一緒に行動していきます」と語ったと報じられた。
確かに、自分の命をかけた「憲法」とは言えない私たちだが、大日本帝国憲法の下での無謀な戦争で命を落とした3百10万人の日本人と2千万人を超えるアジアの人々がいて手にできた「平和主義憲法」であると、肝に銘じなければならないと想う。
安倍晋三首相の唱える「戦後レジームからの脱却」の背景に日本国憲法が占領軍に押し付けた屈辱的なモノとする心情があるようだが、GHQ「憲法草案」作成で、敬愛する偉大な教育者・森戸辰男が同志と組織した「憲法研究会」(1945年秋)作成・公表の「憲法草案要綱」が採用された事実がある。
森戸辰男(明治21年生・戦前は「危険思想」のかどで同僚大内兵衛(当時・東大経済学部助教授)と共に起訴(朝憲紊乱罪)され入獄、その後、大原社会問題研究所で社会科学研究・労働者教育に従事)は、天野貞祐らと「教育基本法原案」の骨組み作成にも携わり、1947年には、片山内閣・芦田内閣の文部大臣に就任して、学校義務教育の6・3制度など、敗戦後日本の教育改革に多大の貢献をした。
森戸が郷土福山に創立した(昭和21年)広大付属福山校(中高一貫)の第1期生で入学した私に、旧陸軍兵舎の学び舎で森戸の日本復興の教育理念の薫陶を受けた若い教師・教生に教えられた「平和とデモクラシー」の精神が(戦時の悪夢が消えた少年に)確かに根づいた今がある。
最初のクラス担任・平田正先生(社会科、戦争中は隠れリベラル、80代で福山老人大学学長)からは、「基本的人権」と「自由な社会」の大切さを叩き込まれ、憲法前文の理想と「憲法九条」が、平和な日本復興の礎になると諭された。
第2章「戦争の放棄」(第九条)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(第2項)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
安倍首相と側近・支持者が声高に言い募る「戦後レジームからの脱却」とは、灰燼に帰した敗戦日本の惨状から立ち上がった日本人が拠りどころとした「新憲法」の「平和とデモクラシー」を真っ向から否定し、これからの世界の潮流を解さない時代錯誤の観念論ではないか。
自民党に投票して第2次安倍政権をもたらした人たちがみんな「安保関連法案」を支持しているわけではなく、アベノミクスによる景気低迷からの脱却に期待したのではないかと思われるが、憲法九条については、「理想に過ぎない」「現実の脅威には無力だ」という考えの人たちでもある。
「憲法九条」がGHQの日本再軍備への足枷だったとしても、「国際平和の希求」は、二度と戦争をしたくない日本人の痛切な願いであり、第1次大戦後の「パリ不戦条約」の精神を受け継ぐものとして世界の人々の共感をかち得てきたのである。
朝鮮戦争の時「憲法九条」を変えようとした米国にたて突いたのは吉田茂政権であり、日本人自らが「憲法九条」の保持を選んだのだ。
戦後レジームの歴代の保守政権が憲法改正を窺いながら今日まで果たせなかったのは、平和憲法保持を求める大多数の国民の信任を失うことを恐れたからにほかならない。
戦争の非人間性を体験し、その真実を学んだ日本人の戦争忌避の想いは魂に至るほど根深く、無意識的なものになっているのではなかろうか。
安倍政権が米国と一緒に戦争する気があるのなら、危うい憲法解釈でなく、「憲法九条」そのものを変えるべきだが、変えようとする政権・政党は、国民から見放されるであろう。
安倍政権は、「積極的平和主義」を掲げ、戦後日本の安全保障政策の大転換に突き進んでいるが、そもそも、「日本国憲法前文」の末尾に書かれている文言「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」こそが、めざすべき「積極的平和」なのではないか。
(前文の抜粋)
(前略)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(後略)
「松本文郎のブログ」をよく読んでくれる後輩建築家の持論は、「平和を愛する諸国民」や「彼らの公正と信義に信頼して・・・」なんて念仏を唱えるのはどだいオプティミストにすぎると言うのだが、おそらく、「パリ不戦条約」にもかかわらず第2次大戦が起きたこと、条約の精神を受け継ぐ国際連合憲章の「第2条」の「武力行使の慎戒」協定が、頻発する紛争や戦争を世界から無くせていない事実に苛立っているのだろうと愚考する。
でも前文の精神は、何もせずに、国際社会の公正と信義に私たちの安全と生存を託す「消極的平和主義」ではなくて、国際社会で平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める名誉ある地位をめざし、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有するよう、戦争の教訓から得た「不戦平和」を世界の普遍的価値として、その達成に努めることを誓ったと解釈するのが妥当ではないか。
それは正に、かつての欧米列強による専制と隷従、圧迫と偏狭がもたらした恐怖と欠乏の帰結としてのアラブ諸国の苦難の現実と「IS」出現に対して、私たちが何をすべきかを示唆しているのである。
安保関連法案は、中国や北朝鮮からの脅威にそなえるための抑止力を高めるものと言うが、米国と共に集団的自衛権を行使するようになれば、中国はさらに軍備を強化すると思われる。
中国脅威論をかざし、法案成立に我武者羅な安倍首相の「70年談話」への内外の毀誉褒貶はあるが、各方面への妥協の産物のあいまいさはあるものの、懸念された中韓の反発を招かなかったのは、よしとしたい。中国を敵視していないオバマ政権もホッとしただろう。
北京「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」記念式典での習近平国家主席の演説は、平和発展をめざす立場を強調し、中国軍兵力の30万削減を表明。「中国は、永遠に派遣を唱えず、拡張を図らず、自らが経験した悲惨な経験をほかの民族に押しつけることはしない」と訴えたという。
祈念式典に参加した朴槿恵韓国大統領の外交土産とされる日中韓首脳会談開催を、今後の東北アジアの安定に有意なものにできるかどうか、安倍政権の近隣外交の行方を見守りたい。
(9月4日)
タイトル:(反対・賛成)の前に真実を知ろう
●日本の全ての人に見ていただきたい動画があります。
国会質疑では、(憲法違反かどうか)ということばかりに焦点が行っていて、現実問題としての尖閣・沖縄・日本の安全、そして中国の驚異について国民は知らされていません。
(反対・賛成)を言う前に、私達には知っておくべきことがあります。
平成27年8月13日木曜日に放送された『沖縄の声』。 8月6日に名護市民会館にて、誰よりも中国を知る評論家・中国四川省出身の石平先生(2007年に日本国籍を取得)による「沖縄に迫る中国の脅」をテーマとした講演会が行なわれ、会場には約500人の参加者が集まりました。 その講演会の模様をご覧ください。
動画
↓
チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」
https://www.youtube.com/watch?v=SccJBeR0iJk
[ https://www.youtube.com/watch?v=SccJBeR0iJk ]