アラブと私

イラク3千キロの旅(104)

 

」前回(103末尾のレジュメ(63)のアウン・サン・スーチー関連記事(2012年6月)のように、最近(2015~6年)の状況変化に対応してレジュメ(原文抄録)が長くなります。

 

63残64)オランダの植民地インドネシアへ侵攻した日本軍司令官・今村均から要請を受けたスカルノら民族主義者(オランダの囚われから解放された)は、独立の民衆総力結集運動を組織。日本軍に協力しオランダ軍・連合軍と戦った。日本敗戦2日後、スカルノはインドネシア国民の名で独立を宣言。オランダは、イギリス・オーストラリアの協力をえて軍隊を派遣して再植民地化に乗り出したが、インドネシア独立の武装勢力が日本軍の放置武器と元日本軍将校らの支援を得たゲリラに苦戦した上、オランダへの国際的非難もあって、ハーグ条約締結の紛争解決でインドネシアへの主権移譲を余儀なくした。

 大統領に就任したスカルノは、第1回アジア・アフリカ会議をバンドンで開催して、インド・フィリピン・中国などの新興独立国のリーダーの1人として脚光を浴びた。

 冷戦下でのスカルノ政治のキーワードは、「ナサコム」(ナショナリズム・宗教・共産主義から造語)で、国内のさまざまな対立勢力の団結を訴える調停者として、インドネシア共産党と国軍との拮抗状況を巧みに利用したが、「反植民地主義」「反帝国主義」を掲げてソ連・中国・北朝鮮へ接近したスカルノを危険視した米国(「ドミノ理論」)は、CIAによるスカルノ失脚を画策したという。

 スカルノは急速な戦後復興をみせていた日本と経済開発中心の親密関係を選択。日本政府開発援助に呼応した商社活動が始まり、1人の若い女性(「日東貿易」の秘書)がスカルノのもとへ送り込まれて数年後に第3夫人となったのが、デヴィさんだ。赤坂の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」で働いていた彼女をスカルノに紹介した人物は戦時の外務省情報部の下で「児玉機関」を運営した「昭和のフィクアー」児玉誉士夫とされる。彼女は、コーポレイト・クラシーの常套的手段(統治権力者への有効な処方)の1つの「女」だったのか。

 欧米諸国との険悪関係から食糧不足とインフレ悪化が進行する経済状況下のスカルノは、日本の資金援助を非常に重視したにちがいない。デヴィ夫人は、ODAや日本への資源輸出に積極的にかかわり、スカルノと池田勇人首相を繋ぐ仲介役を務めたとされるが、このシンデレラ物語は1965年の軍事クーデター(スハルトら右派軍人による)で終わりを迎えた。

クーデター後のデヴィ夫人(「東洋の真珠」と称され、社交界の華として多くの要人を魅了、交友を得ていた)を、日本政府・企業財閥が援護することはなかったというから、パーキンスらの画策と大同小異だったのか。

65前半)A級戦犯容疑をCIAへの協力でのがれて戦後政治の黒幕で暗躍した児玉誉士夫は、岸信介・椎名悦三郎らと創設の「日韓協力委員会」で韓国利権に関与(財界の鞍馬天狗の綽名をもつ瀬島龍三も)について記述。児玉・瀬島らが果たした役割は、パーキンスらのコーポレイト・クラシーと重なるのではないか。

 児玉に関して興味深い資料(2007年に機密解除・公開された米国公文書館保管「CIA対日工作機密文書」)に、「児玉はプロのウソつきで悪党・ペテン師・大泥棒だが、情報工作の能力は全くなく、金儲け以外に関心はない」と書かれているのは手厳しい。

60年安保闘争の拡大阻止を命じた岸首相に、ヤクザ・右翼を使う世話役を任された児玉は、これら暴力組織・政治家らに繋がる「力」と、表裏の資金源(「児玉機関」が管理していた旧海軍秘密資金・時価3750億円も)からの「金」で、日本で最も影響力をもつ政財界の黒幕大物と呼ばれた。

65後半)1979年の「イスラム革命」と、その後浮上したイラン核開発疑惑について抄録。

「イスラム革命」は、コーポレイト・クラシーに操られたイラン近代化(資本主義経済成長)で、石油会社と腐敗した関係にあるパーレビ国王一族と一握りの実業家だけが利益の恩恵を受け、イスラム世界が汚されるのを憎み、阻止した革命。

 西欧化政策をとったパーレビ王政の脱イスラム化でチャドル着用を後進性の象徴として禁止したことに国民の不満・反発が高まっていたが、王政打倒後はイスラム法でチャドル着用を義務化。

 イラン国電気通信研究所・建築計画の技術指導の筆者がテヘランに滞在した1969年の状況は、タクシー運転手は秘密警察なので王政批判は禁句。夜の街には、性の享楽場所、酒が飲めるディスコクラブ、歌謡ショーが楽しめるキャバレー等があった。「イスラム革命」では、中国文化大革命のような激変が生じたのだ。

(65)を書いた2012年のイランは、核開発疑惑に対する米国主導の国際的経済制裁が課せられていたが、敗戦後まもなくの友好関係で制裁に柔軟な態度だった日本も、米国の強硬姿勢に追従せざるをえなくなった。

当時のイランの国際的イメージは反米・イスラエルで西洋的な価値観を全面的に否定する頑迷な印象だったが、革命9ケ月後のアメリカ大使館占拠事件と9・11後のブッシュの「悪の枢軸」糾弾とで、印象がステレオタイプ化したようだ。

 元毎日新聞テヘラン支局長(2005~8年)が、大使館占拠の首謀者(学生)の話を『イランはこれからどうなるか』に書いているので再録。「革命によりパーレビ王政は崩壊しましたが、国外に逃れた国王をアメリカが受け入れたのです。国王はアメリカを後ろ盾に強権を振るいつづけた人物です。アメリカは国王を利用して反革命を企てる危険があったので、それを防ぐのが(反革命の拠点とみられた)アメリカ大使館を占拠した最大の目的でした」

 同著では、革命直後に発足したリベラル派主体のバザルガン暫定内閣の外相が、「国王の入国を認めれば、イランの反米路線を決定づけるパンドラの箱を開けることになる」と米国側に警告したとも記されている。時のカーター政権は人道的な配慮で国王を受け入れたようだが、占拠した学生グループが押収・公開した機密文書で、米国大使館がスパイの巣だったことを訴えたとある。

 イランの革命は「西(資本主義)でも東(社会主義)でもなく」を理念としており、革命直後は反米一辺倒ではなかったが、革命成功で亡命先のフランスから急きょ帰国したホメイニ師は、第2次大戦中からパーレビ国王の独裁的は西欧化政策に不満を表明。白色革命(1963年)の諸政策にひそむ国王の性格を非難して抵抗運動を呼びかけて逮捕され、釈放後、彼を恐れた国王から国外追放を受けて亡命していた。

 白色革命の政策は、英米・日本への石油輸出の豊富な外貨収入による工業化を中心に据え、西欧的な世俗化だけでなく、イランの内情や国民生活を顧みない急激な改革で貧富の格差が増大。これに反発した国民の抵抗運動のシンボル的存在が、ホメイニ師だった。

 ホメイニ師はソ連嫌いで反共産主義者だったとされ、対米政策では「良くもなく、悪くもなく」で、革命後は米国との国交断絶をせず、大使館も閉鎖されなかったが、リベラル派のバガルザン暫定内閣が占拠事件に反発して総辞職してからのイランにとって、「諸悪の根源はアメリカ」に集約されていった。

 バザルガン暫定内閣の副首相だった人物は、「国王はアメリカの操り人形となって、アメリカから『ペルシャ湾の警察官』に任じられ、大量の米国製武器を購入して石油収入を浪費しました。さらに秘密警察を創設して国民を抑圧しました。こうしたことが革命への導火線になったのです」と語っている。

 国王が「操り人形」だったかには異論もあり、国王がアメリカを利用していたとの指摘もある。

誇り高いとされるペルシャ人国王の性格を考えると、その両方だったのかもしれない。

 国王の側近ドク(「エコノミック・ヒット・マン」の登場人物)に、鼻を削ぐ酷い拷問を課した独裁者のパーレビ国王は、CIA顔負けのしたたか者とも考えられる。

66)海外出張先のイランとイラクでCIAの暗躍を知ったに過ぎない筆者が、この種の国家情報機関について特に関心をもっているわけではないが、敗戦後の占領下で起きた下山・三鷹・松川事件の「国鉄三大ミステリー事件」の下山事件では、国鉄総裁下山氏の怪死事件の背後に米軍防諜局(CIC)の関与を指摘する論調があったのを、おぼろげに憶えている。

第2次世界大戦後の東西冷戦下の朝鮮戦争に日本をまきこむ「占領政策の逆コース化」の時期に、「国鉄三大ミステリー事件」は起きている。

松川事件では、ドッジラインによる緊縮財政下の大量人員整理に反対した日本共産党の影響下の国鉄と東芝松川工場の労働組合員の共同謀議による犯行との見込み捜査が行なわれたとされる。

昭和25年の第1審で20人の被告全員が有罪(うち死刑5人)だったのが、昭和28年の第2審では17人(4人)となり、裁判が進むにつれて被告らの無罪が明かるみに出て全員が無罪となり、最後は未解決事件とされた。

 他方、国粋的右翼活動家や大陸から帰国した元軍人らによる祖国赤化防止の反共運動もあった。

高名な政財界人や「日本の黒幕」・児玉誉士夫らが、CIAと関わりがあったことは前述した。

 松川事件の第1審は朝鮮戦争が始まった年で第2審は終結の年だったが、広津和郎が中央公論で「無罪論」を展開したのがきっかけとなって、多くの著名人が支援活動に参加し、世論の関心を高めたことも記憶にある。その作家・知識人には、宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、坪井栄などの錚々たる名前がある。

 

そろそろモースルの旅の場面に戻って、古代イラク・ニネヴェ遺跡のことなどを書こうとした矢先、九月に大統領選挙を迎えるオバマ大統領が、内戦化したシリア情勢の打開に向け、反体制派支援の非軍事的関与をCIAに命じたとロイター通信が報じた。

先に、『イランはこれからどうなるのか』を紹介したが、イランでの長年に及ぶCIA活動が、反米的運動とイスラム原理主義の政権を生み、アサド政権と組んで反イスラエル的な動きをしているなかでオバマ大統領がCIAに極秘指令を出したことに驚く。

ジョン・パーキンスが言っているように、経済的な国家侵略でのCIAの出番は減っていても、他国の政権移行への介入にその謀略活動が欠かせないとみえる。

 

「アラブの春」の行方は長期独裁政権が崩壊した国々のこれからの民主化の進展にかかっており、アサド政権の傍若無人な民衆殺戮が止まぬシリアを巡る欧米諸国とロシア・中国の対立に、東西冷戦の幻影を見る思いがする。

 8月4日の朝日(朝刊)は国連とアラブ連盟のシリア担当合同特使・アナン前国連事務総長の突然の辞任表明を報じた。アナン氏支持を打ち出しながら内部対立に終始し有効な手立てを講じられなかった安全保障理事会への抗議という。

 アサド政権軍と反体制派の戦闘が続くシリア北部アレッポの住民が隣国トルコへ脱出する一方で、自宅から身動きできず食料が不足して人命が危険に晒されている状況に対して、アナン氏は、「どのようにシリアを救うべきか、去り行く私の助言」(フィナンシャルタイムズ電子版掲載)で、

アサド大統領の退陣なしに内戦を沈静化するのは困難としている。

 シリアでは2011年3月の非暴力的な反政府デモが武力紛争に発展し、これまでに1万9千人以上の犠牲者が出たとされ、イスラエルと長年対峙して中東和平のカギを握ってきたシリアの行方に世界各国が重大な関心を寄せている。

 シリアへの経済制裁を主張する欧米にロシア・中国が異を唱え、安保理がアサド退陣への有効な手立てを立てられずにきたが、欧米、ロシア、中国のそれぞれの立場と思惑は複雑にみえる。

 反アサド政権で結束するサウジアラビアやカタールなどアラブ諸国は、住宅地で重火器を使用しているアサド政権非難決議案を国連総会に提出するが、採択されても加盟国への法的拘束力はない。

 1日のロイター通信などに、オバマ大統領は、アサド政権の退陣に向けて反体制派が必要な支援を提供するようCIA(米中央情報局)に極秘の指令を出したとある。ただ、米政府による反体制派への武器供与には、「武器を増やしても平和的な政権移行は実現できない」と否定的で、反体制への武器供与はカタールやサウジアラビアによる銃器に限られているという。

 アナン氏の唐突な辞任表明は、シリアに派遣されている国連停戦監視団の存在意義を揺るがせ、19日までに任期延長を決めた安保理で拒否権を持つ米仏は、撤退を明言するようになった。

 アサド政権へ戦闘へリなどの武器提供を続けているロシアのプーチン大統領にとって、シリア国民の人権や生命の危険より、中東のヘソとなったシリアを欧米の意のままにさせるわけにいかないのだろう。

 米国の政治経済に絶大な影響力を持つユダヤ人にとってイランとシリアの緊密関係は最大関心事だろうが、イスラエルはイラクとシリアの原発を不意打ち空爆で破壊した前歴があり、イランで同じことを実行する構えもみせている。オバマ政権は懸命にその自制を促してきたが、シリアの反体制派支援で、どんな動きをCIAに求めているのだろうか。

 国連は内戦状態にある国の民衆の自由と生命を守る役割を果たすべきだが、安保理事会が拒否権発動で機能せず、総会の決議も法的拘束力がないとなれば、欧米・ロシア・中国・アラブ諸国の思惑が入り乱れるなかで、多くの死傷者・難民に救いの手は届かない。

 自由と民主主義を錦の御旗に侵攻したブッシュ政権は、フセインの統治下でそれなりに暮らしていたイラク国民に国家分裂の危機を与えただけでさっさと引き上げてしまった。 

原稿締切りの8月5日(2012年)の午前中にここまで書き、浦安市立中央図書館の「図書館講演会」に出かけた。『震災後の今、考えなければならないこと』と題した池澤夏樹氏の2時間講演の内容は、震災後の早い時期に現地入りした池澤さんが、知人と共にしたボランティア活動の得難い支援体験のエピソードと震災前から感じていた「人間が制御できない原子力と脱原発」の想いから、ブッシュ政権のイラク侵攻への憤りまでの幅広いものだった。

 池澤さんが演題からは横道とも思えるイラク侵攻に言及したのは、福島第1原発事故が、原子力村と揶揄される、「政・財・官・学」の閉鎖空間で取り返しのつかない大きな間違いを犯したと同じように、世界の警察を自認する米国統治者と側近グループがホワイトハウスの密室で、国連を離れた単独行動を決めて、平和だったイラク国民の生活をメチャメチャにしたことへの憤りからと受けとめ、大いに共感した。

66末尾)カレンさん(浦安在住・米国女性で筆者に『国境のない男』(カール・ヴォネガット)を推奨)と「九条の会浦安」事務局長の矢野英典さん(この連載執筆を勧めた人)を自宅に招いて歓談したことを記した。

                                   (了)

添付画像

2016/01/12 17:11 2016/01/12 17:11
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