文ちゃんがツブヤク!
2016年7月12日(火)
差別と格差
「自由と民主主義」の旗印を掲げて世界の警察官を演じてきた米国で、警官による黒人差別とみられる射殺事件が立て続けに起きた。またかの感が大きい。
二つの事件への市民の抗議デモは全米に広がり、ダラスでも数百人のデモがあった中で、警備の警察官12人が狙撃され、5人が死亡、7人が負傷した。
黒人の容疑者はアフガニスタンからの元帰還兵。現場はケネディー大統領狙撃事件のビルから数ブロックの所で、黒人男性が相次いで射殺された事件への怒りと、「白人警察官を殺したい」との趣旨を表明していたという。
米国では銃による無差別殺人が後を絶たないが、容疑者にベトナム・アフガニスタン・イラクの戦場で心を病んだ元帰還兵が少なくないとされる。人口よりも銃の数が多い「銃社会」では、こうした悲劇が起こるたびに銃器の販売が増えるそうだ。
次期大統領候補トランプ氏は演説会で、銃の日常携行を推奨したが、まさか西部劇の時代に戻ろうというのではあるまい。オバマ大統領の「銃規制」の訴えに保守政治家や銃器関連業界の反対は根強く、銃保有は憲法で保障されている権利だと主張している。
その根拠は、「アメリカ独立宣言」(1776年)に書かれている人民の権利(人間が生まれながらにして有する自由かつ平等な権利と、これを侵害する国家に抵抗する革命権)を守るために銃器保持が認められているということらしい。
「自由と民主主義」の正義感を振りかざして他国へ軍事介入してきた米国は、この暴力革命的と言える思想を、他国にまで援用したのだろうか。
だが、独裁軍事政権の人権状況を非難しての独善的な侵攻は、当該国民の曲がりなりにも平和だった家族の暮らしを滅茶苦茶にしたのだ。(米英両国によるイラク侵攻の結果、「IS」が生じたことは定説となり、EU離脱騒ぎの英国でブレア元首相が国民からの非難を浴びている)
ところで、民主主義の基本原理「米国独立宣言」は、「フランス人権宣言」(1789年)の模範とされたが、起草委員ベンジャミン・フランクリンは、「人間とはまことに都合のいいもので、したいと思うことなら何にだって理由を見つけ、理屈をつける」と警句を吐いている。
リンカーンがゲティスバーグ演説(1863年)で高らかに宣言した「人民の、人民による、人民のための政治」を、マッカーサーがGHQの憲法草案前文に織り込んだとされるが、占領軍の押しつけというよりも、明治維新後の「自由民権思想」などの、日本人自らが希求してきた近代政治の理念だったのではないか。
独立宣言から240年を経た米国社会で、黒人への理不尽な射殺事件や大統領候補トランプ氏の過激な人種差別発言が、かつてない混迷ぶりをみせつけているが、米国の「自由と民主主義」にみる欺瞞的な部分に、人種のるつぼの米国人(特に若い世代)が、いかにどう向き合い、真の「自由と民主主義」への復元力を発揮するかを見守りたい。
若者たちといえば、フランス人権宣言の前触れといわれるジャン=ジャック・ルソーの『エミール』に、「名誉・権力・富・名声といった社会的な評価から自分を測るのではなく、その基準を自分の中にもち、自分の必要な幸福を自ら判断して“自分のために”生きられるように育てる。そして、互いの意見を出し合いながら、自分を含むみんなが欲することを明確にしてルール化する。つまり、自治しうる力をもつ人間を育てる」との教育論・人間論が述べられている。
“自分のため”といっても単なる利己的な人間ではなく、“自分のため”と“みんなのため”という折り合いにくい二つを両立させた、真に自由な人間を育てることを目指し、“自分を含めたみんながトクをする”ルールによる公共の利益を考えようとしたのである。
ルソーは、権力者が勝手な命令を押しつけたり、一部の人間だけがトクをする不公平な法律や政策がまかり通ることのない“自由で平等な”近代社会の理念をいちはやく提起した思想家で、彼がイメージした“みんなのため”を考え実現する“自治のできる人間”とは、お互いの都合や利害を対等かつ正直に出し合い、聞き合いながら、「どうするのがみんなのためにいちばんよいのか」を議論する人間だった。
リンカーンのゲティスバーグ演説から240年後のアメリカで、トランプ氏のような反知性的な人物が大統領候補に選ばれるとは、ルソーも想像できなかっただろうが、マッカーサーから中学生レベルとみなされた日本人社会の未成熟な「自由と民主主義」は、70余年を経た今、自分の中に自分の生き方の基準をもつ、自由で自立した人間のレベルに成長したのだろうか。
グローバルな金融資本主義の傍若無人な跋扈で、世界中に格差と貧困が蔓延するなかでは、米国独立宣言やフランス人権宣言に謳われている人間社会の政治理念の普遍的価値は高まり、フランス革命の帰結である“人権宣言”の「自由・平等・博愛」は、人類社会がめざすべき“価値”として、その実現がいっそう求められるだろう。
無辜の黒人男性らを射殺した警察官らではなく、ダラスで白人警官を狙撃した元予備兵(黒人)を強く非難したトランプ氏が、あたかも人種差別で米国が二分されつつあるかの発言を繰り返した一方で、オバマ大統領は人種を超えた相互理解と友和の必要を説いている。白人エスタブリッシュとみなされる民主党候補のクリントン女史も、白人がもっと黒人やヒスパニックの主張に耳を傾けるべきだとインタビューで応えていた。
トランプ支持者には白人の失業者や貧困層が多く、サンダース氏の支持者にも就職難に直面する大学卒の若者が多いという。オバマ政権の8年間で、米国の貧困率は11%から15%に上昇、黒人の30%は貧困層という。
経済状況が比較的よい米国での低所得層の増加は、ICT・IOTによる産業構造変化が原因との分析もあるので、わが国でも他人事ではなかろう。
人種偏見・差別と所得格差がすすむ米国社会にはとてつもない「銃社会」問題がある。オバマ大統領と次期大統領にとって、貧困層の不安、黒人差別への恐怖、炎上する憎悪の連鎖にどう対応するかが、喫緊の政策課題であろう。
ヨーロッパでは、「EU離脱」の是非を問う英国の国民投票の結果、保守的老人層を中心に「離脱」が選択され、「残留」を主張するスコットランドや若者たちの反発の高まりで、政治・経済・社会の各分野の不安定化が予見される。
英国経済を支えてきた移民に仕事を奪われた上、「IS」からの難民流入に不安と不満をもつ失業者や老人による“離脱選択”が、元大英帝国に大きな影を落としている。領土・資源を奪い合う戦争に明け暮れた20世紀の反省から生まれたEUの存立が揺らぎはじめているのはきわめて憂慮すべき事態で、主要加盟国で難民受け入れ反対を主張する政党の進出が報じられている。
戦争の世紀と称された20世紀から、「統合と協調」をめざして迎えた21世紀の国際社会に、米英両国のイラク侵攻で「IS」という“バケモノ”が出現し、「分断と対立」のグローバル化が進行している。
古今の王国や帝国が繰り返した戦争のない世界をめざす、人類社会の壮大な試行実験のようなEUは、日・中・韓を含むアジア地域の和平的共存の在り方のパイロット。ここはしっかり踏ん張ってもらいたいと願う。
“国益”と“国際協調による共栄”という二つのベクトルをいかに両立させるかが問われているが、別稿に書いたウルグアイのムヒカ前大統領と同様、若者たちの新鮮な感性と知性に希望を託したい。
サンダース氏の社会民主的な考えを支持した米国の若者が、ネット上で協働して行政組織へ政策提言をしているように、EU各国の若者たちと連携して、EUを主導している高級官僚たちに、EU改革への建設的提言をするネット活動も期待したい。
ITCを駆使するスペインの市民・若者の政党ボコモスは、EUから課せられた緊縮財政に反対して国民の暮らしを守ると主張しているが、今後の動向を注視したい。スエーデンでのICT活用による直接民主主義のユニークな政治活動も、SNS(ソーシャルネットワーク)の効用の好事例である。
SNSの活用では、「チュニジアの春」の社会変革、グローバルなボランティア・グループの
“社会に貢献するアプリ”の共同制作、弱者支援活動などとは裏腹に、誹謗中傷の熾烈な応酬や独善的な正義感がエスカレートした“ネット炎上”が社会問題化した“影の部分”も深刻で、国家・企業の秘密情報をハッキングし、重要なインフラ施設の運転・管理を妨害するサイバー攻撃(戦争)への防備が軍事的防衛に勝るとも劣らない重要性をもつ。
「差別と格差」の日本の情況を簡略に述べると、「差別」では、国連調査の外圧で「ヘイトスピーチ対策法」が成立したものの、在日外国人の滞在条件や移民受入れへの政府スタンスと国民コンセンサスのポテンシャルは、極めて低いと言わざるをえない。
「格差」については、日銀・政府合作の金融・財政手段で“円安・株高”を押進めてきたアベノミクスは、世界経済の情況変化の中で“円高・株”に直面しているが、消費増税の再延期で国民一人当たりの国の借金が膨大となり、産業構造の変革と生産性向上、消費者動向の改善がなければ、第3の矢である実体経済の成長は望めない情況だ。
6人に1人の学童が貧困で給食費が払えないという実体とOECDでは最低の教育投資額の日本で、貧困層の教育格差による所得格差の固定化や主要な大学の世界ランキング低下もむべなるかなである。
「自由と民主主義」の価値観を同盟国アメリカと共有すると言いつつ、反立憲主義的な政治姿勢に終始する安倍政権はソローの『エミール』に真摯に学び、「米国独立宣言」「フランス人権宣言」の政治理念に基づく真の「自由と民主主義」の実現を目指して、“戦争をしない平和主義”を選択し、経済大国を築いてきた戦後国民の真剣な付託に“シッカリ”応えてほしいものだ。
近代国家の政治理念「自由と民主主義」の概念の進化が求められていると思われる今、「自由」に伴う「義務・責任」の明確化、「間接・代議員制民主主義」の機能不全の現状打開策などについて、わが国でも互いの意見を出し合い、聞き合ってコンセンサスを構築したいものである。
(7/10日参院選挙前夜)