アラブと私

イラク3千キロの旅(108)

 

(89)ふと目覚めて時計を見ると半時間も経っていないではないか。車窓の左に畑やナツメヤシの木立が見えているのは、モースルからずっとチグリス川を離れていた国道が川の西岸に近づいたからだろう。

「もうお目覚めですか。間もなくアッシュール遺跡の大きなジッグラトが右手の砂漠に見えてきます」「遠くからでも眺めておけというご託宣だろうね」「そうかもしれません。なにしろ、紀元前3千年紀の初めにまで遡り、南のシュメル地方に古くから伝わる女神イナンナ(アッシリアではイシュタル)への信仰を物語る神殿遺跡が発掘されたところです。シュメルの最高神エンリルに捧げられた神殿の存在を示す史料もあります」「ウル遺跡のジッグラト(日干し煉瓦を積んだ聖なる塔)は大学の西洋建築史で教わった」「紀元前21世紀、都市国家アッシュールが政治的に独立して、ジッグラトは都市神アッシュールがエンリルにとって代わったシンボルで、周りには広大な神域をもつアッシュール神殿が営まれたのです」  

 モースル近郊で遠望したクンジュクの丘にあるニネヴェ遺跡はアッシリア帝国の最後から2番目の王が建設した都市だが、このアッシュールは帝国最初の古代都市で、経済基盤は遠くアナトリア中央部に及び、前19世紀までに植民地都市を築きあげていた。その後のアッシュールは、ニネヴェと同じような国際的交易の拠点としてゆるぎない地位を保ち、前14世紀から前9世紀まで栄えたという。

 モースルに向かうときはサンドストーム気味の悪い視界だったのが、今日は打って変わる晴天の下に、小山のよう日干し煉瓦の巨大な塊のジグラットが、国道からかなり離れた所に崩れかけたピラミッドのようにうずくまっている。ユーセフは車を停めた。

車外に出て辺りを見回すと、左手のチグリス川がナツメヤシの並木の向こうにきらめき、ジッグラトを望む側の路肩には、黄色の小さな花をつけた野の草がちらほらと風に揺れている。

「もうすぐ12時です。まもなく着くバイジの町でトイレ休憩を考えましたが、ここらの草地で用をたして、宿のオッカサンがもたしてくれた弁当と昨夜の残りのペプシコーラで、簡単なピクニックランチにしませんか」「草地に座ってジッグラトを眺めながらのランチとは、すばらしいじゃないか!」

 後部座席から弁当の包みとペプシコーラを抱えてきたユーセフは、座りよい草地に並べた。包みには朝食に出たクッバ・モースルと特産チーズが入っていた。「朝食でクッバ・モースルを美味しいとチーフが云われたので、オッカサンに頼みました」

円形のクッバ・モースルは8つの楔形に切られていて食べやすく、コーラによく合った。はるか彼方に見える小山のようなジッグラトは、西洋建築史の図版で見たウルのジッグラトのように、数層階に日干し煉瓦を積み上げた構築的な形態をほとんど残していない。

ジッグラトは高い所を意味し、シュメルが起源と教わったが、バビロニア語では「天の山」を意味し、平原ばかりのメソポタミアの各都市の守護神の聖域に神を天から迎えるために造られ、バベルの塔もジッグラトの一つという。「ジッグラトのような聖なる塔がなぜ造られたのか、知っていれば教えてくれないか」「詳しいことは知りませんが、メソポタミアの諸都市の守護神の聖域に造られたのは、各都市の間で王たちの勢力争いが繰り返される中で上下関係ができると、その守護神同士の関係も大系づけられたからとされます。シュメルの大いなる神々のアン、エンリル、エンキなどのために、それぞれが守護する都市の聖域中央にジッグラトが建設されましたが、初めは数十センチの高さの神殿土台にすぎなかったそうです」「古代の王たちが己の統治権力を神意に基づくとしたのは、どこも同じなんだね。メソポタミアのジッグラトと日本の歴代天皇家が祀る伊勢神宮はかなり似ているようだ」「神と民のあいだに位置して神意を授かる権力者らは、神を民から隔てるために神域を何重もの周壁で囲い、聖所を高みへと押し上げていきました」「素材や形態は異なっても、神域を民から隔てる神殿と神域の構成は、伊勢神宮でも全く同じだよ」

 それにしても、伊勢神宮の20年毎の式年遷宮の伝統は、飛鳥時代に天武天皇が定め、第1回を持統天皇が行って以来、戦国時代の中断や延期がありはしたが、千数百年も行われてきたわけで、天皇の君主的象徴性を利用する権力者らの思惑はともかく、さまざまな建築・工芸技術と祭祀儀礼の伝統文化の伝承はわが国の貴重な文化遺産だ。

 万物に霊魂が宿るとする「古代神道」(八百万の神)の自然崇拝・信仰には、「神」が人間を造り、自然を与えたとする旧約聖書とは対照的に、人間も自然の一部で、生きとし生けるものが互いに関わりあって生かされているとする人間観があり、「日本書紀」に拠って天皇を神格化した復古神道(安倍首相をとりまく中に信奉者が少なからずいるようだ)は、古代神道から作為的逸脱をした思念と云わざるをえない。

(注)これを書いた2014年8月、ISIS(イラク・シリア・イスラム国)という過激派武装集団の侵攻がもたらしたイラク北部の危機的情勢が続く中、オバマ大統領は攻撃機や無人機による武装集団拠点の空爆を開始した。

シリア内戦への軍事介入をためらったオバマ大統領がなぜ踏み切ったのか。推論や憶測が飛び交っているが、ブッシュ政権とは対極的なオバマ大統領は、軍事介入よりも外交的解決に重きを置くことでEU諸国など国際社会の共感を得つつあったのに、アメリカの国内事情から再び、パンドラの箱を開けてしまったようだ。(ISISに関する「横道」記述は省略)

「出発するとしようか!」「ここでランチを食べたので、バイジの町に寄らずにバグダッドへ直行ですネ」

「バグダッド郊外までは一本道だから、ボクが運転しよう。アハラムたちに再会する楽しみで眠気がすっ飛んだよ」「バグダッドの市街地に入る手前で交代しましょう。ホテルに着いたらシャワーを浴びて、一休みしてください」

 3日ぶりでトヨペットクラウンのハンドルを握った私はエンジンをかけ、バグダッドめざして国道1号線を走り始めた。「昨日はサンドストームでたいへんだったけど、今日はよく晴れてよかった。ガレージでの点検・整備のお蔭で調子もいいね」「そうですね。さっき運転した感じではなにも問題ないようでした」

 荒れ地に定規で引いたような国道が真直ぐ伸びているのをフロントガラス越しに見つめながら、120キロで走る。「今夜のディスコクラブへのアハラムたちの招待は、先方にどう伝えたのかな」「アハラムのオヤジさんはとても感謝していました。モースルから帰ってきてお疲れだろうから、ホテルでゆっくり休まれてから、クラブでお会いできればとのことでした」「オヤジさんも来てくれるだろうね」「はい。アハラム・ジャミーラふたりのご招待で十分ですが、家とクラブの車の送迎は恐縮なので、自分の車に乗せて来るそうです」「それはよかった。キミも随分と疲れてるだろうから、バグダッドまで一眠りするといいよ」「ありがとうございます。ではそうさせてください」

 モースルで、クルドの老人、キリスト教会牧師、ガレージの若い主ら3人の知人に引き合わせてくれたユーセフは、さすがに疲れていたのだろう。助手席を少し倒して目を閉じて、5分も経たずに寝息が聞こえてきた。モースルでは思いがけない人たちといろいろな話ができたが、チグリス川の護岸工事の監督で滞在した折のユーセフの知人・友人との出会いでは、またとない体験をさせてもらった。

 助手席のユーセフはよく寝入っている。4日前にクウエートを発ってからずっと運転や案内で心身共に疲れが溜っているに違いない。

 クウエート着任後半月の仮住いしたガルフホテルとNTTコンサルタント事務所の送り迎えをしてくれたユーセフが、朝の食堂で出会ったアハラム嬢に強い関心を示した私を、どんな風にみていたのか。

アハラムをクウエートの金持ちたちを目当ての女性とばかり思い込んでいた私に、バグダッドでアハラムに再会するまで、彼女と家族のあらましを知っていながら私に告げなかったユーセフの気持ちがよく分からない。アハラムの従兄までもが、アハラムに再会したがってたのは私だと思ったようだが、もしかしてユーセフは、アハラムを結婚相手と考えていたのかも知れない。

ユーセフと私は、ネフェルティティのような美女アハラムに魅せられて、バグダッドへやって来た男2人というところなのか。オヤジさんは、お目付け役ではなく、運転手として彼女たちに同行するそうだから、余計なことは考えないでホームパーティーの返礼として、大いに接待するとしよう。

 晴天の下を順調に車を走らせ、バグダッド近くの路肩でユーセフと運転を交代してホテルに着いたのは、4時ちょっと前だ。7時にクラブでお会いすると電話で伝えるようユーセフに頼んでから室に入った私は、ベッドにバタンと大の字で倒れこんだ。

(90)ふと目覚めると、腕時計は5時を回っていた。モースルでの疲れがどっと出て大の字のままで寝入ったようだ。シャワーを浴び、ディスコ・クラブに出かけるカジュアル・スーツを鞄からとり出した。ホームパーティーの返礼招待にふさわしいクラブをアハラムの父親から聞き出したユーセフは、案外と機転の利くエンジニア。彼女の父(曽祖父が創業した建設会社の4代目社長)は官公庁発注の公共建築を受注していると聞いていたから、こんなクラブを営業的な社交の場として使っているのであろう。官庁工事の受注を巡る営業接待は古今東西、変わらないようだ。イギリス委任統治のイラク王国から共和制になって16年のバグダッドでも、建設業にかぎらず、各方面でイギリスの影響が色濃いと思われる。

 よそ行きのスーツ姿のユーセフが運転する車は、建物がひしめく市街地から少しはずれた閑静な地区にやって来た。クラブは、高いレンガ塀に囲まれた広い敷地の中央にあり、ゲートの脇に門番がいた。ユーセフが告げた予約をリストで確かめた門番は、「ヤッラ!(どうぞ)」と言って、遮断棒を上げた。

 バグダッドのクラブ建物もテヘランと同じような大きな平屋で、明るい照明のロビーに入るとレセプションとクロークのカウンターがある。レセプショニストに招待客を待つと告げ、ロビーのソファに座りこんだ。

「7時までに15分ほどあるけど、それにしても、こんなクラブへ中学生のジャミーラを連れてくるなんて、あのオヤジさんもなかなか進んでるネエ」

「老舗の建設会社の社長さんだから、イギリスなど外国に出かける機会が多いでしょう。世俗的スンニ派の家柄なのでシーア派の奥さんの敬虔な人柄とはかなり対照的ですね」

「アハラムは3人姉妹と言ってたけど、上の妹さんには会ってないよね」

「なんでも、高校生のその人はお母さんに似ていて、お父さん似のアハラムやジャミーラのように社交的ではなく人見知りするタチだそうです」

「ユーセフ。そろそろ見える頃だからポーチへ出て待っていてくれないか」彼が席を立ってほどなく、娘たちをエスコートしたオヤジ社長がにこやかなほほ笑みを顔一面にたたえ、私のソファに近づいてきた。「ヤアヤア! ごきげんいかがですか。ご招待に感謝します」「ようこそ! お嬢さんたちをお連れくださってありがとうございます。このクラブへはよくお出でになるのですか?」「いえ、大切な客人をお招きする時だけですよ」

 ジャミーラは、薄い生地の花柄のロングドレスで大人びて見え、アハラムは、ディスコダンス向きのミニスカートで細い美脚がきれいだった。レセプショニストの連絡で、ディスコ音楽が漏れていたドアからチーフウエイターらしいのが出てきて、「ご案内します」と先導した。20米四方ほどの広間の真ん中はダンスフロアで、それを囲んでテーブルが並び、奥の方に、ビュッフェスタイルの大きなテーブルと飲物サービスのコーナーが見えた。

 天井のミラーボールが輝いているほかは、客席毎の卓上ランプが白いテーブルクロスを照らしているだけで、他の客の顔が見えないような間接照明が、広間全体に落ち着いた雰囲気を醸している。

 4人が席に着くとすぐ、「モースルはいかがでしたか?」とオヤジさんが訊ねた。「お宅に招かれたとき、マリクさんからモースルについていろいろと聞いていましたが、ユーセフのお蔭でいろんな人たちと出会い、思いがけない話を聞くことができました」

「それはよかったです。古代から要衝の地であるモースルは古い街ですが、クルド族が多く住み、大量の石油が発見されたキルクークは、これから大きく発展する地域で、先進各国の資本が目をつけるでしょうし、建設工事の見込みはバグダッドよりも有望と思われます」

 ホームパーティーでは寡黙だった社長が、かなりのレベルの英語でしゃべるのに驚いたが、若い新聞記者の甥っ子のマリクに花を持たせたのだろうと気づき、アハラムもしゃべれるのだろうと思いながら、彼女に眼を向けた。「アハラムさんはここへ来たことはありますか」「ええ。高校を出てからですが、父がお客夫妻を招待するとき、母親の代わりに同伴しています」「妻は敬虔なシーア派の家族の出で、人様の前に出るのを遠慮しますので、アハラムが代わりを務めてくれて、助かっています」「日本では、仕事上の接待に妻を同伴することはほとんどありませんが、こちらでは欧米並みなのですね」そのまま話がつづきそうなので、ユーセフに、アハラムたちと料理を取りにいくように勧めた。

「官庁工事のコンサルタントのイギリス人技師で週末はクウエートに戻る人がいます。子供さんたちがアメリカンスクールに行っているからで、夫妻だけならバグダッドに住むのが普通です」「実は、テレコムセンター工事の工期がエジプトの国営建設会社の都合で長引きそうで、7月には、妻が2人の子供たちを連れてやってきます」「それはいいですね! 日本人のエンジニアは単身赴任の人たちがほとんどで、欧米人から、夫婦仲でもわるいのかと冷やかされていますよ」

「外国の建設会社が受注した工事の現地協力的な仕事もされているのですか?」「ええ、バース党政権の国家近代化政策で、石油収入を財源にした官庁発注の大型ターンキー工事(発電所、港湾・空港、テレビ放送局、電話局などの建設で、建物と収容する施設・機器類の全体工事を一括して完成・引き渡す契約方式)が増えてきました。キルクークだけでなく、バスラなどもこれから大いに発展する地域で、期待しているのですが・・・」「じゃあ、アハラムさんや妹さんたちにも、土木・建築の技術者のおムコさんを見つけなければなりませんね」「そうです。彼女らがその気になればですがね。そんなムコたちと一緒に仕事ができれば、会社の将来はおおいに安泰でしょう!」

 料理の皿を手にした3人が戻ってきた。まだ客の数はチラホラで、両隣の四人掛けの卓は空いている。

 フロアでは、3、4組の男女がディスコダンスを楽しんでいる。「今しばらくは社長と話しているから、キミたちはたくさん食べて、ディスコを楽しむといいよ」とユーセフに告げた。うれしそうな微笑みを返した娘らだが、ジャミーラがウインクを寄こしたのにはビックリ。

 ビュッフェ料理の大テーブルにはさまざまな料理が所せましと並べられている。

 アルコール飲料はテーブルでウエイターに注文するので何にするか社長に訊ねると、ワインを所望する由。モースルのワインもいけたが、ここは恰好をつけて、お薦めのワインをウエイターに訊ねた。間もなく、1本のボトルを抱えたチーフウエーターが、そそくさと席にやってきた。「最近は、フランス人のお客様も多くて、これは評判のボトルです」「ボクはワインに詳しくないから、キミを信じてそれに決めよう!」

 少量の赤ワインが注がれたグラスを振って、香りを嗅ぎ、口に含んで型通りのテイスティングをしてみせた。さすがにいい味だったが、勘定で、やや後悔悔したほど、〝良いお値段〟だった。

 ユーセフたちのテーブルに目をやると、彼らも大いにはしゃいでいる。如才なさではイギリス人をカミさんにしているイラク人同僚のアルベヤティに比べて晩生の感が否めないユーセフが、2人の若い娘を相手に顔を火照らしてしゃべくりまくっている。

お喋りだけでなく、アハラムとディスコ・ダンスを踊って仲よくしてくれるといいのだが。

 いつの間にか客の数も増えて、フロアの周りのテーブルで人影が動くのが目立つようになった。

 ディスコ音楽はテヘランで聴いた曲が多く、懐かしい『Those were the days』もあったが、ベイルートスタイルのアラブ音楽もかかったので、ジャミーラをフロアに誘った。

「サマーラの塔」へ行く途中の車の後部座席の上に膝で立ち、腰をくねらせて踊った彼女は、6、7組の男女が揺れ動くフロアの真ん中に出て、私とゴーゴーのモンキーダンスを始めた。ふと客席に目をやると、オヤジさんがユーセフたちのテーブルで私たちの踊りを見ている。ジャミーラは踊りが大好きらしく、キラキラした目で私を見つめ、両手と腰をうち振って踊りに興じている。向こう見ずな年頃の奔放な動きにロングドレスの花柄が大きく揺れて、少女の摩訶不思議な色気を発している。

(91前半)アップテンポの曲が響きわたるフロアの中央で、あどけなさの残る顔を上気させ、額に汗を浮かべて踊っているジャミーラは、やはり無邪気な少女だった。ディスコダンスは離れて向き合う2人が、それぞれに好き勝手なポーズで踊れるところが新鮮で、社交ダンスが古くさくさえ思えたものだ。初めてこのダンスを体験したのは、大阪万博の基本構想策定チームに在籍したときで、民間から招いたプロデューサーのT.A.氏に連れられて行った「赤坂ムゲン」だった。オープンして間もないこのディスコが会員制のころで、一流有名人(三島由紀夫、丹下健三、若手で小澤征爾、篠山紀信、三宅一生,横尾忠則、渡辺美佐、コシノジュンコ、加賀まりこさんらが会員だった。超モダンなインテリアと照明・音響システムはサイケデリックで、横尾忠則は日本を代表するサイケデリック・アーティストだった。フロアより高いステージでは超ミニの若い女性がゴーゴーを奔放に踊り、粋人田辺茂一氏(紀伊国屋書店社長)がステージに上がったとの伝説もあった。ゴーゴーのリズムには、どこかベリーダンスに通じる身ぶりもあり、ジャミーラの自在な動きは実にサマになっていて、周りのひとたちも、自由なスタイルでダンスを楽しんでいる。

添付画像
「ムゲン」で覚えた「ヒップ同士のごあいさつ」を頻発するカップルを、ジャミーラに目で知らせると、すぐにくるりと回転して、ゴムマリのような弾みをぶつけてきた。踊りのカンは抜群だ。3曲ほど踊り、テーブルへ戻ってすぐ、「ユーセフ! アハラムと踊らないのかい?」と訊ねると、「私にはあんな踊りはムリですよ」だった。このディスコでかかる音楽は、「ムゲン」のような激しいR&Bではなく、ベイルート風の抒情的なアラブ音楽が多い。ジャミーラと踊る前にかかった「Those were the days」(悲しき天使)はメリー・ホプキンスが唄い世界中で爆発的に流行した曲で、テヘランのディスコでもかかったし、イラン電気通信研究所の基本設計コンサルタントのカウンターパート・ハクザール博士(ドイツ留学、夫人はドイツ女性)がプライベイトに招待してくれたクラブで、グ・グーシュ(イランの美空ひばりと称された)の歌を聴いたのが初めてだった。

 メランコリックなメロディーが気に入り、帰国してすぐにレコードを買い、英語で唄えるようになっていた。それをアハラムにつげると、「バグダッドでも流行ってますよ。クウエートで招かれたホテルのダンスパーティでもかかっていました」「ところで、社長さんには3人お嬢さんがいられるそうですが、真ん中の方にはお宅でも、お目にかかりませんでしたね」「はい。あの子はこの2人と違って母親似のとても内気な性格で顔見知りするタチで、ご挨拶もできず失礼しました」     (続く)



2016/07/24 14:57 2016/07/24 14:57
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST