新・浦安残日録(1)
(2016年)
12月1Ⅹ日(見明川周辺の冬の朝)
6時前後に目覚めて行う頭のてっぺんから足先までのストレッチは、食道(がん)全摘出手術後の20数年、休まずに続けている朝の日課だ。
前夜1時過ぎの就寝でも5分たたずに寝入るのが“ニクラシイ”と宣うお千代(3時前後まで眠りにつけず深夜ラジオを聴く)の起床は遅い。彼女が起きて朝食を作る前に淹れるモーニングコーヒーの湯を沸かし魔法瓶に入れてから散歩に出るのも日課。
歩くコースはほぼ決まっている。テラスハウス・住宅地(全481戸)内の林(桜と欅の並木が囲む小山)の落葉を踏む感触と音を楽しみ、JR京葉線(舞浜―新浦安)に並走する「若潮通り」が見明川をまたぐ伝平橋のたもとのローソンに入る。店先のコーヒーメーカーで“朝一番”のコーヒー(100円)を淹れてもらうとき、ネパール女性ブッダさんが店番だと「ラッキー!」
温かい紙コップを手に橋の歩道から東京湾を望めば、両岸に鉄鋼加工工場の船荷用クレーンが並んでいるが、かなり前からトラック輸送に替わり今は使われていない。
平成元年に杉並の社宅から引っ越した浦安市は今、東京ディズニーリゾート(年間訪問者数は3千万人超)ほか、鉄鋼の集積・加工(日本最大)工場と大手メーカー・流通業者の倉庫が林立し、普通地方交付税を受けない優良自治体で、“うらやま市”とか“住みたい街日本一”、と全国的に人気の街だ。
早朝の陽光に川面と湾が煌めいているのを背に、見明川(江戸川と東京湾を結ぶ水路)沿いの遊歩道を川上へと歩く。左手の車道の両側の桜並木“桜のトンネル”は江戸川の土手まで続いている。
並木が葉桜になる頃は稚鮎の群が遡上し、6月になると、4、50センチのスズキが水面近くを悠然と泳ぐ。冬は鴨などの水鳥が、春には川鵜や白・青サギが、水面にのぞく岩の上から稚魚らを狙う光景の四季の移り変わりも、散歩の楽しみの一つ。
水路を5分ほど遡った所に架かる「見明川歩道橋」を渡るとき、右側に見明川住宅地・テラスハウス群、左手上流に、スカイツリーが見える。
橋の階段を下りると「ふれあいの森公園」である。約6百メートルの周回路に囲まれた広い芝生の右手に、グリーンハウス、ビオトープ、田んぼや小さな森がみえる。公園とテラスハウス住宅団地は、海寄りの「若潮通り」から1ブロック奥のバス通りを隔てて隣接しているので、自宅から直行すると徒歩3分で、「ふれあいの森公園」に着く。
ベンチで一息つく目の前の遊歩道をウオーキングの人の列が朝の挨拶をして通り過ぎる。「ふれあいの森公園を育む会」に入った折に寄贈したビオトープの絵(詩文付)の大きな額がグリーンハウスに掲げられ、夏の花壇の水遣りもする私には顔見知りの人たちだ。
芝生のあちこちに建つ数本の裸木の梢が快晴の空に広がり、幼児の遊び場の脇の菜の花畑の黄色が目に鮮やかだ。目覚めの後のストレッチと朝の散歩で、60兆個(新しい知見では37兆個?)の細胞たちが大いに活性化されることに感謝して、私の1日が始まる。
12月1Ⅹ日(「歌の花束」「若鶴会」)
歌を唄うのが好きであれこれのグループに属し、「浦安男声合唱団」を一昨年の定期演奏会後、「日本建築学会男声合唱団」を先月の《創立30周年記念コンサート》を最後に辞去したが、特養老人ホーム《愛光園》訪問ボランティアグループの「歌の花束」のクリスマス会/「童謡を歌う会 浦安」の納会/「端唄若鶴会」の年次発表会/ホテルオオクラ東京ベイ・チャペルの「クリスマスコンサート」などは恒例の〝唄う〟年末行事。
第3木曜日が月例訪問の「歌の花束」の日は快晴で、海辺に建つ《愛光園》へ20分ほど自転車を走らせて1時前に着くと、6人の仲間らは歌詞カードをそろえ始めている。童謡・唱歌・歌謡曲を一緒に唄う30人余の入居者のために作った大きな文字の歌詞10曲分をファイルから出して唄う順に整え、各曲の練習を一通りやるのが準備のルーチンだ。
入居者の部屋と会場の送迎もボランティアの役目で、二つの階から参加希望の入居者(80~100歳前後)の車イスを押して介助する。
司会進行を引き受けた今回、サンタクロースの帽子・白髭をボランティア仲間にも内緒で準備し、会が始まった途端にその扮装で登場したサプライズに、“やんや”の歓声が湧く大成功だった。
その日唄った歌はほとんどがクリスマスソングで、介護職員さんの出番もあって大いに盛り上がった。
3日後の日曜は「若鶴会」恒例の“師走”発表会。市文化施設「WAVE101」の小ホールの舞台に出た。この会に参加したのは8年前。《愛光園》の訪問ボランティアグループ同士の親睦会で出会ったYさん(端唄師匠若宮千代鶴・「若鶴会」主宰)からのお誘いだった。
Yさんは《愛光園》訪問の邦楽同好会「江戸の華」の主宰でもあり、長唄稽古歴20年の私をメンバーに誘い、年1回のプチ舞台を催したが、現在は活動冬眠中。
今年の第8回「若鶴会」では、『夜の雨』『伽羅の香り』/『江戸祭り』/『春雨』/『伊勢音頭(全員)』の4つに出たが、『春雨』は、昨年の舞台で『五月雨』を踊った若柳賀津樹さん(立方)と共演した。『夜の雨』は江戸後期に端唄から派生した“歌沢”で、さらりとした端唄に対し、ていねい・たっぷりに渋みと品格を加えて唄う特徴を心掛け、ほぼ満席の来聴の方々から盛んな拍手を戴いた。
会場近くのホテルでの鉢洗い(打上げ)は例年通りで、“美味しき酒”のほどよい酔い加減でお開きとなった。
12月1Ⅹ日(二つの忘年会)
今日は、忘年会のダブルヘッダーだった。
森羅万象を話題にする月例の「こぶし会」)は、第364回で忘年会付きだった。毎回、2人の会員が1時間半の持ち時間で「話題」を提供して談論風発するが、今回の提供者は、桑原守二氏(元NTT副社長・BHN名誉会長)の『最近のICTの話題』と筆者の『トランプ次期米国大統領と国際社会』だ。
桑原氏は、サムスン電子・ギャラクシーノートの発火事件とリチウム電子の特性/中国のAI躍進と棋士との囲碁対決/富士通パソコン事業の中国レノボ傘下/ソフトバンク・サウジアラビアの投資ファンド設立/ATTのタイムワーナー買収(通信・放送の融合)/IOTはNTTが民営化以前に提唱した理念「INS」、の6項目。
松本は、英国のEU離脱とトランプ次期米国大統領の出現をアングロサクソン姉妹国で軌を一にして生じた国民の分断現象とし、欧米諸国にみる同様の社会状況は、かつてサッチャー・レーガンが推進した新自由主義的グローバリズムに伴う社会格差解消を求めており、アダム・スミス(「道徳感情論」)やマルクス(「資本論」)が論述していた“資本主義と人間”の原点に立って、新たな社会変革を模索する節目ではないかとした。
乱暴で品性を欠くトランプ氏が次期大統領に就任した後、ロシアのプーチン、中国の習近平、トルコのエルドアン、フィリピンのドゥテルテ等の強権的な統治者とどのように向き合い、国際社会を動かしてゆくのか。混迷が深刻化する中での安倍政権の外交戦略に錯誤のないことを願うばかりだ。
昭和56年に創設された「こぶし会」の最長老は大正10年生まれ。今年2人が鬼籍に入り、会員の闘病や家人介護で例会欠席者が増え、高齢化がさらに進むだけに、忘年会では、「(生)老病死」の話題に終始した。
1年前の宴会は、余興の男声カルテットを皮切りに、懐かしい歌(軍歌も!)の数々で賑やかだったが、カルテットの一人北川泰弘さん(地雷廃絶日本キャンペーン元代表)は、転倒が原因の脳梗塞を患って、ただ今リハビリ中だ。早い復帰をお祈りする。
もう一つの忘年会は、浦安国際交流協会の英会話グループが新浦安のホテルで催していて、「こぶし会」会場の情報通信エンジニアリング協会(渋谷)から駆けつけなければならない。
このグループは、来日して4半世紀を超えた米国女性ジニーさんをチューターに、毎週月曜日の午後、“森羅万象を英語で喋る集い”を市施設「マーレ」で楽しんで、足掛け8年になる。
「こぶし会」の月例は第4月曜日でその日の英会話はいつも欠席するが、暑気払いや忘年会での2次会(カラオケ)には、自他共の“大好きニンゲン”は“皆勤”してきた。
来日当初の8年、新潟のキリスト教系高校で英語を教えたジニーさんは、味噌汁、納豆、日本酒などの「和」の食品が欠かせない暮らしというが、シアトルの大学で「ジャパノロジー(日本研究)」を専攻しただけあって、日本の伝統文化をふくむ森羅万象への造詣の深さは“オドロク”ばかり。
宴会半ばで中座して渋谷から新浦安のホテルに着くと、忘年会(昨年より1時間早く開始)は2次会のカラオケルームに移り、歌合戦はおおいに盛り上がっていた。幹事の女性に「飲み物と唄いたい“歌”を早く注文してネ!」とあわただしく促される。
歌大好きアメリカ女性・ジニーさんは、音感抜群で、日本語の歌もたくさん唄えて、ちあきなおみのファンでもある。歌謡曲の女性歌手では美空ひばりと双璧をなす彼女の名曲『喝采』と『黄昏のビギン』をジニーさんとシェアしながら唄った。
カラオケ参加のメンバーで、第20回『砂時計』(ソロとコーラスのコンサートの昨年の演奏会)の私のソロ歌唱(『サントワ マミー』『サンタ ルチア』『白い花の咲くころ』)を聴いた人らのオダテに乗り、さだまさし『風に立つライオン』とシナトラ『マイウエイ』も唄わせてもらった。
東日本大震災後は“歌の力”がよく話題になるが、特養老人ホーム訪問ボランティアグループの経験でも実感している。認知能力がかなり低下している高齢入居者が童謡・尋常唱歌をそらんじて唄う様子に、ボランティアのモチベーションは高まる。
今年も二つの忘年会をは“はしご”できて、ご機嫌の帰宅となった。
12月2Ⅹ日(プーチン大統領の山口招待)
安倍首相は11年ぶりに来日するプーチン大統領を地元山口の長門市に招いた。日ロ平和条約締結に向けた基本合意を交わす“歴史的”な場面にしたい思惑のようだったが、予定より約2時間半遅れて到着してすぐ始まった首脳会談で、条約締結の前提となる北方領土問題については最低限の共通認識すら得られず、肩すかしに終わった。
翌日の首相官邸での首脳会談後の共同記者会見で、北方四島での“共同経済活動”の実現に向け協議を始めることで合意したと発表したそのポイントは、平和条約締結問題を解決する双方の決意を確認/北方四島で共同経済活動を行うため、特別な制度についての交渉開始を合意/共同経済活動は、平和条約締結問題に関する双方の立場を害さないという認識で一致/元島民の墓参など自由往来の改善検討で合意/「8項目の経済協力プラン」に基づく80事業の推進で合意。だった。
今年で4回目(通算16回目)の会談の合意としては甚だ空疎きわまりない内容で、これまで一体なにを話してきたのかと思わざるを得ない。
プーチン大統領は、1956年の日ソ共同宣言に従っていずれ歯舞、色丹の2島を引き渡すにしても、主権まで渡すかは分からないとする“0島返還”の立場を全く動かず、むしろ、日米安保条約に言及し、ロシア海軍の太平洋での活動が制約されることに懸念を示し、将来米軍基地がおかれる可能性のある島の返還など、とんでもないと主張している。
北方四島での共同経済活動を、「ロシアの法律に基づいて行われる」と主張したプーチン大統領に対して、「平和条約締結問題に関する双方の立場を害さない」とのあいまいな表現でお茶を濁したようだ。
こうしたプーチン大統領の強硬姿勢の背景には、トランプ次期米国大統領が、プーチン氏との親交が長いティラーソン氏(エクソンモービルの最高経営責任者)を国務長官に選出したことで、ロ米の関係改善が芽生えて、日ロ関係打開のモチベーションが弱まった情況変化がうかがわれる。
山口の旅館の晩餐で“ウラジミール”を連発した安倍首相に、終始、“ミスター・アベ”で返したとされるプーチンは、中曽根康弘元首相が、日の出荘(別荘)を「ロン・ヤス関係」発祥の地としたときのロナルド・レーガン元大統領に比べ、オソロシイ人物ではなかろうか。
池上彰著『世界を動かす巨人たち(政治家編)』で第1番目に挙げられているのがプーチン氏で、その項目には、クリミア半島併合で、核戦力を臨戦態勢に置く準備をしていた/スパイ活動に憧れてKGBに入り、ベルリンの壁崩壊と東ドイツ崩壊に直面/KGBの後身のロシア連邦保安庁(FSB)長官に就任。エリチン大統領を一族の汚職事件から救って第1副首相に/チェチェン過激派の仕業とされた一連のアパート爆破事件は、FSBの謀略との疑惑/その疑惑を告発したプーチン批判者リトビネンコが英国で毒殺され、強権的政治手法の批判記事を精力的に書いた女性新聞記者は何者かに射殺された/2期目で政権基盤を固め、メドベージェフとのタッグで3期目大統領に就任。憲法改正で計20年在任可能なウルトラC。
プーチン大統領来日の数日前にNHKが放映したドキュメンタリー風プーチン伝記(制作米国)では、国有財産を友人に分け与え、企業経営者から巧みに供与された蓄財などの資産総額は4百億ドル(推計)という。(前歴のある総務大臣は、放映に“難癖”をつけたかっただろう。)
プーチン大統領は、バルト海から黒海にいたる広大な版図の権力を掌握してロシア帝国を打ち立てた初代ロシア皇帝ピョートル大帝を尊敬し、かつてのロシア帝国の再びの栄光を夢見ているとされる。国家主導のドーピング問題やプーチン政権の腐敗構造への国内批判はあるが、裏腹な言動のプーチン氏の支持率は圧倒的に高い。
前のめりの言動が目立つ安倍首相が、国際外交の荒海で米ロの“強い指導者”に翻弄されず、「日本丸」をちゃんと操船できるかを見守りたい。
12月2Ⅹ日(安倍首相の真珠湾訪問)
安倍首相は、オバマ大統領と共に真珠湾を訪れた。
慰霊のあとのスピーチでは、「歴史に稀な、深く結ばれた同盟国になった」と述べ、敵国同士だった日米が“希望の同盟”になったのは“寛容の心”がもたらした“和解の力”だと強調したが、真珠湾攻撃や太平洋戦争への歴史認識には触れず、過去への反省や謝罪への言及はなかった。
スピーチの後、真珠湾攻撃を生きのびたという元兵士と言葉を交わして抱き合った安倍首相は、広島訪問で被曝者代表の老人を静かに抱き寄せたオバマ大統領の「核なき世界」の訴えを否定するトランプ次期大統領を信頼し、価値観を共有してゆくつもりなのだろうか。
戦勝国の米国に押し付けられた日本国憲法を否定して“戦後レジームからの脱却”を唱える復古的な取り巻き連中と距離をおくことが、果たして、安倍首相にできるのか。首相の訪問中に靖国神社参拝を敢行した稲田防衛大臣は、あの太平洋戦争をアジアにおける日本の“聖戦”と本当に信じているのか。こんな閣僚を任命した安倍首相の真珠湾訪問には、米国民が不可解を感じているのではないか。
昨年4月の米国議会で演説した安倍首相は、「先の大戦に対する痛切な反省」「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に言及してはいるが、オバマ大統領の広島訪問のあとを受けた真珠湾訪問の機会に、満州事変以来の10年に及ぶ中国への侵略(米国は中国を支援)や東南アジア諸国で失われた膨大な無辜の命への慰霊に言及すれば、中国、韓国をふくむ国際社会に対しても“寛容”大切さと“和解”の力を訴えられたであろうと想われる。
オバマ大統領が述べた日本語「お互いのために」は、世界や地域の平和と安定を願うもので、中国、韓国とも交わしあうべき言葉だが、中国外務省筋の安倍首相訪問への反応は、「アジアの被害国にとって何度も抜け目のないパフォーマンスをするより、1回の誠実で深い反省の方が意義がある」「加害者の誠実な反省の基礎があってこそ、被害者との和解が真実で信用できるものになる」だった。
やたらと居丈高なトランプ次期大統領の就任前の安倍首相の真珠湾訪問とスピーチは、いささか美辞麗句な感じはあるものの、格調の高いものといえる。
そこに述べられた戦争がもたらす悲惨への言葉「最後の瞬間、愛する人の名を呼ぶ声。生まれてくる子の幸せを祈る声。一人ひとりにその身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や恋人がいた。生長を楽しみにしていた子どもたちがいたでしょう。それら、すべての思いが絶たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は言葉を失います」は、真珠湾で戦死した兵士にあてられたものだが、そのまま、中国や朝鮮半島、アジア諸国で亡くなった人たちに向けられてもよい言葉ではなかろうか。
オバマ大統領の「人間は歴史を選ぶことはできない。しかし、その歴史から何を学ぶかを選ぶことができる」を、安倍首相はどんな気持ちで聞いたのか。
(2017年)
1月4日(新年正月の家族行事)
2016年の“去年今年”は、国際社会の混迷が深刻化するなかだった。
年が明けると結婚60周年1年前となる私たちは、バカ騒ぎ気味の「紅白歌合戦」を敬遠して別の番組を見た後、「安曇野の蕎麦」の年越しそばを食べ、「除夜の鐘」中継の一打一打を聴きながら、世界の人々の暮らしの平和を祈った。
近くに住む息子夫婦と数年続けた深夜の「初詣」も、去年は自転車で駆けつけた舞浜海岸の「ご来光礼拝」もしなかったのはやはり、歳のせいというものだろう。
元日は、娘婿の横浜の実家から毎年届く「樽酒・眞澄あらばしり」の屠蘇と、お千代が腕を振るった瀬戸内の正月料理の祝いの膳に向きあってゆっくりと味わった。
その日に届いた年賀状は180通ほどで昨年より約百通減った。現役時代に千2百枚だったが非常勤となって半減した後はほとんど変わらず、やむなく、戴いた人にだけ元日以降に出したので、一昨年までの10数年間で、ようやく3百通ほどになった。
現役のころはデザインした賀状の印刷を外注したが、非常勤の身となり、「プリントごっこ」の手作りと万年筆の宛名書きにこだわり、年末は大仕事(?)だった。
昨年の年賀状には、息子・娘婿らと3家族の恒例ホーム・パーティーの集合写真を配したが、今年は、昨年の出雲大社旅行(偕老同穴の契りを結んで60年近くまで連れ添ったお礼参り)のツーショットにした。
わが家のホーム・パーティは娘婿家族がタイ在勤から帰国してからの十数年は“鴨すきパーティー”で、大量の合鴨と太ネギを大きな南部鉄のすきやき鍋で焼く大盤振る舞い、みんなが楽しみにしてくれている。
昨年は婿どの家族の実家訪問が3日で、わが家は元日だったが、今年はその逆だった。慶応大に推薦入学した遥大(外孫)は体育会卓球部の新人でガンバッテいるが、有名な「水谷隼」選手とのツーショットの写真は、私たちのうれしい宝もの。
パーティー食材の買物は私たちが年末にしておいたが、〝鍋奉行〟は息子で、嫁の陽子さんもマメに手伝ってくれて、お千代は大助かりだった。たらふく食べて飲んで、にぎやかに談笑したあとは目出度くお開きとなった。
車で5分の高層マンションに住む婿殿の一家は、アルコールが入っているので3台の自転車に乗って、息子らは“スープの冷めない距離”のテラスハウスへ仲良く手をつないで帰って行った。
(続く)