ブログの読者各位
今年も桜の開花予想が始まったと喜んでいた矢先の3月3日(雛祭りの日)に、末期ガンの告知を受けました。その経過と心境を記した拙文『晩節の“選択”』を、不躾ながらお届けしますので、ご覧下されば幸いです。
拙文に記した昨夏からの経過ですが、24年前の食道がん手術の吻合部に生じた「胃腺がん」はかなり大きく、食べたものの通過を邪魔し、多くのリンパ節に拡がった末期のステージなので、手術できず、X線も効き難く、抗がん剤治療だけが残る積極的治療手段と告げられました。
ガンが塞いでいる吻合部の隙間はやっと内視鏡が通るくらいですから、食事は、流動的に調理したものを毎食1時間半くらいかけて、狭い隙間をトロリ、トロリと通過させています。
それでは十分なカロリーと栄養が摂取できず体重が5,6キロ減りましたので、娘婿(「味の素」の関連事業部門幹部)が届けてくれる総合栄養補助食品類を補完的に摂取しています。
拙文に書いたのは、「自分の“こころ”と“からだ”を丸ごと“抗がん治療”に投げ出すな!」との“内なる声”に従い、自然の一部である“いのち”を司る“摂理”にゆだね、“いま ここ”を生きぬこうとの想いです。
この「摂理」は宇宙(自然)の森羅万象を支配する理法で、ビッグバン以前の宇宙もカバーする概念(=神?!)と、私は理解しています。
西洋近代的な考えでは、ガンに罹ったとき、近代医学に立脚した医師が勧める抗がん治療を頼りにして、最後の手段まで“ガンバッテ”闘うのが、人間らしい生き方とされるようです。
『人事を尽くして天寿を待つ』という言葉がありますが、“人事”には、近代医学的な“知見”(ニンゲンのからだとこころについては30%くらいしか判っていない?)の他に、示唆に富み、信じるに足る、古今東西の“知恵”や“叡智”があります。
西洋近代的な現代科学技術の成果は人類社会の進歩発展の基盤ではありますが、人間が自然より上位にあるとするルネッサンス以来の人間中心主義的なパラダイムは、見直しを迫られているように感じています。国際社会が直面している“ニンゲンの混迷”はその一つでしょう。
人間には「天寿」があって、百歳を超えて生きる人もあれば、どんなに健康に留意したり、アンチエイジング的な努力をしても、平均寿命にとどかないで彼岸に旅立つ人もあります。
「天寿」の残日がいかほどか分かりませんが、一日、一日の生活をお千代に支えられ、“宇宙の摂理”(Something Great)への感謝と祈りと共に過ごしたいと願っています。
