新・浦安残日録(4)
(はじめに)
新連載を寄稿した1ケ月後の内視鏡検査で“ガン告知”を、10日後には、〝末期ガン宣告〟を受けました。
この青天の霹靂の“宣告”は「食道全摘出手術」を勧められた24年前の早期食道ガンの告知から2度目の「死」との直面でした。
最初の“青天の霹靂”では、2人のドクター(消化器内科、外科)のお陰で再びのいのちを得たことを当時のNTT本社・社内誌「NTTジャーナル」のエッセイ欄に寄稿しておりましたので、今回もその後身「日比谷同友会会報」に『晩節の選択』を寄稿し、同文を(3)に掲載していただいた次第です。
宣告から数日間で性急に書き上げたこの拙文は、2人の恩人ドクターとの不思議な“縁”をNTT本社OBの方々へ伝えたい想いで筆を執りました。
『新・浦安残日録』は、いつまで書けるか分りませんが、高齢者末期ガンの終末の日々を書き綴ってまいりますので、お読みくだされば幸いです。
3月8日(野尻泰煌氏に会う)
内視鏡検査の桜井先生から「胃腺ガン」の告知を受けたあと、伊藤先生の指示でCT検査を受診した。その結果の“末期ガン宣告”を伊藤先生から一緒に聞いた妻のお千代は、手術できない状況の説明は理解したものの、放射線・抗ガン剤治療の可能性と是非については、思いあぐねているようだった。
宣告から数日後、お千代がふと、「泰煌先生に電話してみる」と言った。野尻泰煌氏は、30年前に彼女が師事した書家で、王義之に心酔して幼時から研鑽を積まれてまれてきた作品は国際的にも評価が高く、日常生活では『菜根譚』の実践者である。息子と同年齢だが、私の墨彩画の励ましに手作りの「落款」を10数個も恵与くださり、展覧会出品作品などに使わせて戴いてきた。
帝国ホテルの喫茶ロビーで“宣告”に至った経緯と心境に耳を傾けた氏は、「抗ガン治療」に対する私の“選択”に賛同して、自身と門人の体験事例をていねいに話して下さった。中でも印象的だったのが「カバノアナタケ」で、ロシアのノーベル賞作家ソルジェニツインの小説『ガン病棟』で一躍脚光を浴びた「シベリア霊芝」の“免疫機能の活性化”で、身近な方々の高齢者末期ガンの進行が収束した事例だった。
この“キノコ”の薬効を知っていた私に、産地の北海道から直送してくださることになった。
3月1Ⅹ日(市役所へ行く)
“末期ガンの宣告”のときの伊藤先生は、「ガンが大きくなって吻合部を塞ぎ、食事がとおらなくなったら、栄養剤を注入する対症療法で、かなりの間、思索や執筆はできますよ」と励ましてくださったが、その措置を「在宅ホスピス」で受けたいというのが私の「選択」だった。
高齢者比率が高い浦安市では老人介護システムの構築が進み、特養老人ホームの訪問ボランティアとして8年間、月例「歌の花束」に参加してきた。
末期ガンで死ぬことに怖れはないが、ガンの苦痛に対処する緩和医療の訪問医や介護保険のことで、市役所を訪ねた。入口でぱったり出くわした浦安市合唱連盟理事長(浦安男声合唱団の仲間)のTさんに“末期ガン”を告げると、氏は絶句した。
昼食前の時間だったが、担当課女性の親切な応対で、浦安市の老人介護支援の現状がよく分かった。吻合部の閉塞が起きた場合の「在宅ホスピス」の相談では、末期ガン緩和ケアの経験豊富な訪問医の情報と介護保険認定のための調査員派遣の手配を得ることができた。30年前に“終の棲家”として選んだ浦安市の老人介護支援の充実を実感しながら家に戻った。
3月18日(浦安男声合唱団)
浦安男声合唱団(「浦男」)の第13回定期演奏会の“ワンステージ参加”の最初の練習日。末期ガンなど思いもしない昨年秋、団長Kさんからの誘いで参加を申し込んでいた。
「浦男」に入ったのは22年前である。「食道ガン手術」で再びのいのちを与えられた心境の変化で、「浦安市民第九合唱団」の公募に応じてコーラスを始めたのがきっかけだった。
同じ頃に混声合唱団「洋(うみ)」にも入団して多くのステージ(「第九」30余回、各合唱団の定期演奏会など)を踏み、「洋」を東京文化会館小ホールでの定演を期に、「浦男」は第11回定演で退団した。
平均寿命を超えた晩節に入り、人生の長い年月、毎週金・土曜の夜をお千代と一緒に過ごさなかったことに終止符を打ったのである。
『晩節の選択』に記した6年前の「前立腺進行ガン」の告知に人生の終末に向けた「断・捨・離」を決意し、定年退職後に楽しんだ〈唄う〉〈描く〉〈詩文を書く〉諸活動の戦線縮小を図ったのだ。
10月の本番ステージを踏めるかは、ガンの状態次第で不確実だが、親しい仲間と声を合わせる練習が自己免疫力を高めると信じて、月1回の練習参加を決めた私は、“ワンステメンバー”とで30余人の初練習を大いに楽しむことが出来た。
明日にでも親しい団員にだけは、“末期ガン”のことをメールで伝えよう。
3月2Ⅹ日(統合/分断の岐路)
EU(欧州連合)の原点であるローマ条約制定の祝賀式典がローマで開かれ、EU離脱を決めた英国を除く27カ国の首脳が出席した。
英国をはじめとする欧州各国に広がるEU離脱のナショナリズムを懸念してか、共同宣言には国ごとに統合の速度の多様化を容認する文言が盛り込まれたようだ。ドイツとオーストリアは極右政党の台頭を押しとどめたものの、ルペン氏の動向が注目されるフランス大統領選挙を目前に、加盟各国は分断か統合かの岐路に立っているのである。
国境の壁を取り払って、ヒトやモノの行き来を盛んにして、2度の大戦で荒廃した欧州と世界の平和と繁栄を築くことをめざす、人類社会の壮大な実験がピンチに直面しているのだ。
フランスは、EUの前身の創設以来の60年間、ドイツと共に欧州統合を引っ張ってきたが、その国が反EUに転じる事態が起これば大変なことになる。
欧米国民のかなりの部分に、既存エリート層による政治支配やグローバル化による格差拡大に対する怒りが強まっているのは確かだが、欧州統合や移民をやり玉にするのは、庶民を欺くポピュリズムのそしりを免れないだろう。
EU加盟諸国がこれまで培ってきた価値観を共有し強調して、統合危機の難関を乗り越え、人類社会の理想実現に立ち向かってほしい。
ルペン氏にエールをおくるトランプ米国大統領と肝胆相照らしたとする安倍首相は、明治憲法の昔に戻ろうとする時代錯誤の取り巻き支持者らと共に、その立ち位置をどうするのだろうか。
3月25日(明海大歯科診療所)
この歯科診療所のお世話になって10年が近い。施設長下島先生の患者へのわけ隔てない真摯、親切な応対に感謝し受診してきた。お千代も先生の大のフアンで、息子、娘一家もお世話になっている。
治療後の短い会話で“仏像鑑賞”がお好きと知り、仏像の拙画(縮小コピー)の額装を差し上げた折、食道ガン手術を受けたことも伝えていた。
先生は、形成された胃管が食べたものを十二指腸へ通過させるだけの機能しかなく、胃の消化機能に替わる歯の咀嚼力の維持が大切として、虫歯治療、部分入歯作成、クリーニングなどの診療を計画的に進められたなかで、「無用の親知らずは元気なうちに抜いておくのがいいでしょう」と言われ、昨年の秋、順次、処置してくださった。
“宣告”後の初めての受診で、“末期ガン”の事態と「在宅ホスピス」の選択を告げ、『晩節の選択』を渡すと、「うちの診療所でも在宅ケアに応じますから、安心してください」とやさしく言われた。
「人事を尽くして、天命を待つ」を着実に実践する決意を新たにした。
3月27~9日(“人事を尽くして”)
27日、市役所の介護保険認定の調査員が来訪。担当課の窓口で私が話した内容をちゃんと受け継いだ丁寧な質問(心身の状態、日常の生活、家族・居住環境など)に感心した。
訪問調査の結果と主治医(三楽病院・伊藤医師)の意見書による1次判定と、保険・医・福祉専門家による2次判定で、認定審査をするという。
介護保険認定の審査は「要介護(居宅・施設での介護サービス、1~5)」「要支援(介護予防サービス)1~2」「非該当(自立)」に区分し、申請から30日以内に届くそうだ。
市役所へ自転車で行ったくらいだから、日常生活では自立しているといえようが、閉塞が起きれば、たちどころに“要介護”になるので認定申請をした旨を説明したが、どんな結果になるか。
翌28日、ホームドクターの吉野医院を訪ねた。
浦安へ越して(平成元年)からかかりつけの女医だが、定年退職後は風邪もひかず、12年前に市からの通知で前立腺PSAの血液検査を受けたときから久しぶりの受診だった。
これまで三楽病院での3ケ月ごとの血液検査では5本も採血した上に結果を聞きにまた出かけるので、カロリーと栄養の摂取がギリギリの状態ではとても負担になるのを懸念して、「在宅ホスピス」の相談方々の久しぶりの受診だった。
“末期ガン”の終末を「在宅ホスピス」で過ごしたい旨を告げて、『晩節の選択』のあらましを話した。吉野医師は、訪問医として「小林クリニック」を勧めたが、それは、市役所の窓口で示された2、3の候補の一つだった。
女医・小林院長は、高齢者の末期ガン患者の在宅医療の経験が豊富で、わが家に近い住まいと聞き、紹介状をもらうことにした。
「在宅ホスピス」が必要なのは、ガンが肥大して吻合部が閉塞したときで、にわかに生じるものではないだろうと、当面の血液検査(1本)を吉野医院でとお願いすると、年輩のベテラン内科医は、ハキハキした明るい声で、「体重が激減して人生終末を抗ガン剤で苦しみたくない人に、多項目(抗ガン治療」に必要)血液検査はいりません」と、患者の気持ちに添うホームドクターらしく言われた。
29日、初めての「小林クリニック」で紹介状を出して、吉野医院と同じように状況の説明をした。紹介状に目を通しながら私のかなりの長い説明を黙って聞いたあと、テキパキと“オトコっぽい”印象の小林院長はおもむろに口を開き、「ご自身で状況をちゃんと把握され、終末の生き方をしっかり考えていられますね。末期ガンといっても、すぐに閉塞が起きることはなく、起きてもすぐに死ぬわけではありません。在宅ホスピスは引きうけますから、三楽病院から主治医の紹介状をもらってください」と、あっけないほど乾いた口調で話した。
老人介護保険申請をして調査員の来訪もあったというと、「松本さんのいまの状態では、要介護認定はないでしょうから、必要になれば私が手配します」と“けんもほろろ”に宣われた。
“末期ガン”の宣告をした伊藤医師に、「閉塞が起きたときは三楽病院へ入院して栄養補給の対症療法をすればいいのです」と言われたのを思い出した。
あのとき、「在宅ホスピス」を希望すると応じたら、「訪問介護医でうまくやるのは大へんですよ。入院すれば、四六時中、スタッフが対応して、ご家族の心配もありませんからね」と、いかにも大病院の医師らしい口ぶりだったが、この小林医師なら信頼してまかせられるとの信頼感が湧いてきた。
4月Ⅹ日(日比谷彩友会)
日比谷彩友会はNTT本社OBの「日比谷同友会」の〈お楽しみ倶楽部〉に登録し助成金を受けている絵画同好会である。〈唄う〉〈描く〉〈詩文を書く〉の三つの趣味活動でまだ、「断・捨・離」を免れている一つだ。
年1回の展覧会、春秋のスケッチ旅行、絵画研究会に10数年にわたり参加してきたが、4月4日の研究会に出す作品は、〝宣告〟の時点では描けていなかった。
春秋の研究会講師は「白日会」副会長深澤孝哉氏よる懇切丁寧な講評を、長年にわたり戴いてきた。1月に来た研究会の案内へ出席の回答をしたままで、今回の事態は、会員の誰にも知らせていなかった。
体重が激減して体力がない身では、元電電公社の本社社屋「NTT日比谷ビル」の会場に行けないが、来年は見れないかもしれない「ふれあいの森公園」の『春爛漫』を描き、お千代に持参してもらうことにした。
1昨年の春、この公園の一角の『一本桜』 を描いた絵が、「日比谷同友会会報」4月号の表紙絵に選ばれたのを偶然と思えないのは、あの春の桜が咲き初めて間もなく冷雨がつづき、満開の時期がかなり遅れたのに前後して、親しい友人が相次いで急逝したからである。会報の末尾に書いた「表紙のことば」の、『残る桜も』の小文「古代から日本人に愛されてきた桜にはいくつかの想いを抱いています。妙義山麓の満開の桜を描いたとき、唐突に、縄文人もここで花見をしたにちがいないと直感。(中略)。悔しいのは、敷島のやまとごころを人問わば朝日に匂う山桜かなの本居宣長が、山桜の“みやび”こそが大和心だとしたのを曲解し、軍国主義が発意した特攻隊の讃歌とされ、『同期の桜』の歌の流行で戦場に散った兵士と散り際の桜を重ねる風潮が生じました」を書いた。
お千代は『春爛漫』(10号色紙ヨコ2連)を携えて代理出席し、手紙と『晩節の選択』の原稿コピーを参加会員20余名に手渡して、深澤先生の懇切な講評をいただいたことを報告し、翌日、多くの会員から励ましのメールをもらった。
4月Ⅹ日(“残日録を書く”こと)
朝日の夕刊に作家古井由吉氏の新刊『ゆらぐ玉の緒』を扱ったインタビュー記事(柏崎歓)が掲載されていた。随筆風というのか随想風というのか。8作の短編は、作家自身の日常を淡々と書きつづるようにして始まるとする「作品」について、古井さん自身の言葉が列挙されており、私の今の心境と重なって、興味深く読んだ。
「時間というものが、過去現在未来という一直線の流れじゃなく、混ざったり集まったりしてるように感じることがあるんです」「突然今自分がどこにいるかわからないような、空間という自明なものが見慣れないものに見えてくることがある。(中略)空間と時間が壊れてしまうんじゃないか。そう思ってしまう」
書名の「玉の緒」とは魂を体につなぎとめる緒で、『ゆらぐ玉の緒』とは、人間の精神が固定されず、ゆらゆら揺れ動いている状況をさすそうだ。
「人はやっぱり、安定しているように見えることも実ははかないということを踏まえて生きる必要がある」「人間には、揺らいでいるときじゃないと見えてこないものがあるんじゃないか」
記事の末尾にある80歳作家の言葉「もうひとしきり書きたい気持ちがあるんです。年を取って書くのに時間がかかるし、ちゃんと書いているのか不安になる。でも、そういう書き方じゃないと出てこないこともあると思うんです」にも大いに共感して、この「残日録」を書いている。
4月11日(青桐日比谷句会)
この句会に参加して久しいが、第2火曜日の月例会が来るはやさに驚きながら、相変わらず、日常的即興句を出句してきた。
3月例会(14日)は“宣告”から日も浅かったが、〈詩文を書く〉趣味の一つの中断を躊躇い、事態のあらましを伝える手紙を添えた7句を、「日比谷同友会の事務局の手を煩わしてメールで届けた。 通常は兼題10句をNTT日比谷ビルの会議室に持ち寄る句会だが、4月は吟行が予定されていて、生憎の花の雨となった。
今回のメール投句に添えた手紙に、「花の雨の吟行となりましたが、“雨もまた佳し”でしょうか。先月は1時間半かかった流動食が通り難くなってきて、今は2時間以上かけてカロリー摂取の“大仕事”に励んでいます。
減り続ける体重は50キロ近くになりましたが、人生でいちばん大切な終末を、お千代と一緒に過ごす在宅ホスピスの日々を、「一日一生」の想いで生きています。
吟行の六儀園には数年前の“夜桜見物”に一家で行きましたので、今朝目覚めてすぐに当時の情景を思い出して詠んだ即興句をお届けしますので、よろしくお願いします」と記した。
句会参加者の投句は10句、欠席投句は7句で、その中からの3句。
足止めの田鶴橋(たづばし)に寄る花筏
末期ガン残花のいのち愛おしむ
わが妹と偕老同穴花の山
田鶴橋は回遊式庭園の中の島に架けられている橋で、妹山と背山のある島に渡ることを禁じる“足止め”があり、その情景を2句に詠みこんだつもりだ。
(続く)