新・浦安残日録(5)続・晩節の“選択”

続・晩節の“選択”            

(このエッセイは、「日比谷同友会」会報7月号に掲載予定原稿の転載です)

 

 会報4月号のエッセイ『晩節の“選択”』に書いた“末期胃腺ガン”の宣告から3ケ月が経過した。

「日比谷彩友会」「青桐日比谷句会」「こぶし会」ほか多くの会員(友人・知人)から、“選択”に同意・共感との電話・メール・手紙を戴き、ありがたく感謝している。 

日本では75歳以上の2人に1人がガンにかかり、3人に1人がガンで亡くなるとされるが、“末期ガン”の高齢者がいかに“終末”を過ごすかに同友会会員も関心を持たれていると拝察しての寄稿だった。

 

「ガンの進行状態から手術はできないし、放射線治療も胃腺がんには効かないでしょう」と医師に告げられたとき、“ピンピンコロリ”の願いは叶わないけれど、“終末”までの余命(長さは天寿だが)を自分らしく生き、過ぎ越した人生を振り返り、家族、友人知人との別れの機会をもつことができる!」と穏やかな気持ちだった。 

傍にいた妻のお千代が、抗ガン剤治療を勧める医師の言葉にしばし逡巡したが、治る可能性があるのなら、医師が勧めるどんな治療でも試させたいと願ってくれたのだろう。

 

「外科手術」「抗ガン剤療法」「放射線療法」はガンの3大療法と呼ばれ、健康診断やガン検診でガンと診断されると、ガンの種類、部位、進行状態によって治療方法が医師から伝えられるが、3大療法の組み合わせ、抗ガン剤の組み合わせに“標準治療”があるとされる。

ガンは昔の肺結核のように“いのちに関わる病”で、“ガン告知”を受けた患者や家族は、どんなことをしても「死」から免れたいと思うから、対症的にガンを除去、撲滅、縮小させる3大療法に頼りきることになり、医師や看護師がガンになっても近代医療の標準治療を選択するようだ。

 

極めて稀な早期のガンで食道全摘出を決断した私は、近代医療のお陰で今日までの長い余命を得たが、その翌年(1993年)、売れっ子テレビキャスターの逸見政孝さんが、数度のガン手術の挙句に壮絶な死を遂げことがテレビ各局で報じられた。

 有名な前田外科病院(現赤坂見附前田病院)を紹介され、「初期ガンですから、手術すれば完治します」と告知した担当医を信頼していたが、実際は「初期ではなく、ギリギリのところで全てのガンを取り除いたが、5年先での生存率はゼロに近い」と病院側で分かっていたという。

 

前田外科に全幅の信頼を置いていた逸見氏は、夫人が他の病院の診察(セカンドオピニオン)を勧めても、「自分が決めたことに対して一切口出しするな!」と激怒した上で転院した東京女子医科大学病院で、権威ある執刀陣の13時間にも及ぶ大手術を受けたものの、1ケ月後に生じた腸閉塞で絶食状態となり高栄養点滴を受けたが衰弱が進み、抗ガン剤の副作用で表情豊かな逸見氏の相貌とはほど遠くなったという。ほどなく迎えたクリスマスの夜半に亡くなったが、ガン発見から1年足らずの“ガンとの激闘”も空しく48歳の人生に幕が下ろされた。

 

『晩節の“選択”』追記で書いた柳田邦夫著『「死病」への序章』の西川医師のケースは、前立腺ガンを宣告されて受けた睾丸摘出手術と放射線治療のあと再発・再入院の抗ガン剤の副作用で激しい嘔吐・下痢と朦朧とした気分で仕事の意欲をなくした医師は、抗ガン剤治療を自らの意思で中断して病院を脱出した。「3大療法」の果てに開眼して1年、ガンの体験を克明に記した日記と1冊の著書『輝け 我が命の日々よ』を残して、旅立ったのである。

 逸見氏と西川医師の働き盛りの人生の終末となった“末期ガン”との向き合い方の“光と影”から多くを学ばせてもらった。

 

『晩節の“選択”』文末に書いたように、“末期ガン”で終末に向かう日々のことを、「松本文郎のブログ」の新連載『新・浦安残日録』に掲載しているので、ご覧くだされば幸いである。

その(4)に、以下の事項を記した。

・「老子」や『菜根譚』の生き方を実践する書家(私共夫婦が長年敬愛してきた)から勧められた民間療法の「シベリア霊芝(カバノアナタケ。ロシアのノーベル文学賞作家ソルジェニチンの小説『ガン病棟』で一躍脚光を浴びた漢方)の服用開始。

・“自宅で死にたい”ための「在宅ホスピス」の段取りで、市役所の老人介護保険認定申請と調査員の来訪、ホームドクター推薦の訪問医師決定など。(1ケ月後に「要介護2」の認定通知)

・栄養とカロリー摂取のための流動食の工夫(基本的10食品:肉、卵、牛乳、油、魚、大豆、緑黄色野菜、芋、果物、海藻から最低7品目を組み合わせる)と、補助栄養食品の積極摂取。

・全身ストレッチ、目・耳・鼻・頬のツボ指圧、顔面・首・頭皮のマッサージ、腹式・胸式呼吸法と朝夕の散歩・入浴(内湯湯治?)など30分のウオーミング・アップの励行。

・積極的な諸活動<唄う><描く><詩文を書く>の縮小・維持。

 この“生活習慣”と“生き方”が効を奏したのか、昨夏から減り続けた体重(6052キロ)が下げ止まる傾向が出てきた。

  

ガンが塞ぐ狭窄箇所を通る流動食は、なんとか通したいと焦るほど狭窄箇所に滞留するので、

2時間かけても予定の半分に満たないこともある。根を詰めて文章を書き絵を描くとカロリーを思いのほか多く消費し、0.5キロ前後の体重上下が生じる。523キロは新婚時代の体重で、その辺に落ち着いてくれればいいのだが、一喜一憂はストレスになる。

夜の入浴前の体重を、浴室の脱衣場の壁のグラフに記し“あせらず”“あきらめず”の言葉を添えている。食道ガンから生還して職場復帰して、書斎に“怖れず”“焦らず”“伸び伸びと”“楽しく”と大書した紙を貼り24年の年月を生きた。平均寿命を超えた寿命では、“怖れる”ものはなく、“伸び伸びと”“楽しい”日々を過ごせるように祈るばかりだ。

 

「ガン腫瘍が増大して吻合部が塞がり、栄養・水摂取が出来なくなれば入院して注入の措置をすればよい」と伊藤医師は三楽病院(乙羽信子さんの終末)のへ入院を勧めるが、伊藤医師と「在宅ホスピス」の訪問医との連携体制はを段取したので、よほどの事態(末期ガンの激痛の鎮静が在宅で不可能)でない限り、自宅の庭を眺めながら晩節の“選択”静かに「死」迎えたいと願っている。

 

24年前の“ガン告知”と4ケ月に及ぶ入院・手術の病院生活で、“ガン”や人間の“生死”について多くの本を読み考えを巡らせたが、今回も、書棚の本を数冊選んで再読した。

『死ぬための生き方』(新潮45編集部 編)/『100歳のことば100選』PHP文庫)/『人間について』(平凡社)

『死ぬための生き方』(新潮45編集部 編)は、各分野で優れた仕事をされた42名の執筆者が、西欧中世の“メメント モリ”(死を思え)という重い主題で書いたエッセイ集である。

 執筆当時で最高90歳から最低50歳までの幅があり、日中戦争、太平洋戦争、敗戦、高度経済成長の各時代を切り開き努力を重ねて“生きてきた”方々の真摯な文章に、“人は生きてきてきたように死ぬ”という姿が見えた。

100歳のことば100選』は、「新老人の会」主宰・日野原重明氏が満百歳で編著。多彩な分野

の長寿な人たちの“感銘することば”が収録されて、再び読んでも、励ましと安らぎを覚え、共

感を新たにした。

 

その<はじめに>に、百十歳をめざす日野原さんの実践が紹介されている。

・歩くこと。15千歩以上歩く努力をする。

・食べること。30歳のときの体重・腹囲を維持する。

・寝ること。ウツ向けに寝て2分で熟睡する。

・着ること。下着は薄着、寒暖の調整は上着で。

・考えること。集中していればお腹はすかない。

・書くこと。読書で引き出しを多くしておく。

・会うこと。会話は“ド”からではなく“ラ”から。

 これらの実践項目は、日野原さんの「成人病は生活習慣の乱れから」の持論とご自身の「生き

方」が土台にあり、信奉者の1人として私なりに努力してきた。

 

末尾の“私からひと言”は、「人生は50歳とか60歳で前半、後半と分かれるものではありま

せん。ハーフタイムは、だんだんあとにきます。そしてあとにくる人生のほうが濃縮するのです」

『晩節の“選択”』で引用した国立ガンセンター元総長杉村隆氏の「死とはその人の人生が短期間

に集積されて出てくるものではないか」と併せて、“終末を生きる”私への深い示唆である。

 

『人間について』は、日野原さんの本が刊行された年(前立腺進行ガンの治療を勧められた2011年)に見明川住宅の“夏祭り古本市”で見つけた好著だ。敬愛してやまない司馬遼太郎氏と山村雄一氏(臨床免疫学者,大阪大学元総長)の対談である。

 司馬さんは、「膨大な“経験則”の集積だった医学が“科学的”に進歩した結果、“科学”の自
己目的化から、人間の幸せをめざす“医学”の原点が忘れられるかもしれない。医学者は、人間というものを考える義務があり、知的総合者としての立場を失うとまずいことになる。“医者の哲学”、“患者の哲学”が必要だ」と述べ、生化学的方法を「ガン」に応用して基礎医学からガン臨床免疫学者になった山村さんと、人間を中心にした様々な問題を語りあっている。

 文学と医学の泰斗ご両人の含蓄と示唆に富む対談で、「人間に対して大きな恩恵をもたらしつつある医学の進歩に、“光明るければ影もまた濃し”の“影”に対する配慮が必要な時代」と強調されたのが印象的だった。

 私が、前立腺ガンの治療を避けたのは、この「対談」と「65歳からの前立腺ガンはほっておくのがよい」という本を読んで決めたのである。

 

「ガン治療」を受けない静かな終末を迎える“選択”をしたあとは、“末期ガン”に関する新刊図書を読んだ。近藤誠著『がん患者自立学』(晶文社2017.4刊)/阿部吉伸著『アクセル+ブレーキでがんを滅ぼす免疫療法』(幻冬舎2016.6刊)/前山和弘監修『がん細胞を徐々に消していくために患者ができること』(文昇堂20168刊)である。 
 
 近藤誠さんは、慶応大学医学部放射線科講師を長年務め、『患者よ がんと闘うな』(文芸春秋
1996刊)で“ガン治療”の常識を砕く一連の持論で毀誉褒貶の激しい人で、この衝撃的タイトルの著書は、私ガン手術の成功で生還し4年を経た年に刊行されて一世を風靡したが、早期発見と手術のお陰で命を長らえて、NTT建築総合研究所副社長を勤め上げた私には違和感を抱かせ、肯える論点もあるが、かなりの“極論”に感じられたので、以後の著作は“遠ざけて”きた。

 独特な持論の著作を列挙すると、『成人病の真実』『健康診断は受けてはいけない』『がん放置療
法のすすめ』『抗がん剤だけはやめなさい』『医者に殺されない47の心得』『免疫療法に近づくな』『がん治療の95%は間違い』『がん患者自立学』などがある。

 近著の『がん患者自立学』は『患者よ ガンと闘うな』から
20年の刊行、タイトルと対談者
の三砂ちづるさん(『死にゆく人のかたわらで』(幻冬舎2017.3刊)の著者)への関心から、“末期ガン宣告”から間なしに新聞広告でみつけ、妻と一緒に読んでいた。

 三砂さんは、ロンドン大学衛生熱帯医学院研究員と
JICA(国際協力機構)疫学者として世界
中で疫学研究と国際協力活動に携わって、“末期ガン”の告知を受けた夫が近藤さんの「セカンドオピニオン外来」を受診して2年後に亡くなるまで自宅で看取った人である。 

 「対談」の三砂さんは、わが国の病院医療の“患者への過剰な介入”について警鐘をならし続け
てきた近藤医師がなぜ、ガンを治療せず、放置したほうがいいと考えるようになったか、その根本を訊ねている。

 

なぜガン治療をしないかについて近藤さんは、ガンの性質が大きく関与しているとして、

・ガンの性質は、初めから運命的に決められており、再発し、転移するガンと発見が遅れても転移しないガンに分かれる。

・早期発見ならどんなガンでも治るというのは間違いで、早期ガンの死亡率は下がっていない。

の持論を述べている。

 “抗ガン剤治療”について近藤さんは、悪性リンパ腫や白血病などの「血液ガン」治療に、格段に進歩した抗ガン剤が成功しつつあると認めながらも、胃・肺・乳・子宮ガンなど、いわゆる「固形ガン」ではうまくいかないで、ガンの縮小率も非常に低く、寿命ものびたかどうかわからないとしている。

 

70年代以降、繰り広げられている激しい開発競争で生まれた抗ガン剤の乳ガンと卵巣ガンの縮小率は60~70%と高く、15%の完全寛解率(検査でガンがみえなくなること)とされていたが、検査方法がⅩ線撮影ではなく,CTPET・エコー・MRIではごく小さなガンもみつかり、完全寛解率は下がっているという。

 近藤医師によれば、高度な検査方法による微小ガンの発見で、放っておいても何年も生きられる人たちへの抗がん剤治療で、長生きできたように勘違いされているのだと、手厳しい。

 固形ガン治療の専門家・腫瘍内科医による抗がん剤治療では、次々と別のものを使う「乗り換え治療」の抗ガン剤の毒性で、延命どころか縮命が生じていると嘆じている。

 

 近藤医師の持説はと一線を画すと思われる阿部吉伸医師『アクセル+ブレーキでがんを滅ぼす免疫療法』で述べられている「抗がん剤治療」は、

・転移したガンには「局所治療」である手術・放射線治療は効果を発揮できず、「全身治療」の抗ガン剤治療しかない。(筆者のケース)

・ガン細胞を攻撃する抗がん剤治療に、「化学療法」「分子標的療法」「ホルモン療法」があり、日本に多い「化学療法」は、細胞のDNAに影響を与えて増殖を防ぐもので、分裂している細胞にしか効果がない。分裂している細胞は正常なものでも容赦なく攻撃する副作用や“薬剤耐性”により「乗り換え療法」となり、抗ガン剤の強い副作用で体力が消耗し、寝たきりになる危険を秘めている。

・転移したガン、転移の可能性のあるガンに保険診療で対抗するには「抗ガン剤」しかないが、抗ガン剤 の健康保険適用の“有効判定基準”は、○ガンが半分以下になった状態が4週間以上継続し、この現象が10人中3人に見られると“有効”と判定される。

 

だが、ガンが一旦は小さくなっても、1ケ月もすると再び大きくなり、認可された抗ガン剤でも、ガンが治るとは言えない。ガンは転移しても痛みがなければ比較的元気に生活し、旅行や趣味に興じることもできるが、抗ガン剤治療を始めると、強い副作用で吐き気・下痢、だるさなどが生じて外出すら難しく“生活の質”は極度に低下する。

抗がん剤治療を受けてもガンがまったく消えず副作用だけが残るケースが半分で、仮にガンが半分になっても、ガン細胞の分裂速度から約1カ月で元の大きさに戻ってしまうこともある。

 あっという間にもとに戻る治療のために何カ月も副作用で苦しむことや正常な組織や臓器がダメージを受けて免疫力や体力が衰え、寿命が縮む(縮命)ことを患者や家族は知らされていない。

 しかも、一般的な「化学療法」によるガンの治癒率(5年後生存率)は、絨毛ガン(90%)、睾丸腫瘍(75%)、悪性リンパ腫(50%)急性骨髄性白血病(20%)、卵巣ガン(⒑%)で、5種類はガン全体の10%に過ぎず、これら以外のガンは抗ガン剤では治療できないという。

 

 近藤・阿部両医師の著書を読んだのは、“宣告”から1ケ月たったころである。

 24年前の早期の食道ガン術後は、放射線・抗ガン剤の治療はなくて、70歳の4.6から7年後の30台に上昇した前立腺PSAでも、抗ガン剤治療を断ってきた。「抗ガン剤」の経験と知識はなくても、この2冊の本に鑑みて、私の“なにもしなかった選択”は、“当たり!”だったと思っている。

 

健康な人間でも日に5千個のガン細胞ができるが、ガンを発症しないのは、己に備わる免疫機能がガンの増殖を抑制しているから、と阿部さんの本で学んだ。つまり、自己免疫力がなんらかの原因で低下すると、免疫機能を担うリンパ球がガン細胞を見逃して、毎日発生するガン細胞から“生き残り”が出てガンが発症するという。

 

全身のリンパ節に転移した第4ステージの末期ガンを宣告された私に残された“抗ガン剤治療”を医師が勧めるのは、まさに、「標準治療」そのものなのである。

しかし、“効くかもしれない”というあいまいな可能性に賭けて、自己免疫力を低下させる「抗ガン剤」に頼り、大事な終末の日々を台無しにはしたくないのが私の“選択”だった。

 

“末期ガンの宣告”から3ケ月の日の朝、新聞受けから取り出した1面の広告欄から、『がん細胞を徐々に消していくために患者ができること』の活字が目に飛びこんだ。本誌4月号の追記で書いた『「死の医学」への序章』(柳田邦夫著)のように、末期ガンで「死」に直面する私が不思議な“出会い”をした本の2冊目だ。これらの本を路上と新聞受けに知ったことが、天啓のように思われた。

 

監修前山医師のクリニックには、病院の「標準治療」がうまくいかなかったり、発見されたとき“末期”とされた患者が多いそうで、同じ“病態”の患者は1人としてなく、ひとりひとりが異なる遺伝子をもち、60兆個の細胞とそのキャラクターが決まる。ガン細胞のキャラクターも患者自身のものだという。

  大病院で「標準治療」を金科玉条にする医師たちは、患者を診みずに、ガンそのものだけを診ているのではないか。スタンダード(標準)の患者などいないのに、「標準治療」のマニュアル的な治療は本来、成り立たないのだ、と<まえがき>「ガンは自分で治す時代」で述べている。

さらに、“医師と患者は対等”“医師にとって面倒な患者になる”“医師は、患者が使いこなす道具”という“逆転のすすめ”で、ガンを病院任せ、医者任せにせず、患者自身が勉強して、ガンを治すために自らができることを勧奨している。

 

 第1章「『劇的な寛解』に至るために実践してほしい3つの事柄」に、生活習慣を変える/治療法を自分で決める/サプリメントを正しく選ぶ、の3つがあるが、

その元に、『がんが自然に治る生き方 余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』があるいう。

著者のケリー・ターナー氏(ハーバード大で学士号、カリフォルニア大で博士号を取得)は腫瘍内科の研究者。自らの研究過程で、現代医学の治療を受けないでガンが治った人々の存在を知って衝撃を受けた人だ。

千を超す症例の調査から導かれた9項目の内容に目を見はった。抜本的に食事を変える/治療法は自分で決める/直感に従う/ハーブとサプリメントの力を借りる/抑圧された感情を解き放つ/より前向きに生きる/周囲の人の支えを受け入れる/自分の魂と深くつながる/「どうしても生きたい理由」をもつ。

 これら項目のすべては、“生活習慣”と“生き方”として、長く私が実践してきたことばかりではないか。なんという“スバラシイ”本との出会いだろう!

 

本稿の締め切り間際に知ったターナー博士の著書を、浦安中央図書館で探し、その詳細を知りたい気持ちがつのるが、前山医師の“3つの事柄”についてだけ、簡潔に記しておこう。

○生活習慣を変える

「ガン」は己の細胞が突然変異したもので「完全寛解」しても再発の可能性があり、糖尿病・リュウマチと同じとされる。ターナー博士の「9項目」は、ガンに罹った人だけでなく、ガンに罹りたくない人も読むといい本ではないか。

○治療法を自分で決める

 先端科学の粋を集めて進んできた3大療法ではガンを治すことは難しく、東洋医学等の“補完代替療法”を取り入れる臨床医、患者を人間全体として捉える「統合医療」(ホリスティック医学)をめざす病院が増えているというのは、まさに“我が意を得たり”だ。

“末期ガン”の宣告で、駆り立てられるように書いた『晩節の“選択”』で、「一切の抗ガン治療は受けず、これまでの“生活習慣”と“生き方”を続けて生活の質を可能な限り維持したい」の“選択”も、天啓のような気がしてならない。

○サプリメントを正しく選ぶ 

“老子の生き方”“菜根譚の暮らし”を実践する書家に勧められた「シベリア霊芝」の服用は、歴史と伝統と科学的根拠がある「ガン免疫療法」として、前山医師の「メディアートクリニック」などの臨床データの中に記されている。

 

60兆個の“いのち”の動的平衡」の考えに立つ私は、「ガン医療」の在り方を巡る論議に、「原発問題」と同じ“間違った技術論”がもたらした混迷を感じます。

『人間について』で、功利主義的になった“科学技術”が懸念されていましたが、「科学・技術」と「哲学」を総合した観点で人間・社会を見直す必要を痛感します。

『晩節の“選択”』はあくまでも、私という“オンリーワン”のスペシャルケースとしてお読み頂き、ご自身の夫々の“選択”をなさるよう祈念して筆を擱きます。

                                   (了) 

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2017/06/19 13:11 2017/06/19 13:11
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