新・浦安残日録(号外3)

続・家で終末を迎える日々

  

 この拙文は、『家で終末を迎える日』(会報新年号)に書いた、ステージ4の「胃腺ガン」による食道閉塞が悪化し、自宅介護では対応できず、ついに緊急入院に至った顛末のご報告です。

9月、主治医の伊藤先生に「終末」が週単位でくると告げられた私は、家で家族にみとられるための訪問医/訪問看護師/ケアマネージャーの人選を急ぎ、10月末,契約しました。

 11月中に大きくなったガンの閉塞がいっそう進んで、ストローほどの狭い穴からやっと通った“流動食と水”が渋滞し、月末の体重は栄養不足と脱水とで39キロまで低下しました。

 飲み込んだ唾が閉塞箇所に溜まり、ノドまで上がってくるのを頻繁に吐き出さなければ、誤嚥で呼吸困難になる怖れを抱くほどになり、就寝中に溜る唾の息苦しさでほとんど眠ることもできなくなりました。

ガン宣告から老々介護に明け暮れて疲労困憊していた妻のお千代は、深夜に誤嚥で窒息しかけても介護チームの“駆けつけ電話連絡”では間に合わない、とチームに相談。主治医・伊藤先生との連携で126日、三楽病院へ緊急入院しました。

 

立ち上がるのもやっとになった私は、ケアマネージャーが手配したストレッチャ搬送車で妻・娘と病院へ行き、すぐに伊藤先生の診察を受けました。

9月の検査と診察でお聞きしたのと同じ質問ですが、延命措置を受けますか/ステントの装着をしますか/抗がん治療はどうしますか。ガンによる閉塞の有無を検査してからですが、この事態を変えられる手立ては『ステント装着』だけですよ」

私たち(お千代・晶子共)を待ち構えていた先生が、きびしい顔で訊ねられました。

9月のお話で、終末が早くなると覚悟はしましたが、自宅で窒息死するのは平穏な終末とは言えませんので、閉塞を防げるなら「ステント装着」はお願いします。でも、延命措置と抗ガン剤治療を受けことは、エンディングノートにも書いてあります」と申しました。

 

病室のベッドにおさまるとすぐ、食道に溜っているものを四六時中排出するチューブが挿入され、水と栄養がほとんど摂取できず脱水症状をきたしていた体に、食塩水とビタミン剤の点滴がはじまりました。

2人部屋の隣りのベッドは末期ガンの痛みで緩和ケアを受けている男性。入院初日から、夜中に何度ものナース・コールで度々目を覚まされてよく眠れず、翌日は親せきや知人がお別れ(?)に来られるなど、病院の“末期シーン”をカーテン越しに体験することになりました。

 

7日のⅩ線検査で、食道背後の気管支、右肺動脈、大動脈に近接するガンの閉塞箇所に、内腔と通気性が保たれており、「ステント装着」が可能と分りました。

 内視鏡による装着の際、腫瘍や気管支・動脈に重大な損傷を起こすリスクの説明を受けましたが、ほかの選択肢はなく、手術説明書にサインし、形状記憶合金のステントが発注されました。

 手術の説明書にサインした翌12日、消化器内科の与田先生により装着は見事に成功。水が通り、唾も溜まらなくなって、食道のチューブが抜かれました。

 

装着後のステントは34日で設計形状になるとされ、手術の翌日から重湯など流動食がはじまり、3日後にはお粥と咀嚼しやすい副食に変わり、朝夕回診での伊藤(外科)、与田(内科)、板東(緩和ケアチーム)の諸先生と病棟看護師・介護士のみなさんが、完食する度にとても喜んでくださいました。

伊藤先生は、「ステントがうまくいってよかったですネ!でもこれは、食道の狭窄を一先ず凌いだだけですから、治療しないガンが大きくなり、ステント入口でどんな事態が生じるか分りません」「でも、病院ではなくご自宅で終末を迎えたいご希望なので、退院後は、食事に精出して体重を取り戻すことに努めてください」と励まされました。

 緩和ケアの板東先生には、「お陰で自宅ホスピス(自称)へ戻れます。今回は緩和のお世話にならずに退院しますが、次回はよろしくとは申しません」と冗談めいて挨拶すると、「もし、胃腺ガンと前立腺ガンが暴れだしてここ(ホスピス棟)へまた入院されたら、松本さんが願われる終末に添った緩和ケアをさせていただきます」と女医さんはやさしく応じてくださいました。 

 

病院でなく自宅で終末を迎えたいと決めた心境は、末期ガン宣告を受けて書いた『晩節の選択』と『続篇』に記したように、大病院の「ガン治療」の疑問点をさまざまな視点で告発した数冊の本に学んだ結果でした。

細かく専門分化したタテ割りの専門診療科目ごとに、患者の体にふれずにパソコン画面と向き合い、標準治療の処方を告げる医師の3分診療では、それぞれに性格、遺伝、病歴、生活習慣、生き方が異なる人間を、ちゃんと全体的に診察・治療することはできないでしょうし、1人の患者に複数の専門診療科がチームを組んで当たることは、なかなか望めないでしょう。

 

でも、私を担当された“診療チーム”(外科・消化器内科・緩和ケア)の先生たちは、看護ステーションのケア日録と処置状況をよく把握して治療に当たられ、病棟全体が経営実績指向型の大病院の“人間修理工場化”にはない、患者中心の温かさに満ちていました。

 自宅の終末を望む人が7割を超えるなかで、願いを叶えているのは約3割。7割もの人々が病院で亡くなっています。高齢ガン患者が、苦しいガン治療の挙句に家族にみとられることなく、一度きりの人生を閉じているのです。

 

2025年の死亡者数は約150万人と推定される今、高齢者への健康保険負担額の膨張に業を煮やした政府は、医療機関だけで対応できなくなる「看取り」を在宅医療で担う体制づくりを始めようとしています。

 自宅や介護施設で訪問看護を受けた人2016年)は約67万人。団塊世代が75歳以上になる2025年には百万人を超えると推計され、高齢化の加速で、要介護・支援を受けている人(2016年)は620万人で、自己負担をのぞく給付額(約9兆円)は、介護保険制度創設時(2000年)の3倍近くに膨らんだとされます。

 

増大する介護保険給付額の膨張を抑制するために、4月から介護サービスの料金(報酬額)改定が決まり、高齢者の自立支援に取り組む事業者への報酬を手厚くし、介護従事者の待遇改善、「介護離職ゼロ」の実現をめざすとされます。

その根底には、高齢化による「多死社会」到来で病院ベッド数が足りなくなるのを見据えた政策がみえていて、特別養護老人ホームに入居できず、病状や家庭環境などの事情で自立できない独り住まいの高齢者たちが、だれにも気づかれずに亡くなる悲惨な状況が加速されなければと心配です。

 自宅で家族に看取られて終末を迎える私には、終の棲家と決めて越してきた(平成元年)浦安市の「老人介護体制」が、市民の要請と市関係者の努力で充実しているのはラッキーで、体制の確立がこれからという地域は少なくないと思われます。

 

三楽病院を退院した1222日は、奇しくも、食道ガン手術の折の23日から丸25年で、双方の「いのちの恩人」である伊藤先生との不思議なご縁の深さを感じています。

 退院してはや2ケ月近く経ち、お千代の心尽くしの三度の食事をケンメイに完食しているので、体重は退院前日の41キロから47キロまで戻りました。 

 

ステージ4のガン宣告から約1年、「日比谷同友会」会報の拙文数篇の会員読者と、それらを転載した『文ちゃんの新・浦安残日録』(「松本文郎のブログ」のカテゴリー)を見られている方々から戴いたメール・手紙のファイル(A4・80枚用)は8冊目です。

それらの文通には、NTT東・西日本の都市対抗野球戦の応援招待状を受け取り、「今年は、末期ガンで体力がなく、私自身は参れません。健闘をお祈りします」とお詫びした私の手紙へ三浦 惺さん(持株会社会長)、村尾和俊さん(西日本・社長)からの励ましの返信もあり、うれしいことに、ムリをして出向いた決勝戦の応援で36年目の優勝シーンに立ち会うことができ、自己免疫力活性化に大きなエネルギーを戴きました。

 

「ステント装着」の成功で一先ず、いのち長らえましたが、伊藤先生のご忠告のように、「ガン治療」を受けない身に、また、何が起きるか分りませんが、これからも、たくさんの人たちのお励ましと家族の支えで、まだ生かされている“終末の日々”のいのちをありがたく享受してまいりたいと存じます。

                                      (了)


残念なお知らせです。
長年ブログを書いていただきました松本文郎さんが2018年8月27日に他界されました。
故人のご冥福をお祈り致します。
長年故人のブログをご愛読頂いた皆様に心から感謝申し上げます。  

故人のブログプロデュースに関わった人間としてとても悲しく思います。   森下


添付画像


2018/03/03 19:46 2018/03/03 19:46
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