アラブと私 
イラク3千キロの旅(3)
 
              松 本 文 郎
    

「アラブと私」の連載も3回目となった。
 同じ団地に住む「日本ジャーナリスト会議」・広告支部の機関誌にたずさわる矢野英典さんに誘われて書き始めたエッセイである。
 いずれはと考えていた1970年からの4年間を仕事で滞在したアラブへの想いを書きとめる、よい機会を与えられたと感謝している。
 単身時の休暇のイラク旅行、家族をクウェートに呼び寄せてからの仕事と生活、エジプト旅行などの紀行文・滞在記が、30歳代後半の自分史の一環になればと願っている。
 1回目で書いたが、小田実の『何でも見てやろう』に触発された私は、彼の旅のスタイルだけでなく、文章の方法と文体も意識して、このエッセイを書いてみたいと思う。
 その流儀に従って、当時の旅や仕事・生活を辿りながら、73歳の今の私が感じ、考えていることへの道草もしてみたいのである。 

 
 ところで、交渉次第でダンサーをホテルに呼べると教えた独り者のユーセフが、その夜どうしたかは知らない、と前回の末尾に書いた。
 ベリーダンサーがみんな、客と一夜を共にすると思うのは早とちりの謗りを免れないが、エジプトではダンサーだけでなく、映画女優にもそんな風なのがいると聞いていたので、芸能界はどこも、男女の関係が「ユルイ」のかと思う。
 男どもが狙う女たちといえば、石油が出る以前のクウェートで、天然真珠採りの漁師らが通う岡場所があったそうで、古今東西、男のいるところには、遊女や娼婦が欠かせないかにみえる。
 最近では、ハンブルグの飾り窓のような公娼窟がある国は少ないものの、あの手この手でこの種の商売をしているのはどこの国も同じだろう。 

 私が大学に入った頃に公娼が禁止された日本は、いまでは、六本木の成金目当ての高級娼婦、東大出のコールガール、援助交際という名の少女買春など、なんでもありでセックス産業が盛んな国だ。
 ついでに言えば、娼館の女あるじが舞台回し役の映画「風と共に去りぬ」「エデンの東」のアメリカでは、大統領が女子大生に性的サービスをさせたり、有名な上院議員総務が、ばか高い料金のコールガールとホテルで過ごしたのが露見して、世界中に報道されたりしている。
「女(男)は金で買える」と言って憚らない人間が少なくない現代社会の性の営みの行く手に、どんな姿があるのだろう。
 妻を「ただでできる」女としか見なかった夫が、「元気で留守がいい」とされたあげくの定年退職で、江戸時代とは逆に妻から三下り半を突きつけられてびっくり仰天するのは「昼ドラ」だけじゃない。
 一方、美しい肢体で踊りの上手いダンサーや美人女優と「ご一緒したい」と願うのは、美人妻に逃げられて四半世紀も独身の矢野さんならずとも、大方の男達の願望ではなかろうか。

 かの『千夜一夜物語』に男のロマンをかき立てられるのも、美しい女性を独り占めする権力者のようになりたいと夢みるからだろう。
 寄り道ついでに言うと、上野の国立西洋美術館で開かれている「ウルヴィーノのヴィーナス」展に、西洋絵画屈指の名作であるティツィアーノのヴィーナス像が展示されている。
 このモデルは、ベニスの高級娼婦の一人だったといわれ、ルネッサンス時代、フィレンチェと同様に栄えたベネチアでは、人口11万人に1万1千人の娼婦がいたそうだ。
 上記のヴィーナス像やウフィッツィ美術館の至宝「メディチ家のアフロディテ」は、理想の女性裸像を見る喜びと美意識を発達させたと言われている。
 中学生のころに、百科辞典でポッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を見て興奮したのも懐かしい思い出だ。

 
 バスラに戻ろう。
 イラク戦争開戦から5年目を迎えたバスラは今、シーア派の反米強行派の指導者サドル師への根強い支持がある地。3月末には、バスラの大油田地帯の利権を巡ってシーア派同士がしのぎを削り、マリク首相率いる治安部隊とサドル師傘下の民兵組織マフディ軍の激しい戦闘で多数の死者が出たばかり。
 10月に地方選挙を控える事情で、突然、バスラでの民兵掃討作戦に乗り込んだマリク首相は、治安部隊の能力の限界を知らされたようだ。
 掃討作戦には米兵も加わっているが、バグダッドを占領した当時の米国が予想もしなかった、イラク人同士の内戦拡大のおそれが生じたのである。
 ブッシュ政権の性急な軍事介入で、サッダム・フセインが強権で閉じ込めていた民族・宗教的問題のパンドラの箱が開いてしまったのだ。
 シーア派、スンニー派、クルド人らの三つ巴の争いの行く手に、ベトナム戦争末期の様相が見える。

 バスラの歴史には、数々の戦争や紛争が暗い影をおとしている。中世から近世にかけてのオスマン・トルコによる支配、トルコとイランの紛争、第一次世界大戦時のトルコの敗北とイギリスの保護下でのイラク王政府の設立、第二次大戦下でナチスドイツ側についたイラクをイギリスが短期占領したなどである。  
 ナチスと戦っていたソ連への援助物資の輸送が英米共同で行われたのもバスラ経由だった。

 今回の自衛隊派遣以前の日本とイラクのかかわりには、欧米列強のようなキナくさいものはなくて、日露戦争でロシア帝国に勝利したことや太平洋戦争で敗れたあとの奇跡的な復興と驚異の経済発展などが、ユーセフらには好感されているようだ。
                   (続く)







2008/07/03 17:15 2008/07/03 17:15
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