アラブと私
イラク3千キロの旅(15)
松 本 文 郎
度々の道草のせいか、『イラク3千キロの旅』の道中が繋がりにくいきらいがあるとの読者の声があり、前々号(13)で、ときに再読されるようにお願いしたものの、読者に不親切な言い草ではなかったか、いささか気になっていた。
いよいよアハラムが住むバグダッドなので、彼女との再会のくだりを一気に書きたいのだが、今回は、これまでのあらましを再録し、大切な読者の声に応えることにしたい。
『アラブと私』は、バスラからバグダッドをへて、モスルにいたるイラク縦断の旅から書き始めた。
その想いは、四十年前の若き日の体験記述にとどまらず、一緒に仕事をし、家族ぐるみの付き合いをしたアラブの人たちが二○○九年の今直面している過酷な現実を書き加えることで、当時と同じように、アラブの平和と発展を祈りたいのである。
石油に浮かぶ国クウエイトの電気通信システムの技術コンサルタント業務に建築家としてかかわった四年間の体験を軸に、往時のアラブと今日の状況を重ねるなかで、アラブに対する私の立ち位置を確認し、「イスラム」について再学習したいのである。
この五月、米軍撤退をひかえたバグダッドでは、爆弾テロによる多数の死者が連日報じられている。
サダム・フセインが強権で束ねていたスンニ派・シーア派アラブ人とクルド族の三つの共同体がばらけてしまい、イラクは、もはや一国と呼べない状況だと主張する向きもある。
「イラク3千キロの旅」を始めた南部地域バスラにはシーア派が多く、中部のバグダッドは両派アラブ人、北部のモスルにはクルド族が圧倒的に多い。
これらの地域は、オスマン帝国を破って委任統治したイギリスが、イラク王国の三州としたものである。
旅をした一九七一年は、王政が軍事クーデターで倒され、イラク共和国が成立して十三年、バース党政権成立から三年が経過していた。
アラブ人から「アラブの星」と慕われたナセルが急死した翌年でもあり、若い私には、かのアラビアのロレンスのように、アラブ近代化に役立ちたいという客気があった。
以下に(1)から(14)までの要点を記す。
(1)9.11後、大量破壊兵器を理由にブッシュ大統領が始めたサダム・フセイン政権撲滅の戦争をから五年。十五万人のイラク市民死者、国内外四百万人の難民が出ている惨状で、クウエイト事務所で仕事を共にしたユーセフやアルベアティの家族らは今、どこで、どうしているのだろうか。
三十八年前のラマダン(禁欲月)明けの休日に、バグダッド生まれのユーセフとクウエイトを出発。
(2)クウエイトに近いバスラは、クラブで酒が飲め、ベリー・ダンスも楽しめる男たちのオアシス。
クウエイトで出会った十七歳のアハラムは、正体が分からぬままにバグダッドへ帰っていった。この旅で再会できるか。「インシャーラ(神のみぞ知る)」
(3)この連載エッセイは日本ジャーナリスト会議 の矢野英典さん(「九条の会・浦安」事務局長)に誘われて書かせてもらっているが、二、三年は続く。
世俗的イスラム・スンニ派のバース党が支配する共和国イラクの近代化途上のバスラは賑わっていたが、ブッシュ政権がパンドラの箱を開けたことで、
戦争終結から五年を経たのに、大油田の利権をめぐるシーア派同士の内戦で多数の死傷者が出た。
(4)バスラはティグリス・ユーフラテス川が合流したシャト・アル・アラブ河が流れる古代からの町。
旧約聖書の「エデンの園」やアラビアンナイトのシンドバッド島など神話や物語のスポットがあり、中東への影響力を保ちイラク支配を強めた大英帝国の戦略的拠点でもあった。
(5)五千年前にバスラ地域に住んだシュメル人は文字を創出。湿地の葦のペンで楔形文字を粘土板に書いた「シュメル神話」に、「ノアの箱舟」の原型の大洪水物語がある。
その湿地帯は、サダム・フセインが湾岸戦争時にシーア派ゲリラ掃討作戦で流水をとめて縮小激化。
(6)旨いカバーブで腹ごしらえの後。ユーセフが運転するトヨペット・クラウンでバグダッドへ。
座席後部においたソニーのステレオ・コンポからのアラブ音楽を聴きながらユーフラテスを北上。
川の写真を撮っていて警備兵の検問を受ける。
この川は、ノアの箱舟、メソポタミア成立、アレキサンダーのペルシャ征服、イスラムのバグダッド攻略、モンゴル侵入、オスマン帝国の支配・敗退など、さまざまな民族・文明とかかわってきた。
(7)砂漠の幹線道路の高速運転は危険がいっぱい。ユーセフの腕とBGMに身をまかせ、眠りこむ。
目覚めて、アハラムのことを話しているうちに、サマーワへ着いた。トイレ休憩に寄ったあの町が、三十数年後、小泉首相が決めた陸上自衛隊の駐留で憲法九条の問題になるとは思いもしなかった。
この地のシーア派住民は、国連の経済制裁下でのフセイン政権に見捨てられていたとされる。
(8)ここまでは、ワープロの文章をMSーDOSに変換して入稿してきたが、編集・印刷の便利さからワードに切り替えるため、安いパソコンを購入。ケイタイもメールもやらないアナログ人間の適応。
夜間走行に入って、交通事故の現場に遭遇する。シーア派の聖地カルバラに埋葬する遺体を運ぶ車が事故に巻き込まれていた。
(9)サマーワで仕入れたパイ菓子のクレーチャとペプシコーラで、走行しながらのエネルギー補給。
砂漠の中の一本道で雷雨の直撃を受ける。稲妻の閃光のなか、車の上に二体の遺体を積んだタクシーを追い抜いたユーセフと、死生観について語り合う。
(10)死生観や神の存在については、クウエイト郵電省のエジプト人顧問建築家ボーラスとも話したことがあり、またあとで触れることもあろう。
カルバラのイマームの聖廟の由来をユーセフから聞く。ムハンマドの後継者をめぐるシーア・スンニ両派の抗争の歴史は、桜井啓子著『シーア派』(岩波新書)に拠らせていただく。
(11)異なる宗教・宗派間の戦争・紛争は、表向きは教義に基づくようにみえても、共同体の維持と版図の拡大を意図した統治権力の争奪ではないか。
フセイン・ブッシュ両大統領の戦争の背景には、イラクの油田確保をめぐる攻防の影が透けている。
(12)大統領の任期終了前にバグッダッドを訪問したブッシュは、イラクの記者に靴を投げられて、イラク侵攻の大義が怪しくなったブッシュ政権の二期目の支持率は史上最低。マリキ首相の政権下、治安、行政サービス、インフラ整備はフセイン時代より悪化し、国民生活は困窮を深めているとされる。
「チェンジ」を掲げて登場したオバマ大統領の英断で、事態はどのように変わるのだろうか。
(13)(14)「カルバラの戦い」と「平家物語」に、古今東西の戦記物語に共通する悲哀を見る。
人間が殺しあい、傷つけあう戦争や紛争の愚行を、世界宗教の始祖たちは異口同音に戒めているのに。
人間の限りない欲望が侵略を誘う一方で、遠征の大移動の結果、多様な文明・文化の交流が生じた。
次回は、待ちに待ったバグダッドである。
(続く)