アラブと私
イラク3千キロの旅(16)
松 本 文 郎
不思議な夢だった。
私とユーセフがバグダッドの豪商の屋敷に招かれて、たいへんなもてなしを受けているのである。
高価なペルシャじゅうたんが四周の壁に飾られ、大理石が敷きつめられた大きな広間に招待されたのは、私たちと屈強な五人の戦士の七人衆だった。
どうしてそんなことになったのか分からなかったが、宴が始まると、大理石の床の虎の頭付きの敷物から立ち上がった宴の主が、毎年襲ってきた盗賊の一味を皆殺しにしてもらった祝いの宴だから、無礼講で思う存分楽しんでもらいたいと挨拶した。
私には盗賊と戦った覚えがないのに、いきなり、アラビアンナイトの『アリババと四十人の盗賊』の世界にいたのだ。
夢のような大饗宴の場の私は、秦の始皇帝に日本からの使者として拝謁した夢を見たときのように、これは夢にちがいないと感じながらも、そのときとおなじように、そのまま夢のつづきに身をまかせていようと思った。たいていは、夢のつづきにいられたからだ。
アメリカ映画で見たスルタンの宮殿の大宴会の供応を受けていた客人で、私たちだけがバグダッドへやってきた旅の戦士と知っていた若い女召使らは、伏目ながらにも物珍しい人間を見る眼をして、酒や料理を運び、こまやかな気遣いのサービスに勤めてくれていた。
広間に焚きこめられた香料とは別に、彼女たちが発するフェロモンの匂いが鼻腔をくすぐり、横座りのからだに纏った薄物の下の美しい脚をさりげなく押しつられると、やわらかい女体が弾む心地よさに陶然となった。
つい愛おしい気分になって、酒や料理をすすめると、京都の芸妓のようにさりげなく辞退する。
豪商の召使へのしつけのよさに感心してユーセフに声をかけると、嬉しそうに話をかわしていた侍女にちょっと微笑んでから、ワイングラスをちょっと上げてウインクしてみせた。
たけなわの宴に流れていたアラブ音楽が突然やんで、ハーレムのアトラクション・ステージのような所にしつらえられたカーテンが左右に開かれて、新たな楽師のグループがベリーダンスの音楽を奏ではじめた。
へそだしルックの数人の踊り子が軽いステップでステージに出てきて、下手に居並んで座った。
薄物のベールで顔を覆い眼だけ出しているので、みんな妖艶な美人にみえる。
バスラのクラブでのように、一人ひとりの踊り子の品定めをしようと目をこらすと、黒ダイヤの肌色のエチオピア人、コマネチのような白人、インドやタイのような黄色美人など、さまざまな人種の踊り子の一団である。隆盛を極めていたバグダッドならではの芸人選びの見事さに感心する。
ベリーダンサーは一人で踊るので、バレリーナのように容姿がそろっているよりも、それぞれに体形や肌の色、年齢までもが違っている方が、個性的な踊りとともにより魅力的である。
現代の踊り子たちは素顔を見せて踊るが、豪商が宴のもてなしに呼び寄せたベリーダンスの一行は、スルタンの宮廷のレベルにおとらないと感じた。
これはもう完全に「アリババの物語」の時代の夢の中だ。
それなら、豪商の言葉をありがたく頂戴し、羽目をはずさせてもらおうと心にきめる。めがねにかなうダンサーと一夜を共にするようにすすめられたら、
2年前のテヘランで聞かされていたエチオピア女のすばらしさを味合わせてもらうことにしよう。
それぞれに魅惑的なベリーダンスがつづくなかを、ひときわスリムで美しい若い女を連れた主がやってきて、私に話しかけた。
「楽しんでいただいているようですね」
長い間苦しめられた盗賊をやっつけてもらった喜びを満面にたたえて、笑顔であいさつした。
「はるばる日本からきてバグダッドを旅行中の貴殿とユーセフさんの策略で、まんまと盗賊連中を皆殺しにし、盗られていた財宝の大半を山中の洞窟から取り返すことができました」
そういわれても、どんな事態があったのか分からない私は、キョトンとした顔のままである。
「じつは、あなた方のアイデアでおびき出した盗賊たちを屋敷の蔵にまんまと呼び込み、商売の大きな空がめに潜ませた中に熱い油を注いだのは、この女奴隷のマルジャーナでした」
これはどうも、『千夜一夜物語』の第851夜から第860夜の「アリババと四十人の盗賊」と黒澤明の名作「七人の侍」のフュージョン版ではないか。
「マルジャーナが貴殿のお好みの女でしたら、どうぞ二階のゲストルームで一夜を共にしてください」
主がそういいながら、きらきらかがやく黒い瞳のマルジャーナの顔のベールをとった。
それはなんと、あのアハラム嬢(アラビア語で「夢」)だった。
この種の夢はなぜか肝心のところで覚めるもの。
眼を覚ますと、カーテンの隙間から日が射しこみ、テラスでは雀の群がにぎやかに囀っている。
ぼんやりしていたアタマがはっきりしてくると、きのうの夜中すぎに着いたバグダッドのホテルの室のベッドにいると分かった。
東名阪の距離をしっかり走ったトヨペットを駐車場に入れて、疲れきった体に旅行鞄を重く感じながら、ユーセフの隣りの室に入ったのを覚えている。
砂埃にまみれた顔を洗おうと浴びたシャワーもそこそこに、ベッドに倒れこむようにして眠った。
ずっと運転しつづけてくれたユーセフはもっとたいへんだったが、まだ眠っているのだろうか。
きのうの夕方、サマーワの町でトイレとチャイの小休憩をとったあとは、イランからの信徒の遺体をカルバラに運ぶ車に遭遇したことから、ユーセフのシーア・スンニ両派の歴史と聖地カルバラの由来話が始まり、「カルバラの戦い」の物語が講談師のような名調子で続いた。
なんとそれらで(8)から(14)までの紙面を費やしたのだから、なかなかバグダッドへ着けなかったわけである。
幹線道路からカルバラへ向かう分岐点を通過したあとは、深夜十二時前にバグダッド市街へ入ろうと一心不乱にハンドルを握り続けたユーセフだった。
カーテンを引くと、目のまえにチグリス川がゆったりと流れ、水面がさんさんと輝いている。
チグリスに面しているホテルとはすばらしい。
疲れ果てて深夜に到着した私には、まったく気がつかなかったのである。
テラスに出て、心地良い朝風に吹かれていると、往路二日間のバグダッド滞在への期待が、しだいにふくらんできた。
バグダッドの第一夜に見た不思議な夢に現れたアハラム嬢に再会したことが、幸先のよい証のように思えてほくそえんでいると、ドアにノックの音がした。
開けると、ユーセフの笑顔があった。
(続く)

イラク3千キロの旅(16)
松 本 文 郎
不思議な夢だった。
私とユーセフがバグダッドの豪商の屋敷に招かれて、たいへんなもてなしを受けているのである。
高価なペルシャじゅうたんが四周の壁に飾られ、大理石が敷きつめられた大きな広間に招待されたのは、私たちと屈強な五人の戦士の七人衆だった。
どうしてそんなことになったのか分からなかったが、宴が始まると、大理石の床の虎の頭付きの敷物から立ち上がった宴の主が、毎年襲ってきた盗賊の一味を皆殺しにしてもらった祝いの宴だから、無礼講で思う存分楽しんでもらいたいと挨拶した。
私には盗賊と戦った覚えがないのに、いきなり、アラビアンナイトの『アリババと四十人の盗賊』の世界にいたのだ。
夢のような大饗宴の場の私は、秦の始皇帝に日本からの使者として拝謁した夢を見たときのように、これは夢にちがいないと感じながらも、そのときとおなじように、そのまま夢のつづきに身をまかせていようと思った。たいていは、夢のつづきにいられたからだ。
アメリカ映画で見たスルタンの宮殿の大宴会の供応を受けていた客人で、私たちだけがバグダッドへやってきた旅の戦士と知っていた若い女召使らは、伏目ながらにも物珍しい人間を見る眼をして、酒や料理を運び、こまやかな気遣いのサービスに勤めてくれていた。
広間に焚きこめられた香料とは別に、彼女たちが発するフェロモンの匂いが鼻腔をくすぐり、横座りのからだに纏った薄物の下の美しい脚をさりげなく押しつられると、やわらかい女体が弾む心地よさに陶然となった。
つい愛おしい気分になって、酒や料理をすすめると、京都の芸妓のようにさりげなく辞退する。
豪商の召使へのしつけのよさに感心してユーセフに声をかけると、嬉しそうに話をかわしていた侍女にちょっと微笑んでから、ワイングラスをちょっと上げてウインクしてみせた。
たけなわの宴に流れていたアラブ音楽が突然やんで、ハーレムのアトラクション・ステージのような所にしつらえられたカーテンが左右に開かれて、新たな楽師のグループがベリーダンスの音楽を奏ではじめた。
へそだしルックの数人の踊り子が軽いステップでステージに出てきて、下手に居並んで座った。
薄物のベールで顔を覆い眼だけ出しているので、みんな妖艶な美人にみえる。
バスラのクラブでのように、一人ひとりの踊り子の品定めをしようと目をこらすと、黒ダイヤの肌色のエチオピア人、コマネチのような白人、インドやタイのような黄色美人など、さまざまな人種の踊り子の一団である。隆盛を極めていたバグダッドならではの芸人選びの見事さに感心する。
ベリーダンサーは一人で踊るので、バレリーナのように容姿がそろっているよりも、それぞれに体形や肌の色、年齢までもが違っている方が、個性的な踊りとともにより魅力的である。
現代の踊り子たちは素顔を見せて踊るが、豪商が宴のもてなしに呼び寄せたベリーダンスの一行は、スルタンの宮廷のレベルにおとらないと感じた。
これはもう完全に「アリババの物語」の時代の夢の中だ。
それなら、豪商の言葉をありがたく頂戴し、羽目をはずさせてもらおうと心にきめる。めがねにかなうダンサーと一夜を共にするようにすすめられたら、
2年前のテヘランで聞かされていたエチオピア女のすばらしさを味合わせてもらうことにしよう。
それぞれに魅惑的なベリーダンスがつづくなかを、ひときわスリムで美しい若い女を連れた主がやってきて、私に話しかけた。
「楽しんでいただいているようですね」
長い間苦しめられた盗賊をやっつけてもらった喜びを満面にたたえて、笑顔であいさつした。
「はるばる日本からきてバグダッドを旅行中の貴殿とユーセフさんの策略で、まんまと盗賊連中を皆殺しにし、盗られていた財宝の大半を山中の洞窟から取り返すことができました」
そういわれても、どんな事態があったのか分からない私は、キョトンとした顔のままである。
「じつは、あなた方のアイデアでおびき出した盗賊たちを屋敷の蔵にまんまと呼び込み、商売の大きな空がめに潜ませた中に熱い油を注いだのは、この女奴隷のマルジャーナでした」
これはどうも、『千夜一夜物語』の第851夜から第860夜の「アリババと四十人の盗賊」と黒澤明の名作「七人の侍」のフュージョン版ではないか。
「マルジャーナが貴殿のお好みの女でしたら、どうぞ二階のゲストルームで一夜を共にしてください」
主がそういいながら、きらきらかがやく黒い瞳のマルジャーナの顔のベールをとった。
それはなんと、あのアハラム嬢(アラビア語で「夢」)だった。
この種の夢はなぜか肝心のところで覚めるもの。
眼を覚ますと、カーテンの隙間から日が射しこみ、テラスでは雀の群がにぎやかに囀っている。
ぼんやりしていたアタマがはっきりしてくると、きのうの夜中すぎに着いたバグダッドのホテルの室のベッドにいると分かった。
東名阪の距離をしっかり走ったトヨペットを駐車場に入れて、疲れきった体に旅行鞄を重く感じながら、ユーセフの隣りの室に入ったのを覚えている。
砂埃にまみれた顔を洗おうと浴びたシャワーもそこそこに、ベッドに倒れこむようにして眠った。
ずっと運転しつづけてくれたユーセフはもっとたいへんだったが、まだ眠っているのだろうか。
きのうの夕方、サマーワの町でトイレとチャイの小休憩をとったあとは、イランからの信徒の遺体をカルバラに運ぶ車に遭遇したことから、ユーセフのシーア・スンニ両派の歴史と聖地カルバラの由来話が始まり、「カルバラの戦い」の物語が講談師のような名調子で続いた。
なんとそれらで(8)から(14)までの紙面を費やしたのだから、なかなかバグダッドへ着けなかったわけである。
幹線道路からカルバラへ向かう分岐点を通過したあとは、深夜十二時前にバグダッド市街へ入ろうと一心不乱にハンドルを握り続けたユーセフだった。
カーテンを引くと、目のまえにチグリス川がゆったりと流れ、水面がさんさんと輝いている。
チグリスに面しているホテルとはすばらしい。
疲れ果てて深夜に到着した私には、まったく気がつかなかったのである。
テラスに出て、心地良い朝風に吹かれていると、往路二日間のバグダッド滞在への期待が、しだいにふくらんできた。
バグダッドの第一夜に見た不思議な夢に現れたアハラム嬢に再会したことが、幸先のよい証のように思えてほくそえんでいると、ドアにノックの音がした。
開けると、ユーセフの笑顔があった。
(続く)

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