アラブと私 
イラク3千キロの旅(18)
 
                                          松 本 文 郎 

 
 屋外パーキングに停めていたトヨペットクラウンのハンドルに手をかけたユーセフは、「さあ、アハラムに逢いにゆきましょう!」と浮きうきした口調で言った。
 どうやら、この旅を私に勧めた彼は、ラマダン明けの休みにバグダッドの遺跡を案内するついでに、、実家の母親やアハラムに逢いたかったのだろう。

 ラマダン(禁欲月)の半ば過ぎに、「イドの休暇はクウエートからどこかへ出かけるのですか」と聞かれ、ふと「アラビアンナイトのバグダッド」と冗談めいた私に、「それなら、私がご案内しますよ」と、すかさず答えたユーセフだった。
 アラビアンナイトはともかく、バグダッドを訪ねる機会への期待は、このプロジェクトへ加わるよう海外出張を発令されたときから密かに抱いていた。
 大学の西洋建築史で学んだ、古代バビロニア帝国のバビロンやササン朝ペルシャの首都クテシフォンの建築遺跡を見る絶好のチャンスである。
 着任して短期滞在したホテルへの送り迎えをしてくれたユーセフと気さくに話すなかで、私の建築家としての経歴やアラブの建築遺跡への関心などを、たびたび聞かせていた。
「なんだか、とてもうれしそうだね」と冷やかすと、「いえ、チーフがよろこばれると思って……」
 イギリスから英人妻を連れてバグダッドへ帰ったアルベアティほどではないが、ユーセフも、かなり如才がない。
「じゃあ、出発としよう。ところで、どこで彼女に逢うのかい」
「家には、夜のパーティで来るよう言われていますので、近くの公園で待っているそうです。トヨタの車でドライブしたがっている下の妹と一緒です」
 ホテルを出てしばらく走り、両側に二、三階建ての家が連なる狭い街路を通りぬける。二階から上に木造のテラスがはね出しでついており、京の町家が格子窓と軒先を連ねているのに似ている。明け方の夢の「千夜一夜」の町のようでもある。
「この辺りは旧市街地です」と地元人間のユーセフはにわかガイドになった。
 この木造テラスはスペインの住宅でも多く見られるから、イスラム文化と関係があるのかもしれない。インドや東南アジア各地にも見られるが、その起源と伝播についての講義があったかどうかは忘れた。
 前方の視野がひらけて、チグリスが大きく蛇行しているところへ来た。川沿いにナツメヤシ林や農園がつづき、大きな公園が見えてきた。
 パーキング脇の入口に、中学生くらいの細身の妹と一緒にアハラムが立っている。
 クラクションを鳴らしたユーセフが運転席の窓で手を上げると、なつかし笑顔が顔中にひろがった。
 パーキングに停めた車に走りよった二人に私は、「アッサラーム・アレイクム」と弾んで挨拶した。
「アレイクム・サラム」姉妹の心地よい声が、朝の公園に明るく響いた。 
 この「あなたに平安を」は、イスラムの人々には世界的に共通する挨拶で、人に会うたび、日に何度でも交わすのである。
 ユーセフはひさしぶりのアハラムと言葉を交わしていたが、二人はすぐにもドライブがしたいらしく、早速、サマーラへ向かうことになった。
 アハラムと私を並んで座らせようとするユーセフに、車中での会話がスムースになるからと、助手席にアハラムを並ばせ、妹のジャミーラと私は、後部シートに座ることにした。
 車をスタートさせたユーセフとアハラムが話し始めたので、私は、ジャミーラに歳をきいてみた。
 スーク(市場)で買い物するために、数をかぞえたり簡単なアラビア語のやりとりくらいはできる。
 十二歳と答えたのを聞いたアハラムが、中学一年ですと振り向いて告げた。私たちの会話をちゃんと聞いていたのだ。
 ジャミーラは物怖じしない子で、後部窓とシートの間にあるカセットデッキの音楽を聴きたいと言う。昨日から入れたままのベイルート音楽をかける。
 調子のいい軽やかな曲を耳にしたジャミーラは、シートの上に膝をつき、両手をひろげて踊り始めた。   腰をゆすりバランスをくずして、私の肩にもたれる格好になった少女は、思いがけない女の眼なざしで私に微笑んだ。
「妹は踊りが大好きなんですよ」と言うアハラムに、「あなたはどうなの」とたずねると、「妹の年頃には好きでしたが、いまはどうも……」と、前を向いたままで肩をすくめた。
「アハラムの年だと、ベリーダンスよりもチークでしょうね」
彼女をたきつけるようにユーセフが口をはさむ。
「バグダッドに踊れるところがあるの?」と私。
「ディスコがあります。モンキーダンスやチークを楽しめますよ」
「四人でいって見ようか」とアハラムを誘うように言う私に、
「モスルから戻ったときにどうですか。アハラムとジャミーラは来れるかい?」「今夜、うちのパーティで父に聞いてみてください。たぶん、大丈夫と思いますけれど……」  
 驚いたことに、クウエートのホテルではユーセフを介してアラビア語でしか話さなかったアハラムが、たどたどしくても英語で受け答えをしている。
 難しい話題はだめでも、ユーセフの通訳を経ないでアハラムと会話できるとは、実にうれしい。
クウエートのプロジェクトやイラクの遺跡などのことはユーセフの通訳でいいし、照れくさいことを彼女に告げたいときも、仲介するユーセフの反応が面白いかもしれない。
 うなじから肩への浅黒い肌を見ていると、まさに、ネフェルティティ・イン・バグダッドだと思った。
ジャミーラは中腰の踊りを無心でつづけている。
その大人びた大胆さは、二人の男を姉と張り合っているようにさえ思えてくる。

 中学一年といえば、妻のお千代に出会ったときも、ジャミーラと同じような印象に驚いたし、この年頃の少女は不良中年にだけでなく、危険な存在である。
  新しいトヨペットクラウンの車の中で、ひたすらベリーダンスに興じている少女の生暖かい体温を感じながら、一路、サマーラをめざした。サマーラはバグダッド北部に位置し、モスルへの幹線道路の途中にある。ほどなく、碩学・村田治郎京大教授の精緻な講義で学んだユニークな塔を目の当たりにできるのだ。  
  ジャミーラの不思議なお色気と念願の遺跡に出会うときめきとで、奇妙な興奮を感じる。

  九世紀、イスラム帝国時代に建てられた「サマーラの塔」は高さ五十米で、ソフトクリームの形状。  
それから遡る二千五百年余のバビロニア帝国で、ノアの子孫が建てようとした「バベルの塔」が旧約聖書の創世記第十一章に記されているという。
十六世紀の画家ブリューゲルは、塔の頂を天まで届かせようとして神の怒りで中止に追い込まれた、スパイラル状の巨大建造物を描いている。
「バベル」とはバビロン(バビロニア)なのか?
「混乱させる」という意味もあるそうだが……。  

                 
(続く)

  



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2009/09/01 13:33 2009/09/01 13:33
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