アラブと私 
イラク3千キロの旅(19)
 
                    松 本 文 郎 
 
「バビロン」はメソポタミアの古代都市。アッカド語の「バビリム(神の門)」に由来するとされ、その記録は紀元前三千年代の末に登場する。
 この地にアムル人がバビロン第一王朝を建設し、前十八世紀、六代王のハンムラビがメソポタミアを統一した。
後に、アッシリア帝国などの支配を経ながらも、メソポタミアの中心都市でありつづけ、貿易・商工業が栄える物資の集積・交換の拠点だった。
 紀元前六百年代、新バビロニア王国の首都となり、イシュタル門や空中庭園などの建造物が造られて、古代エジプト文化に匹敵するオリエント最高の文化と繁栄を謳歌したという。
 だが、栄枯盛衰は世の常。 
 新バビロニアが、アケメネス朝のペルシャ王国に滅ぼされてからはペルシャの一都市にすぎず、度重なる洪水などの破壊もあって、大都市の面影を失い、さびれた土地になってしまった。
 前に書いた、「バベル」に「混乱させる」という意味があるのは、天に届く巨大な塔を造ろうとした人間の驕りに怒った神が、それまで一つだった言語を多くの言語に分け、石工たちの意思疎通を混乱させて塔の建設を中止に追いやったと、旧約聖書にあるからだ。
「バベルの塔」は、尊大で可能性のない架空の計画を揶揄する比喩として、今日でも使われている。
 
 トヨペットクラウンを快調に走らせ、アハラムとアラビア語で会話していたユーセフが、「もう少しでサマーラです」と告げた。
 ジャミーラは踊りつかれたのか、私にもたれかかって眠りこんでいた。おませぶってもやはり子供だと思いながら、スリムな体から伝わってくる車の振動を感じながら、夢現を漂っていた。
 しばらく走って、サマーラの街はずれにある遺跡に着いた。
瓦礫まじりの砂の広がりに、不思議な塔が立っているだけで、辺りに人影はなかった。
 ともかく、五十米もある塔に登ることにした。
 上にいくほど螺旋状に細くなる塔は、外周に付けられた幅二米に満たない斜路を歩くしかない。
 駅のプラットフォームのように手すりがないから、塔体側へ身を寄せて登らないと、足を踏み外したらたいへんだ。
 ユーセフとアハラムが先を行き、私はジャミーラと手をつなぎ、滑らないように注意しながら塔頂へと向かった。
勾配は息切れするほどではないが、ときどき立ち止まり、前より高くなった視点から周辺を眺めた。 見渡すかぎり、起伏した荒地が広がってるだけだ。
 ようやくたどり着いた塔頂部は、直径二、三米の円筒状で、ここにも手すりや柵はない。
 強い嵐が吹けば小さな子供には危険だし、サンドストームなら、大人でも吹き飛ばされるだろう。ジャミーラと繋いだ掌が汗ばんできた。
 塔の天辺から三百六十度の茫漠とした風景を眺めながら、村田教授から学んだメソポタミア文明での都市建設と王土隆盛のさまをイメージする。
「空中庭園」が建設されたと伝えられるバビロンは、バグダッドの南九十キロの地点だから、サマーラとはかなり離れている。
村田教授の講義で、一八九九年のバビロンの地で発掘された聖塔が、八層の階段状で頂上に神祠があり、基礎の巾と高さが九十米だったのを思い出した。
ルネッサンスの画家ブリューゲルが「バベルの塔」を描いた当時は、考古学的発掘調査などなかったから、旧約聖書に触発された彼の想像力のすごさに、ただただ脱帽だ。
「空中庭園」の彼方には「バベルの塔」らしい螺旋状の壮大な塔が描かれている。
それに比べ、サマーラの塔は小ぶりで単純な形体なのだが、イスラム帝国が、千三百余年も遡る古代伝説の「バベルの塔」に似た塔を建設したのには、おおいに興味をそそられる。
天をめざす塔は、ユダヤ・キリスト教とイスラム教が同根であることを象徴しているのではないか。
 
 いま、サマーラの塔に登ってから四十年近く経て思うのは、天をめざして林立したゴシックの教会建築や、人工都市ドバイの超高層ビルの建設ラッシュを、「神」はどのように見ておられるのだろうか、である。
 人類史のさまざまな塔が象徴するのは、神への信仰の証か、懲りない人間の驕りなのか……。 
日米が経験したような不動産投資のバブル崩壊は、相変わらずの人間の欲深さへの「神」の怒りの現れではないか。
 クウエート在勤時のドバイでは夢想もしなかった超々高層ビル群の映像をみるたびに、「バベルの塔」や「砂上の楼閣」の文字がアタマをよぎる。
 
どうやら、「バベルの塔」の故事など、アハラムとジャミーラには興味がないようなので、長居無用と、塔を降りることにした。
下りは姉妹を先にして、私たちは古代バビロンの都市の話をしながら、ゆっくりスロープを歩いた。
アハラムは妹の手をしっかり握り、滑らないように気をつけて足をはこんでいる。
時に弾けるような笑い声をまじえて話しているのは、私たちのことなのか、女同士の他愛ないやりとりか。ユーセフが聞き耳を立てている様子はない。
古代バビロンの伝説でユーセフに聞きたかったのは、幻の建造物とされる「空中庭園」である。
バグダッド工大で土木技術を学んだとき、なにか教えられたのではないか知りたかったのだ。
 
ユーセフが話したのは、概略以下のことである。
 クリスチャンの土木技術者としては、旧約聖書にある「バベルの塔」や七十年前にドイツ人によって発掘されたバビロンの都市遺跡に、強い関心をもっていた。
 古代建築史の講義で発掘調査の概要を聞いたとき、この地に壮大な都市があった史実をイラク人技術者として誇らしく感じたそうだ。
 ドイツ人の考古学者が掘り当てた古代都市の遺跡発掘調査は十年間休みなく行われ、その驚異の規模と壮麗さが明らかにされた。
 その遺跡こそ、紀元前六百年頃の新バビロニア・ネブカドネザル二世大王時代の最盛期の繁栄のなかで建設された、古代オリエント最大の都市バビロンだったのである。
 権力と富の集中で空前の繁栄をとげたバビロンは人口数百万の巨大都市で、市中には数々の大神殿を建立し、首都を取り囲む城壁は巾二十四・高さ九十米で、延長六十五キロに及んだ。
 この大城壁には、一定間隔で二百五十もの防御櫓と青銅造りの巨大な門が百あって、頂の巾は四頭立ての戦車が走れるほどだったという。
 首都バビロンの表玄関のイシュタル門には見事なライオンのレリーフがほどこされ、両脇に塔を配し、前後二段構えの立派な門だった。

                      (続く)




添付画像
バビロンの遺跡



2009/09/27 00:39 2009/09/27 00:39
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