アラブと私
イラク3千キロの旅(20)
松 本 文 郎
アハラムとジャミーラのすぐあとを追いながら、ユーセフは、バベルの塔と空中庭園をもつバビロンがいかに壮大な建造物の集合体だったかを誇らしげに語った。
「城壁といえば、中国の万里の長城も気の遠くなるような規模と年月で築かれたけど、そこまでしても、権力者は自分の都市や領土を守りたかったんだね」
「統治権力の防衛本能は、いつの時代も同じですね。チーフがユーフラテスの橋の写真を撮ってフィルムを取り上げられたように、バース党政権の軍事拠点の監視も厳重ですから……」
私たちは、塔の天辺から半分くらいは下りて来た。
手をつないで螺旋のスロープをゆっくり歩いててゆく姉妹には、面白くもおかしくもない会話をしている私とユーセフであろう。
地上に下り立つまでに、バビロンをめぐる技術屋談義は終えることだ。
ユーセフは話をつづける。
「強大な軍事力で手中にした富の築く建造物には、その時代の土木・建築の技術の粋が動員されます。バビロンの発掘調査の概要を聴いた工科大学の講義で、私の好奇心は大いに掻き立てられました」
ユーセフは、興奮した調子で声を高める。
「自分の国が、世界で最初の都市バビロンの遺跡をもつことに、キミは誇りを感じているんだね」
彼が声を張り上げたのは、大きな仕事をする土木エンジニアを志した学生時代の夢を、アハラムにも聞かせたかったのかもと思った。
いくら建設業を営む父親の娘でも、若いアハラムが、バビロンの伝説的な建造物のバベルの塔や空中庭園に興味をもっているとはかぎるまい。
それに、日常的な英会話は分かるとしても、技術的なやりとりを理解するのはムリだろうと思う私も、アハラムを意識した話をしたくなってきた。
「ユーセフは、世界の七不思議を知ってるかい」
「ええ。バビロンの空中庭園がその一つだというのはですね。アラブでは、ギザのピラミッドもです」
彼のうれしそうな大声が、アハラムの背に届く。
世界の七不思議とは、古代ギリシャ・ローマの注目すべき七つの建造物のことで、紀元前二世紀に書かれた「世界の七つの景観」の中で選ばれた。
この景観とは、「必見のもの」の意味だったのが、「当時の土木技術のレベルを超えている」との意味にとられて、「ありえないもの」と解釈されることもある。
旧約聖書にある「バベルの塔」は伝説に過ぎないとしても、バビロンの塔や空中庭園の発掘調査は、それらが実在したかもしれないという、考古学者のロマンの情熱がなさしめたのだ。
「ユーセフ。キミは、空中庭園が建設された由来を知ってるかい?」
「講義では、ネブカドネザル二世が、砂漠の国への輿入れを嫌がったメディア出身の王妃アミティスを慰めるために建造したと聴きました」
「それじゃあ、イスラムのムガール帝国の五代皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建設した霊廟と同じような話だね」
建築史の泰斗、村田教授の講義で学んだインドの霊廟建築は、十七世紀半ばに竣工したイスラム文化の代表的建築である。
「宮殿の王冠」の意味のタージ・マハールの建設資材は、インド中から千頭もの象で運ばれたとされ、大理石はラージャスターン、碧玉はパンジャーブ、碧玉は中国、翡翠はチベット、ラピス・ラズリはアフガニスタン、サファイアはスリランカ、カーネリアンはアラビアから持ち寄られ、全部で二十八種類の宝石や鉱石がはめ込まれていたという。
建設に従事した職人たちは、ペルシャ、アラブやはるかヨーロッパからも集められて二万人に達し、二十二年の歳月におよんだとされる。
シャー・ジャハーンは、愛妃がいるのに五人の妻たちを持ち、二百人もの女が侍るハーレムで愛欲のかぎりを尽くしたというから、税を納め、建設労働に駆り出された数多の民たちの苦しみは、たいへんなものだったにちがいない。
古代から近代までの王や皇帝などの権力者たちは、己の名声を後世に伝えるハコモノ建造のため、莫大な金と労働力を長い年月にわたってつぎ込んだ。
シャー・ジャハーンが、バビロンの栄華と皇帝が王妃のために造らせた空中庭園のことを知っていたと想像すると、世界七不思議や世界建築遺産に選ばれるような建造物への好奇心が、いっそう高まる。
それに比べて、税金を投じたハコモノ建設の上前をはねたり、妻に隠れてコソコソと女のとこへ通うどこかの国の代議士たちは、あまりにセコイというほかないだろう。
私は、アハラムが聞いているかどうか気になってきた。
「アハラム! ボクたちの話を聞いてるかい?」
突然の呼びかけに振り向いた彼女は、「いいえ、妹と話してましたから……」
ここぞとばかりの勢いで、ユーセフが言う。
「チーフと話してたのはね、バビロンの空中庭園が、愛する妃のために造られたことなんだよ」
「それは中学の教科書にありました。そんなことをしてくれるような男性に出会えるといいですね」
思いがけない姉の願望を耳にしてか、ジャミーラが、それはムリねとばかりのウインクを、私たちに送ってきた。ませた子である。
「アハラムならめぐり会えるよ。なあ、ユーセフ」
私は、ユーセフの表情の変化を見まもった。
「チーフがおっしゃる通りですよ。アハラムには、きっと、いいダンナさんが見つかると思います」
もし、ユーセフが自分を売り込んでいるのなら、応援してやりたい気持ちになってきた私だった。
「下へ着いたらすぐ、遅い昼飯にしようよ」
「そうですね。チグリス川の土手に川魚を焼いて食べさせる店がありますから、案内します」
私たちはまた二組に分かれて、塔を下り始めた。
ここで、「世界の七不思議」のヴィキペディアの記事を、読者の参考のために書きとめておきたい。
古典的に挙げられているのは、ギザのピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロードス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台であるが、ビザンチウムのフィロンが書いた「世界の七つの景観」には、アレクサンドリアの大灯台はふくまれず、バビロンの城壁が選ばれているとある。
これら七つで現存するのは、ギザのピラミッドだけである。
その後の時代の変遷で、ヨーロッパ人の地理的な知識が広がって、世界中の建造物が選ばれるようになった中世では、ローマのコロセウム、アレキサンドリアのカタコムベ、万里の長城、ストーンヘンジ、ピサの斜塔、南京の陶塔、イスタンブールのソフィア大聖堂が、七不思議とされた。
南京の陶塔をのぞいて、全てが現存する。
現代の「七不思議」は、スイスの「新世界七不思議財団」によるものがあるので、次回のはじめに、記すことにしたい。
(続く)
ウイーン美術史美術館にあるブリューゲルのバベルの塔(1563)
ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel(1525 - 1569)
"Little" Tower of Babel (c. 1564)
オランダのロッテルダム、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館にあるバベルの塔(1564)はウイーンのものより絵が小さい。塔の建設状況はウイーンのものより進んでいる。
Tower of Babel (1595)
Marten van Valckenborch I (1534-1612)
Tower of Babel
ルーカス・ヴァン ヴァルケンボルク
Lucas van Valckenborch (1530-1579)
Der Turmbau zu Babel 「バベルの塔の建設」(1580)
Hendrick Van Cleve (1525-1589)
Athanasius Kircher (1602-1680)