アラブと私
イラク3千キロの旅(22)
松 本 文 郎
人と親しくなるには食事を共にするのが一番、が古今東西の知恵のひとつだと再認識したチグリス川畔のアウト・ドア・ランチだった。
育ち盛りで食欲丸出しのジャミーラが、枯れ葦で焼いた鯉をホベツで包み、黙々と食べている横で、スリムなアハラムは、体型保持のダイエットなのか少食で、もっぱらお喋りを楽しんでいた。
丸いテーブルの大皿を囲んで談笑している四人に、英語とアラビア語が入り混じった会話が飛び交い、思いがけず、アハラムが好奇心旺盛で、話し好きな女性だと分かってきた。
ジャミーラは、会話には加わらないものの、あらかた理解できているらしく、笑ったり、頷いている。
メインディッシュの鯉を平らげ、デザートを注文するとき、女性たちと車の運転をするユーセフへの遠慮から我慢していたビールを、デザート代わりに注文した。
五十米の塔の上り下りで喉が渇いていたせいか、よく冷えたビールが実にうまい。
テーブルについたとき、四人の辺りに落ちていたナツメヤシの影が、いつのまにか動いているのに気がつく。太陽が、かなり移動していたのだ。
よく歩いたほどよい疲れで、ビールの回りが早い。
ほろ酔い気分から、アラビアンナイトの夢の話に戻り、女奴隷のマルジャーナと一夜を共にするよう言われたくだりをアハラムに告白したくなったが、やはりやめておくことにする。
彼女が、中学教科書にあったと言った「空中庭園」の話の続きにしようと、「ところでユーセフ。サマーラの塔で空中庭園の話をしたけど、工科大学の講義では、なにか教わったのかい」それには応えずに、ユーセフは、「アハラム。あんな素晴しい庭園をプレゼントしてくれる男性に出会いたいと言ったよね」「いまの時代ではムリでしょうけれど……」アハラムは、ユーセフの顔をじっと見た。
「メソポタミアのチグリスとユーフラティスの肥沃な土地に輿入れした王妃アムティスがバビロンの気候に慣れず、夫の王に慰めてもらうほど、メディアは住みよかったのでしょうか」と、またアハラム。
「ボクが京都大学の村田教授の講義で聴いたのは、バビロン宮殿の中に造成した縦横一二五米の基壇の上に、五段階層のテラスを高さニ五米に造って土を盛り、川から汲み上げた水で、様々な植物を育てたという伝承だった」
名称の由来は定かでないが、樹木や花々が植えられた階段状のテラスの間を水が流れ落ちる巨大構築物で、遠くから眺めると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたからとの説がある。
ネブカドネザル2世が、王妃の故郷に似せたとされる緑豊かな庭園には、観賞用の植物だけではなく、野菜や香辛料も植えられていたという。
この素晴しい庭園に配る水を、どうやって最上部まで汲み上げたかは、いまでも謎とされている。
一説に、五つの階層ごとに大型の水車を設けたとあるが、そんなに大きな水車を人力で回せたのか、容易にイメージすることはできない。
最初の「世界の七不思議」に選ばれたこの庭園は、「架空庭園」「吊り庭」とも呼ばれたそうで、紀元前五三八年、ペルシャ軍よるバビロニア帝国の征服で破壊されたが、遺構の場所は推定位置しか分からないそうだ。
建築土木の工務店を営んでいるらしい父親の娘だからか、アハラムは、バベルの塔、都市バビロン、空中庭園などの建造物の話を興味深そうな顔をして聞いている。
夕方からのホームパーティの格好の話の種になるだろうし、クウエートでの建築工事を話題にしたがりそうな父親の機先をそぐことができるだろう。
半年ちょっとのクウエート在勤でも、何度かは、ホームパーティに招かれていた。
クウエート人エリートのサビーハ邸での乱痴気パーティはともかく、建築スタッフに雇用しているイラク・インドのエンジニアやエジプト人の建築家(郵電省建築顧問)ボーラスの家庭にである。
ベイルートやカイロなどの観光地に比べ、映画やショッピングくらいしか娯楽や楽しみのない砂漠の都市で、ホームパーティは、人と出会い、交流する貴重な場であるにちがいない。
(2)で書いた、独身貴族のサビーハ・パーティは、アラビアンナイトのアメリカンバージョンだから、固い話をする雰囲気は皆無だったが、家族みんなとの歓談では、それぞれの場にふさわしい話題を選ぶことがとても大切だと感じていた。
クウエートに駐在している商社幹部のパーティで、招かれたアラブの客人らとの会話でも、それを痛感した。
政治と宗教の話は避けたほうがいい、と忠告した商社の支店長もいた。
だが、イスラム行事であるラマダーン月の断食明け・イドの休暇で旅先の私に、イスラムの日常生活を律するコーランや習慣について聞いてみたい好奇心が、しきりに湧いてきた。
アハラムの言動に宗教的なものは感じられないが、両親がどうなのかを知っておくのもよいと思った。
きっかけに、空中庭園を造らせたネブカドネザル2世による南ユダヤ王国の首都エルサレム侵攻と、十年後のエルサレムの破壊・南ユダヤ王国の滅亡の二度の「バビロン捕囚」は、もってこいの話だ。
何しろこの話は、ユダヤ教とキリスト教の正典である旧約聖書に詳細に書かれている歴史的な記録であり、イスラム教の創始者ムハンマドから千二百年も前の出来事だから、あくまでも古代都市国家権力の攻防で起きたことで、宗教的なものではない。。
「ユーセフ。クリスチャンのキミは旧約聖書にあるバビロン捕囚のことは知ってるだろうが、アハラムが、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』を知っているか、聞いてくれないか」
突然のオペラ話に、びっくりしたようなユーセフだが、しばらく考えてから、アラビア語でアハラムに話をし始めた。
質問されたアハラムも、日本人からそんな質問をされるのが意外なのか、かなり驚いたようだ。
「アハラムはヴェルディという人のことは知らないと言っていますし、私も、名前を聞いたことがあるだけです。ただ、旧約聖書のバビロン捕囚は、有名な歴史的事実でよく知っていますし、アハラムも高校の歴史で習ったそうですよ」
私は、バグダッドで「バビロン捕囚」のオペラの話ができるとは思ってもいなかったので、いささか興奮気味に、「ナブッコ」の物語をはじめた。
このオペラを知らない日本人で、「バビロン捕囚」を知る人はほとんどいないだろう。
一口に言う「バビロン捕囚」は、紀元前五九七年から五八六年にかけて、中東の列強の新バビロニアが、イスラエル人のほとんどを捕虜または奴隷にして、首都バビロンへ強制連行したことである。
ナブッコは、侵略者ネブカドネザル2世のこと。 エルサレムに侵攻して王宮やソロモン神殿を破壊し、人々をバビロンへ連行するのが第一幕だが、史実に基づくのはそこまでで、あとは旧約聖書と創作。
(続く)
イラク3千キロの旅(22)
松 本 文 郎
人と親しくなるには食事を共にするのが一番、が古今東西の知恵のひとつだと再認識したチグリス川畔のアウト・ドア・ランチだった。
育ち盛りで食欲丸出しのジャミーラが、枯れ葦で焼いた鯉をホベツで包み、黙々と食べている横で、スリムなアハラムは、体型保持のダイエットなのか少食で、もっぱらお喋りを楽しんでいた。
丸いテーブルの大皿を囲んで談笑している四人に、英語とアラビア語が入り混じった会話が飛び交い、思いがけず、アハラムが好奇心旺盛で、話し好きな女性だと分かってきた。
ジャミーラは、会話には加わらないものの、あらかた理解できているらしく、笑ったり、頷いている。
メインディッシュの鯉を平らげ、デザートを注文するとき、女性たちと車の運転をするユーセフへの遠慮から我慢していたビールを、デザート代わりに注文した。
五十米の塔の上り下りで喉が渇いていたせいか、よく冷えたビールが実にうまい。
テーブルについたとき、四人の辺りに落ちていたナツメヤシの影が、いつのまにか動いているのに気がつく。太陽が、かなり移動していたのだ。
よく歩いたほどよい疲れで、ビールの回りが早い。
ほろ酔い気分から、アラビアンナイトの夢の話に戻り、女奴隷のマルジャーナと一夜を共にするよう言われたくだりをアハラムに告白したくなったが、やはりやめておくことにする。
彼女が、中学教科書にあったと言った「空中庭園」の話の続きにしようと、「ところでユーセフ。サマーラの塔で空中庭園の話をしたけど、工科大学の講義では、なにか教わったのかい」それには応えずに、ユーセフは、「アハラム。あんな素晴しい庭園をプレゼントしてくれる男性に出会いたいと言ったよね」「いまの時代ではムリでしょうけれど……」アハラムは、ユーセフの顔をじっと見た。
「メソポタミアのチグリスとユーフラティスの肥沃な土地に輿入れした王妃アムティスがバビロンの気候に慣れず、夫の王に慰めてもらうほど、メディアは住みよかったのでしょうか」と、またアハラム。
「ボクが京都大学の村田教授の講義で聴いたのは、バビロン宮殿の中に造成した縦横一二五米の基壇の上に、五段階層のテラスを高さニ五米に造って土を盛り、川から汲み上げた水で、様々な植物を育てたという伝承だった」
名称の由来は定かでないが、樹木や花々が植えられた階段状のテラスの間を水が流れ落ちる巨大構築物で、遠くから眺めると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたからとの説がある。
ネブカドネザル2世が、王妃の故郷に似せたとされる緑豊かな庭園には、観賞用の植物だけではなく、野菜や香辛料も植えられていたという。
この素晴しい庭園に配る水を、どうやって最上部まで汲み上げたかは、いまでも謎とされている。
一説に、五つの階層ごとに大型の水車を設けたとあるが、そんなに大きな水車を人力で回せたのか、容易にイメージすることはできない。
最初の「世界の七不思議」に選ばれたこの庭園は、「架空庭園」「吊り庭」とも呼ばれたそうで、紀元前五三八年、ペルシャ軍よるバビロニア帝国の征服で破壊されたが、遺構の場所は推定位置しか分からないそうだ。
建築土木の工務店を営んでいるらしい父親の娘だからか、アハラムは、バベルの塔、都市バビロン、空中庭園などの建造物の話を興味深そうな顔をして聞いている。
夕方からのホームパーティの格好の話の種になるだろうし、クウエートでの建築工事を話題にしたがりそうな父親の機先をそぐことができるだろう。
半年ちょっとのクウエート在勤でも、何度かは、ホームパーティに招かれていた。
クウエート人エリートのサビーハ邸での乱痴気パーティはともかく、建築スタッフに雇用しているイラク・インドのエンジニアやエジプト人の建築家(郵電省建築顧問)ボーラスの家庭にである。
ベイルートやカイロなどの観光地に比べ、映画やショッピングくらいしか娯楽や楽しみのない砂漠の都市で、ホームパーティは、人と出会い、交流する貴重な場であるにちがいない。
(2)で書いた、独身貴族のサビーハ・パーティは、アラビアンナイトのアメリカンバージョンだから、固い話をする雰囲気は皆無だったが、家族みんなとの歓談では、それぞれの場にふさわしい話題を選ぶことがとても大切だと感じていた。
クウエートに駐在している商社幹部のパーティで、招かれたアラブの客人らとの会話でも、それを痛感した。
政治と宗教の話は避けたほうがいい、と忠告した商社の支店長もいた。
だが、イスラム行事であるラマダーン月の断食明け・イドの休暇で旅先の私に、イスラムの日常生活を律するコーランや習慣について聞いてみたい好奇心が、しきりに湧いてきた。
アハラムの言動に宗教的なものは感じられないが、両親がどうなのかを知っておくのもよいと思った。
きっかけに、空中庭園を造らせたネブカドネザル2世による南ユダヤ王国の首都エルサレム侵攻と、十年後のエルサレムの破壊・南ユダヤ王国の滅亡の二度の「バビロン捕囚」は、もってこいの話だ。
何しろこの話は、ユダヤ教とキリスト教の正典である旧約聖書に詳細に書かれている歴史的な記録であり、イスラム教の創始者ムハンマドから千二百年も前の出来事だから、あくまでも古代都市国家権力の攻防で起きたことで、宗教的なものではない。。
「ユーセフ。クリスチャンのキミは旧約聖書にあるバビロン捕囚のことは知ってるだろうが、アハラムが、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』を知っているか、聞いてくれないか」
突然のオペラ話に、びっくりしたようなユーセフだが、しばらく考えてから、アラビア語でアハラムに話をし始めた。
質問されたアハラムも、日本人からそんな質問をされるのが意外なのか、かなり驚いたようだ。
「アハラムはヴェルディという人のことは知らないと言っていますし、私も、名前を聞いたことがあるだけです。ただ、旧約聖書のバビロン捕囚は、有名な歴史的事実でよく知っていますし、アハラムも高校の歴史で習ったそうですよ」
私は、バグダッドで「バビロン捕囚」のオペラの話ができるとは思ってもいなかったので、いささか興奮気味に、「ナブッコ」の物語をはじめた。
このオペラを知らない日本人で、「バビロン捕囚」を知る人はほとんどいないだろう。
一口に言う「バビロン捕囚」は、紀元前五九七年から五八六年にかけて、中東の列強の新バビロニアが、イスラエル人のほとんどを捕虜または奴隷にして、首都バビロンへ強制連行したことである。
ナブッコは、侵略者ネブカドネザル2世のこと。 エルサレムに侵攻して王宮やソロモン神殿を破壊し、人々をバビロンへ連行するのが第一幕だが、史実に基づくのはそこまでで、あとは旧約聖書と創作。
(続く)
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