アラブと私 
イラク3千キロの旅(23)
 
                            松 本 文 郎 
 
 チグリス川の土手の下で鯉を食べたあとの話題に、ヴェルディのオペラ「ナブッコ」を持ち出したのは、舞台場面に、「バビロン宮殿」「ユーフラテス河畔」やアハラムがうらやましがっていた「空中庭園」があるからだ。
「空中庭園」を造らせた王のネブカドネザル2世がユダヤ王国へ侵攻し、イスラエル人の強制連行をした史実が、第一幕になっている。
 高校生のアハラムが、「バビロン捕囚」を学んだと聞いたからでもある。
「ナブッコ」の物語に興味をしめしたアハラムに、「ヴェルディが、なぜ『ナブッコ』を作曲したのかボクは知らないけど、この戯曲は旧約聖書に基づいて書かれそうだ。アラブの歴史で旧約聖書が占める位置は凄いんだなー」
 ユーセフは、私の話をアラビア語でアハラムに伝えてから、応えた。
 「旧約聖書は、キリスト教徒だけではなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒にも共通する聖典です。私の名が、創世記の族長物語に出てくるヨセフの英語読みだと、チーフは気づかれていますよね」
 ユーセフは旧約聖書の私の知識を試すかのような、いたずらっぽいウインクをした。「うん。母方の伯父貴が熱心なクリスチャンでね。ボクが京大に入ったとき、ぜひ聖書を読むようにと勧めたので、素直に手にしたんだ」
「クリスチャンでもないのにですか?」
「そう。クリスチャンの少ない日本だけれど、欧米の絵画・音楽・文学の真髄を知るには、キリスト教の歴史や聖書の知識が欠かせないので、インテリの教養の書でもあるんだよ」
 世界三大宗教の発祥の地アラブ。断食月が明けたイド・休暇をイラクの旅で楽しんでいる私は、同僚たちが嫌がった熱砂の国への海外勤務が天命だった、と感じはじめていた。
「新約聖書の冒頭の「マタイ伝福音書」ので出しは、キリストの系図説明ですが、そこに、アブラハム・イサク・ヤコブ三代の族長の名があります。ヨセフは、ヤコブの十二人の息子の末っ子なんです」
「やたらと人の名前が書き連ねてあって、キリストの誕生になかなかたどりつかなかったのを憶えてるし、私は、このイエス・キリストの言動録を一つの物語として読んだ気がする」
「旧約聖書の創世記には、ヤコブが十二人の男子をもうけ、それぞれがイスラエルの十二部族の長になったと書かれ、、バビロニアからカナンの地(いまのイスラエル・パレスチナ)へやってきた遊牧民の族長アブラハムは、神の祝福を受けて、諸民族の父になる約束を与えられたとあります」
「バスラで見たリンゴの木の化石の幹の横の立札に、イスラエル民族の先祖アブラハムがここで祈った、と書いてあったね」
「その息子イサクと孫ヤコブも、神から子孫繁栄の約束をもらい、神と契約を結んだヤコブに、カナンの地が与えられたという話です」
 ユーセフは、アハラムに教えるような口調で、「この契約で、ヤコブはイスラエルと改名したので、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになったんだよ」
 アハラムがアラビア語で聞いたのと同じことが、英語で私に伝えられた。
「ヤコブはイスラエル人の始祖だから、キリストはイスラエル人だったと……」
  三人のやりとりに興味が無さそうなジャミーラを気にしながら、
「私たちの家族はクリスチャンではありませんが、創世記は高校の授業で習いました」、とアハラム。
「へー、そうなんだ。創世記の中で面白いと思った話はあったかい?」 
「それはヨセフの物語でした。兄たちに殺されかけたヨセフはエジプトに奴隷として売り飛ばされながら、夢占いと実力でエジプトの宰相まで出世して、飢饉に苦しんでいた父ヤコブと兄たちをエジプトに呼び寄せ、救ったという話です」
「ユーセフは、すごい人の名をもらったもんだねー」「クリスチャンは、キリストの係累や弟子・聖人の名にあやかって、子供の名を選ぶ人が多いようです。父もその一人ですが」
 
 ここでちょっと道草。
 アラブの歴史は、シンドバッドやアリババの話のような『千夜一夜物語』が生まれる魅力的背景に富み、アラブを舞台にしたヴェルディ・オペラでは、「ナブッコ」や「アイーダ」が愛されつづけている。
 このオペラがミラノ・スカラ座で初演されたのは一八四二年。ヴェルディの三作目で大成功をおさめた出世作だ。
 当時のイタリアは絶対王政の都市国家群に分かれ、一八四八年にマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」が出たように、ヨーロッパの政治が王政から共和制に「チェンジ」する過渡期だった。
 第三幕で歌われる合唱曲の「行け、わが想いよ」には有名な伝説がある。
 ミラノ・スカラ座での初演の聴衆は、その歌詞の「おお、あんなにも美しく、そして失われたわが故郷!(オー ミア パートリア シ ベッラ エ ペルドウータ)」の部分に、オーストリアに支配されている自分たちの運命を重ね合わせたとされる。
 劇場にいたオーストリアの官憲らは、歌詞の意味するところを知っていたが、聴衆の暴動を恐れて、アンコールを許可したという。
 大好きな「サウンド・オブ・ミュージック」で、ナチス臨検のコンクール会場から国外に脱出直前のトラップ大佐一家が、国花の歌「エーデルワイス」を唄って聴衆たちを励ました場面と呼応する。
 やがてこのオペラは、イタリア半島全域で再演されて、「行け、わが想いよ」への熱狂が渦巻いたと伝えられている。
 しかし、近年の研究によると、この伝説に対して疑問が投げかけられているようだ。
 つまり、この伝説は、ヴェルディが大家としての地位を確立し、イタリア統一が完成した一八七○年以降につくられたのではないかということなのだ。
 1901年の冬、八十七歳で逝ったヴェルディの棺を運ぶ葬列を見送る群衆から、「行け、わが想いよ」 の歌声が自然に沸き上ったとされる。
 人々を励まし、結びつける歌の力はすばらしい。
 今、イタリアの第二の国歌と呼ばれている。
 あれから約百年の一九四八年、シオニズム運動により建国されたユダヤ人のイスラエルと、定住していた土地から追い出されたパレスチナ人との間で、紛争や戦争が後を絶たない状況がつづき、世界平和を脅かしている。
 クウエートコンサルタント事務所にはパレスチナ・ヨルダン人の運転手やオフィスボーイがいたが、その一人パレスチナ人イスマイルは、彼の村に侵攻してきたイスラエル兵に多くの老人や女子供が殺されたときの恐怖と憤懣を、私に訴えた。
 両国の一時的和解を実現した首脳二人にノーベル平和賞が授与されたが、いまや元の木阿弥状態だ。
 世界の「チェンジ」を実現できると高らかに宣言し、核兵器廃絶への期待をこめてノーベル平和賞を授与されたオバマ大統領の国内支持率が低落気味だ。マサチューセッツ州の上院補欠選挙で共和党に破れたことは、大統領選挙でオバマ勝利のブースターだった州だけに、ショックだったろう。
 リーマンショックを招いた金融システムへの規制強化や国民健康皆保険を実現し、「チェンジ」路線でしっかり踏ん張らないと、アメリカの復元力も危なくなるだろう。 
 政権交代から百日余。政治と金の「チェンジ」もままならぬ民主党のていたらくに、内閣支持率は低下中。腹をくくって、国民の期待を裏切らないようにしてもらいたいものだ。                            (続く)


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2010/01/30 17:28 2010/01/30 17:28
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