旧大阪中之島公会堂
妻の次兄が亡くなり、大阪での通夜と葬儀に参列した。七十歳の手前だが、風邪をこじらせた肺炎が死因だった。 真面目一筋に働いて、子会社の役員を勤め上げたばかりだった。
骨上げの後、予定の新幹線にかなりの時間があったので、中之島公園へ来た。二十余年前の関西勤務の四季折々に、一家四人で来ていた。
中之島にある明治の建築では旧公会堂が一番好きなので、いつも携行している簡易な道具でハガキ絵を描いた。
この建物は、福沢諭吉と一緒に渡来した大阪の相場師が寄付したものだが、完成を目前に、相場の失敗で自殺したと伝えられる。
バブルで大儲けした経営者や資産家で、市の音楽堂などを寄付した人などいないのは、誠にさみしい限りだ。 (平成十一年十月)
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