アラブと私
イラク3千キロの旅(25)
松 本 文 郎
サマーラの塔から下りてくる途中、アハラムが、王妃のために「空中庭園」を造ったネブカドネザル2世のような男性に出会いたいと言ったことから、史実にちなんだエルサレム侵攻と「バビロン捕囚」を戯曲化したオペラ「ナブッコ」が飛び出した。
預言者ムハンマドから千二百年も昔の故事だが、登場人物へのアハラムの反応で、彼女の人となりも分かってきて、話題にしてよかったと思う。
ナツメヤシの並木の影が、長くなっている。
チグリス河畔に車を停め、枯れ葦で焼き上げた鯉を堪能した、ピクニック気分のランチだった。
アハラムとユーセフが、眠気眼のジャミーラを車に乗せる間に、店の主を呼んで勘定を済ませた。
バグダッドへ戻る車の後の席で、私の肩にもたれて眠りこんだジャミーラを起こさないような小声で、二人に聞いたコーランとイスラムの生活習慣の話を、最近のウィキペディアの記事で補強しながら、記しておこう。
[コーラン(クルアーン)]について 初めに書いておくと、二人に話を聞いたときの私は、コーランと聖書との関係がそんなに深いものとは知らなかったのである。
偶然にも、ユーセフがクリスチャン、アハラムがムスリムだったので、二つの聖典の関わりと違いが分かったのだ。
また、ウィキペディアには、日本で「コーラン」と呼ばれてきたこの聖典が、最近ではアラビア語の発音により近い「クルアーン」と表記されることが多いとあるので、以後、それに従うことにする。
(10)の後半に書いているように、「クルアーン」は、メッカの商人ムハンマドが四〇歳(六一○年)の頃、郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたある日、大天使ガブリエルが現れて彼に託した第一の天啓(啓示)に始まるとされる。
ヘブライ語で「神の人」を意味するガブリエルは、聖書に出てくる大天使の一人であり、旧約では預言者ダニエルに歴史を解明し、新約では洗礼者ヨハネにイエスの誕生を告知したとある。
ムハンマドは、「神の言葉」をキリストの使徒から、アラビア語で伝えられたというのである。
イスラム教はキリスト教の延長線上にあるのだ。
こうした天啓は、ムハンマドが亡くなるまで何回にも分けて下され、彼自身と信徒たちの記憶と口伝で伝承されていた。
でも、ムハンマドから直接の口伝を受けた教友が亡くなりはじめたので、文字化され書物の形にした「ムスハフ」がつくられた。
しかし、イスラム共同体全体での統一した文字化でなかったため、伝承者による恣意的な変更や伝承過程での混乱が生じはじめ、第三代の正統カリフ・ウスマーンが今に伝わるクルアーンの正典編纂を命じ、ウスマン版と呼ばれる標準クルアーンが生まれたのは、六五○年頃である。
このウスマーンの功績は、ムハンマドの後継者をめぐるイスラム共同体の権力抗争のあらましと共に、(11)の冒頭に書いている。
ウスマーン版以外の「ムスハフ」は焼却されたので、イスラムの聖典には今までのところ偽典・外典の類は発見されていないとされる。
キリスト教でも、「はじめに言葉ありき」とあるが、神がムハンマドを通じてアラブ人に神の言葉を伝えたクルアーンは、聖典の内容・意味、言葉そのものすべてが神に由来し、それらを信じるのがイスラム教信仰の根幹とされるのである。
「イスラム」とは、「神への服従」の意である。
キリスト教では、マリアの処女懐胎やキリストの蘇りなどを神が現した奇跡とするが、ムハンマドを神の子ではなく、人間の預言者だとするイスラム教では、神の言葉がムハンマドを介して地上に伝えられたこと自体を、神がもたらした奇跡としている。
クウエート着任から毎日の早朝にモスクから流れてくるクルアーンの詠唱は、覚めやらぬ耳にとても心地よく、また寝入ってしまうほど……。
抑揚のない旋律と単調な響きなのに、キリスト教のグレゴリア聖歌や仏教の声明にも通じ、えも言えぬ天上の楽の音と感じたものだ。
横隔膜をつかって強く吐き出されるアラビア語に、風土に由来し、私たちには耳慣れない発音もあるが、朗朗と詠唱される「クルアーン」に音楽的な愉悦を感じるのは、モスリムに限らないと思われる。
また、クルアーンは、アラビア語圏の文学として第一級品とされ、文章の意味をあまり理解できない者でも、アラビア語の美しさに惹かれて改宗するというのも、分かる気がする。
アラビア語は、語彙の豊かさが特徴とされ、一つの事象を表す言葉の数が、驚くほど多いそうだ。
日本語も、四季の情景描写や人情の機微を表現するこまやかで、豊かな語彙を駆使して、世界最初の文学とされる「源氏物語」や随筆「枕草紙」を生んだことで、アラビア語と言語感覚の類似性があるのかもしれない。
詩の力をもつ言葉で書かれたクルアーンは、一一四の章(スーラ)と各節(アーヤ)で構成されているが、各章は、ムハンマドに下された一つひとつの天啓である。
天啓は、イスラム共同体がメッカからメディナに移ったヒジュラ(聖遷・六二二年はイスラム暦元年)を境にして、メッカ啓示とメディナ啓示に分かれ、章立ては時系列の順ではなく、長い章から短い章に向っている。
第一の天啓をふくむメッカ啓示の内容は、唯一神への信仰や終末への警告など宗教的情熱を伝える点が特徴的で、ムハンマドのアラーの言葉への畏怖の念が強く出ているという。
メッカ啓示で信仰的信条に関する啓示が伝え終えられたあと、イスラム教がメディナで急速に広まり、イスラム共同体が強固に形成されはじめてからは、人々に信仰をうながすような啓示が多くなる。
メディナ啓示では、共同体の法規定や信徒の社会生活に関するものが多い。
アハラムが言うには、親以前の世代のような信者ではないが、クルアーンはイスラム教徒が守るべき生活の規範で、神の言葉を信じ、言行一致させようとする信仰だそうだ。
クリスチャンのユーセフも、それほど熱心な信者ではないですがと笑いながら、神の愛に、罪深い人間の救済を祈り、神・キリスト・聖書(三位一体)を信じるのがキリスト教徒だと言う。
二つの世界宗教はルーツは同じでも、ずいぶんと異なる宗教文化を形成してきたものだ。
左肩にもたれていたジャミーラの寝息が止まり、身をすべらして私の膝に顔を俯けた。
支えるためにこわばっていた肩が楽になったが、鼻孔に、疎開先の学校で机を並べた小6・少女の、陽にさらした髪の匂いが立ちのぼってきた。
半年余り、独りでフラットに住んでいる身には、かなり気になるが、二人との話しに戻ろう。
[クルアーンと聖書]
この『アラブと私』を書く動機のひとつに、いまも続くユダヤ教・キリスト教とイスラム教の確執の歴史を学びながら、ルーツが同じ始祖たちによる、愛と平和に基づく人類社会の連帯への諭しの検証を試みたい想いがある。
南回りの飛行機で二十一時間もかかるクウェートにやって来た私が、アラブの男女二人に出会い、互いの宗教の話をしているのも、不思議な縁である。
いましばらく、硬い話を続けさせていただく。
(続く)
NABUCCO´S "VA PENSIERO SULL´ALI DORATE"