アラブと私
イラク3千キロの旅(26)
松 本 文 郎
ムスリムで啓典(キターブ)と呼ばれるものは、神が預言者を介して人類の各共同体に下した啓示を記した教典のことである。
第一の聖典クルーアンには、ムハマンド以前の預言者たちに神が下した啓典があると書かれており、モーセに下された「モーセ五書」、ダビデに下された「詩篇」、イエスに下された「福音書」をクルアーンに並ぶ四大啓典と位置づけている。クルアーンには、「旧約聖書は「完全無欠」、新約聖書は「真理を照らす光」とあり、クルアーンだけでなく、聖書も読めと薦めている箇所もある。さらに、「ユダヤ教徒もキリスト教徒も天国へ行く」と書かれ、今のイスラム教徒にみるイスラムを他の宗教よりも上位に位置づける思想はなかったとの、ユーセフの話にはおどろいた。
ところが、現在のイスラム圏のいくつかの国では、聖書は禁書とされており、その始まりは、イスラム教のかなり初期にまで遡るようだ。
ムハンマドの没後、イスラムが支配権を確立してから編纂された第二の聖典ハディースには、「聖書が正しい」というクルアーンの言葉がいっさい引用されていないという。それには、ユダヤ人がムスリムに改宗しないばかりか、ムハンマドを嘲笑したりしたので、ムスリムとユダヤ教徒との関係が悪化した背景があると考えられる。
第二の聖典に、「聖書よりもクルアーンが優れている」「ユダヤ人から聖書の話を聞いてはならぬ」との記述があるのは、ユダヤ教との関係が険悪になってきた現われだろう。
ムハンマドがメッカで大衆伝道を強力に進めて、クライシュ族からの迫害を受け、メディナへ遷都した時期のクルアーンが、旧約・新約聖書の天地創造のような物語性を重視せず、説話的な内容になっているのもユダヤ人の反発を招いたかもしれない。
クライシュ族やユダヤ教徒に対抗して、イスラム共同体を形成しつつあったムハンマドが、信徒の生活に深く介入し、きわめて政治的な内容の啓示を、神から下されたとするのも、時代状況の反映だ。
注目すべきは、ムハンマドの著述ともいえる第一聖典が、ルーツを同じくするユダヤ教、キリスト教との優劣に言及していないことである。
ムハンマドは、己に天啓を下した唯一神「アラー」が、モーセやキリストと契約を結んだ神と同じだと感じていたのではないか。
ウィキペディアには、現在のムスリムの宗教多元主義論者らは、「ムスリムはクルアーンを天啓として尊び、キリスト教、ユダヤ教ほか他の宗教は、それぞれの天啓を尊べばよく、天啓に優劣はない」と主張しているとの記事もある。
第一聖典クルアーンの原典に近いこれこそ、神が、モーセ、キリスト、ムハンマドらに下した天啓ではないか、と私は考えたいのだが……。
ユーセフとアハラムから聞いたコーランの話が、ウイキペディアの記事にのめりこみ、かなり脱線してしまった。
再三の道草だが、アラブ民族のムスリムが台頭した時代とそれ以前の歴史を辿ることは、現代アラブ人の考え方や日常の生活習慣を理解するのに大切と思われるので、さらに続けさせていただく。
それにしても、「クルアーン」について、私たちは大きな誤解をしているように思われる。
9・11が起きたとき、「目には目を、歯には歯を」がクルアーンに書かれているとして、アメリカ的な文明社会への野蛮な攻撃を仕掛けたイスラム教徒のゲリラを非難をする論者がすくなくなかった。
しかし、この文言は、クルアーンよりも三千八百年も以前の、世界で二番目に古い「ハンムラビ法典」(古代バビロニアのハンムラビ王朝[前一七九二―一五九五年」で発布)にあり、同様の記述が、旧約・新約聖書の福音書にもあることを指摘する論者もいたし、この法典の趣旨が、犯罪に対して厳罰を加えることを主目的にしていないとの指摘もあった。(5)では、古代バビロニア時代の『ギルガメシュ叙事詩』の大洪水物語と旧約聖書の「ノアの箱舟」との類似性について、三笠宮崇仁著『文明のあけぼの』を引用している。
古代バビロニアは他民族国家で、多様な人種が混在する社会の秩序維持に、司法制度は不可欠だった。「何が犯罪行為であるかを明らかにし、それに対して刑罰を加える」のは、現代司法制度の先駆をなすもので、刑罰の重さを理由に悪法ときめつけることはできないのではないか。「目には目を」が適用されるのは、あくまで対等の身分同士だが、奴隷階級でも、一定の権利を認め、条件をつけて奴隷解放を認める条文さえがあったという。
世界宗教が出現するよりはるかに遠い時代の王国の社会規範「ハンムラビ法典」を取り入れた旧約・新約聖書を信仰するヘブライ人が、この法典を揶揄したり、彼らの「男尊女卑」の観念が、女性の権利を制限したセム系民族(ユダヤ人・アラビア人など)の慣習につながっていることは、ほとんどの日本人に知られていない。
脱線ついでだが、戦後の日本国憲法で明記された男女平等のような条文が、アメリカ憲法には未だにないことを、筑紫哲也氏の遺言的な著書『若き友人たちへ』で知り、女日照りの西部開拓時代に発したいわく付きのレディーファーストや一部のキャリアウーマンの活躍にもかかわらず男社会がつづく米国の現実に、他国の人権問題を声高に揶揄する傲慢さを感じた。「やられたら、やりかえせ」で、報復を認める野蛮な規定の典型と解されてきた「ハンムラビ法典」は、倍返しのような報復を禁じ、同等の懲罰にとどめ、報復合戦の拡大を防ぐ、刑罰法廷主義が本来の趣旨だったらしい。刑法学においても、近代刑法に至る歴史的に重要な規定とされるゆえんだが、ブッシュ大統領の見当違い(または故意による)に基づく過剰な報復合戦は、どんな法的根拠で行われたのだろうか。
ユーセフやアハラムたちが、今日のイラクの悲惨な状況に直面するとは思いもしなかった私は、今、彼らの無念さに想いをはせながら書いている。
四千年も前の法典のあとがきには、「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言で、社会正義と弱者救済を法の原点とすることを明記してあるそうだが、これから人類社会がめざすべき理念ではないだろうか。
古代イスラエルと原始ユダヤ教の教義に、「奴隷を使役する権利は、神に選ばれた民族だけが有する」とあるというが、選民思想のナチス・ドイツによる「ユダヤ人狩り」を受けたのは、人類社会の歴史的アイロニーなのだろうか……。
ユーセフは「聖書」、アハラムは「クルアーン」について知っていることを話してくれたが、二人の信仰の度合いは、あいまいなままの会話だった。
アハラムの話は、学校で教えられた「クルアーン」は、ムハンマドに下された天啓を歴史的に受け継いできた第一聖典だけど、ムスリムの日常生活で根本的なものとされるのは、ムハンマドの言行の伝承の「ハディース」(スンナ)だということだった。
ただ、「クルアーン」に次ぐ第二の聖典ハディースは主として口伝のために、伝え間違いを生じたり、後の時代に書き換えたり、加えたりされているとも話した。
一九七○年頃の若いアラブ女性アハラムが、いちばん気にしていたのは、クルアーンの女性関連規定の「男女平等」「隔離」「ヴェール」「一夫多妻」などだった。西洋近代の視点からは女性差別と見られている、今のアフガンやイランの女性の人権状況とも関わるので、、アハラムのイスラム的な日常生活の話と一緒に、次回で書くことにしたい。
(続く)