アラブと私
イラク3千キロの旅(27)
松 本 文 郎
「イラク3千キロの旅」のバグダッドの第一日目は、朝方の夢に現れて半年ぶりに再会したアハラム嬢と妹のジャミーラを新車のトヨペットクラウンに乗せた、「サマーラの塔」への郊外ドライブだった。
一九七一年当時のバグダッドでは、まだ、荷車を引いたロバが目につくなか、日本製小型トラックやアメリカの大型乗用中古車が、砂埃をあげて走っていた。トラックの荷台後部に「トヨタ」などのブランド文字をバグダッドで見て嬉しかった。クウエートのタクシーはほとんどベンツだったが、あのころから、日本製の車もサンドストームにつよくて比較的安いからか、かなり人気があった。日本国内では、高度経済成長の波にのった自家用車ブームが始まりかけていた。昭和二十七年の高校修学旅行の東京で、歩道脇に駐車していたピカピカのアメリカ車と一緒に写真を撮ってもらったのを思い出す。
大学のころは、外車に乗った湘南ボーイが女の子をドライブに誘う映画のシーンをまぶしい目で見たものだ。時間差はあるが、イラクの若者たちも同じように、打ち寄せる自動車文明の波を見つめているようだし、アハラム姉妹はトヨペットクラウンのドライブに、とてもごキゲンだった。
バグダッドへの帰る車の中で、その日に招かれているホームパティーの話題にと、エルサレム攻略とバビロン捕囚に因むオペラ「ナブッコ」やムスリムの日常生活の規範デアル「クルアーン」の成立過程など、いささか堅い話をつづけてしまった。
はやくホームパーティーの場面に筆をすすめて、アハラムの家族のことを書きたいが、「クルアーン」の女性に関する規定へのアハラムの考えだけはぜひ聞いておきたいので、もう少し我慢しよう。
ここでも、アハラムから聞いたことを軸にして、グーグル掲載のウィキペディアや関連記事の知見をまじえて記述する。「イスラーム入門シリーズ」の『イスラムの女性観』「アッサラーム」誌からの中田香織さんの引用記事、片倉もとこ著『イスラームの日常生活』(岩波新書)などは、多くの日本人(にかぎらないと思われる)にみる「イスラム女性観」への誤解を解いてくれる。
それぞれからの示唆に感謝したい。
そして、ちょっと道草。昨日報道されたグーグル検索の中国撤退は、中国自身にとって大きな損失になるのではなかろうか。
グーグルの中国版では、中国当局が望まない検索結果の表示を自主的に解除する「自己検閲」をかけていたそうだが、中国当局はなぜ、撤退に追い込んでしまったのか。
今日、二○一○年三月二十五日の報道では、中国メディアを管理する共産党中央宣伝部が、人民元の切り上げをめぐる対中批判や食品安全事件など十八の分野の報道・独自取材を禁じる通達を報道各社に出していたようだ。
人権問題やチベットなど少数民族問題で他国から声高な批判をするのは、見方によっては、内政干渉にもなろうが、問題は、グーグル検索でグローバルな情報を瞬時に得る便宜を享受した中国の人たちが、どんな反応を示すかだ。
情報革命の結果も寄与してベルリンの壁が崩壊したのを中国政府が危惧するのは分からないでもないが、グローバル・インターネット時代の人びとが求める情報を押さえ込むことは不可能ではないか。
世界第二位の経済大国目前の中国が、懐の大きさを見せ、オバマ政権と呼応しながら、人類社会全体の繁栄と平和の実現をめざすことを切に望みたい。
アバイヤ(黒い大きな布)を頭から被ることなく、日本でも流行っていたミニスカートから伸びる脚を惜しげもなく見せている彼女と、少女とはいえ、超ミニのワンピースのジャミーラは、いったいどんな家庭の子女なのかと訝る私に、ムリはなかろう。。
アハラムに父親のことを訊ねると、工業学校を出てから祖父が営んでいた建設業を継ぎ、学校などの公共的な建物をメインに請け負っているという。
一九二六年生まれの彼は、小学二年の息子と一年の娘がいる三十七歳の私より八歳年上の働き盛り。
イラクを版図に収めていたオスマン帝国を破ったイギリスが、イラク王国を委任統治で誕生させたのが一九二一年だから、アハラムの祖父は、オスマン帝国による中央集権化の時代にバグダッドで生涯を送ったのだ。
この一家には、バビロン王国の都でバベルの塔や空中庭園の建設にかかわった先祖がいたかもしれない、と子供じみた想像をしてみる。
スンニー派ムスリムの祖父らは、「クルアーン」に書かれている生活規範を家族で真面目に守っていたようだが、一九四一年の反英軍事内閣の成立、一九五二年のバース党イラク支部の設立を経て、イラク近代化をめざす世相が濃くなり、共和政革命が一九五八年に成功してからは、社会や生活の西欧化が急速にひろがりはじめたそうだ。
アハラムが生まれたのは、バース党のイラク支部ができたころで、この党が政権をとったのが、高校二年ときだという。
ユーセフによる「バース党」解説を記しておく。「バース」(アラビア語の発音はバアス)とは「復興」を意味し、イギリスなど西欧によって線引きされたアラブ国家群を解体して、アラブ人による統一国家「アラブ連合国」の建国をめざしたアラブ社会主義復興党の略称になった。
その起源は二十世紀当初で、シリアのミシェル・アフラク(思想家)が基本的な政治信条をつくり、インテリゲンチャや少壮の将校らの限られた階層の集団だったが、第一回党大会をダマスカスで開催。一九五十年代後半、シリアを本拠にイラク、レバノン、ヨルダン、イエメンに支部を置いた。しかし、イラク・バアス党がシリア・バアス党の指導を嫌い自主独立の道を選んで離脱したので、レバノン以外の国々はイラクに従ったという。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」の綱領を掲げ、「統一」「自由」「社会主義」の実現をめざした一連の思想を「バアス主義」と呼ぶそうで、去年の夏に急逝したナセルの志もそうであったろう。
オスマン帝国や西欧列強に支配されていたアラブの国々のバラバラな存在を統一し、かっての栄光を取り戻そうとしたナセルと志を同じくするイラクのバアス党政権下の今、科学技術・教育の振興、軍事力の増強・近代化、女性の社会進出などに顕著な成果がみられ、大学・高校生などの若者に支持されていますと、イラクの未来を信じているユーセフは、誇らしげな口調で話した。
だが、近代化途上のイラクでは仕事をしたくてもまだ給料が安く、二倍近く稼げるクウエートに出稼ぎしているのだと、付言するのを忘れなかった。
アハラムの「女性観」に戻ろう。
アハラムは、「母親は、実家での育ち方と祖父母と暮らした影響か、かなり保守的な考えに従って日常を過ごしていますが、欧米的なライフスタイルへの私たちの憧れに口出しをしないのは父親と同じです」と、声が弾んでいる。
高校を出てから時折やってくるクウエートには、バグダッドよりも新しいファッションの衣服や靴があって、このワンピースもそうなの、とにっこり。
公共施設の建設請負業の父親が、発注側の役人と家族への贈物をクウエートで物色しているかと思うのは、下衆の勘ぐりだろうか。
(続く)