アラブと私
イラク3千キロの旅(28)
松 本 文 郎
官庁発注工事をめぐる発注側への接待や贈物は、古今東西にみる慣行だが、国のレベルでも、逞しいアラビア商人の血脈に呼応した手練手管を駆使して、石油資源の確保やインフラの構築をねらう欧米諸国間の受注競争が熾烈に展開している。
フランスが最新鋭戦闘機ミラージュを供与したとの報道を目にしたし、一九六九年に技術協力で滞在したイラン革命前の王政下の高級官僚たちが、欧米メーカーの受注をねらう供応の渦に巻き込まれている、と志あるイラン人技術者は嘆いていた。
二○一○年の今でも、ベールに包まれたムスリム(イスラム教徒)女性には、むりやり黒い衣を被らされ、家の奥に閉じ込められて抑圧されているとのイメージがあるようだが、一九七一年の当時、同じことを訊いた私に、アハラムは、それは大きな誤解ですよと応えた。
「ムスリムにも、近代化をのぞむ人たちがいる一方、保守的な人らもいるわけで、国や地域、家庭でも、さまざまな社会と生活のかたちがあるのを理解してほしいです」
「西欧から見たアラブの女性観は、「千夜一夜物語」のイメージが先行し、「四人妻」や「ハーレム」などと男性の興味をそそることばかりですが、高校で学んだ「女性の生き方」の授業は、保守的なムスリムの女性観とは無縁なものだったのを分かってもらいたいです」
「世界のどの国でも、男尊女卑の亭主や従順なだけの妻はたくさんいます。アバイヤが覆っている下に、鮮やかな色とりどりの衣服をまとっているのをご存じでしょうか」
運転しているユーセフの隣のシートから振り向いたアハラムの顔は耀いていた。。
クウエートの街角で、風に煽られたアバイヤの下に、真紅のミニドレスを見てハッとしたことがある。
一説では、彼女らは風がアバイヤを翻すのを期待しているという。さもありなん、と思う。
アハラムはつづける。
「目にもあやな彩りのドレスを纏うように、女性の生き方は色とりどりなのです」(「人生いろいろ」の歌の文句のように、女もいろいろ、男もいろいろである)
アハラムの周辺でも、男のいいなりになるどころか、男を牛耳る女性もいるし、スウェーデンやアメリカの女性のように自立し、社会進出した場で高い地位についている人も少なくないそうだ。
大学に進学していないアハラムの将来を、父親がどんなふうに考えているのかを、ホームパーティの席で聞いてみたくなった。クウェートの国会議長を父にもつ郵電省・次官のアルガネイム氏の夫人は、バグダッドの豪商の息女だそうで、イギリスがイラクとクウェートの国境を勝手な線引きで決める以前は、両国は一つの地域だったのだろう。
アハラム一家の親戚一統もクウエートで仕事や商売をしているそうで、アハラム親子も国内旅行の感覚で出入りしているにちがいない。
イスラム発祥の地アラブでは、南のシバの女王、北のパルミラのゼノビア女王のような傑出した女性が歴史に名をとどめている。
イスラムの発祥以前の一般女性が生きたようすは、「ムハンマド伝」などの信頼できる史料で知ることができるそうで、そこに書かれている女性たちは、驚くほど自由・闊達に生きて、その数も非常に多いという。
ムハンマドが結婚した十五歳年上のハディージャは大実業家であり、シリアとの交易の雇い人の一人だった彼の能力と人柄をみて、彼女のほうから結婚を申し込んだと伝えられる。
孤児として育ち、幼いころから働きはじめた彼は、この結婚で安定した暮らしをしている中、ヒラーの洞窟にこもって瞑想にひたり、アッラーからの天啓の声を聞いたとされる。
天啓を世に広めようとしたムハンマドは、メッカの商人らの迫害を受けることになるが、姉さん女房のハディージャはムハンマドと共に敢然と戦って、「イスラム勃興に女性の力あり」といわれる。
このほか、いまのキャリアウーマンの活躍に似た記録が数多くあり、古今のアラブで尊敬されている詩人であった女性や、名医として名の高い女性などが、自由奔放に生きていたようだ。
彼女たちが、男性に自由に結婚を申し込み、悪びれずに離婚していたというのも、すごい。
そのころの社会の全体像には分からないことが少なくないが、母系社会の傾向があり、妻問婚の形も多かったとようだ。
結婚した男女は妻の実家のそばに住まいを作ったとあるのは、古代の日本にもあった母方居住に似ている。
アハラムが結婚する相手が、もし、家業の建設請け負いを継ぎ、親と一緒に住むのも選択肢の一つだろうね、とユーセフをアタマにおいて言おうとしたが、余計なお世話です! と言われそうで止した。
何はともあれ、「クルアーン」の男女関係の規定は、「男女平等」の理念で貫かれていると認識するのが一番のようだ。
「クルアーン」は、アッラーとの対話で豊かな人生を送る現世での成功、来世では天国で平穏な暮しを願う生き方を教え、男女はそれぞれの特性を生かして平等な権利を享受できる、と訓えている。
女性の特性には、子供を産み育てる母性に最大の価値がおかれ、その人類存続のための役割を男性が尊敬し大切にするように求めるのがモスリムである。
男性の特性では、己の稼ぎで妻子を養うことと、女性を庇護することが求められているのである。
イスラム法(「クルアーン」とムハンマドの言行を記した「ハディース」の集成・シャリーア)の中心「家族法」には、結婚は男女の間でなされる契約で、結婚結納金(マハル)も離婚のマハルも、男が支払うように定められている。
このしきたりは、イスラム勃興以前からの女上位から出たとする説があるが、クウェートの事務所に勤めるインド女性から、結婚の結納金を貯めるために出稼ぎに来ていると聞いたのを重ねると、世界のあちこちにある慣習・制度と考えられる。
離婚のマハルが、結婚のときよりはるかに高額なのが一般的とかで、子供をはぐくむ女性の離婚保険か社会保障制度の観がある。
クリスチャンのユーセフでも、アハラムのようなムスリム女性と結婚するにはマハルが必要なのだろうか。しっかり稼げるよう応援してやりたいものだが、社会主義的なバアス党政権はイスラム法の履行を否定しているかもしれない。
アハラムに訊ねるのは憚られるので、パーティでそれとなく父親に聞いてみることにしよう。
「クルアーン」の規定「四人妻」は、男性たちから羨望と好奇の目でみられているが、この啓示の背景には、ムハンマド時代にイスラム迫害のメッカ商人との戦いで急増した未亡人・孤児を救済する目的があったようだ。
それは、ムハンマド側が負けて多数の男らが戦死した、六二五年のウフドの戦いの直後に啓示を聞いたとされることからも推定できる。
今では一夫一妻制のムスリム国家も多く、そうでなくても、一夫多妻の数は極めて少ないのである。
クウエートの高級住宅地に、まったく同じ設計の住宅が四軒並び、それぞれのガレージに高級ベンツが納まっているのを見かけるが、独身貴族を謳歌しているクウェート人エリートのサビーハ(第2回を参照)に言わせると、一人の女でもたいへんなのに、四人もの妻と契約して、平等に満足を与えるなんて、狂気の沙汰ですよ! だ。
それを聞いたユーセフが、クッ、クッと含み笑いをしながら言った。「ホントに、バカゲてます」
私の英語を、アハラムは分かっただろうか……。
(続く)