アラブと私
イラク3千キロの旅(29)
松 本 文 郎
そういえば、三、四人の妻と大勢の子供を乗せた、胴体の長いダックスフントのようなリムジン(大型高級車)を、何度かクウエートの街で見ていた。
「ユーセフ。キミはバカゲてると言ったけど、複数の奥さんを持ちたいと思ったことはないのかい?」 意地の悪い質問を、アハラムに分かるような英語でぶつけてみた。
「クリスチャンの重婚は、昔の王族貴族でさえ禁じられてましたから、「四人妻」なんてありえませんが、陰で女を囲ったり浮気をしている男は、いつの時代のどこの国にもたくさんいますよね……」振り向いたアハラムが、解せない目で私を見た。
「アハラム。もしも、クウエートの王族の男性から四人目の奥さんになってくれと申し込まれたらどうするかね?」
この際とばかりに、意地悪な質問を続けた。ただ、「四人妻」の年齢差がそれぞれ十歳くらいはあって、一番の若妻が二十歳前後なら、年長妻は五十歳台ということ、別々の家に住みながら、夫に対しては歳相応の役割を分担している家族関係だということは聞いていた。
「私は、好きな一人の男性と結婚しますが、今でも、クウエートやサウジのお金持ちの所へ嫁ぐ人が、時にあると聞いています」
「チーフ。ものすごいお金持ちでなくちゃ、そんなことできませんよ。四人の妻の家族みんなで世界中を遊びまわるのも大変な費用ですし、妻同士の諍いで気が安まらないと思いますね!」
わざとの質問で、イスラムの女性観の話が下世話になってしまった。風向きを変えなくては……。
「つまらない質問をしたね。最近の日本では、石油問題でやたらにアラブ、アラブというわりに、一番知らないのがアラブ世界で、私自身も現代イラクのことに不勉強で恥ずかしい。でも、アハラムの話を聞いて、王政を共和制に移したバース党政権が社会主義政策でイラクの近代化が進め、女性の生き方が男性依存から自立・社会進出へと変わりつつあるのが分かってきたよ」
「私だって、日本の車やソニー製品のすばらしさは知っていても、日本男性の女性観や女性の社会的地位などをまったく知りません。どうなんですか?」アハラムが鋭い質問を返してきた。
「そうだね。一九四五年の敗戦後にできた憲法で、やっと男女同権が明文化されたけれど、封建制下の男尊女卑の考え方と社会習慣は、そう簡単に変わらないようだね。むしろ、ムハンマドが受けた啓示の『クルアーン』や彼の言行録『ハディース』に書かれている男女平等の訓えは、実に素晴しいと思うね」
すかさず、ユーセフが言った。
「歴史的にみて、ユダヤ人やアラブ人(セム族)の社会は、なぜか男尊女卑だったのです。ムハンマドに結婚を申し込んだ年上の女性実業家ハディージャとの生活で、その矛盾に気づいたムハンマドに天啓が下されたのでしょう」
難しい言葉が多くなってきたやりとりに興味を示すアハラムのために、英語だけだった三人の会話が、私の英語→ユーセフのアラビア語→アハラムのアラビア語→ユーセフの英語→私、のパターンに戻ってきた。
ややこしい会話の一部始終は省略して、ユーセフとの会話の概要を記そう。
「『クルアーン』の男女関係規定の根本理念が「平等」なのは、伝統的な男尊女卑の考えを変えようとしたムハンマドが、神の声を聞いたと思ったからです」どんな宗教の始祖が遺した教典や言行録も、歴史的な時代と社会を反映している、と私も思う。
現代のムスリム(イスラム教徒)が、近代化の波に乗りながら、「クルアーン」にある巡礼月や断食月の規定を守っているのも、アッラーの前ではすべての人が平等だとする精神があるからではないか。
前出の片倉もとこ著『イスラームの日常生活』に、・巡礼では、国籍、言語、肌の色、老若男女などのさまざまな人が、「イフラーム」という二枚の白布でからだを覆う。メッカから数十キロの地点で着替えた後は、元の衣服に戻るまで、髪や爪を切ること、香水をつけること、結婚、性交、狩猟などが禁じられる。金持ちも貧しい人も同じ姿でアッラーの前に立つ。
・この無垢の姿で、「アッラーよ、御前に来ました」と巡礼の文言を唱えながら、みんなまったく同じ「行」をする。
・自家用機でやってきた人、一生かけて貯めた金で念願の巡礼に来れた人も、アッラーの前では、みな同じだと実感しながら、興奮と陶酔感にひたる。
などが挙げられているのを略記した。
ユーセフは話を続けた。
「ソ連や中国の政治指導者は、宗教が民衆を無知にするといって、聖書などの教典には否定的なようですが、同じ社会主義思潮のバース党指導者たちは、ちがいます。ハディースに書いてあることが、宗教的というより、アラブの民衆の日常生活や社会生活にとって大切な規範だからでしょう」
西洋の一神教の教典や東洋の仏教の経典に書かれている事柄は、人間が犯しがちな考えや行いを戒める点で、ほとんど一致しているのだ。
「ムハンマドの時代のアラブでは、砂漠の遊牧経済から都市の商業経済に移行するなかで、富の蓄積が盛んになった結果、経済的、社会的な格差が嵩じ、大商人や族長の間に争いが絶えませんでした。そうした状況を憂い、改革運動をめざしたムハンマドに啓示が下されたのだ、と高校で習いました」
「キリストも、ローマの支配下での貧しい人たちの悲惨を見過ごせず、権力の意に反する布教を続けて、見せしめに殺されたのでしょう」
やはり、ユーセフはクリスチャンでありながら、キリストを、ムハンマドと同じ予言者と考えている。
ユーセフとアハラムが、キリスト教とイスラム教の歴史を、イラクの近代化を担うバース党政権下の高校で習っていたからこそ、こんな会話もできる。
それに引き換え、明治維新の廃仏毀釈の粗暴さや宗教的科目を教えないわが国の高校授業にみられる近代化志向の底の浅さが、なさけなく想われる。アフリカやアラブで植民地政策を強行した欧米の列強は、ギリシャ・ローマの文明を近世に中継ぎしたイスラム文明の存在を無視して、衰退後のアラブを、西洋近代の対極にある時代遅れの世界と見ていたようだが、日本人一般もそうだろう。
片倉さんは、ヒッティなどの説として、アラブの遊牧民は「生まれつきの民主主義者」で、首長でも絶対権力は持たず、非常事態は別として、普段では仲裁の役を果たすだけと書いている。
アラビア商人の商業活動で蓄積された巨大な富をめぐる争いで、自然の摂理に従って生きた遊牧民の素朴な倫理観が捻じ曲げられるのを見過ごせなかったムハンマドは、先達の釈迦、モーセ、キリストらと同じように人類社会に現れ、救世の役割を担った人だったと思った。
「チーフ! そろそろバグダッドです。ジャミーラはまだ寝ていますか?」
三人の話に夢中の私は、ユーセフに言われるまで、ジャミーラが私の膝に顔を伏せて寝っていたのを、すっかり忘れていた。
「いけない! ジャミーラのことをすっかり忘れていたよ」
あわててジャミーラの頭をゆすると、アハラムの声を聞いた彼女が、横たえていた半身を起こした。
「アハラムたちを届ける前にホテルに寄りますから、シャワー浴びて休んでいてください。私は、実家にちょっと顔を出して、ホームパーティのお迎えにきます。一時間はかからないと思います」
「わかった。ジャミーラの家へのお土産は、持ってきたジョニクロにするけど、もし花屋があったら、ちょっとしたブーケを手に入れてきてよ」
(続く)