アラブと私
イラク3千キロの旅(30)
松 本 文 郎
ホテルで車を降りたとき、運転席のユーセフに、花束代をそっと渡した。
「アハラム! ユーセフがホテルへ戻ってくるまで、シャワーを浴びて待っているから、ホームパーティのご招待のお礼を、お父さんによろしく伝えてネ」
「はい。わかりました。お待ちしています」
フーセフは、昨日からの長距離ドライブで馴れてきたトヨッペットクラウンを急発進させ、タイヤをきしませながら、ホテルから大通りへ出て行った。
朝のシャワーでも感じたが、バスラのホテルに比べて湯の出方がいいのがうれしい。
断食月明けの休暇で賑わう男のオアシス・バスラでやっと見つけたホテルの設備は旧く、シャワーの出がわるいのは仕方なかった。アハラムに出会ったガルフ・ホテルのシャワーの出はもっとチョロチョロだった。海水を蒸留した水を使う給湯システムだからと、節水のために管径を細くしてあるわけもないから、事務所軽費の節約で老朽設備のホテルに泊められたにちがいない。
出のいい湯を浴びながら、車の遠乗りで出かけたサマーラの塔とチグリス河畔のアウトドア・ランチでアハラムと過ごした一こま一こまをなぞっていた。
片道約百キロを往復した車中の会話は、思いのほか真面目すぎる内容になったが、アハラムの一面を知ることもでき、ホームパーティでの話題のネタもいろいろと仕入れることができた。
クウエートに来て半年ほどの間に何回か招かれたホームパーティには、花屋でつくらせたブーケと、日本からの簡単な手土産を携えて行った。
銀座・鳩居堂で見つけた外国人好みの和の品々で、北斎の「赤富士」の画額、京折り紙、紙人形などだ。 旅先では、軽くて嵩張らないものがよい。
招かれる機会は、二、三の日本商社駐在事務所長の家が多かったが、前述(2)(10)のように、王族の係累のエリートや郵電省顧問のエジプト人建築家などの石油に浮かぶ熱砂の国に暮らす人々には、国外から空輸される花々のブーケはとても喜ばれた。
禁酒国のクウエートでウイスキーなんて不謹慎だと思われそうだが、人間社会に「ウラ」はつきもので、インド商人の暗躍によるヤミ酒が手に入る。
アラビア湾へ油の積み取りにくる空のタンカーで密輸されるのだ。チンタオ・ビール中瓶一本が千円、ウイスキーはジョニーウオーカーが五千円だ。なぜか、日本では値段が倍以上ちがうクロとアカが同じ値段だった。
時折り相場が変動するのは、警察の手入れの後だ。ダウ船の船べりでこれ見よがしにボトルを割って、アラビア湾に酒を飲ませる写真が新聞に載る。
巷の噂では、実は、警察幹部がヤミ酒の元締めで、没収した酒の箱を某所に隠匿しているとか……。その筋とじっこんな日本人が、そんな場所で飲ませてもらった話を耳にしたことがあり、「蛇の道はヘビ」である。
ホームパーティーへもっていく〔ジョニクロ〕は、インド人の闇屋から手に入れたもので、幸い禁酒国ではないイラクの旅の寝酒用と一緒に持ってきたのである。
アハラムの父親が酒を飲むかどうか知らないが、自身で飲まなくても、建設業を営んでいるのだから、使い道はあるだろう。
『クルアーン』や『ハディース』に禁酒が戒められているのは、暑い気候で傷みやすい豚肉を食べないのと同じように、アラブの風土に因む生活習慣から齎されていると思われる。
ヤミ酒の存在から、現代のアラブ人に不真面目な人間が多いと考えるのは早計で、金持はいざ知らず、庶民一般では、イスラムの戒律を遵守して生活する敬虔なムスリムが大半であろう。この種の戒律は、本来は自分の心身の健康を守り、楽しく長生きするための知恵の集積で、宗教的権威が遵守を強制しても、長続きするものではない。
問題は、教典・戒律の類が政治権力などに悪用されることで、政治イデオロギーの強制と同じように、民衆を不幸に陥れるのである。
シャワー室から出て腰にバスタオルを巻いたままベッドに仰向けになったら、ウトウトしてきた。
眠り込んでは一大事とばかり、身支度をすることにして、背広と白シャツ・ネクタイをスーツケースから取り出す。
家庭でホームパーティを開くのは、当時の日本では一般的ではなかったから、アラブの地でさまざまな家族と交流する場を体験できたことは、三十五年後のいまもおおいに役立っている。
アハラムらを送る届けたあと実家に立ち寄ると言ったユーセフは、ホテル到着が夜中になったので、母親にはさっき電話しました、と朝食のとき話していた。
母親に会うのは久しぶりのようだから、今夜は、ホテルではなく実家に泊まるように勧めてみよう。
バグダッドへの途上、サマーワの茶店で仕入れたパイ生地の菓子クレーチャ(9)をユーセフに手作りしたやさしいお袋さんと、積もる話があるだろう。
ドアにノックがあって、ユーセフが戻ってきた。
右手にきれいなブーケを提げている。
「チーフ。実家に寄らせてもらいましたよ」
「それはよかった。お袋さんは元気かい?」
「相変わらず、親父とケンカしてますがね」
「夫婦がケンカできるのは仲がいいからだろうな。キミとお姉さんが家を出て働いていて淋しいだろうけど、両親そろって元気なのはなによりだよ」
「チーフのご両親もお元気ですか」
「うん。二人の弟たちも自立して東京と名古屋にいるけど、二人で元気に暮らしているらしいよ。お袋からの手紙に、歳のせいか親父がガンコになったと書いてあったよ」
会話の弾みで、瀬戸内の福山市に住む両親までがとび出した。
「ユーセフ。きのうは一日中、今日も朝からずっと運転していて疲れただろう。さっとシャワーを浴びたらどうだい」
「ええ、着替えたいので、ちょっと失礼します」
スーツ姿のユーセフが車を横づけたのは、今朝方アハラムたちが待っていた公園駐車場に近い住宅街の一角の戸建だった。
比較的新しい宅地開発エリアのようで、なんだか、田園調布の宅地分譲が始まったころに似ている。一区画はかなり大きく、百五十坪くらいだろうか。門の脇の路肩に車を停めていると、奥にある玄関のドアが開いて、アハラムと父親が出てきた。
大理石の舗道ブロック敷きのアプローチを歩いて行くと、玄関右手のテラスにもつながっている。
にこやかな笑顔で出迎えた父親は、やや背が低く小太りだが、如才なく愛想のいい人に見える。
「やあ、ようこそ! 貴方とユーセフさんのことは、クウエートから帰ってきたアハラムから聞いていました」かなり緊張気味だった私は、親しみのこめられた出会いの挨拶に、ホッとした。
「今朝、ホテルからお電話したユーセフに、お招きのことをお伝えくださり、ありがとうございました。おことばに甘え、遠慮なくやって来ました」
「お越しくださってうれしいですよ。それに、娘らを郊外ドライブへ連れ出していただき、とても喜んでいます」
「サマーラの塔は、大学講義の古代メソポタミアとの関連で教わり、訪ねたかった場所の一つでした。お嬢さんたちとご一緒できて、楽しい一日でした」
傍のユーセフが、チーフ。来てよかったですね!とばかりのウインクをよこした。
「まだ外が明るいので、テラスでビールを飲みませんか。バスラでは、地ビールも試されたようで……」
(続く)