アラブと私 
イラク3千キロの旅(5)
              松 本 文 郎

 
 ナツメヤシの葉陰のテーブルで、ユーセフに聞いた話のあらましは、こうだ。
 バグダッド工科大学の授業で学んだ土木技術史の本に、旧約聖書より2千年も前に楔形文字で書かれた天地創造と大洪水の神話があった。
 二つの神話のあら筋からみて、これは、旧約聖書の「創世記」の元といえるのではないかと思ったという彼の話に引き込まれた。
 シュメル人は、5千年前に、ティグリス・ユーフラテスの河口地帯に住み、両川の水を利用した灌漑農耕と家畜の飼育で暮らした民だが、民族・言語学的な系統は不明で、ユーセフの祖先とはかぎらない。
 だが、彼らは人類始めての文字を創出し、湿地に生える葦の茎を尖らしたペンで粘土板に楔形文字を書き、天日で乾かして記録とした古代文明の草分けだから、ユーセフにとっての「シュメル神話」は、私にとっての『古事記』にあたるのではないか。

 古代オリエント学の泰斗、三笠宮崇仁著『文明のあけぼの』にも、旧約聖書の「ノアの洪水・箱舟」の記述が一貫した筋書きになっていないのは、千年にわたって書き継がれた「創世記」に、シュメルの洪水神話など複数の古い伝説を取り込まれたからだと書かれている。
 同著に、紀元前3千年にシュメル人が記した大洪水の物語が、その後メソポタミアに侵入した諸民族に受け継がれ、前2千年紀前半の古バビロニア時代の『ギルガメシュ叙事詩』にも書かれていることが記されている。
 それは、ユーフラテス川岸のシュルッパクという古い町に住んでいた神々が洪水を起こそうと考えつく
話で、旧約聖書の「ノアの箱舟」の物語に発展したらしい。 

 シュメル人の天地創造神話には、「原始の海」から天と地が分けられ、その中間に生じた大気から、月、日、星が生じたとあり、別の神話に、アン(天神)、エンリル(大気神)、エンキ(水神)、ニンフルサグ(豊饒の女神)が、人間を創造し、草木やけものをつくりだしたとある。
 余談ながらここで気づくのは、旧約聖書では唯一の神が、2千年前には複数の神々だったことである。ユダヤ教が成立する以前の各民族の宗教が多神教だったことは定説になっている。

 これらの大洪水神話が、人間ほかのさまざまな動植物をつくったものの、人間がふえるにつれて悪いことばかりするようになったのを神々が怒り、創造物の一切を地上からぬぐい去ろうとした点は共通している。
 ただ、旧約聖書では正義の人ノアだけは助けようと、彼と3人の子の3夫婦、あらゆる種類の生物のつがいを3階建ての箱舟にのせたが、シュメル神話の舟は7階建てになっているそうだ。

 この箱舟が漂着した「アララト山」の場所については論議があるようだが、洪水の跡がウルの考古学的な発掘調査で見つかり、前記シュルッパクやキシュという町が大洪水に襲われたことも判ったのは、画期的な発見だった。
 ユーフラテスが運んだ数米の粘土層の下に、石器や遂石や土器が多数まじる堆積物の層が見つかったのだ。
 バグダッド郊外で灌漑施設の掘削工事監督をしていたとき、深さ6米の水路の底から出た土器が実家にあるから、イラクの旅の記念として、私に進呈すると言うユーセフ。

 数日後、バグダッドの博物館で同種の壷を見ると、なんと、紀元前2千5百年前とあった。
 今、わが家の「廊下ギャラリー」に設けた旅の思い出を並べた陳列ケースに鎮座している。

 
 さて、ウル周辺の広大な湿原の環境悪化と「ノアの箱舟」との関係に戻ろう。
 『ギルガメッシュ叙事詩』の洪水神話にある大洪水の証拠は、考古学的発掘調査だけではなく、文献上でも発見されたのである。
 シュメル人の各時代の都市国家群で最も強力な王のことを書いた年代記である『シュメル王朝表』
に、「ノアの箱舟」のような大洪水の記録があったのである。
 バグダッドは、5千年前から1950年代までの毎年、ティグリスの洪水に悩まされてきたという。
 でも、1958年の共和政革命以降のダム、運河、人工湖などの治水工事の成果で、洪水はなくなったのです、とユーセフは自慢顔で告げた。

 ティグリス・ユーフラテスの洪水は、アルメニア地方の高山の雪解け水によるもので、メソポタミア北部では4月、南部では5月の麦の取り入れ時期だから、収穫の皆無、集落の全滅もたびたびだったという。
 シュメル人の洪水神話には、その不安が象徴されているそうだ。
 だが、上流の治水工事は他方、バスラ周辺に届く水量を減らし湿原の環境悪化をもたらした。

 また、湾岸戦争のときのサッダム・フセインが、湿原に隠れているシーア派ゲリラの掃討作戦で流水を止めたことが、湿原の縮小をいっそう促進させたという。
 2008年6月現在、バスラ西方にある国内難民キャンプでは、水不足と排泄物堆積による生活環境の悪化と疫病続発が報じられている。
 キャンプにいる2人の医師では日に百人の病人しか診られない惨状だ。2003年のフセイン政権崩壊までは、アラブで最も医療レベルが高かった国だったのだが、内戦で身の危険を感じた医師の大半が国外へ出たと報じられている。

 人類文明の歴史は、戦争と自然破壊の連鎖の一面もあるが、3千万種の一つである人間もふくむ生物種の生存を脅かし、「種」絶滅の危機さえもたらしつつある人類社会の今を、人智で乗り越えるしかない。

 
 イラクの旅から37年を経た今、つぎつぎに伝えられるバスラの状況に、ユーセフがどこでどうしているだろうかと想いながら、ついあれこれと書き連ねてしまった。
 もう、ユーセフとの語らいで始まった「シュメル神話」を閉じ、バグダッドに向わなくてはならぬ。
 シンドバッド島から街にもどり、早めの昼めしにしようとユーセフが車を停めたのは、地元の人たちが出入りする食堂の店先だった。
 クウェートでよく行く店よりかなり鄙びていて、カバーブを焼く長い鉄箱が歩道に面してあり、横に置いた扇風機で風を送っている。炭火に落ちた肉汁の焼ける匂いと煙が道に流れている。
 日本の焼き鳥や蒲焼の店先に似て、食欲をそそる。

 クウェートでは、薄く輪切りにした羊肉を何十枚も重ねて直立した金串にさして炙り、ナイフでそぎ落とした肉片を、ホブズ(丸く平らなパンで、私たちは「座布団」と呼んでいた)に乗せて食べることが多かったので、ふたりともカバーブをえらんだ。
 羊か牛のひき肉にパセリとタマネギのみじん切りを練りこんだものを、串に巻きつけて二度焼きして、 ホブズを敷いた皿に載せて出される。

 羊はアラブの人たちの大好物で、日本のマトンのような臭みはなく、柔らかくてうまい。
               
                    (続く) 






2008/10/14 14:54 2008/10/14 14:54
この記事にはトラックバックの転送ができません。
YOUR COMMENT IS THE CRITICAL SUCCESS FACTOR FOR THE QUALITY OF BLOG POST