アラブと私
イラク3千キロの旅(36)
松 本 文 郎
敗戦から六十五年目の八月の記述は、世界平和を祈る「道草」をして、原爆と戦争に終始した。あれから、もう一ヶ月。
一九七一年三月のバグダッドで、アハラムの家を訪ね、チグリスからの川風が吹き通るテラスで、アラックを飲んでいるシーンからは、三十九年だ。そのシーンへ早く戻らねばならないが、(36)の節目なので、(15)と同様、読者の便宜のために、二十回分の要約をしておきたい。
この長期連載は、日本ジャーナリスト会議(JCJ)「広告支部ニュース」の編集者矢野英典さん(「九条の会 浦安」事務局長)の誘いで始まった。執筆の動機は、一九七○年から四年間在勤したアラブでの個人体験の記録だけでなく、9・11がきっかけのアフガン・イラク戦争が、世界平和を脅かさす危惧からである。
進行中の「イラク3千キロの旅」はあくまでも『アラブと私』の序章であり、本論は、この旅の後、三年を過ごしたクウエートでの仕事と生活で経験した「アラブと私」である。
九月九日の今日のBS「ワールドニュース」で、米フロリダ州のキリスト教会が計画している、9・11から九周年の十一日にイスラム教の聖典クルアーンを焼却する行事に、アフガニスタンとインドネシアなど世界中のムスリムから、抗議の波紋が広がっていると報じた。
ブッシュの理不尽な戦争を終結して、イスラム社会との関係修復を目指しているオバマ政権は、行事の発覚直後から、批判とともに計画の中止を求めている。
一方、グランド・ゼロ付近のモスク建設計画では、市民・国民の反対運動自制を要請して、宗教の自由を標榜する姿勢を示してもいた。
アフガン駐留米軍司令官は、「アフガンや世界で、イスラム過激派が反米的な世論に火をつけ、暴力をあおるために利用する」とし、米国務省次官補も、「焼却は、過激主義をあおり、在外米国民を危険にさらし、国益を損ねる」として、中止を呼びかけた。
焼却を計画したのは、信者が約五十家族ほどの「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター」という教会。「邪悪な宗教」であるイスラム教への抗議と、イスラム教の危険性についての啓発活動の一環で、中止する理由はないと主張している。
キリストは、他者への寛容を説いたのだが。以下は、(16)から(35)までの要点である。
(16)真夜中に着いたバグダッドのホテルで、私が見た夢は、なんと、『アリババと四十人の盗賊』の場面だった。財宝を奪われた豪商の依頼で盗賊をやっつけた私とユーセフが、豪華な招宴の席で女奴隷のアハラムに再会する不思議なシーンだ。
(17)「イラク3千キロの旅」はユーセフの誘いで始まった。バグダッドに実家がある彼は、旅の前、アハラムとどんな連絡をしていたのだろうか。アハラムが妹ジャミーラを伴いサマーラの塔へ郊外ドライブするのを、建設会社を営む父親に、ホテルからの電話でOKさせたのは、さすが。
(18)アハラムの家の近くの公園で、朝方の夢に出てきたアハラムと再会。魅惑的な黒い瞳。十二歳のジャミーラと私は後部座席、助手席にアハラムが座ったトヨペットクラウンをユーセフは発進させた。アハラムのうなじから肩への浅黒い肌は、ネフェルティティ・イン・バグダッドだ。(前に、ネフェルティティをツタンカーメンの王妃と書いたが、違う王の妃だった。訂正して陳謝!)
(19)紀元前三千年代末のメソポタミアの古代都市バビロンと、紀元前六百年代の新バビロニア王国の首都は、バグダッドの南八十キロの地点。北の郊外に立つサマーラの塔は、スパイラルの回廊をもつ、高さ五十メートルの小ぶりで単純な形体だが、イスラム帝国が千三百余年を遡る伝説の「バベルの塔」に似る建造物を立てことに興味を引かれる。 9・11跡地に建設中の五百米を超えて全米一になるタワーや、イスラム国ドバイでの超々高層ビルの建設ラッシュは、「バベルの塔」が神の怒りに触れたように、キリスト・イスラム教それぞれの「神」への冒涜とならないのだろうか。
(20)アハラム姉妹の後を歩いてサマーラの塔を上り下りしながら、ユーセフは、バベルの塔と空中庭園をもつバビロンが、いかに壮大な建造物の集合体の都市だったかを、誇らしげに語った。 古代から近代までの王・皇帝など権力者たちは、権勢を誇る建造物を後世に伝えようとして、想像を絶する莫大な金と労働力を費やしたものだ。
(21)その中で、「世界の七不思議」に挙げられた建造物にも、時代的な変遷がある。「新世界七不思議財団」による選定候補の一つ、日本の清水寺は選に漏れた。塔から降りた私たちは、チグリスの川魚を焼いて食べさせる店で、遅い昼食をとりながら歓談。アハラムからは、私との最初の出会いや父親の仕事のことを聞き、彼女をジプシーの娼婦と勘違いした助平根性を猛省する。
(22)建築土木工務店を営む家の長女アハラムは、都市バビロンの建造物の話にも興味を示す。夕方招かれている私たちの歓迎ホームパーティでの話題を探しているうち、王妃のため空中庭園を造らせたネブカドネザル二世のエルサレム侵攻と「バビロン捕囚」に由来したオペラ『ナブッコ』に及ぶ。ナブッコとはネブカドネザルのこと。
(23)(24)旧約聖書に基づいて書かれたワーグナーのオペラの話は、ユーセフのアラビア語と英語の介在で、アハラムと私の間を盛んに飛び交った。『ナブッコ』初演の一八四二年当時のイタリアは、絶対王政の都市国家郡に分かれ、一八四八年には、マルクスの『共産党宣言』が出て、王政から共和制に「チェンジ」するヨーロッパの過渡期だった。(この回からは、「序章」を早く終わらせて本題に入るため、記述量を倍増することにした)
(25)(26)(27)昼食の歓談の後、バグダッドへ戻る車中で、ムスリムの聖典・生活規範であるクルアーンについてアハラムとユーセフから話を聞いたものを、ウイキペディアの記事で補強した。
一神教のユダヤ・キリスト・イスラム三教は、同じルーツをもちながら、互いの神を認めないで争ってきたが、現在のムスリムの宗教多元主義者は、「ムスリムはクルアーンを、他の宗教はそれぞれの天啓を尊べばよく、天啓に優劣はない」としている。それぞれの始祖が説いた「寛容」を!
(28)(29)クルアーンにある女性関連規程の「男尊女卑」「隔離」「ヴェール」「一夫多妻」へのアハラムの考えを聞いたが、イスラムの女性観の記述では、中田香織さんの「アッサラーム」誌からの引用記事、片倉もとこ著『イスラームの日常生活』などに多くの示唆を受け、感謝。
イラクの近代化を目指す共和制バース党政権下では政教分離を掲げており、ユーセフとアハラムが、キリスト教とイスラム教の歴史を学校で学んでいたからこその話が、いろいろとできた。
(30)(31)ユーセフがアハラムたちを送っている間にホテルで一休みして、ホームパーティに備える。アハラムの父親に会うのは少々気が重い反面、楽しみでもあった。ユーセフが仕入れてきた花束とクウエートからもってきた闇のジョニ黒を携え、アハラムの家を訪ねる。にこやかに出迎えた父親は、如才なく、愛想のいい人のようで、ホッとする。遠来の客への社交的心遣いか、甥の新聞記者を招いたり、昼食とドライブ中の話題を、ユーセフから聞きとったりの、周到なもてなしに感心する。彼の家系は、信心深いシーア派に比べて世俗的とされるスンニ派で、アルコールもご法度でなく、私の好物のビールも用意されていた。新聞記者のマリクが来てから、英語での真面目な話がおおいに弾む。
アハラムの母親が客の前に姿を見せないのは、実家がシーア派で、生活規範の「ハディース」に遵っているからと、理解を求められた。ところで、執筆中の折りしも、ブッシュの要請でイラク戦争に参戦したイギリスのブレア政権の「政治判断」の是非を巡り、「独立調査委員会」による徹底調査が始まったと知る。オックスフォード大教授のアダム・ロバーツ氏はNHK「クローズアップ現代」国谷キャスターのインタビューで、ブレア労働党政権の歴史的視点の欠如に言及。イギリス軍イラク占領下の一九二○年に、中南部で起きた大規模な反英暴動の歴史から、なにも学んでいないと指摘している。
アハラムの父親は、その五年後に生まれたのだ。オスマン帝国の支配下でドイツがバグダッド鉄道の敷設権を手にしたころ、土木建築の会社を起こしたのが初代で、彼で四代目という。テラスのテーブルに、夫人ご自慢のイラク料理の前菜のあれこれと、古代アラブが発祥の地の酒アラックが供されている。マリクが、「アラブの食文化を知るには、当時の宮廷料理も書かかれている『アッバース朝の社交生活』の英訳本がよい参考書」と教えてくれる。
(32)(33)イスラム帝国最盛期の首都バグダッドが、中世を桎梏から開放した西洋ルネッサンスをもたらす重要な役割を果たしたとは……。イラクの家庭料理を賞味し中東伝来のアラクを飲みながら、アッバース朝とイラク・イランの関わりの歴史を巡って、歓談がつづく。
一九六九年、イラン電気通信研究所の建築計画の技術協力滞在が終了して、古都イスファハンと遺跡ペルセポリスへの小旅行に招待されたシーンが眼に浮かんだ。新バビロニアの空中庭園は、ペルシャ軍に破壊さ され、ペルシャの首都ペルセポリスは、古代マケドニアのアレキサンダー大王に破壊された。古代帝国の興亡の証である遺跡を訪ねる旅は、建築家を志した私の夢で、その一つのバグダッドに、いま来ているのだ。小さな土建会社の四代目社長が、新バビロニアの首都建設に携わった土木技術者の末裔のように思えてきた。
(34)(35)この稿を書いている今は、八月十日早朝。ヒロシマ原爆の六日、ナガサキ原爆の九日から、六十五年が過ぎた。広島市の平和記念式典の会場に響きわたった、「ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ伝えていくことを誓います」との男女小学生の高らかな声に触発され、小田 実流の「道草」をして、原爆と戦争の記述に終始した。
(続く)