アラブと私
イラク3千キロの旅(37)
松 本 文 郎
テラスからリビングに移り、ソファーに並んで座るとすぐに、マリクが私に訊ねた、「ところで、アハラムを訪ねてこられたのはなぜですか? フミオさんは、独身ですか?」
記者らしい単刀直入な質問に、びっくりした。
マリクにかぎらずアハラムの両親にも同じ疑問があるかもしれないと、いささか慌てた。
「ユーセフがあなたの叔父さんに話したと思うけど、断食のラマダン月が明けた、エイド・アル・フェトリの休日を利用して、イラクを訪ねた機会に、クウエートで出会ったアハラムさんに再会できたら、うれしいと思ったからです」
そう言ってから、マリクが知りたいのは既婚者かどうかなのだと気づいた私は、すぐ付け加えた。
「妻と二人の子供の家族が東京に住んでいます」
「どうも、失礼なことをお訊ねしました。お若く見えるので、独身の方かと思っていましたので」
マリクは、ホッした表情を浮かべて微笑んだ。ヒゲを生やすアラブの成人男子に比べ、日本人は十歳くらい若く見られることが多い。ユーセフはというと、なんだか神妙な顔をして私たちの話を聞いている。彼も、マリク青年がアハラムに少なからぬ関心をもっていると感じたようだ。私の方は、クエートへ着任して最初の数日間に泊まったホテルで出くわしたアハラムを若い娼婦と勘違いしたが、再会したバグダッドで一緒に過ごして、この建設業を営む父親の娘が、しっかりした考えの持ち主と分かったばかりだ。
ホッとしたかに見えるマリクが、私に告げた。
「アハラムは、さっきからキッチンで叔母さんの料理を手伝っていますが、そろそろ、ディナーの準備をするころです」
それが合図だったかのように、キッチンのドアから、料理を盛った大皿を抱えた彼女が現れた。
「食事の用意ができるまで、話していましょう」
マリクは、しきりに、私と話をしたがっていた。
共和制革命でイラク王国が倒されたのは幼い頃で、社会主義のバース党政権で三年しか経っていない、発展途上国の駆け出し新聞記者だ。
職業柄か、日本のこともよく勉強しているらしい。強大なアメリカとの戦争で惨めな敗戦を喫しても、焼け野が原の国土から見事に蘇った日本のことを知りたがっている。
「昨年の『日本万国博覧会』へはイラクも出展しました。駆け出しの私は、取材に同行できませんでしたが、大成功だったと聞きました」
「実は、クウエートのプロジェクトに参加する前、私はNTTパビリオンの基本計画に組織内建築家として関りました。七十七カ国の参加で六千四百万余の人が入場したといいます」
「アメリカとソ連が東西を代表して、科学技術の粋を競ったようですね」
「ええ、ソ連は、一九六六年に無人の月探査機を月に打ち上げて、月面着陸に成功しました。先を越されたアメリカは、一九六九年、威信をかけたアポロ十一号を『静かの海』に着陸させ、月面に人類最初の足跡を記したのです」
「そのとき持ち帰った『月の石』の展示が、大変な人気だったようで……」
マリクは、ユーラシアの東の果ての小国日本が、日露戦争で大国ロシアの海軍を全滅させたと祖父から聞いたこと、敗戦後から四半世紀で、米ソに次ぐ水準の科学技術の進歩と経済成長を成し遂げたことを、憧れの眼差しで話した。
「日本のことをよく勉強しているあなたに申し訳ないが、日本人は、中東の石油に依存しながら、アラブ諸国のことをよく知らないのですよ」
「NTTが、クウエートの電気通信プロジェクトで技術協力をするのは、石油確保のための国策ですか?」
マリクの質問は、取材中の記者の口調になった。
「国策ではありません。NTTは公共企業ですが、事業運営は自主的に行っています。クウエートでのコンサルティング契約は、NTTの電気通信の技術力を高く評価した郵電省と結びました」
「大阪万博を取材した先輩記者が、NTTパビリオンのワイヤレス・テレホンのフリーサービスに感心していましたよ」
「通話範囲は国内だけでしたが、日本各地から来場した人たちが自宅に無料で電話できると大評判になっていると、NTTパビリオンに常駐していた万博プロジェクトの仲間から、テッレックスで知らせてくれました。彼とは、基本計画の会議に出て、国際通話やロンドン、パリ、ニューヨークを結ぶテレビ電話の同時中継を提案しましたが、時差や費用がネックで実現しませんでした」
「ワイヤレス・テレホンサービスは、クウエートのプロジェクトに入っていますか?」
「ええ、自動車電話のシステムですが……」
「それは、国内通話だけですか」
「国際電話としても使えます。サービスが始まれば、クウエートの人たちは砂漠でのピクニックを楽しみながら、金や株の売買取引ができるようになるでしょう」
マリクの質問に便乗したNTTのPR。
「バスラからクウエートに向かう幹線道路の左側に建設中の衛星通信用の大きなパラボラアンテナを見たことがありますか?この地上衛星通信局がサービス・インすれば、国際通信は飛躍的に便利になるでしょう」
「NTTはイラクの電気通信システムの近代化には関心ないですか?」
「建築が専門なのでよくは知りませんが、イラクは、電気通信の近代化計画を立てる段階ではないでしょうか。イギリスやフランスも関心をもっているとみますが、ITU(国際電気通信連合)の専門家を、フィージビリティ・サーベイに派遣する話を聞いたことはあります」
「日本の石油輸入はクウエート、サウジアラビアが主体のようですが、イランを加えたこの地域の石油埋蔵量が世界の三分の二以上で、中東石油が東西冷戦下で極めて戦略的な資源であるのは、ご存知ですね。かって、イラン民族主義者モサデクが起こした石油紛争のあと、アメリカは中東石油の防衛体制に着手して、一九五五年、イギリスを盟主にした反共軍事同盟(*バグダッド条約)を結成させました」(*筆者注。東西に連なるパキスタン・イラン・イラク・トルコが加盟した同盟は、パキスタンを接点に東南アジア条約機構へ、西はトルコを接点として北大西洋条約機構と結ばれて、アメリカのソ連包囲網は完成した)
マリクの若い記者魂がひしひしと伝わってくる。
「広大な平原でソ連と国境を接しているイランは〔中東の柔らかい下腹〕といわれて、中東防衛の泣きどころでした。でも、このバグダッド条約はアラブ民族主義者の攻撃の的にされて、アラブで一国だけ参加したイラクは、帝国主義者の手先になり下がったとナセルらから非難されました」
マリクは息もつかず、話を続ける。
「ナセルのスエズ運河の国有化宣言でスエズ動乱が勃発し、イスラエル軍がエジプトに侵入して、イラクから地中海に抜ける送油管が爆破されると、ストックのない西欧はたちまち石油危機に直面しました」
「ナセルが、アラブ民族主義の英雄と讃えられてアラブ全域に影響力を広げはじめた頃、私は大学卒業が目前でした」
私が京大へ入学した一九五三年(昭和二十八年)には、アイゼンハワーの大統領就任、スターリンの死去、朝鮮戦争の休戦協定調印など国際情勢の激動の時代だった。だが、田舎出身で晩生の私は、宇治分校に通う下宿の部屋で、世界・日本文学全集の読破に夢中で、国内の政治状況や国際的な紛争については、新聞を読むていどの関心しかなかった。
マリクが、小学生のころのアラブ世界の変動をよく勉強しているのは、学生時代から新聞記者になるつもりでいたからだろうか。
「バグダッド条約締結から三年後の一九五八年、エジプトとシリアがアラブ連合を結成し、イラクとヨルダンは、合邦してアラブ連邦になりました。イラクで軍事クーデターが成功し、共和制が樹立したのは、それらの五ヶ月後でした」 高校の人文地理の授業の中で、ホットな世界の出来事を教えてくれたM先生を思い出した。
「エジプトが対英条約を破棄したのは、その数年前(一九五一年)だったですか?。次の年には、クーデターが起きてファルーク王が亡命する事態になったのを覚えています。第二次世界大戦後のアラブ世界の変動の始まりだったのではないでしょうか」
「敗戦間もない日本の高校授業でアラブの出来事を教えた先生は、すばらしい方ですね」
「M先生は太平洋戦争の招集を受けられ、戦地で筆舌を絶する辛酸をなめられたそうです。石油資源の確保が一つの要因とされる戦争に破れた国が工業立国で経済発展を果たすには、石油を依存する中東の情勢をリアルタイムで知る必要があると痛感されていたからでしょう」
高校生当時のことをけんめいに思い出しながら応対する私に、マリクが声のトーンを変えた。