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記録的な猛暑とその余韻が長引いていましたが、ようやく秋めいてきました。いかがお過ごしでしょうか、お伺いいたします。                 
私は、喜寿を迎えましたが、あいかわらず、唄い、描き、詩・文を書く日々を元気に過ごしています。 
 今年も京葉男声合唱連合の演奏会が近づいてきました。ご多忙のなかを恐縮に存じますが、ご来場賜われば幸せとご案内申しあげます。
 参加6団体各ステージでの浦安男声合唱団の曲目と、200人の男たちが唄う合同演奏曲について、ご参考までに、私の想いを述べさせていただきます。

浦安男声合唱団:男声合唱とピアノのための組曲『ある真夜中に』

                      瀬戸内寂聴 作詞 千原英喜 作曲 

 寂聴さんの詩に魅了された作曲家千原英喜さんの言葉に、「第1曲:迷いと苦悩、第2曲:愛する幸せと感謝、第3曲:祈り、第4曲:時空を超えた愛、の各曲から成っている。スコアは、愛と祈りの曼荼羅宇宙。詞のひとつひとつが渦巻く星雲のように謎めき、交響し、エロスの香りを放つ」とあります。

 一昨年からの常任指揮者仁階堂 孝先生は、浦男ほか8合唱団の常任指揮者、国内外の講習会・合唱祭の講師・客演指揮者として縦横の活躍をされています。作曲家の新作紹介にも意欲的に取り組まれ、松下 耕、信長貴富、千原英喜、瑞慶覧尚子氏など、様々な作曲家の作品の初演指揮をされています。 

 間宮芳生、小林秀雄に師事し、日本の古典・伝統音楽と西洋音楽との融合を探求する作曲家と、波乱の人生遍歴から仏門に入ってなお、文学の創造に情熱を燃やしてやまぬ老女流作家の魂の合体は、あなたの心に強く響くことでしょう。

 われらがマドンナ・ピアノの若山圭以子先生は、“男声合唱とピアノのための”この曲に心底魅入られたご様子なのに、ふらつく私たちの合唱との競演どころではなくて、凛としたお顔に、時折、童女の笑みを浮かべて、叱咤激励してくださっています。
 かなり高い平均年齢の人生経験で培った私たちの感性を総動員して、このすばらしい詩情と曲想に満ちた合唱曲を唱いきれるかどうか、祈りながら励む日々です。


 
京葉男声合唱連合:『智恵子抄巻末のうた六首』
                    
                     高村光太郎 作歌 清水 脩 作曲
     
 ひたむきにむしゃぶりつきて為事するわれをさびしと思ふな智恵子
 気違ひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
 いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる
 わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき
 この家に智恵子の息吹みちてのこりめつぶる吾をいねしめず
 光太郎智恵子はたぐいなき夢をきづきてむかし此所に住みにき

 作曲者清水 脩さんは、作曲の経緯を次のように述べられています。
「昭和16年秋に出版された『智恵子抄』に異常なほどの感動を覚えて以来、この愛情の詩に曲をつけたいと思いつづけ、東京交響楽団の委嘱で3篇を独唱と管弦楽に作曲し、最後には20篇の歌曲集にと思っていた。昭和39年、東海メール・クワイヤーからの作品依頼を、『智恵子抄巻末のうた六首』で果たし、この曲が生まれた」
 東海メール・クワイヤーは、これを随意曲にした第17回全日本合唱コンクールへの出場で優勝しました。
 この曲は、第一首をユニゾンの主題に、繰り返しを第1変奏として、以下五首の6つの変奏からなる“変奏曲形式”です。
 高村光太郎は、「明治44年ごろ智恵子と出会い、結婚から智恵子の死までの24年間は、愛と生活苦と芸術への精進・矛盾と闘病との連続だったが、智恵子の純愛で浄化された私の精神は、智恵子の存在そのものの上にあった」と述懐しています。
 智恵子死後の戦時下で、戦意高揚の詩を多く書いた光太郎は、戦争協力の詩を作った自責の念から、敗戦後2ヶ月で、花巻郊外に粗末な小屋を建てて移り住み、独居自炊の生活を7年間送りました。

 高校の国語で詩集『道程』を学び、作品の高潔な精神性に強く打たれた私でした。
 合同演奏の指揮者は、参加団体HGメンネルコールの常任指揮者大野俊彦先生です。八十路とは思えないお元気さと分かりやすい指導で、200人の男たちの声とこころを結び合わせてくださいました。
 上手い下手を通り越した熱い想いの歌声は、きっと客席のみなさんに届くと信じます。

 食道がん手術で再びのいのちを得た心境で、浦安男声合唱団と合唱団「洋(うみ)」に相次いで入団し、15年が経ちました。初参加した「浦安市民第九」のステージでの感動と両団からのお誘いがきっかけでした。
 そのころのエッセイ『歌は私のいのちの響きです』に書いた歌への想いは、そのままどころか、いっそう強まっています。

 私と同じ食道がん手術を受けられた小澤征爾さんが、復帰直後に仰っていました。
「心新たに、音楽・歌のすばらしさを痛感しました。ひたすらに駆けぬけてきた50年でしたが、音楽・歌について、深く考える時間を与えられました。どんな歌(風呂の中の鼻歌でさえも!)でも、人びとのいのちをかきたててくれます」

 テレビインタビューの言葉そのままではありませんが、拙文の内容にも重なっていてとてもうれしく、今日を元気で過ごせるのも歌あってこそと、意を強くします。最近の“唄う”ことでは、市内の特別養護老人施設への”訪問コンサート”に参加しています。ピアニストと声楽愛好家の女性たちとご一緒に、毎月一回、10曲ほどの歌を高齢入居者の方々に聴いてもらったり、一緒に唄っています。

 曲目は、『親子で歌いつごう 日本の歌百選』にあるような歌が多く、リクエストもいただきます。私は、「青い山脈」「誰か故郷を想わざる」「別れの一本杉」「恋人よ」を唄いましたが、口ずさんでいる方々の声に合わせると、とても嬉しそうでした。
 歌を唄うことでいのちをかきたてられ、歌を聴いて喜んでくださる人びとに励ましの力を戴くのは、夢中で絵を描くのと同じ、至福の時間です。
 
 ご多忙とは存じますが、“愛の歌”二題を一所けんめいに唄いますので、ぜひとも、ご来聴賜りますよう、こころからお願い申しあげます。
 末筆ながら、季節の変わり目のど自愛とご健勝をお祈りいたします。

 
 2010年10月 吉日   
                                松本文郎 拝 



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2010/10/27 15:41 2010/10/27 15:41
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