アラブと私
イラク3千キロの旅(38)
松 本 文 郎
「フミオさんはアラブ世界の変動の始まりと仰いましたが、その前に、第一次世界大戦でオスマン帝国が滅亡した後のアラブの大変動があります。「砂漠の豹」と呼ばれたアブドルアジズ・イブン・サウドが、イギリスの揺れ動く中東政策に翻弄されながらサウジアラビアを建国した経緯をご存知ですか?」
「おぼろげですが……。クウエート事務所へ転勤の内示を受けてすぐ読んだ本に、サウジアラビアの建国前史に触れたものがありました。飛ぶ鳥を落とす勢いでエジプトにまで遠征したナポレオン皇帝が、宿敵イギリスの息の根を絶とうとして、ペルシャやアラビア半島を支配していたサウド・ワハブ王国を味方にしたが、ワーテルローの戦いの後でイギリスが反撃に成功したことが書かれていました」
「そうなんですよ。まだイギリスの同盟国だったオスマン・トルコは、エジプトの太守に命じて、サウド王国へ遠征軍を派遣させて徹底的に破壊・滅亡させたのです。中東をめぐり列強がしのぎを削ったのをきっかけに、古代からのアラブの歴史に大変動が起きはじめた時代と云えます」
マリクは顔面を紅潮させて、熱弁を続ける。
「もっと遡れば、十七世紀末前後のペルシャ湾の制海権は、ペルシャとオスマン・トルコの間で争われていたのです。アラビア半島一帯はトルコの勢力圏(カタールをふくむ)で、バーレーンは、サザン朝ペルシャの領土でしたが、一七七六年、ペルシャ軍が南メソポタミア随一の良港で「千一夜時代」に繁栄をきわめたバスラを手中におさめました。その支配下に入るのを嫌ったアラブ人の多くは、クウエートとズバラへ亡命したのです」
「私たちには、<ペルシャ湾><アラビア湾>の呼称のいずれをとるか、イラン国とアラビア湾岸地域の双方と友好関係を維持したい立場から、微妙な問題ですよ」
「カタールの歴史は十八世紀になって始まるのですが、その前半で活躍したバニ・ウトバは、ネジド高原から海岸をめざして移住したアナイザ族で、武を尊ぶアラブの民のなかでも、古くから毛並みの良さで知られていました。当時のバーレーンとカタール半島の間の海は天然真珠の採取で栄えましたが、この部族の三家、サバーハ、ハリーファ、ジャラヒマは、それぞれ、クウエート、カタール、ルワイスに定着しました」
「私には興味深いお話ですね。今のクウエートの首長もサバーハ家の子孫で、とても人望がの厚いと聞いています。石油収入を王家一族、国家予算、ベドウイン族に三等分する統治手法の評判はいいようですね」
「首長のサバーハ家がベドウイン族を大事にするのは、元はといえば高原の遊牧民ですから、その忠誠心を保つのが統治維持の要と考えているからだと思います」
「そういえば、王宮や首長の車両を護衛している親衛隊の男たちは、みんな精悍な顔をした屈強な連中です」
「人口の少ない国に莫大な石油収入があり、国民一人当たりの年収が世界一をつづけているのは、豊かでない隣国イラクには羨ましいかぎりです」
マリクは、叔父とアラビア語で話しこんでいるユーセフの方に目をやった。
「NTT事務所で働いてもらっているイラク人やインド人のエンジニアには、日本人のスタッフと同じ給料を支払っていますから、ユーセフたちも満足だとおもいますよ」
「だから、優秀なエンジニアはクウエートで働きたがり、若い女性にもクウエート人と結婚しがるのが少なくないのです」
「クウエート郵電省の次官は国会議長の子息ですが、奥さんはバグダッドの豪商の娘さんだとか」
「クウエート人高官が、イラク女性を奥方にしているケースは珍しくありません。なんと言っても、バグダッドは「千一夜物語」の舞台ですからね。クウエート建国の歴史が分かるとてもよい本に、生き字引といわれたヴァイオレット・ディクソン夫人が書いた『クウエート四十年』があります。夫はイギリスのクウエート駐在司政管でアラビア学の権威ハロルド・ディクソン中佐です。彼女が、『007』のイアン・フレミングにすすめられて書いているうちに、独立する以前のクウエートを知るための貴重な記録になると意欲が湧いてきたそうです」
「『007』シリーズは映画で見ています。彼女の本は創作ではない生の記録ですから、これからのクウエートでの仕事に役に立つでしょう。本屋で探してみます」
「ディクソン中佐は当時のアハマド首長の無二の親友でしたから、彼女の生活体験だけではなく、クウエートの内政・外交のエピソードの目撃者としての記述もあり、フミオさんのよい参考になると思いますよ。イラクの初代の王ファイサル一世やサウジアラビアを建国したアブドルアジズ王らも登場します」
つぎつぎに料理の皿を運んでテーブルに並べていたアハラムが、食事の用意が整ったと告げる。
掛けていたL字型ソファの斜交いの席で父親が立ち上がり、私たちをテーブルの方へ誘った。
すると、スカーフをした初老の女性がキッチンのドアに顔をのぞかせて、私に会釈をした。
「妻です。敬虔なムスリムでご一緒はしませんが、自慢のアラブ料理でおもてなしをします」と主は英語で言い、妻にはアラビア語で伝えた。思いもしない、リビング出入口の奥方の出現に、アラビア語がとっさに出てこず、彼女の目を見て会釈を返しただけの挨拶になった。リビング一角の壁際のサービステーブルには、アハラムが運んだ料理がきちんと並べられている。
ダイニングテーブルに、主が指し示してくれる席に各々が座った。
家に着いてすぐテラスに案内されて、前菜を味わいながら、ビールやアラックを飲んで歓談したので、まだ、改まった挨拶はしていなかった。
くだけたホームパーティをしつらえた主の心遣いに、主客としてなにか感謝の気持ちを伝えたいとユーセフに耳打ちすると、
「ざっくばらんなお人のようですから、このままでいいのではないですか」とささやき返した。
アハラムが、テーブルセッティングをすませて着替えた、ロングドレスの愛らしい姿で言った。
「料理は、サービステーブルからお好きなものをとって召し上がってください。ポピュラー料理の品々とエイド・アル・フェトリの特別な一品です。フミオさんには、私が説明しながら、選んでさしあげます」
アハラムはサービステーブルに並んだ料理の順に、ユーセフの通訳で説明しながら、私のための適量をとりわけてくれるらしい。
ホームパーティの主客は、招待側で選んでくれる料理を食べなければならないと聞いていた。カバブ(ひき肉とタマネギ・パセリのみじんぎりにオールスパイス・塩・胡椒を混ぜて串に練りつけ、小麦粉をまぶし、ぬり油をしてオーブンで焼いたもの)やドルマ(ナス・トマトなどの身をくりぬいて肉・米・タマネギ・ハーブの詰め物をして煮たもの)はお馴染なので、まず、エイドのお祝いの料理から頂くとしよう。
アハラムによれば、大勢の親族が集う伝統的なエイドの典型料理は子羊の丸焼きだが、少人数では食べきれないので、今日は、鶏に米と松の実をつめたローストチキンですと云う。
つめものでパンパンの大きな鶏は、こんがりと焼きあがって美味そうだ。
主客のために、特大の皿の鶏にナイフを入れたアハラムが、右手の細くきれいな指で、私の皿にとりわけてくれた。
卓上にはナイフ・フォークなどが並んでいるが、アラブ料理は、指先で食べるのがいちばん旨い。
レモンのうす切り入ったボールで指先を洗って、自分の料理をとっているアハラムを見ていた。 彼女の家族も、料理を取る順はやはり男性優先とみえる。
アハラムが席に戻ると、改まった面持ちの主が、おもむろに、「ビスミラ!」と言った。
「アラーの神への感謝です」と隣席のユーセフが教えてくれる。
(続く)