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  1. 2017/07/16 新・浦安残日録(6)

新・浦安残日録(6)

                   

 5月13日少年時代の原風景

 毎朝6時前後に目覚めてすぐの全身ストレッチ(約20分)は、24年前の「食道ガン手術」の入院中(4ケ月)に編み出した自己流で、ヨーガ基本ポーズ10数種、腹式呼吸・腹筋鍛錬、マッサージ(手首、首、頭蓋、目、鼻、耳)など、頭の天辺から爪先まで。

 洗面後の朝のカロリー摂取の〝お仕事〟はテレビを観ながらゆっくりと取り組む。定番のテレビ番組は、「ワールドニュース」に続くBS3chの「里山」「新日本風土記連動番組」と新旧の「朝ドラ」だ。

「里山」は、原爆投下前年に広島から疎開した福山郊外(両親の実家がある)の少年時代の原風景を思い起こさせるシーンが多く、〝終末〟意識のせいか、無性に懐かしさを覚える。

 今朝の風景は、九十九島の澪標(みおつくし)と多摩川の水源「水干」で、いずれも、広島・福山の幼・少年時代の記憶を鮮やかに呼び覚ましてくれた。

疎開先「引野村」(現・福山市引野町)の海は瀬戸内特有の遠浅さで、干潮時には澪(水径)がよく分かった。経済成長時代に日本鋼管(現西日本製鉄所・福山)の新工場誘致で埋め立てられ、潮干狩り/魚釣り/水泳などで楽しく遊んだ美しい場所は跡形もない。埋め立て前に数多く生息していた古代生物「カブトガニ」も姿を消した。

〝末期ガン〟と向き合って住む浦安の海も、山本周五郎の『青べか物語』の頃はノリ養殖が盛んな遠浅に「澪」があったが、広大な埋め立て地に市庁舎・中央図書館が建つ中町地区とディズニーリゾート、鉄鋼団地、高層住宅群が立ち並ぶ新町地区ができて〝日本でいちばん住みたい街〟のキャッチコピーが飛び交う街となった。

水源地といえば、昭和9年に生まれて10年住んだ広島市内を流れる7本の川(太田川の支流。「広島音頭」に〝七つ川の瀬〟の文句)の上流「白島」があり、春秋の休日、周辺のピクニックに恰好の低山に幼い私と父が行った記憶がある。母が、持ち帰ったゼンマイをアク抜きして煮たのも、食べものが乏しい戦時中の思い出だ。

ピクニックや市内の川へハゼ釣りに連れて行ってくれた父は、家族を疎開させ単身勤務の広島市で、原爆投下の翌々日2次被曝(帰省先福山から戻って入市)して原爆手帳を支給されたが、原爆症を発症することもなく、78歳で旅立った。

 私のアラブ在勤中(昭和46年)64歳で急逝して死に目に逢えなかった母は、かなり前から折りに触れて夢に出てきたが、最近、敗戦前後の若い父が現れるようになった。夢の〝呼び水〟に、「里山」のシーンがあるのかもしれない。



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5月14日ホタルの里の清流・棚田

 今朝の「里山」は、ホタルが生息する山里の清流と棚田のシーンで、松たか子さんのナレーションに、〝星垂る〟〝火垂る〟の表記、「江戸のほたる売り」「恋の蛍」の言葉があり、興味深く見た。

蛍は、疎開した母の実家の棚田の流れにいっぱい飛んでいたし、10年ほど前、「ふれあいの森公園を育てる会」のビオトープに蛍を飛ばす企画で、グリーンハウスの水槽で飼育した蛍をビオトープに放って近所のみなさんと一両日の宵を楽しんだ。ただ、清流といえないビオトープの流れでカワニナは生息できても、〝蛍の自生〟は望むべくもないことがよく分かった。

清流で忘れられないのは四万十川で、定年退職後まもなく、京大建築学科の学友N君の誘いで訪れた日本有数の清流だ。

彼は林業を営む病弱の父君の手伝いで留年して卒業したが、林業を継がずゼネコンに就職した。関東在住の同期会で時折り会うくらいだったが、京都の大学生活を共に過ごしたお千代と私に、なぜか好感をもってくれたようで、結婚45周年の私たちに、《四万十川・ふたり旅》へ招待してくれたのである。

綿密なスケジュール付きの招待旅行は、お屋敷での前後2泊と四万十川の源流から足摺岬までの3泊4日(計5泊6日)の思いがけない旧婚旅行だった。

昼過ぎの高知空港へ出迎えた彼は、アンパンマンの「やなせたかし記念館」に案内してから自邸へ向い、疲れがとれるからと入浴と昼寝を勧めてくれた。やさしい〝土佐いごっそう〟のいたれりつくせりのお接待に、私たちはいたく感激した。

黄昏どきから、浜にある彼の行きつけの鰹料理店でしこたまご馳走になって、美人ママのスナックでカラオケに興じさせてくれたが、シャイな彼は1曲も唄わなかった。

翌朝、彼の運転で2寺の巡礼と昼食をして、四万十川の源流まで案内してくれた。1台の車が通れる細い山道を入り、なんとか「四万十川水源」の標識が立つ林間にたどり着いた。彼の運転と案内なしには来れない場所だ。そこで飲んだ清らかな水の滴りが小さな流れとなり、紆余曲折を経て次第に大きな河となって太平洋へと下る川筋の旅の前途に、ワクワクした私たちだった。

水源からの下りは、ナビゲーターとなったN君が私に運転を任せ、曲がりくねった急な山道をガイドして、途中のJRの駅から、電車に乗って自邸へと帰って行った。

彼がたてた綿密な日程表を頼りに向かった最初の宿は竜馬脱藩の「祷原」に近い「星降る里のロッジ」。野趣に富む山菜料理を賞味して肌寒いテラスから眺めた〝満天の星空〟は息をのむほどだった。

 翌日は、曲がりくねって流れる四万十川を車窓の左右に眺めながら、赤鉄橋で名高い中村に着いて、N君が予約してくれていた川舟の船頭さん宅を探しあて、上屋付の美しい和船の貸切りで四万十川の上り下りを満喫した。

 船大工の船頭さん手づくりの新造の舟(土佐の檜・杉材)は木の香も新しく、やぐら炬燵の卓に差し向かい、鮎の佃煮で地酒を酌む贅沢な〝舟遊び〟をさせてもらった。

 漕ぎ寄せた中洲に降りて拾った平な丸石の表面に鮎が川藻を食べた跡が鮮やかに付いていた。かなり大きな石だが〝思い出〟にと持ち帰る。(国内外の旅行記念品の陳列ケースに収まっている)

船頭さんから、川岸に立つ灌木の小高い茂みが泥で汚れていたのは2ケ月前の洪水跡で、平水時より4、5メートル高い水位と聞き、〝清流四万十川〟の別の顔を見た。

 舟を下りて川原を散策し、お千代がススキの小径を歩いて行く後ろ姿を、赤鉄橋の全長を背景にした〝ハガキ絵〟に描いた。

 その日の宿は料理・民宿で、料理人の主人が獲ってきた鰻、川エビ、川のりほかの山海の美味を地酒を酌み合いながら堪能した。

 最後の泊地は、四万十川の河口から50キロ先の足摺岬で、太平洋を望む崖っぷちに立つ民宿だった。夕食前の部屋の窓際から、夕闇が迫る岬の風景をスケッチしたが、折しも台風が接近しており、強風に煽られる和紙を押さえて、思い切った筆致で速描した。夜半には、怖いくらいの物凄い風雨となり、なかなか寝付けなかった。

 翌日は雨がやんだ強風の中を、四国巡礼第38番札所「金剛福寺」へお参りした。この寺は第37番札所から50キロも離れていて、徒歩で巡る人たちの往復の長路は大変だったろう。

 

朝のテレビ番組「里山」を見て、遠い日の思い出を連綿と書いたことに、われながら驚く。

毎夜、1時間半ごとに小用に起きるが、朝まで数回の睡眠で見る夢々に、懐かしい故人が頻繁と登場するのも、〝終末〟の日々だからか。

忘れがたい〝旧婚旅行〟に招待してくれたN君はその後、広い庭のある豪邸を処分してマンションに移り住み、家族がいる東京の家に時々戻るほかは高知に一人住まいして、数年前、看取られることなく旅立ったと知った。合掌。

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 5月20日(「共謀罪」採決強行

 昨日の衆院法務委員会で「共謀罪」が強行採決された。この種重要法案の審議で採決前に首相が出席して質疑を行う慣例も無視された。

 犯罪の実行行為を処罰する「刑事法」の〝原則の大転換〟である法案の審議を巡る金田法相の覚束ない答弁の国会中継に、イライラさせられっぱなしだった。

 法相答弁の途中で副大臣や安倍首相が代弁する見苦しい場面に、法相の資質や理解不足が野党から指摘されたが、それは、この「法案」そのものに、法相自らが理解できない論理的なムリが歴然とあるからではないか。

 安倍首相が主張するように、国際社会から要請されている〝テロ対策法案〟なら、277もの犯罪について、テロとの関連性を逐一審議する必要があると思われる。

「共謀罪」の内容が心の中を裁く法律ではないかと懸念して、かつての「治安維持法」の再来の危険性を多方面の識者や戦前の特高警察の実体を知る一般の人たちが訴えている。

集団的自衛権行使の「安保関連法」や「特定秘密保護法」の強行採決に次ぐ、「共謀罪」の趣旨を含む「組織的犯罪処罰法」の慌しく強引な採決ぶりには、安倍一強政権の国家主義的な〝管理・監視社会〟への道筋がちらつく。

国会審議を軽視する安倍内閣の一連の国会運営は、反対意見や異論に対する〝聞く耳持たぬ〟驕慢さが目立ち、政府にたて突く政治組織や支持者に対して、「共謀罪」を適用した捜査・立件が行われないとの確証が明らかでなく思われる。

 創価学会の前身「日本創価教育学会」の創立者ら(牧口、戸田)が治安維持法や不敬罪で逮捕・投獄され、獄死した歴史的事実を考えると、長年、与党の一翼を担ってきた公明党の「共謀罪」への対応は、ワキが甘いのではないか。

 中学の時、父の書棚のジョージ・オウエルの「1984年」を読み、軍国主義という全体主義の恐ろしい時代から自由な民主主義の国に生まれ変わった日本を、少年の素朴さで喜んだものだ。

 だが、朝鮮戦争が勃発して、戦後保守内閣の右傾化を図るCIA(元内務官僚が協力?)工作活動の陰謀や事件が相次ぎ、60年安保反対が職場労組で議論された中で公安警察の内偵を体験して、政権の政策に反対する一般人国民までもが、〝監視〟されている恐ろしさを知った。

安倍政権は、「共謀罪」の運用では戦前のようなことは起きない万全の歯止めをすると答弁しているが、警察権力が、犯罪を実行する前から捜査・逮捕できる「共謀罪」を乱用すれば、なにが起きるか分からない。安倍首相が重用する女性閣僚らの政治思想、仏のルペン氏など極右勢力のそれと重なるとする見方もあり、安倍政権に批判的なマスコミや市民運動を押さえつける彼女らの言動を見過ごしてはならない。

 一強の強権力で政権批判を封じ込める安倍政権は、中国の一党独裁政権の〝民意弾圧〟を非難する資格を問われているのである。

「表現の自由は、基本的人権の土台であり、人間性の根ねっこ、真実の母である」(中国人権活動家・リウ・シアボー。国家政権転覆扇動罪で逮捕・11年の実刑判決)

 

5月2X日末期ガンと体重)

〝末期ガン〟宣告を受けてから毎日、就寝前の入浴時に体重を計ることを日課に加えた。ガン増殖には糖質が必要で、体内の糖質が不足すると脂肪や筋肉を燃やしてできる糖質を消費し、その結果、激ヤセするという。体重低下は、ガンの増殖活動の指標になると考える。

昨夏あたりから、長年変わらなかった60キロの体重が53キロ台まで低下していたが、5月半では52キロ台に近づいた。思えば52、53キロは新婚生活初期の体重だ。大学時代は48キロだった。

昭和33年に結婚して、高度成長時代と海外勤務の年月で中年太りして67キロになったが、食道ガンの大手術で60キロになってからの24年間は、その体重を維持してきた。

体重保持には、〝栄養とカロリー摂取〟が肝要で、ガンの閉塞で通り難くなっている食事を、いかにして通してゆくかが喫緊の課題だ。この〝大仕事〟に、ひたすら取り組む日々としよう。

 体重低下は、摂取する〝栄養とカロリー〟の出入りの差でも生じ、〝入り〟が限定されるなら〝出〟を制する必要がある。

栄養とカロリー摂取で基本とされる10種の食品「肉、卵、牛乳、油、魚、大豆、緑黄色野菜、芋、果物、海藻を組み合わせた〝お千代の料理〟のレパートリーから選んだ2、3のメニューをミキサーで流動化し毎食約2時間かける〝入リ〟では、安静な生活に必要な千6百キロカロリーを摂取できず、小箱1個で2百キロカロリの「高カロリー総合栄養食品」(3、4個)で補完している。

〝出〟では、宣告後の数日で書き上げて元職場OB会誌に寄稿した『晩節の〝選択〟』の執筆に精魂を傾けたカロリー消費が思いのほか大きくすぐ体重低下が起きたが、〝出入り〟のバランスは実に微妙だ。脱衣場の体重記録に記入する数字が気になるが、眠りの妨げにならぬようアタマからの消去を心がけている。

 

6月3日『続・晩節の〝選択〟』に着手

今日で〝末期ガン宣告〟から3ケ月が過ぎた。その間に戴いたお手紙や電話、見舞いの品などのお励ましに力を得、〝文ちゃん流〟の「生活習慣」と「生き方」でガンと向き合ってきた成果か、体重は52キロ前後で推移して下げ止まった状況を保っている。

この身に〝終末〟がいつ訪れるかは神のみぞ知るだが、朝目覚めてからの養生日課に、〝あせらず〟〝あきらめず〟取り組み、1日を安堵と感謝で終える日々を「一日一生」として積み重ねるだけだ。

 NTT本社OB「日比谷同友会」会報に寄稿した『晩節の〝選択〟』に、思いがけないほどの反響があり、メール・電話・手紙のファイル(「終末期」の交信)は5冊目となった。有難いことである。

 元職場上司・沖塩荘一郎さんがわが家へ持参してくださった済陽高穂著『がん再発を防ぐ「完全食」』は、氏ご子息のお嫁さんが余命3ケ月の末期がんをを宣告されたときに読まれ、「済陽式栄養・代謝療法」を実践したところ、5年も生き延びられたと聞いた。

がんと診断されたら、何を食べればいいか、何を食べたらいけないのか。進行がん患者に6割強の有効率のあるとされる「栄養・代謝療法」をすぐに取り入れた〝お千代の食事療法〟の日々ははや、3ケ月近くになる。

あの拙文が、先輩・同僚・後輩の晩節の生き方の参考になったとの同友会事務局からの励ましを得て、『続・晩節の〝選択〟』を7月号に寄稿することにした。

 

今日は、「日比谷同友会」の総会当日でもあった。総会に続いて「講演会」、「懇親会」があり、毎年、顔をだして先輩方や同僚らと歓談してきたが、今の〝青天の霹靂〟の境涯では、到底ムリだった。

今年の講演は岡本行夫氏の『これから数年の世界を展望する』で、日ごろ聞いているテレビ・コメンテーターとしての見解を超えた新味の「話」を期待し、会報7月号の「講演録」を待とう。

 

 6月12日『続・晩節の〝選択〟』と参考文献

 思いがけない反響があった『晩節の〝選択〟』の続編を書き上げ、「日比谷同友会」事務局へ送信してホッとした。

日本では75歳以上の2人に1人がガンにかかり、3人に1人がガンで亡くなるとされるが、末期ガンの高齢者がいかに人生の終末を迎えるかに、「日比谷同友会」会員の少なからずの人たちが関心を持たれていると分り、いささか根を詰めて勉強し執筆したので、疲労困憊しているのを感じる。ここ10日間の〝栄養・カロリー摂取〟が疎かとなって体重の低下が目立ち、お千代にこっぴどく叱られもした。

執筆モチベーションとなった反響の手紙やメールには、ガン治療の経験者からだけでなく、ガンに罹った時、「治療」の選択・判断の参考にすると書かれたものもあり、〝ガン治療法〟や〝末期ガン〟に関する最近の参考文献数冊を入手して読んだ。中でも、続編末尾に記した『がん細胞を消していくために患者ができること』(監修・前山和弘医師)が大へん参考になった。

病院の「がん3大療法・標準治療」がうまくいかなかったり、発見されたとき〝末期〟と分る患者が多いこと、同じ〝病態〟の患者は1人としてなく、ひとりひとりが異なる遺伝子をもち、60兆個の細胞とそのキャラクターは患者毎に決まることなど、〝目からウロコが落ちる〟思いで読んだ。

 大病院で「標準治療」を金科玉条とする医師たちは、患者を診みずに、ガンそのものだけを診ているのではないか。スタンダード(標準)の患者などいないのに、「標準治療」のマニュアル的治療は本来、成り立たないのだと、まえがき「ガンは自分で治す時代」に書かれている。

また、米国の腫瘍内科研究者ケリー・ターナー氏(ハーバード大で学士号、カリフォルニア大で博士号取得)の『がんが自然に治る生き方』では、現代医学の治療を受けないでガンが治った人々の存在を知り、〝我が意を得たり〟だった。

千を超す症例の調査から導かれた9項目の、抜本的に食事を変える/治療法は自分で決める/

直感に従う/ハーブとサプリメントの力を借りる/抑圧された感情を解き放つ/より前向きに生きる/周囲の人の支えを受け入れる/自分の魂と深くつながる/「どうしても生きたい理由」をもつ のすべては、〝生活習慣〟と〝生き方〟として長く実践してきたことばかり。スバラシイ本との出会いに天啓を感じた。 

「ガン」は己の細胞が突然変異したもので「完全寛解」しても、再発の可能性があるのは糖尿病・リュウマチと同じとされる。ターナー博士の「9項目」は、ガンに罹った人だけでなく、ガンに罹りたくない人も読むとよい本だ。

 先端科学の粋を集めて進んできた「3大療法」でもガンを治すことは難しく、東洋医学等の補完代替療法を取り入れる臨床医、患者を人間全体としてとらえる「統合医療」(ホリスティック医学)をめざす病院が増えているのは、まさに〝同慶至極〟。

末期ガンの宣告に駆り立てられて書いた『晩節の〝選択〟』で、「一切の抗ガン治療は受けず、これまでの生活習慣と生き方を続けて、今の生活の質を可能な限り維持したい」の選択もまた、天啓のような気がしてならない。   

(続く)
2017/07/16 18:04 2017/07/16 18:04