'文ちゃんと文芸&《書く!》/エッセー'に該当される記事7件

  1. 2015/02/09 行雲残日録
  2. 2012/04/08 日本の格差問題 
  3. 2012/04/02 続・悲喜こもごも
  4. 2012/04/02 悲喜こもごも
  5. 2012/03/14 「3.11」 は続いている
  6. 2011/04/06 定年退職
  7. 2009/10/26 「チェンジ」の時代と私

行雲残日録

  =喜寿から傘寿=

                      松本 文郎

 

 われわれは どこからきたのか

  われわれは なにものか

  われわれは どこへゆくのか

         (ゴーギャンの画題)

 

人の一生を「行雲流水」と言えば年寄りじみるが、父親の享年78を超え80歳まで生きてきた。58歳で食道全摘出手術を受けて再びのいのちを戴き、66年前に中学で出会った初恋の妻と、今生かされている。東日本大震災を機に、「浦安残日録」をブログに連載している。70歳から右肩上がりをつづける前立腺PSA(昨夏)154.63である。

 

浦安が大きく揺れた               (2011年3月)
             

 まさに晴天の霹靂の東日本大地震だった。マグニチュードが8.8から9.0ニ訂正された、千年に一度くらいの未曾有の巨大地震という。建築家の私もビックリ仰天。そのとき私は、書斎のパソコンで締切りが数日後の『アラブと私』の原稿執筆に余念なかった。

 ゆっくり始まったかなりの揺れで、正面の書棚の本が2、3冊落ちた。揺れはしだいに大きくなってきた。背面の書棚の上部には重い大判の美術書がぎっしりと天井まで積んである。一斉に頭上に雪崩れると危ない。私は、急いで廊下に飛び出した。

 リビングダイニングにいたお千代は、大事な食器戸棚の扉が開かないようにけんめいに押し返している。私もいっしょに戸棚全体を支えたが、かってない長くて大きい地震動に、生まれて初めての恐怖を感じた。これは大変なことになるぞ! 

あれからはや10日が経った。

 わが浦安も被災地となった。小さな漁村の海を埋立てて拡張した街の海側半分の地区が液状化現象に見舞われたのだ。いたる所で道路や歩道の隆起陥没が生じ、泥水と砂が噴出して堆積した。私たちが住むテラスハウス住宅団地内の道路の一部も同じ状況だ。大きく揺れても住戸に損傷はまったくなかったが、ガス・水道はピタリと止まった。

 幸い電気はきており、テレビに映し出される巨大津波が襲う被災地の惨状から、終日、目が離せなかった。市内の海に近い19階建て高層マンションに住む娘の電話で、16階の住戸内のほとんどの家具が転倒し、壁からの額の落下やペンダント照明の衝突で、家中がガラスの破片で足の踏む場もないという。ガス・水道は遮断され、エレベーターも停止。

 渋谷幕張中学一年の孫遥大は幕張の校舎にいるはずだが、連絡がとれないという。

 会社員の婿ドノと息子健の安否は、それぞれのケイタイで銀座と新宿のオフィスで無事との連絡があり、ひとまず安堵。娘は、3年前バンコクから一緒に帰国した愛犬のトビーを連れてわが家に緊急避難してきた。トイレが使えない高層住宅からの脱出だ。

 家に着くやいなや、人目のつかない庭の隅でガマンしていた小用を足す。娘は豪胆!

 10日間見つづけてきた、地震・津波・原発事故の三重被災に苦悩する被災者の姿に言葉もない。私たちの生活インフラ遮断による不便など、タカがしれている。

 地震・津波に被災した福島原発の危機的状況は予断を許さないが、最悪の事態回避に命がけで立ち向かっている全ての関係機関の人たちの姿には感謝感激だ。

 地震から9日の昨日、つぶれた家の中から80歳の祖母と孫の16歳男性が奇跡的に発見・救助された。1万数千人とされる行方不明者の中のお二人だった。

 不自由な避難場所で9日ぶりに温かい汁椀を抱えて啜る人たちの笑顔をテレビで見たが、半壊の自宅でがんばる人たちへの救援物資が届かないという。

神戸淡路大地震で自発的に秩序立てられた避難所運営の経験ノウハウと、あのとき目を見張った若いボランティアの活躍などが、これからは期待できると信じたい。

 昨夜来の半徹夜で、『アラブと私』の原稿残部を書き、締切りに間に合った。ヤレヤレ!!

福島原発の危機的事態は依然として予断を許さない状況だ。関係者の必死の苦闘が不眠不休でつづけられている。東京消防庁の福島第1原発への放水作業を指揮した隊長のテレビ会見の画面に、思わずねぎらいの言葉をかけた。

自衛隊・消防・警察など国の機関の隊員・署員は、国民の生命財産を守る重大な役割を担っている。この命がけの危険作業に出動した夫を、健気に励ました妻たちがいた。

東日本大震災の陰で最近まで報じられなかった浦安の被災を知った学友、元職場仲間、友人知人から、つぎつぎと見舞いの電話やメールが届くようになった。ありがたい。

 481戸のわが住宅団地内の水・ガス供給が2、3日前から相次いで復活したが、広い範囲の下水道の復旧見込みは立たず、トイレの「大」以外の生活排水は庭の雨水桝に流すように指示された。風呂・洗濯は厳禁だ。

断水で高層マンションから我が家へ避難していた娘一家は、給水再開でトイレ・風呂・洗濯が可能となって自宅へ戻って行き、私たちに、入浴・洗濯に来るよう言ってきた。

ディズニーリゾートのホテル群が浦安市民に入浴サビースを始めたとの報に、早速出掛けて12日ぶりの入浴。立派な大浴場で手足をのばして湯にひたっていると、天国に湯浴みする心地だったが、寒さのなかで震えている被災地のお年寄りや災害の爪痕と闘っている関係者らに申し訳ないとも想った。

32年同期入社「三二会」の仲間数人から届いた見舞いメールに、近所に住む君の家が液状化で傾いて困っているとあり、すぐ訪ねてみると、ゴルフボールが容易にころがるほどに床が傾斜している。生活インフラのダウンで不自由している私に遠慮して連絡しなかったと言う、やさしい人柄の彼だ。住友林業に勤める息子に連絡し、修復工事の相談にのる手配を頼む。

復興への迅速で経済的な創意工夫が、さまざまな分野で生まれることを期待したい。

 

スケジュールも大揺れ              (2011年3月

居住区域には排水規制の不自由があるが、日常生活は徐々に平常に向かっている。

喜寿残日、音楽(唄い)/絵画(描き)/文芸(詩文を書く)を楽しむ日々のスケジュールは、さまざまな変更を余儀なくされた。

《音楽》では、練習会場の公民館が避難場所となり、第10回「浦安男声合唱団定期演奏会」を4月半ばに開催する市文化会館が防災本部の拠点になって、演奏会どころか、これから毎週の練習さえ目途が立たない。今年中の開催は難しいと思われる。

昨年暮れ参加した第11回『IKSPIARI第九』がきっかけの「合唱団LICHT」の結団式と練習会場も閉鎖され、スタートは5月までムリのようだ。

鑑賞を楽しみにしていたコンサートでは、敬愛する山陽地方出身のソプラノ歌手・横山恵子さんがプリマの『アイーダ』の中止連絡があった。残念だろうが、被災地の惨状と不自由な避難生活に想いを馳せた苦渋の決断であろう。

 ボランティア仲間と毎月出前する、高洲の特別養護老人ホーム・愛光園への3月17日の訪問コンサートも、停電と施設の一部損壊で仮移住の破目となり中止。最高百歳の高齢入居者の不安な気持ちとヘルパーさんたちのご苦労を想い、みなさんが好きな懐かしい歌を一緒に唄い、リクエスト曲を聴いてくださる日が早く来るようにと祈る。

《絵画》では、「日比谷彩友会展」の作品講評と春秋の絵画研究会の講師をお願いしている白日会副会長の深澤孝哉先生に、「白日会展」(新国立美術館・3月18日)をご案内いただく予定だった。余震を危ぶみ中止に踏み切ったが、案の定、当日は休館となる。

 うれしい出会いもあった。銀座教会ギャラリーで一見した個展がすばらしくて記帳してから5年ぶりで、「野島朱美透明水彩展」の案内状が届き、池袋の小さなギャラリーへ最終日の午後に出向いた。国内外の風景が多い水彩作品の数々を久しぶりに拝見すると、四季折々の色彩のみならず空気までも見事に捉えた透明感溢れる画面に感銘した。

 自己紹介にと持参した『文ちゃんの旅と暮らしの絵・ポストカード集』を見てもらい、親しく歓談すると、自然の感じ方や描くときの心得えが驚くほど似ていて意気投合した。うれしい出会いを互いに歓び合い、大震災後初めての至福の時間に感謝した。

《文芸》では、地震勃発で執筆が遅れた『アラブと私』は締切りになんとか間に合った。

前々回、約50年前のイラク軍事革命と共和国成立のことを執筆中にチュニジア政変が勃発したので、前回は中東・北アフリカ諸国に波及しはじめた反体制勢力による市民民主革命の巨大なうねりを書いた。 

 

「第九」のシラーの詩の力            (2011年4月

 NTT入社同期の小野文朗さんが姪御の横山恵子さんが「第九」のソプラノ・ソリストで出演すると知らせてきた。恵子さんは岡山出身で私たちの故郷福山と同じ瀬戸内生まれ。1992年に渡欧して、ドイツを中心にヨーロッパ各地でプッチーニ、ヴェルディー作品を主にタイトル・ロールを唄い、日本でのタイトル・ロールデビューは1996年。主なレパートリーは、小澤征爾指揮・浅利慶太演出『蝶々夫人』、「びわこホール・ヴェルディーシリーズ」、日本初公演の『エジプトのヘレナ』をはじめ、『マノン・レスコー』『オテロ』『トウーランドット』『トスカ』『ワリキューレ』『タンホイザー』ほかと数多い。

強靭で美しい歌声、高い音楽性と精神性で表現する主役の人物像に、私たちは魅了されてきた。『ワリキューレ』のブリュンヒルデや『トウーランドット』姫のタイトル・ロールでの迫真の歌唱は、いまも耳に残っている。

 東日本大震災後間もない3月25日のドイツでも被災者への鎮魂の『第九』を指揮した佐渡裕指揮の「題名のない音楽会」の『第九』(東京フィルハーモニー・晋友会合唱団、東京オペラシティーホール)は圧倒的で、恵子さんの歌唱も見事だった。

 美しいグリーン色調のドレスと金髪ヘアーのいでたちは天性の声を響かせる大柄な体躯にピッタリで、選抜きのソリストのなかで一際、私たちの耳目を奪った。

私にとっての「第九」は、19年前、食道がん手術で再びのいのちを与えられた歓びで参加した『浦安市民第九』に12回連続参加し、ディズニーリゾートの恒例年中行事となった『IKSPIARI第九』でも、毎年暮れのカウントダウンで唄ってきた。 

 その合唱指導者古澤利人さんは、人類平和を神に祈るシラーの詩『歓喜に寄す』に魅了されたベートーベンが、30余年を費やした不朽の曲の深い意味をしっかり理解して唄うことを求め、精魂込めて指導されてきた。紛争や戦争がつづく人類社会を憂いたシラーが、創造主の存在を信じて書いた一節「抱き合え、幾百万の人びとよ!」は、226年を経た今も、私たちのこころを強く揺さぶるのである。

佐渡 裕さんは、さだまさしと共演した『さど・まさしコンサート』(阪神淡路大震災記念ホール)でも、災害や戦争に苦悩する人びとに届く音楽の力について語り合ったが、佐渡に師事した柳澤寿男は、長い民族対立の歴史の果てに独立したバルカンのコソボで対立するアルバニア・セルビア人の音楽家による「戦場に、音楽の架け橋を」の演奏会実現の活動などで、2007年の「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれた。

 

 日本全体の復興をめざそう           (2011年4月)

 世界が見守る福島原発事故の行方が定かでない状況で、歴史的政権交代をしたものの、迷走する政治と経済不振で、社会全体に閉塞感が充満している。

 年金制度への不信がきっかけの社会保障・福祉政策の見直し、リーマンショック以降の世界経済不況のなかの経済・財政構造改革、外交・安全保障の自立化政策等の課題を抱えたままの「3・11」だったことを、決して忘れてはならない。

 私たちは今、大震災と原発事故からの復旧と国全体の復興を重ねて構想すべき地点にいる。京大建築学科の恩師西山夘三先生は、人間居住環境・地域計画の学術調査・建築都市計画学を民衆の立場から推し進めた世界的権威だった。先生がいま、安藤忠雄さんの座につかれたらどんな提言をされるかと想うが、鬼籍に入られて久しい。

 卒業同期に、大学教師となって先生の学問的所産を発展的に受け継いだ学友数人がいる。浦安被災で電話やメールをくれた学友らに、阪神淡路大震災の復興計画に関ったノウハウを東日本の再生に生かせないかと訊ねると、都市と農漁村とでは復旧・復興のポイントが違うし、深刻な原発事故が複合した事態では、簡単ではないと言う。

そうかもしれないが、喜寿の歳ならではの学術的知識・経験は、若い人らに引けをとらないのだから、終生現役といかないものか。政府お抱え学者より自在な立場で、西山夘三流の在野精神で最後のひと働きをしてはどうか。

 折しも、朝日新聞社が設立した「ニッポン前へ委員会」が、あすの日本を構想する提言論文を募集している。締切りまでの日数はわずかだが、ダメもとで8千字の小論を書いてみるか。

 自然の力を腕ずくでねじ伏せる考えは、西洋近代の科学技術思想と無縁ではなく、東洋の自然観(宇宙観)からは出てこないものだ。地震・津波・台風・洪水などの来襲・被災に順化してきたアジアには、自然と調和する居住環境づくりの歴史がある。

 日本の復興・再生構想では、電力の生産・消費の大変革への提言がメダマになろう。

原子力発電依存から早期に離脱するか、段階的削減と自然エネルギーへの転換の道筋を選ぶかに分かれる論議を、世界中の人びとと共に深めて行こう。

地球の全生命との持続的共生を科学技術の光と影の中で探求するのは、人類の課題だ。

 


  出前コンサートが再開 
            (2011年4月)

 エイプリルフールの今日、ボランティア「歌の花束」の四月訪問コンサートが開けるとのうれしい知らせがあった。特別養護老人ホーム「愛光園」の建物が震災に遭い、高齢の居住者の皆さんが避難生活を余儀なくされて3月は中止に。4月の目途もたたない矢先の朗報だった。

 百1歳の義母が入居されている女史主宰「歌の花束」は3年目。ピアニストのさんと男女数名のヴォーカルが、童謡・唱歌・歌謡曲などの懐かしい歌を入居者のみなさんと楽しく唱うひとときだ。

毎回の訪問を待ち遠く想われているみなさんが、大きな声を張り上げて唄われる笑顔に、歌を「出前する」私たちは力をいただいている。

 プログラムには2、3のリクエストのソロもあり、今回、『帰れソレントへ』を唄わせてもらう私は、知人女性にパヴァロッティの『Best of  Italian  Songs 』のCDを借りて猛練習中。本番までに一度、ピアノ教室を開いているさん宅で特別に練習する予定。

喜寿老人はパヴァロッティならぬ[ババッチ爺]だが、昨秋、『恋人よ』をリクエストしてくださった83歳の可愛らしい女性を、また泣かせたいものだ。

 女史からのメールに、「歌の花束」の名称が、昭和12年の国民歌謡『春の唄』の歌詞の「ラララ赤い花束車に積んで」に由来したこと、この歌が50数年後の阪神淡路大震災の被災者への励ましとなったので、震災から2年後、作詞者喜志邦三の歌碑が詩人ゆかりの地西宮に建立されたことが書かれていた。

 さらに、「愛光園」の復興を励ます歌とし4四月の曲目に入れたいので、3番の詞を書くようリクエストされ、「愛」「光」「園」などの言葉を入れた即興の詞を返信メールで届けた。

 歌が聴く人・唄う人双方に力を与え、いのちを掻き立てるとは、古今東西に遍く認められてきた。近ごろ私と同じ食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんや桑田佳祐さんも、人生の大きな節目に立って歌の力の大きさ、不思議さを改めて深く感じたと述懐された。

 

毎朝の散歩風景                (2011年5月)

すばらしい五月晴れの朝だ。住宅地内の毎年の花見場所、私が勝手に命名した「クジラの背」の潮吹き穴の位置から青空を見上げると、周りを囲むサクラとケヤキの梢の新緑が光に煌めいて美しい。タブの林を抜けて見明川沿いの遊歩道に出る。伝平橋にはもう稚鮎を釣り上げる人の姿はない。

毎朝のように、橋の袂のコンビニで缶コーヒーを買い、橋を渡って桜並木の遊歩道から「ふれあいの森公園」をめざして歩く。

途中の東屋の手前に川面に降りてゆく階段があり、歌の屋外練習場にしている。

今朝は、特養老人ホーム・愛光園の6月訪問で唄う『都鳥』の練習に、端唄師匠さんから戴いた芳村伊十郎の唄の音源を聴きながら声を出す。長唄調の端唄『都鳥』は、情緒纏綿として、なかなか佳い曲である。

さんは端唄師匠で、「愛光園」のボランティア親睦会の出会いが縁で、主宰されている邦楽同好会「江戸の華」の仲間に加えてもらった。吉住門下で20年あまり長唄を学んだ私は、定年退職後は唄う機会など、もうないとあきらめていた。

 辺りに人影はなく、対岸に向かって大声を張り上げた途端、1羽のカラスが近くの柵にきて眼をキョロつかせて私を見ている。長唄とカラスの声の周波数に似る音程があるのか、時折、カラスも奇妙な声を出している。

 そういえば、日本建築学会男声合唱団で「東京都シニア男声合唱コンクール」に出場したとき、審査結果の発表を待つあいだに訪れた井の頭公園の池の畔で、組曲「沙羅」の『鴉』を口ずさんでいたときも、1羽のカラスがやってきた。

公園入口の老舗で仕入れた焼鳥の匂いに釣られたのか、清水重道の詩『鴉』さながらに、ひょうきんなヤツだった。

 遊歩道の先に架かる見明川中央歩道橋を渡り、「ふれあいの森公園」に入った。

朝露でキラキラ光る大芝生を巡る周回路に、ひたすら速 足で歩く人たちがいる。   「公園を育む会」のボランティアの妻と私は、夏場には花壇の世話と水遣りをしている。

グリーンハウス近くのビオトープの池に紅白の睡蓮が開き、池に注ぐ流れにカキツバタと河骨が咲いて、ウッドデッキの横の花壇では、ピンクの牡丹と黄色い芍薬の大輪が競うように咲き誇っている。

 毎年、古代赤米を植えて収穫する小さな2枚の田で、番の鴨がせわしげに嘴で水の中を物色している。ニホンアカガエルのおたまじゃくしを狙っているのか。県の保護動物指定の絶滅危惧種であることを、鴨たちは知らないのだ。

 番の朝食の邪魔をしないように、流れを挟んだベンチに腰掛けた。背に射す朝の光で、すぐ側の枝垂れ柳の影が足元にゆれている。

ハウス内の正面の壁に、寄贈した絵・詩『ビオトープと森』の大きな額が架っている。

 

ブッシュとオバマ               (2011年5月)

オバマ大統領が、「やった!ビンラディンを仕留めたぞ!」と叫んだのは、米海軍特殊部隊とCIA軍事部門による急襲作戦の映像をモニタールームで見ていた最中という。

9・11同時多発テロの首謀者で米国の「対テロ戦争」の最大の標的を仕留めた瞬間だ。

リベラルで穏やかな人物のイメージをもつ彼も、やはりアメリカ人だと感じた。

2001年 のテロ発生の翌10月、国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディンを首謀者とみなした米国はタリバーン政権のアフガニスタンを攻撃した。同政権は2ケ月で崩壊したが、テロの黒幕として世界に知られることになったビンラディンは、アフガン・パキスタン国境の山岳地帯を転々としているらしいと報じられるだけで、多額の懸賞金にもかかわらず所在は杳としていた。

ブッシュ政権による膨大な戦費と米国兵士の生命をかけた掃討作戦も虚しく、10年近い年月が経過。アフガンからの米軍撤退を公約に当選したオバマ大統領は2期目の選挙を目前にして、ビンラディン容疑者の捕捉に懸命だったようだ。「やった!」に、その強い想いを感じる。

 オバマ大統領の命を受けていたCIAが、パキスタン国内の隠れ家の情報を入手したのは昨年の8月。今年初めには特定したとされる。掃討の急襲作戦がパキスタン政府に知らされずに実行されたとして両国に不穏な空気があるが、オバマ大統領声明に、「パキスタン政府の協力の下に作戦を遂行した」とある。

 武器を持たないビンラディンを捕捉せずに殺害して遺体を速やかに水葬に付したこと、遺体写真の未公開などについて、ブッシュ政権より透明性を約束したオバマ政権に対し、AP通信が情報公開を要求している。

 イラクのフセイン前大統領が、捕捉されて裁判にかけられて死刑になったのに比べて乱暴なやり口と思われるが、軍事評論家によると、テロリストは「違法戦闘員」だから、「武器を持たない者を殺してはならない」 とするジュネーブ条約45条違反ではないし、9.11テロのような多数の犠牲を再び出さない予防戦争では、隠れ家のあるパキスタンに無断で侵入しても正当性があるという。なんとも物騒な論理を開陳していた。

「予防戦争」なる概念が国際的に認められているかどうか知らないが、米国のように世界最強の国家ならば、他国に対してなんでもできることになりはしないか。

「憎悪は憎悪を生み、報復しても愛する人たちは生き返らない。軍事的反撃は新たなテロを誘発するだけではないか」と語った遺族たちがいることを忘れてはならない。

 ときあたかも、中東にうねる民族革命の波は、アルカイダの暴力を是認しない若者らが推進力になっている。「テロへの報復」と「さらなるテロ」の悪循環を絶ってこそが、米国と世界の混迷に「チェンジ」を叫んだオバマ大統領の真骨頂ではなかろうか。

 

GINNYさんのクラス            (2011年6月)

 GINNYさんの「Let’s enjoy chats and debates in English 2011年前期クラスが始まった。浦安市国際交流協会の外国語学習講座の一つ「中級英会話」に前年前期から参加している私は3期目になる。

GINNYさんはシアトル出身で20年前に来日。新潟の高校で英語教師を8年間勤め、日本酒・酒盗・納豆などが大好きという豪快な女性教師で人気がある。日本の伝統文化にかなり詳しいのは、来日前、米国の大学で「日本学」を学んだからか。

クラスメイトの3分の2は女性で、ロシア・中国・韓国系の人も混じる。定員20名だが受講を始めてから、高いレベルに追いつけずに中退する人もある。3月からの前期が、浦安が東日本大地震被災地となり教室が使えなくなったので、5月半ばにスタートした。

Chats and Debatesの話題は、GINNYさんが準備したのと輪番のショートスピーチのトピックスから選び、質問をきっかけに活発な談論風発が始まる。

 浦安の思いがけない被災で、当面のトピックスは地震・原発・節電だ。常日ごろは使わないヴォキャブラリーを、GINNYさんだけでなくみんながよく知っているのに感心。  

各人が節電の具体策を提案したが、私は、朝日新聞社公募の提案論文で書いた『脱原発とエネルギー政策』からの私見を2、3述べた。

 引退した老建築家なりに、「方丈記」の鴨長明流「家のつくりは、夏をむねとすべし」を披露した私に、「超暑がりの私にとっては、この夏が生死の問題なのヨ!」と大きな体躯をゆさゆさと揺すったGINNYさんだった。

 

人間と自然との間柄              (2012年8月)

 地震・津波・熱帯低気圧(台風など)・洪水など、甚大な自然災害をもたらす自然力に対して、日本では、「地震・雷・火事・親父」の言辞のように、「抗いがたい相手」との認識がある。

 しかし古代では普遍的だった「自然=神」の原始的自然崇拝を捨て、「人間を造った神」を信じる人たちは、自然の生きとし生けるものや資源・環境の与奪を許されていると考えているのではないか。熱帯低気圧の巨大エネルギー制御に原水爆を使うという荒唐無稽な発想もあったと記憶する。

 近代の科学技術の基礎には、イスラムが伝承したギリシャ・ローマ文化があったとされるが、イスラムが偶像的でない「神」に敬虔な信仰をもち続けてきた一方、アングロサクソン的な欧米人の「神」への畏怖はいまでは人間の所業への免罪符に堕した感が否めない。

古代社会の統治者と民衆は、自然の偉大さへの畏怖の念を共有しており、自然と人間の関わりのなかで、「神」の概念が生み出されたのではないかと思う。

古代文明の発祥地、メソポタミア、エジプト、インド、中国などに、「自然神」を敬い、祈願するさまざまな宗教が生まれたがそれらは多神教的で、一神教が出現するのは数千年のちのことである。

キリストより約5百年前のブッダは仏の教えを広めた仏教の始祖とされ、生れたインドの混迷した人間社会の救済を広大な自然の大地を遍歴するなかで思索した。

 ブッダは、世界宗教の始祖というよりも、量子力学的な宇宙の摂理を直観した智慧者で、『般若心経』の「色即是空」がまさにそれだと愚考している。

 仏の慈悲に帰依することを説いた経典は、キリスト教の聖書やイスラム教のクルアーンに書かれている文言と、ほとんど変わらない。

 インド哲学・仏教学者として世界的にも名高い中村元が、最古の仏典『スッタニバータ』から抜粋した意訳「ブッダのことば」を自分の墓に刻ませた。

   慈しみ

一切の生きとし生けるものは/ 幸福であれ 安穏であれ 安楽であれ

  一切の生きとし生けるものは 幸いであれ/ 何びとも 他人を欺いてはならない

  たとい どこにあっても/ 他人を軽んじてはならない

  互いに 他人に苦痛を与えることを/ 望んではならない

  この慈しみの心づかいを/ しっかりたもて

 新約聖書のマタイによる福音書第五章から七章の「山上の垂訓」は、イエス・キリストが山上で弟子たちと群衆に語った教え「幸いなるかな」と8回繰り返される冒頭の3節から10節までが最も有名な部分である。

「山上の垂訓」が、神のことばとして伝えられたのに対して、「ブッダのことば」は、人間ブッダが地上のあらゆるいきものと共に生きることを諭したもので、宗教の原点は、自然と共に生きた原始人たちが、自然の偉大さを畏怖した宗教心とでもいうものだ。

豊饒な自然崇拝から生まれた多神的な宗教ときびしい自然風土を背景にした一神教の教典が、内容において驚くほど類似しているのは、生活環境に関係なく人類社会のさまざまな負の側面が、その時代すでに露わになっていたからにほかならない。

 太陽が発している核エネルギーを科学技術の力で実現したとき、「プロメテウスの火」に譬えられたのは、プロメテウスが天界から火を盗み出して人間に与え、人類の恩人になったというギリシャ神話に由来する。

神話では、怒ったゼウスがプロメテウスを岩山に繋ぎ、ワシにその肝を食わせて多年苦しめたが、のちにヘラクレスにより解放された。この譬えには、地球の自然界には存在しない天の火(太陽)を手にした科学技術者の人類社会に貢献した自負と、原爆による人間殺戮という、なすべきでない所業への天罰(神の怒り)の怖れの両義性があると思われる。

 今こそ人間の叡智の集合である哲学は、自然・人間・宗教・科学を総合的に論じる役割を担い、自然の環境・資源の汚染・枯渇、宗教的対立、核兵器廃絶、民族・領土問題など人類社会に山積する諸問題解決に真価を発揮しなければならない。

 原始時代に畏怖した「自然」を征服しようと「人間」の科学技術を振りかざすのでなく、謙虚な気持ちでその利用と保全に努めることが求められる時代にわたしたちはいる。

 福島第一原発の事故を契機に、「人間と自然」の新たな関係を探究して「ブッダのことば」の実現をめざしたいものである。

 

理香りんのピアノコンサート          (2012年8月)             

 自称「理香りん」の宮谷理香さんご案内のヤマハホール・サロン・コンサートを拝聴。80人限定のよい席を得ようと、世界のブランド店がひしめき、猛暑の地熱が立ちのぼる銀座通りを妻のお千代とわき目もふらずに歩く。

 理香さんはショパン国際ピアノコンクール入賞の才媛で、去年の春、NTTフィルハーモニ―管弦楽団と共演したショパンのピアノ協奏曲に深く感動してから、親しくさせていただいている。彼女の父君とは、NTT建築総合研究所で一緒に仕事をした間柄だ。

ロビーに、演奏曲目を二分するドビュッシーとショパンの自筆楽譜コピーの展示があり、ドビュッシーがペン先を踊らせた筆致の美しさに感嘆し、ショパンが推敲で抹消した箇所の生々しさに見入る。

 第1曲目の武満 徹『雨の樹 素描』の数小節の音を聴いた途端に、鳥肌が立った。

まるで、水琴窟と化したコンサートサロンに落下する水滴の得も言えぬ神秘さに身も心も包まれた。なんというファンタスティックな音の連鎖であろうか。魂の演奏というほかに言葉がみつからない。

 理香さんが語る演奏曲目の楽想やエピソードのMCには、親しさと楽しさがいっぱいだ。

『雨の樹 素描』の作曲では、大江健三郎著『レイン・ツリー』からインスピレーションを受けたことや、ドビュッシーに『金色の魚』を作曲させた『金色の魚が描かれた蒔絵』にブリジストン美術館「ドビュッシー展」で対面したことなどを聞き、そのオンリーワンの演奏に並外れた読書や美術鑑賞で育まれた感性と知性が満ち溢れていると感じた。

 ドビュッシー『水の反映』では、「光の妖精」となって水と戯れながら飛びまわり、武満の曲では「水の精」となり「水琴窟」で遊ぶ、理香さんの繊細・大胆で自在な演奏に揺蕩っていた。

2つの水の曲の楽想と音色の差異が鮮やかに弾き分けられ、いまは亡き武満 徹と吉田秀和が、理香さんの『雨の樹 素描』を聴かれたらどんなことを語られるかと想像したくなる見事な演奏だった。

敬愛するショパンと対話するように『幻想ポロネーズ』を弾く表情や体の動きに眼を凝らすと、理香さんにはスラブの血が流れていると想像するなにかがあると思った。

 

ジュウシンさんを偲ぶ             (2013年6月)    

日比谷同友会報の訃報連絡で鈴木重信さんの逝去を知り、突然の他界に愕然となった。

その数日前の「みなづき会展」来訪者との歓談で、重信さんの近況が話に出た。肺気腫悪化で酸素ボンベを離せずに外出を控えているが、自宅でメールのやり取りをして聞いて、、久しぶりにメールする矢先のことだった。

 重信さん(愛称はジュウシンさん)と私が親しく仕事したのは昭和55年からだが、2年後輩の彼にはすでに大人(たいじん)の風格があった。

 長身でイケメンの彼は、新入社員のころから女性社員にモテモテでも、いつも爽やかな笑みを浮かべるだけで、浮ついた感じは微塵もなかった。

 重信さんとの想い出は数々ある。平成4年の食道(がん)全摘出手術で長期入院したとき、中島みゆきの曲の手作りカセットを持って見舞ってくれた。カラオケ大好き人間のふたりだった。

 ぜひとも書いておきたいのは、ジョン・パーキンス著『エコノミック・ヒットマン途上国を食い物にするアメリカ』だ。

「松本文郎のブログ」に長期連載中の『アラブと私』読んでくれていた重信さんが届けてくれたのが、この思いがけないノンフィクションだった。

 私の執筆意図にうってつけの本を、ミステリー愛好家の重信さんが見つけてくれたのは願ってもないことで、連載記事の中で、「この貴重な参考文献は、長く職場を共にし、敬愛してきた人から送られた。その人のことはいずれ、序章『イラク3千キロの旅』のあとの本論で記述したい」と匿名にしていた。ほんとうに、重信さんの急逝が残念でならない。

数年にわたり連載中の『アラブと私』を読み続けた重信さんの励ましに応えるためにも、いのちあるかぎり、この創作的ノンフィクションを書き連ねたいと念じている。

 

心配な安倍政権の行方            (2013年12月)

 押し詰まった師走は「脱兎のごとし」だが、わが国の民主主義の将来の根幹をゆるがすと懸念される「特定秘密保護法案」を参両院で強行採決した安倍政権は、先日の靖国参拝にいたる一連の国の安全と国益を損ねかねない言動を脱兎のごとく遮二無二に押し進めている。

 アベノミクスによる円安・株価上昇に勢いを得たような靖国参拝には、戦後歴史の否定(戦後レジームからの脱却)と認識する中国・韓国からの猛反発のみならず、安保同盟国のオバマ政権の失望に加え、EUからもアジア地域の不安定化への懸念が表明されている。

 安倍首相は参拝の真意を丁寧に説明して誤解を解きたいと言っているが、太平洋戦争のA級戦犯の靖国合祀(その昭和53年からは昭和天皇と今の天皇も参拝していない)が、軍国主義日本の侵略を受けた被害国のみならず米国までもが、無条件降伏をした日本がまだ戦争の正当化を主張していると誤解しないか。

 9・11多発テロに報復を誓ったブッシュ政権が、「テロへの報復」を錦の御旗に掲げ、真珠湾奇襲攻撃への怒りで米国民が一致団結したことを再演したように、「特定秘密保護法」の法案審議の政府答弁では、国家の安全が仮想敵国や「テロ」の黒い影に脅かされていると国民に印象づけようとする論調が目立った。

 日本の尖閣諸島国有化による日中政治外交関係の悪化と竹島や従軍慰安婦問題等の日韓の歴史問題をめぐる応酬など、東北アジアの友好親善関係に不穏な波風が立つなかの法案の提出だった。

 戦争を知らない政治家安倍首相が、太平洋戦争の開戦当時の東条内閣の閣僚だった祖父岸信介元首相(A級戦犯被疑者)に吹き込まれたかのように、「大東亜戦争聖戦論」を繰り返すこと自体が、中国・韓国の反日感情を煽って国の安全を危うくしていると危惧する。

 かつての日中友好条約締結の際に、周恩来と田中角栄とで棚上げされた尖閣諸島の領土問題の「パンドラの箱」を開けたのは、日本による国有化ではないか。

安倍政権とその支持者が戦争の歴史認識を捻じ曲げようとする動きに中国、韓国、東南アジア諸国が不安を募らす不穏な状況は、憲法に基づく平和主義(不戦の誓い)を堅持する国民が草の根レベルで深めてきた友好親善を台無しにする、極めて遺憾な事態と云わざるをえない。

 特定秘密保護法案に対しては、自民党内部にも反対意見があり、憲法学者、ノーベル賞科学者、映画監督・俳優、言論人、各種有識者や新右翼の論客までもが反対を表明し、朝日新聞の最近世論調査では、70%以上の人びとが反対している。

 「少子高齢化」日本の未来には、アジア地域の安定と近隣諸国との親善友好が不可欠で、2次にわたる世界大戦の悲惨な歴史から学び、国境のないヨーロッパを目指して困難な道を歩んでいるEU諸国を見習いたいものだ。

 

いのちの動的平衡               (2013年7月)

 先月の25日に傘寿を迎えた。食道(がん)全摘手術で再生した20周年でもあるが、再びの「いのち」を享けて今ここに在るのは、天寿というほかない。 

早期発見と「鬼手仏心」のドクターの見事な手術のお蔭だ。

発見が遅く、手術を受けながら2年以内に鬼籍に入った中・高・大の学友数名が遺して逝った10数年を生きてきた。

 福島第1原発事故の際、東電本社首脳部の優柔不断さにタテついて海水注入を勇断した元所長吉田昌郎さんも、先日、食道がんで亡くなった。東電現場関係者一同が尊敬し信頼した人だったという。合掌。

前立腺PSA数値が30.36になって受診したMR検査の結果を伝えた担当医に、「MRの白い画像が前立腺外周と近接のリンパ・骨盤にあるので早く治療をした方がいい」と勧められた私は、「いま享受している生活の質に支障をきたす可能性のある治療は避けたい」と告げた。

 ブログ掲載の直後から、手術や治療(放射線、抗がん剤、ホルモン療法等)を受けている多くの友人・知人とご夫人たちから、ありがたい助言や励ましが届き、この病気の仲間がいかに多いかを知らされた。手術や治療で数値が4.0以下になってもさまざまな生活の質の変化が生じ、治療効果に年限があることも分かった。

 3ケ月毎のPSA数値は上がりつづけ、今年の2月末で40.34,5月末は60.35に急上昇したが、生活の質に特別な変化は現れていない。

がんの末期には耐え難い苦痛が待つとされる。さる老医師は、「末期がんで死ぬのは怖くない。自分が関わってきた老人施設の入居者で放射線・抗がん剤治療もなにもしない末期患者は、苦痛を訴えることなく、次第に衰弱して自然死に至る」と自著や対談集で述べている。

享年78で逝った父の火葬・骨上げを担当した人に,「どうやら、お父さんは末期ガンだったようですね」と告げられたことを思い出すが、がんの自覚も痛みもなかった父は食欲と気力をしだいに無くす老衰状態におち入り、いわゆる自然死を迎えたことになる。

 最近の医療分野で「ホリスティック・メディシン」という概念が整えられつつあると知った。人間を心身一体としてみることを主張し、西洋近代的な医療の対症療法偏重の欠陥を検証して、人間が本来もっている自己免疫力の活性化に着目しているらしい。

 バランスのとれた睡眠、食事、運動をベースに、ボランティア社会活動やいろんな趣味

で精神・感性を高めるなどを、トータルに実践する大切さを説いている。

傘寿の残日をどう生きるか。ゴーギャンの大作の「画題」のことばがアタマをよぎる。

 慌しい現代社会を駆け抜けるように生きた頃は、この人類社会の根源的な問いについて考える余裕はなかったが、傘寿ともなれば、自分なりの答えを求めつつ生きるのも一興。

 年金暮しの自在な時間を得てからの日々の創作・思索・執筆・ボランティア活動では、このゴーギャンの問いを念頭において取り組んできたつもりだ。

「松本文郎のブログ」に長期連載中の『アラブと私』、『文ちゃんの浦安残日録』や《唄い》《描き》《詩文を書く》日々からのメッセージは、「人間とはなにか」「人類社会はどうあるべきか」を私なりに探求した、子や孫たちへ遺言だ。

 やりたいことはたくさんあるが、平均寿命を超えて今を迎えたわが人生に悔いはなく、いつお迎えがきてもたじろぐことはないだろう。

                  

雨のおとが きこえる

  雨がふっていたのだ。

  

  あのおとのように、 そっと世のために

  はたらいていよう。

 

  雨があがるように しずかに死んでゆこう。

 

(八木重吉『雨』)

                                  (了)
2015/02/09 11:28 2015/02/09 11:28


日本の格差問題 

                            松 本 文 郎

 

 経済格差の問題は、日本だけでなく欧米先進諸国や経済発展の著しい中国・インドなどでも顕著にみられる社会問題である。

そもそも、「格差」とはなにか。

 人類の歴史を見ると、経済だけではなく、階層(支配・被支配)、性別(男・女)、年齢(老・若)、職業(卑賤)、教育、生活環境(都市・過疎地)、世代ほか、さまざまな次元で格差は存在した。

「格差」は古今東西の太古からあったが、問題になったきっかけは、「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命ではなかろうか。民衆が政治権力者のくびきから自らを解放した近代の概念で、古くからの「差別」が進化(?)したものといえるのではないか。

「アラブの春」のチュニジア・エジプトの若者が「変革」を叫んだ声に触発されたアメリカの若者たちが、唖然とするほどの経済格差告発のデモで、ワシントンほかの諸都市をねり歩いた。

 アラブの若者らには失業などの経済格差も問題だが、長い間、独裁政権に抑圧されてきた「自由」「民主主義」を獲得することが先決のようだ。

現代の「格差是正」は、各次元で、人類共通の課題になっていると思われる。

小泉首相の構造改革は、サッチャー・レーガンなどの新自由主義の流れを汲むもの(中曽根康弘首相の行政改革・国鉄分割民営化が先行)だった。

 強硬な政治方針と信念で、「鉄の女」と呼ばれた英国保守党のマーガレット・サッチャー元首相は、(在任1979~1990)国有企業の民営化、規制緩和、金融システム改革、所得税・法人税の利率大幅引き下げ、消費税アップ(8→15%)を断行して財政赤字を克服したイギリス経済立て直しの救世主と評価される反面、失業者を増やし、地方経済を不振に追いやり、医療制度を機能不全に陥らせ、金持ち優遇政策をとるなどで非難され、誉褒貶の激しい評価は二分されている。

 また、1988年の教育法改定にみられるように、人種・宗教に関する差別的な考えの持ち主ともみられていて、人種差別や植民地主義を批判する記述のある教科書を「自虐的」として、地方毎に自由だったカリキュラムを全国共通のものにし、非イリスト教徒にキリスト教の授業を必修とした。

 強固な格差社会のイギリスの小さな食品店の娘が首相にまで上り詰め、時代の要請に即応した男も顔負けの統治力を発揮し、11年余の在任で、英国政治史に名を遺した強烈な女性である。

 メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞を獲得した『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(邦題)』の脚本は、おおむねよく書けていると感じた。

「小泉構造改革」は新自由主義経済派が主張する「小さな政府論」に基づき、郵政省など公共サービス民営化をめざす『官から民へ』と、国と地方の三位一体改革の『中央から地方へ』を柱としたが、対象の制約を設けない「聖域なき改革」とも呼ばれた。

「構造改革」という概念は、第2次世界大戦後のイタリア共産党書記長バルミロ・トリアッティが元祖のようで、議会制民主主義の枠内で、政治・経済体制の基本構造を根本的に見直し・変更して社会問題を解決する大規模な「社会改革」の意味をもつとされる。

 55年体制が崩壊して日本の政治が混迷をきたし、バブル経済の崩壊とともに日本経済が先行きの見えない不振に陥ったとき、明治維新の魁とされる坂本龍馬のイメージを旗印に掲げた小泉流の政治手法が、国民の支持(誤解・見当違いも)を得たのだった。

 小泉がめざした日本の「社会改革」の下敷きに、サッチャーやレーガンの先例があったのだろうが、時代と国民性の違い、ネガティブな結果への考察も不十分なまま、劇場(激情)型の首相を演じて、一時的にしろ、大衆のこころを捉えたのである。

「自由」と「民主主義」を外国に押し売りしてきたアメリカでは、1%の超富裕層が99%の富を占有しているとされるが、フランス革命の理念を引き継いで進化させたはずの米国社会が、独立後2百年経っても、「差別」に由来する「格差」を克服できていない証ではなかろうか。

 ほどなく白人の人口を越えるアメリカ黒人と人種の坩堝に見られる、「差別」に基づく「格差」の実態に、大規模な「社会改革」が求められているのである。

 グローバル化した経済イステムと怪物と化した金融資本主義によって、先進・途上・未開発諸国の区別なく、経済格差は最大の社会問題となった。

 小泉元首相の構造改革は、アメリカの意を汲む国益を無視した政策と非難されても仕方ない面があったが、彼が目ざしたのは、混迷の政治と不振な経済を変える大規模な「社会改革」だったと見てよいのではないか。

「日本の格差問題」を考えるには、「格差」の底に、さまざまな次元で克服すべき「差別」があることを確認する必要がある。

 原発事故の放射線被爆の恐怖を孫子の代まで抱え込む福島は、過疎地の経済格差を解消するために原発設置に同意し、他の原発立地も同じだろう。

 男女同権・女性上位と言われても、「オトコ社会」はいまだに健在で、雇用・昇進の差別、セクハラ・家庭内暴力の被害を受けているのは女性たちだ。

 少子高齢化をめぐる諸問題も、女性が結婚して子供を産みたい欲求をみたす大胆な政策の実践で、フランスにみられる出生率向上も夢ではない。

老人の寝たきり・薬漬け医療(健康・介護保険費用増大)から、健康年齢を伸ばす生き方を支援する政策への転換で、高齢者の生き甲斐は高まる。

私たちは、東日本大震災と原発事故に直面したいまこそ、トリアッティが提唱した「構造改革」の原点に立ち、政治・経済体制の基本構造を抜本的に見直す「大規模な社会改革」に踏み出すべきではないか。

 小泉構造改革を「経済格差」の悪の根源と非難するより、民主党が受け継いだ「官から民へ」と「中央から地方へ」の具体的な政策の中身を見直すことが、私たち国民がなすべき課題ではなかろうか。

 封建時代の「差別」と「格差」は、あの敗戦日まで続き、多くの日本人(老若男女)を苦しめてきたが、灰燼から立ち上がった全国民の努力で、かなりの是正はなされたものの、老人を山に捨て、嬰児を殺し、子女を売ることで生き延びた貧しい農山村地帯が、高度経済成長の時代にも、都会への出稼ぎと過疎化の波に洗われたことを忘れてはならない。

 彩り豊かな四季の変化に恵まれてきた日本人は、地震・津波・台風・豪雨などの自然力を畏敬しながら、自然のすべての営みの恩恵を享受して生きてきた。

 前掲の拙論『3・11は続いている』でも述べたが、東日本大震災と原発事故からの復旧・復興を考えることは、日本の中期的未来を想像(創造)しながら、大規模な『社会変革』を可能にする政治・経済システムの構築に向ことと感じている。


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2012/04/08 10:37 2012/04/08 10:37

続・悲喜こもごも

 (承・「悲喜こもごも」会報2010・新年号)

 

松 本 文 郎

 

 ピアニスト東 誠三のサロンコンサートから戻り、玄関ドアを開けると、奥のリビングで電話が鳴っている。妻のお千代も出かけていたので、靴を脱ぎ散らして廊下を駆けた。

 お千代からの連絡かと、「ハイ、ハイ」とぞんざいに応えると、「白州町の渡辺協子ですが」と疲れたような低い声が聞えた。これまで耳にしていたよく響くアルトとは違うトーンに、一瞬、不安な気持ちがよぎる。

「実は、元がなくなりました」「……」「3時間ほど前でした」

渡辺さんとは、会報の「随想欄」に書いた『悲喜こもごも』のW氏のことである。

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2010年元旦、数年途絶えていた年賀状が突然、協子さんから届き、すぐ掛けた電話で、宮前平にお住まいだった御夫妻が山梨の白州町へ移住されたと知る。自宅の階段で転倒された元さんが体調をこわされたので、2人の娘さん夫婦が住む自然環境のよい高原の地に誘われ、転居されていたと言われる。

 私たちの訪問を期待されているのが感じられたので、その夏、外国の若者に日本語を教えるお千代の夏休みに、白州を訪ねたとき、ディズニー・リゾートの舞浜駅で乗った京葉線の車中で、思いがけない事件が起きた。(事の次第は、前記拙文ご参照!)

 

 協子さんによると、元さんは風邪をこじらせた肺炎で入院していたが、小康をえて帰宅して間もなく様態が急変し、苦しむことなく亡くなったという。臨終に立ち会った医師から、「もう意識がないから分からないでしょう」と言われても、協子さんが顔を近づけると、眼球が左右に動いて、分かったようだったと、自宅での看取りを満足そうに告げられた。

白州に移住されて4ヵ月後に見つかった慢性硬膜下血腫を手術されたが、階段からの転落時の脳検査で見つからなかった脳内出血が徐々に生じていたようだ。

1年半前に、「少年のころに戻り、別の世界に住んでいますから驚かないでね」と協子さんから言われたが、脳髄液の圧力上昇による脳障害で、認知能力の低下が始まったのか。

いずれにしても、大正生まれのアウトドアライフ派の草分け元さんが、近くに住む2人の娘さん家族と協子さんと一緒に、自然環境のよい土地で終焉を迎えられたのはよかったと思う。

電話の終わりに、遠いですがと遠慮がちに言われた協子さんの言葉に、高原の教会の葬儀に来てほしい想いが受けとれた。

 参列のことは、妻と相談してご返事しますと云い、関係者への通知をどうされるかを伺うと、NTT関係はまだだと仰る。

 NTTから民間会社に出られてから40年経つので、一般の組織連絡網の周知でよいでしょうと、手配の手伝いを申し出た。

インターネットメールの便利さは実にすばらしく、電電建築協会の東京支部とNTT日比谷同友会との事務局に訃報掲載をお願いし、渡辺さんの米寿の大往生は、8百人と3千3百余人の両会員に、瞬時に伝えられた。

前夜祭の日には、年末年始に受けた前立腺がんの各種検査の診断告知があったので、翌朝、葬儀に参列するため、1年半前の訪問を直撃した「車内置き引き事件」を思いださせる京葉線快速と中央線・特急あずさ号を乗継ぎ、富士見駅に降り立った。

駅に近い富士見高原教会の祭壇の前の協子さんは、疲れも見せずに凛と立たれていた。久しぶりの夫人と手を取り合った私たちは、天国へ旅立たれた元さん追悼の言葉を申し上げた。

協子さんは、「お願いした『お別れの言葉』をよろしくね」と言われた。葬儀列席のご返事をしたとき、「元は、家で仕事のことを話さなかったので、家族らの知らない職場のエピソードでも話してください」と頼まれていたのだ。

 高原の教会は、堀辰雄の小説のように小さな木造建築だった。

式次第は、厳かなオルガン前奏に始まり、故人愛唱の讃美歌『千歳の岩よ』ほかを唄いながら、聖書、祈祷、式辞へと進み、「お別れの言葉」となった。式次第に3人の名があり、私の他、宮前平で通われた田園江田教会と富士見高原教会の女性の方々だった。

 元さんの略歴や晩年の様子などは司式牧師の式辞で述べられたので、私は協子さんの求めに沿った話をさせてもらった。

話すうち、NTTクウエートコンサルタント現地事務所の建築班のチーフを元さんから引き継いぐ前後の職場でのさまざまが、鮮明に蘇ってきた。

 圧倒的な石油供給量をアラビア湾沿岸に依存しながらその地のことを皆目知らない日本人として現地に乗り込もうとする、好奇心の強さだけは10歳年上の先輩と共有していたのである。

 民間会社の役員・社長を務められた元さんは、本来の自由人的な生き方との狭間でご苦労が少なくなかったが、引退後は、ヨット・登山のアウトドアライフを堪能されたようだ。

 私も、転出したNTT建築総合研究所の副社長時代に患ったウツとガンを、先輩・後輩の理解と支援のお陰で克服して、元気に今日を迎えることができた。

 葬儀前日の検査結果の告知で前立腺がんの治療を始めるよう勧められたが、お千代と相談して、いま享受している生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を低下させる可能性のある療法は受けないと決めたばかりだったので、「お別れの言葉」のしめくくりに、大往生で天国へ旅立った元さんを称え、私の決意を申し添えた。

 火葬場の骨上げに同行して、驚くほど頑丈な骨に驚かされた。「あずさ号」の車窓に見たアルプスや八ケ岳の山容を眺められる土地で晩年を過ごした元さんは幸せだった。

 マイクロバスで送ってもらった駅の売店で、地元産のつまみと地酒を仕入れ、暮れなずむ山並みを眺めながら、お千代と呑み、語りながらの帰路だった。

 どちらが先に逝くかは天命だが、一つ違いのお千代と私には男女の平均寿命の差があり、前立腺がんとも向き合っているのだ。ほろ酔い加減の話が、死亡通知と葬式のことに及ぶ。

 私の場合、死亡通知は49日後にしかるべき組織の連絡先に出すこと、葬式は不要で、親族だけで骨を上げてもらうことなどを、お千代と子供たちに言い渡してある。

 植物人間化と徒な延命措置のお断りも、遺書ノートとやらに書いておくつもりだ。近頃は、誕生日毎に、遺書を書き直したり、書き足す人も増えていると聞く。

 座席に並んで、搾りたての地酒を酌み交わしながら、日ごろ話していることの再確認をする私に、「文さんは、先に逝くゆくというけど、唄ったり、描いたり、書いたりしている元気一杯な日々を見てると、前立腺がんだとしても、対抗するがんキラーT細胞が増殖する自己免疫力で、90過ぎまで生きそうだわ。あなたと付き合ってきた60年間、病気知らずだった私が突然ポックリ逝くかもしれないけれど、女の平均寿命まではお付き合いできるかもネ」とお千代は宣う。

 どちらが先かはともかく、ウツトガンで死に直面した私が、この歳まで生きてこれたのは、クウエート国電気通信施設近代化の技術協力に、家族ぐるみの在勤で労苦を共にしたお千代のお陰である。

 死亡通知や葬儀のやり方は、故人と家族夫ぞれの考えでよい。

一度きりの人生である。生き方も死に方も好きずきでよろしいのではないか。がん治療についても、患者自身と家族の考え方しだいだと思う。

  

 帰宅した翌日、協子さんから葬儀参列への謝辞の電話があり、NTT持株会社の総務部門から故人への叙勲手続きをするか否かの問い合わせを受けたこと、元さんが受勲に価する仕事をしたかどうかも分からないがと、私の意見を訊かれた。

 たちどころに、「家では仕事の話をされなかったそうですが、受勲に十分な仕事はされましたから、ぜひお受けになってください」と申しあげた。

 勲章をめぐっても人様々な考えがあり、不用意なことを言うべきではないが、勲章の位階設定・受勲者選択に、改善の余地はあるように思えてならない。人間の価値に等級をつけることに統治権力者の意思を感じるのは、勲章制度の由来からか。

 1年ほど前の同友会の会報に掲載された拙文のタイトルを『悲喜こもごも』としたのは、映画『悲しみも喜びも幾年月』がヒントだが、映画ほどの深い想いをこめてではない。

 40年前、クウエートでの仕事の縁で始まった家族ぐるみのお付合いは、元さんと私より、協子さん、娘さんたちとお千代の間でより長いが、互いの家族をよく知っていたわけでもなく、こめたのは、別の「悲喜こもごも」への想いだった。

夫妻との久しぶりの再会に喜び勇んで出掛ける矢先の電車内の置き引きで、2泊3日の身の回りを入れたトランク、家の予備鍵と各種カード番号・住所が入ったショルダーバッグを奪われ、お千代の中止懇願を押し切って訪問した白州町から帰宅した翌日、東京駅長名で、駅に放置されていた手付かずの盗品の保管通知のハガキが届いたという、なんとも腹立たしい事件の信じられないような顛末に付けた、タイトルだったのである。

 でも、穏やかな顔で棺に横たわられている渡辺さんに別れを告げたとき、人生は「悲喜こもごも」との想いがこみあげた。

 愛妻を亡くされて、『そうか、もう君はいないのか』を書いた城山三郎さんの言葉に、どんな人生にも悲しみと喜びは等量にある、とあった記憶がある。

 光と影のように、喜びと悲しみは表裏一体なのであろう。

 悲しみも喜びも長くはつづかない、が「摂理」ではないか。

これからの人生で享けるこもごもの「悲・喜」にしっかりと向き合い、かけがえのない人生を生ききりたいと願うばかりである。

 先日、映画『オールウエーズ三丁目の夕日』(昭和39年)を一緒に観たお千代も、しみじみ、それを感じたという。

 歳を合わせて155歳になる私たちに、どんな「悲喜こもごも」が待っているのか、私の人生の実りの秋は、たけなわである。

                                  (了)

付記。

年末年始にかけての一連の前立腺がん検査の顛末は、「松本文郎のブログ」(T新聞社編集・管理)の『文ちゃんの浦安残日録』の(34)(35)(36)に掲載されています。

家族共々に過ごしたアラブ・イスラムの体験と、9.11に端を発する米国主導のアフガン・イラク侵攻がもたらした悲惨な現状を織り交ぜながら書いている長期連載『アラブと私』は、(58)となりました。ご関心をお持ちの方にご高覧いただければ、幸せに存じます。    

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                (日比谷同友会会報2012年4月号掲載予定)
2012/04/02 17:55 2012/04/02 17:55

 

悲喜こもごも

 

松 本 文 郎

「エ、ウソだろう!」

一瞬、アタマの中が真っ白になった。JR京葉線の快速電車内のことである。

 ディズニーリゾートの舞浜駅を7時少し前に乗った東京行き快速が八丁堀駅に着き、ドアが開いた直後だ。

 前の停車駅新木場で妻と並んで座った席から、ふと眼をやると、ドアの脇に置いていたトランクとショルダーバッグがなくなっている。「まさか!」

とっさに妻お千代をせきたててドアに駆け寄る。さっきまで見えていた荷物が跡形もなく消えていた。

電車を降りてエスカレータに向かう乗客を目で追い、鳴り始めた発車のベルを耳にしながら、「降りよう」と決めた。

 ホームを見張っているように妻に言い、エスカレターを駆け上がって改札階へと急いだ。途中の階段には、私たちのトランクを引いた者はいなかった。

 改札の駅員に、「置き引きです!」と叫んで、素早くホームへ戻ると、呆然とホームに立っていた妻は、顔を弱々しくふった。

 そこへ次の快速が入ってきた。

「東京駅へ急ごう。新宿発の特急あずさに乗りおくれるぞ」

「行くのをやめて、家に帰えりましょう」

「いや、とにかくこの電車に乗りなさい」

 渋々乗った電車と新宿に向かう中央線の中でも、妻は、うつむいたまま口をきかなかった。

 荷物を置き引きされたのは、生まれて初めての体験だった。

 このびっくり仰天は、山梨の白州町に移住された職場の先輩W氏夫妻を訪ねる旅の初っ端の出来事だった。

 長いお付合いのW氏夫妻からの年賀状が6年前に途絶えていたが、久しぶりに戴き、すぐ電話すると、W氏が自宅の階段での転落事故をきっかけに体調を崩されたと知る。

 夫人のお話では、老人2人で宮前平に住むよりも、2人の娘家族がそれぞれ永住した自然環境のよい白州に来るよう勧められて移住した。4ヵ月後、右慢性硬膜下血腫が見つかり手術を受けたが、その後の回復がおもわしくないとの由。

電話のお話ぶりに、私たちの訪問を期待されているのが感じとれた。

 お千代(外国の若者に20年余り日本語を教えている)の夏休みを利用した訪問を待たれている夫人を想うと、すっかりしょ気返っている妻をうながして、白州町へ向かわねばと思った。

 新宿駅のホームの特急あずさの指定席に妻を座らせてすぐ、デッキから娘の家にケイタイを掛ける。

 予期しない出来事に驚く娘に、盗られたショルダーに、住所や銀行カードのナンバーを書いた手帳、家の予備の鍵などが入っているから、玄関ドアの鍵を早く取り替える手配と、八丁堀駅と東京駅の盗難窓口、所轄警察への届出の電話を頼んだ。

 あの瞬間は真っ白になったアタマも、冷静に働いた。

戻った席で、まだ沈うつな顔をしている妻に、予備鍵を使った家屋侵入の被害は避けられるだろうと告げた。

やっと口をきく気になったのか、ハンドバッグ一つで民宿に泊まるのはムリだから、Wさん夫妻に会ったら、予定した2泊をキャンセルして引き返そうと言う。

 トランクには、化粧・洗面道具一式、W夫人とご一緒のレストランの夕食に着るドレス・装身具、パジャマ、着替えなどを入れていた。

 ショルダーには、手帳と予備の鍵のほかは、カメラ、MD録音・再生機、旅行日程、レンタカーと民宿の予約書類、W夫人から届いた小淵沢・白州・安曇野の観光パンフレットがあるだけで、金目のものはない。

 きっと、置き引き犯人たちはガッカリしたにちがいない。

 買ったばかりの少し高いブラウスと、高価ではないがふたり旅の思い出の装身具が無くなったと悔やむお千代。

 旅の道連れのスケッチ道具一式を入れたキャリーは、妻が手を離さなかったので助かった。筆入れに、90歳で急逝された老師が愛用されて、生前に戴いた数本も入っていた。

 認知症が進んでいるというW氏でも感性で聴いてもらえるだろうと持参した、わが合唱団の韓国・台湾への海外公演のCDも助かった。

退職後の趣味活動の大事な道具・記録が残ったのはうれしい。

W夫妻は、私たちの家族連れ海外勤務の先輩であり、夫人とお千代は、40余年来の知己である。

久しぶりの再会を夫人がとても楽しみにされていると電話や手紙のやりとりで分かっていた妻は、やっと落ち着きを取り戻したのか、1泊だけならと呟いた。

私はすぐデッキに出て、再び娘にケイタイを掛けたが、トンネルが多い区間で、なかなか電波が通じない。

やっと掴まえた娘に、2日目の宿泊予約のキャンセルを頼む

にも、資料はショルダーの中で、覚えていたのは安曇野の公営施設とだけ。インターネットで見つけた宿だから、キーワードで探すように言った。. 

 娘からは、鍵の取替えを夏休みで家(私たちの住いから徒歩1分)にいた健の手配で昼過ぎに終わるから、夫人とディナーを楽しむようにママに伝えてと励ましの言葉。

まだ、事件のことでケイタイを掛けていない妻のガッカリした心境を察しているようだ。

娘・息子が近くに住むお蔭で、青天の霹靂の「危機」対策は、テキパキと運ばれている。

 

10時直前、小淵沢駅に到着。すぐ、予約のレンタカーを借りて、駅前商店街でパジャマと歯磨きセットを買う。洋品店の向かいの文具・書籍の店に、トランクに入れていたのと同じ6号のスケッチブックが、1冊だけあった。

 絵の道具一式が残り、このスケッチブックが入手できたのとで、予定の日程を変えず、清春芸術村へ直行することにした。私にとって、スケッチは旅の楽しみの一つなのだ。

 夫妻の家には、W氏がデイケア施設から帰ってこられる3時ごろに伺うのが元々の日程だった。

 清春芸術村には共同利用のアトリエの他、清春白樺美術館、ルオー礼拝堂、梅原龍三郎記念室やレストランがある。カーナビなしでは迷うにちがいない山道を走りぬけた先に、六角形のユニークなアトリエ・ラ・リューシュの建物が見えた。

 まず昼食をとり、美術館などを見て回ることにする。

 芸術村の画家のパレットを壁に飾るレストラン・ラ・パレットの特製カレーはとても美味しく、チーズケーキとコーヒーもちゃんとしたものだった。

お千代はやっと気を取り戻したようで、気温36度の猛暑の中、冷房のよく効いた室内からの芸術村の眺めもわるくない。

 清春白樺美術館には、理想的な美術館創設を夢見た武者小路実篤の精神に基づき、白樺の同人が重視したセザンヌ、ゴッホ、ロダンほか幅広いコレクションがある。企画展『習作による東山魁夷展』と『ルオー』を観て、ルオー礼拝堂から梅原龍三郎アトリエへ行く。テラスから、描きかけのキャンバスが画架にあるのが見えた。

移築された記念室周辺の眩い夏木立に絵心を誘われ、テラスに道具を広げて夢中に描いて三十分ほどで仕上げ、汗でびしょ濡れのシャツのまま、パーキングへ急いだ。

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「道の駅白州」まではカーナビ案内で簡単だったが、高原の奥まった辺りのW氏宅へは、ケイタイで夫人に案内されながら、やっとたどり着いた。

 W氏は、ケアハウスから戻ってこられていた。

 居間のソファに座ってニコニコされている顔は、10数年前にお目にかかった頃と変わらない。

 大正13年早生れの、私の数代前の建築局設計課長で、クウエート・コンサルタント業務の建築班チーフを志願されたほどに、好奇心旺盛で行動的な人だった。

 特殊建築工事事務所長で建築工事会社へ引き抜かれ、さらに、日本有数の建築設備工事会社の社長に招聘されたが、創設者の後継者が新規事業で失敗したこともあって、たいへんなご苦労の上、子会社へ転出された。

 こうした業界には向いていない人だと思っていたが、氏の積極性を誤解された向きもあったのだろう。

「今は、不思議な世界に住んでいる人ですから、そのおつもりで」と夫人から聞いていたが、「やあ、お久しぶりですね!」と大声で言いながら、握手を求めた。 

 満面に無邪気な笑顔がはじけて、握った手のひらは力強かった。きっと、分かっていられると感じた。妻が声を掛けると、うれしそうにうなずかれた。

 お訪ねしてよかった。妻も、同じ想いだっただろう。

 夫人のお気遣いで、汗まみれの私たちは、ご主人のシャツと夫人のブラウスを借りて、着替えた。

山に向って緩やかに上る農道を行き、木立を背にしたロッジ風の家に着いたが、山登り・ヨットなどのアウトドア・ライフが好きだったW氏には、格好の終の棲家に見えた。

次女が卵を納入しているケーキ屋さんのクッキーを戴いていると、W氏がその一つを手にして、リビングの前のデッキに出ていかれた。ネコか小鳥にやろうとしているのよ、と夫人が微笑みながら仰る。W氏は、少年に戻られていたのだ。

 

夫人お勧めの民宿のすばらしいディナーに使われた卵は、ご夫妻の次女夫妻が納めており、宿の主は褒め称えていた。野菜類のほとんどは、宿の主の娘さんが生産しているという。

白洲町一帯には、有機高原野菜や鶏・豚・乳牛等の畜産農家が多く、それらの食材の料理を供する民宿・レストラン・ベーカリーが点在しているそうだ。

 翌日の昼食までご一緒したW夫人との歓談、3点のスケッチをものにした白州の自然・人々・風物との出会いを書く誌面の余地は、割当て字数オーバーの拙稿には、もうない。

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 鍵を替え、なにごとも起きなかった自宅に戻った翌日、東京駅長の名で、「遺失物拾得通知」なるものが届いた。

 犯人が狙った物が入っていなかったからか、東京駅の片隅に捨て去られた私たちの荷物が見つかったのだ。 

駆けつけて受け取ったトランクとショルダーには、住所を書いた手帳と鍵のほか、すべての物がそのまま手付かずだった。

      

(日比谷同友会会報2010年新年号に掲載)

2012/04/02 17:49 2012/04/02 17:49

 

  「3.11」 は続いている

                                    松 本 文 郎

 

東日本大震災から一年が経とうとしているが、「3.11」の被災者の苦難は延々と続いている。

 福島第一原発事故の20キロ圏内の町村や田畑の復旧・復興の構想も、まだ定かではない。

 膨大な損害賠償や汚染除去の費用を負担すべき東京電力の経営は破綻寸前といわれ、国有化の論議もなされている。

書斎で『アラブと私』の原稿を書いていた私が、初めて体験した震度6弱の激震で、市街地大半が海浜埋立地の浦安は甚大な液状化被害を受けた。 

 道路・下水道などのインフラや住宅の被害額は、激甚災害認定額で4百億近く、完全復旧に必要な総額は、その二倍を上回ると算定されている。

 国費で実施する復旧工事には年限があり、短期間に工事が集中すると被災時を上回る交通渋滞がじるという。

 震災を契機に書き始めたT新聞社編集・管理の「松本文郎のブログ」の『文ちゃんの浦安残日録』の数回分は、身辺の被災状況の報告に終始したが、本誌109号に、『東日本大震災報告』として転載してもらった。

 110号には、朝日新聞社公募「東日本大地震復興構想」の提言論文に応募した拙文を寄稿した。

『東日本大震災後の日本のエネルギー政策』と題し、「脱原発」をめざす提言をしたもので、その要旨に加筆して箇条書きで記す。

  

プロメテウスの火のような核エネルギーを人間はコントロールすることができる のか。 

・私をふくむ国民の大半が信じてきた「原発の安全神話」が崩れて、人間が核エネルギーをちゃんとコントロールできるかどうかが問われている。

・ヒロシマ原爆を疎開で免れた私には、被爆直後、広島市内の勤務先に戻った父親から聞いた田地獄の惨状のイメージが、脳裏に焼きついている。 

 ・ヒロシマ・ナガサキの被曝で原子放射能の恐怖に晒された日本で、スリーマイル島・チェルノブイリ原発の事故の再演が生じたのは、遺憾な事態である。

・DNAを傷つけ、地球上の全生命の存続を危うくする原子放射能は、原爆・原発のみならず、原子力空母・原潜での重大事故でも生じる。

 

地震の巣のような日本列島に、原発事故を絶対生じない安全な立地条件があるのか。

・精巧・複雑な技術構築物の原発施設には、地震・津波の他の外力で破壊される可能性があるが、万全の対策はありえないのではないか。

・人口密度が高く、狭い国土の六十%が森林のわが国で、福島原発以上の危機的事故で高い放射能が撒き散らされば、汚染除去は不可能に近い。

・海に浮かぶ日本列島の原発事故の被害は、海流や大気によって広く拡散し、世界中に    重大事態をもたし、経済的、政治的な孤立をまねく。

・使用済み核燃料の永久保存場所・格納方法も明確でないわが国で、核燃料再処理工場の備蓄容量さえ余裕がない。脱原発を決めたドイツでも論議されている。

豊かな地球環境と人類社会の安全のために、福島原発事故を天啓ととらえてはどうか。
豊かないのちを育む地球の海と大気を致命的に放射能汚染する可能性のあるものの
  廃絶を、国際社会が決意する絶好のチャンスは今だ。

・ドイツ・イタリア国民の「脱原発」の選択は、西洋近代人の合理的精神の光の部分であり、これをヒステリーと評する日本人は、前近代の輩ではなかろうか。

・脱原発をめざす過程では、化石燃料(石油・LPG)に頼る必要もあるが、いずれ枯渇する資源である。再生可能自然エネルギー開の開発に人類の叡智を結集すべし。

・国土や資源をめぐる戦争・紛争に明け暮れた人類史の汚点を拭い、安寧の幸福を求める
 価値観を国際社会が共有することに努めたいものだ。

 

○少子高齢化の先進国として、モデル社会の構築に専心とりくむのが、明日の日本だ。

・育児手当・保育施設の充実で子供を育てる意欲と環境をを満たし、定年延長で高齢者の 経験と知恵を生かし、社会の経済活力を維持する。

・高度なものづくり技術を国内で維持向上させ生産拠点の海外移転を補完し、新しいライフスタイルの発想に基づく商品開発で世界をリードする。

・海外では、健康志向の和食、すぐれた伝統工芸、マンガ・アニメ、若い女性ファッション、日本人的おもてなし文化などが注目されはじめている。

・高度経済成長期の画一的な大量生産・消費から、多様な価値観と暮らし方を尊重する社会へのグローバルな転換の先導的役割を担う日本に。

 

 いま運転中の原発五基は、定期点検で間もなく止まり、運転再開の是非が論議されている原発もあって、この夏は、原発による電力供給がないとの見方も出ている。

 昨年夏の国民こぞっての節電努力をさらに進め、家庭・公共の電力消費量を飛躍的に下げることが、喫緊の課題である。

 敗戦直後の星空の美しさ、ローソクの灯が揺れる暮らしの穏やかさへの回帰を言うつもりはないが、真昼かとまごう照明のあふれる都会生活に、日本古来の自然と融和したライフ・スタイルを取り戻すのは、「ガマン」の生活ではない。

 団塊の世代以前の高齢者にはアメリカ文化にどっぷり浸る前の暮らしの感覚が残っている。

 飽満な暮らしで生活習慣病に罹り、数多の薬を処方され、膨大な健康保険費用を使い、薬漬けの老後を鬱々と過ごすよりも、自助努力で心身を鍛え、趣味と人付き合いの豊かな人生の実りの秋を享受してはどうか。

「3.11」の被災者の苦難に想いを寄せながら、高齢の私たちが、敗戦後の苦難のなかの質実剛健な暮らしを再演する試みもよいではないか! 

 

    *日本ジャーナリスト会議「広告支部ニュース」vol.1172012.3月号掲載)




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2012/03/14 18:13 2012/03/14 18:13


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2011/04/06 14:46 2011/04/06 14:46

こぶし会10月例会の話題
                            2009.10.26
  
「チェンジ」の時代と私  松本文郎

○なぜ、この話題を選んだか。 

 「チェンジ」の黒人大統領オバマの登場で、アメリカは変わるのか。半世紀ぶりの政権交代で、日本はどう変わり、どこへ行くのか。
 人類社会の長い歴史の中で屈指の大変革の端緒になるだろうか。なって欲しい。
 “戦争の世紀”の二十世紀をへて、いまだに戦火の絶えない世界の現状。人間の愚かさ。
 核戦争/環境破壊/人口増大/資源枯渇/貧困・格差などの諸問題への対処いかんでは、人類の存続だけでなく、多くの地球生命の断絶さえ危ぶまれる。
 日本は今、大化改新、秀吉の天下統一、長期政権・徳川幕府、明治維新、敗戦日本の復興などに比べて、遜色のない大きな「時代の変化」を迎えようとしている。
 政権交代はその端緒にすぎないと考えたい。マスコミが取り上げる論点・視点だけにとどまらず、個人、家族、社会人、国民、地球人としての複々眼で、「チェンジの時代」を見極めたいのだ。ライフワークの論考『私的・人間の探求』の一環として、『アラブと私』を月刊機関紙(日本ジャーナリスト会議「広告支部ニュ-ス」)とT新聞社開設の「松本文郎のブログ」に連載し、“時代と社会の変化”を受信するアンテナのチューニングに気をつけている。
  
 近ごろの「こぶし会」では、混迷する時代と社会の様相を見据える視点からの話題が多く、それぞれの話のテーマも多岐にわたり、触発され、学んでいる。
 私は、21世紀は「チェンジの時代」だと感じている。さらには、人類社会が大きな岐路に立っているとの想いもある。
 明治維新、敗戦日本の再生に匹敵する“世直し”“国づくり”のチャンスに、日本人が持つ不思議な「集中力」を発揮できると信じたい。
 身のほど知らずのテーマを掲げた本日の話は、下記の目次のいくつかに触れるに留まるだろうが、この「チェンジ」の時代に巡り合わせた幸運に感謝して、天寿の  限りに、残日をけんめいに生き抜きたいと念じている。 
 これまで数回話した私の個々のテーマには、こうした問題意識が通底している。

○以下は、目次程度のレジュメです。

☆日本の政権交代と「チェンジ」
 敗戦日本の復興/日本国憲法/講和条約の選択/55年体制と政・官・業/自民長期政権の崩壊/政策転換(社会・経済・政治)/国際関係(米・中・ロ・EU・アジア)

 ☆オバマの「チェンジ」
リンカーンの奴隷解放/米国資本主義と大恐慌/ニューディール/第二次世界大戦/ 東西冷戦/朝鮮・ベトナム戦争/アメリカ一国主義/9.11/オバマ登場

 ☆「チェンジ」を求められている人類社会
核廃絶と環境問題/人口増大と食料・エネルギー/存続か絶滅か/人類の叡知

 ☆日本にできる「人類社会」への貢献
  環境・エネルギー問題へ積極参加/世界平和の構築(国連・テロ・民族紛争)

 ☆「チェンジ」の時代と私
  「チェンジ」の時代をいかに生きるか
  生きるとは学ぶこと/学ぶことで自分を「チェンジ」
生きるとは愛すること/愛することで世界が「チェンジ」


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(別紙資料①)


「明治以降の戦争関連」の近著

1.それでも、日本人は「戦争を」選んだ  加藤陽子著  朝日出版社
 
序章 日本犬現代史を考える              2009.7
 1章 日清戦争                       9(4刷) 
 2章 日露戦争
 3章 第一次世界大戦
 4章 満州事変と日中戦争
 5章 太平洋戦争

2.昭和・戦争・失敗の本質        半藤一利著  新講社

 
 1章 大日本帝国の戦争目的                            2009.10(1刷)
 2章「大鑑巨砲」よさらば!
 3章「最後の聖断」が訴えたもの
 4章 <こぼれ話>昭和史・二つの「もしも」

3.あの戦争は何だったのか        保阪正康著  新潮文庫
 
 1章 旧日本軍のメカニズム                            2005.7
 2章 開戦にに至るまでのメカニズム                    2009.2(32刷)
 3章 快進撃から泥沼へ
 4章 敗戦へ・・「負け方の研究」
 5章 八月十五日は「終戦記念日」ではない・・戦後のに日本   

 
4.ノモンハン戦争(モンゴルと満州国)  田中克彦著  岩波新書

 1章「事件」か「戦争」か               2009.6
 2章 満州国の国境トホロンボイル                           7(5刷)
 3章 ハルハ廟事件からマンチューリ会議まで
 4章 抵抗するモンゴルの首脳たち
 5章 受難のブリヤート人―汎モンゴル主義者
 6章 汎モンゴル主義
 7章 ソ連、モンゴルから満州国への脱出者
 8章 戦場の兵士たち
 9章 チョイバルサンの夢-果たせぬ独立
10章 だれがこの戦争を望んだか



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2009/10/26 22:00 2009/10/26 22:00