添付画像


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―16)                                           2011年5月X(X)


 すばらしい五月晴れの朝だ。住宅地内の花見の定設場“クジラの背”の潮吹き穴から青空を見上げると、周りを囲むケヤキと桜の梢の新緑が光に煌めいて美しい。タブの林を抜けて見明川沿いの遊歩道に出る。伝平橋にはもう、稚鮎を釣り上げる人の姿はない。

毎朝のように、橋の袂のコンビニでかんコーヒーを買い、橋を渡って桜並木の遊歩道を「ふれあいの森公園」をめざして歩く。

 途中の東屋の手前に、川面に降りてゆく階段があり、歌の屋外練習場にしている。

 今朝は、特養老人ホーム・愛光園の6月訪問で唄う『都鳥』の練習をした。三味線のYさんから戴いた、芳村伊十郎の唄の音源をなぞって声を出す。小唄調長唄の詞と音曲はえも言えず情緒纏綿として、つい、想いが籠もる。

 辺りに人影がないので、対岸に向かって声を張り上げた途端、一羽のカラスが近くの柵に飛んできて、三米ほどのところで眼をキョロつかせ、私を見ている。長唄とカラスの声の周波数に似ている音程があるのか、時折、カラスも奇妙な声を出している。

 そういえば、日本建築学会男声合唱団で「東京都シニア男声合唱コンクール」に出場したとき、審査結果の発表までかなり時間があって訪れた井の頭公園の池の畔で、組曲「沙羅」の『鴉』を口ずさんだときもカラスが傍の柵にやって来た。公園入口の老舗で仕入れた焼鳥の匂いに釣られたのか、『鴉』の清水重道の詩さながら、ひょうきんなヤツだった。

 歌は、人間や小鳥たちだけでなく、クジラや魚、犬や蛙も唄っていると思っている。『都鳥』を二回ほど唄う間に、聴き飽きたかのようにカラスは飛んでいった。

 ふれあいの森のビオトープの池に紅と白の睡蓮が開き、池にそそぐ流れにカキツバタと河の骨が咲いていた。ウッドデッキの傍の花壇には、たくさんの牡丹と芍薬のピンクと黄の大輪が咲き誇っていた。

 毎年、古代赤米を植えて収穫する小さな二枚田で、番の鴨がせわしげに嘴で水の中を

物色している。ニホンアカガエルのお玉杓子でも狙っているのか。県の保護動物指定の

絶滅危惧種と、鴨は知らないのだ。

 番の朝食の邪魔をしないように、流れを挟んだベンチに腰掛けた。背に射す朝の光で、そばの枝垂れ柳の影が足元にゆれている。

ふと、オサマ・ビン・ラディンのことが頭をよぎった。殺害が発表された直後の夜、ホワイトハウス前の広場で星条旗を振りかざして熱狂する若者たちの顔は喜びに溢れていた。午前一時を過ぎても、唄い、踊り、歓声を上げつづけた。

米国史で屈辱的な事件当時に小中高生だった彼らは、「9.11世代」と呼ばれるそうだが、アメリカ資本主義のシンボルの世界貿易センター(TWC)を破壊したテロの首領を憎悪したにちがいない。私たちが、太平洋戦争の敵国を「鬼畜米英」と信じたように、事件の背景にある米国憎悪も分からず、大人が語る無念さを信じるほかなかったのだ。

 バッファローの群れかのように原住民インディアンを殺戮する西部劇映画の反面で、

「善人サム」をもつ米国の若者が、丸腰の敵を寄ってたかって殺したことに歓喜したのは、インターネットで空前の献金を集めオバマ大統領誕生の原動力となった彼らの素直な祝福だったとしても、オバマ大統領の「チェンジ」の行方が気がかりだ。


2011/05/19 14:41 2011/05/19 14:41


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―15)                
 
                                                          
2011年5月3日()

 

オバマ大統領が、「やった!ビンラディンを仕留めたぞ!」と叫んだとされるのは、米海軍特殊部隊とCIA軍事部門による急襲作戦の映像をモニタールームで見ていた最中だったという。リベラルで穏やかな人物のイメージをもつ彼も、やはりアメリカ人だナと感じた。9.11同時多発テロの首謀者で、米国の“対テロ戦争”の最大の標的を仕留めた瞬間である。

2001 のテロ発生の翌10月、国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディンを首謀者とみなした米国は、タリバーン政権のアフガニスタンを攻撃。同政権は二ヶ月で崩壊したが、テロの黒幕として世界に知られることになったビンラディンは、アフガン・パキスタン国境の山岳地帯を転々としているらしいと報じられるだけで、多額の懸賞金にもかかわらず、所在は杳としていた。

ブッシュ政権による膨大な戦費と米国兵士の生命をかけた掃討作戦も虚しく、10

近い年月が経過した。アフガンからの米軍撤退を公約に当選したオバマ大統領は、二期目の選挙を目前にして、ビンラディン容疑者の捕捉に懸命だったようだ。 「やった!」に、その強い想いを感じる。

 オバマ大統領の命を受けていたCIAが、パキスタン国内の隠れ家の情報を入手したのは昨年8月。今年初めには特定したとされる。掃討の急襲作戦がパキスタン政府に知らされずに実行されたとして、両国の間に不穏な空気があるが、オバマ大統領声明には、「パキスタン政府の協力の下に、作戦を遂行した」とある。(5/3朝日朝刊)武器を持たないビンラディンを捕捉せず殺害したこと、遺体を速やかに水葬に付したこと、遺体写真の未公開などについて、ブッシュ政権より透明性を約束したオバマ政権に対し、AP通信が情報公開を要求している。

 イラクのフセイン前大統領が、捕捉されて裁判にかけられ、死刑になったのに比べて

乱暴なやり口と思われるが、軍事評論家によると、テロリストは“違法戦闘員”だから、“武器を持たない者を殺してはならない” とするジュネーブ条約45条違反ではないし、9.11テロのような多数の犠牲を再び出さない予防戦争では、隠れ家のあるパキスタンに無断で侵入しても正当性があるという。なんとも物騒な論理を開陳していた。

“予防戦争”なる概念が、国際的に認められているかどうか知らないが、米国のように

世界最強の国家ならば、他国に対してなんでもできることになりはしないか。

この作戦は、パキスタン政府の暗黙の了解の下に行われたとみるのが妥当で、米国に対する抗議は、一枚岩でない軍部と折合いがよくないザルダリー大統領のゼスチャーと思われても仕方ないだろう。

 それよりなにより、オバマ大統領は、果たして心底、快哉を叫んだのだろうか。

 ビンランディン殺害で、9.11の屈辱への報復を誓った米国民の期待に応えたとしても、「憎悪は憎悪を生み、報復しても愛する人たちは生き返らない。軍事的な反撃は新たなテロを誘発するだけではないか」と語った遺族たちがいることを忘れてはならない。

 ときあたかも、中東にうねる民族革命の波は、アルカイダの暴力を是認しない若者ら

が推進力になっている。“テロへの報復”と“さらなるテロ”の悪循環を絶ってこそが、米国と世界の混迷に「チェンジ」を叫んだオバマ大統領の真骨頂ではなかろうか。



添付画像

2011/05/03 13:55 2011/05/03 13:55


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―14)                
 
                           2011430()

 

 京大建築学科同期の学友中澤伸二君からの訃報連絡に驚く。中塚教明君が急逝したという。二週間前の定例の同期会で、彼の病状が話題になったばかりだからである。

ゲンキ印だった彼を病魔が襲ったのは、一昨年だったか。十万人に一人とかの難病の治療薬が定まらないと同期会でボヤいていたが、最近は顔をみせず、入退院を繰り返していると聞いていた。中澤君への最近の電話では、薬の強い副作用のせいか食欲が全くないと訴えていたようで、心配していた矢先の訃報だった。

高松宮に似て、“宮様”と呼ばれた彼は、浮世離れしていた反面、謹厳実直な会社人間だった。アサノセメントと関連企業を勤め上げ、同期の「カンチレバー会」関東支部の万年幹事役を、中澤君と二人で熱心に担ってきた。今の同期会場は新宿住友ビル・東京住友クラブだが、数年前までは、彼の世話で新宿南口にあるアサノクラブだった。

 そのクラブの専属世話係の中年女性とは、みんなで親しい口をきいていたが、会場が住友クラブへ移ったとき、中塚君がその女性同伴で現れたのには、一同ビックリした。

宮様的な呆気羅漢ぶりだが、どちらかといえば、女性性が強く、長電話を好む傾向があり、学友のご夫人とも長電話を楽しみ、わが妻お千代も半時間を過ぎる電話を切るのに苦労していた。

 ところで、中塚君とお千代との不思議な奇縁が分かったのは、2007年、京都での卒業50周年同窓会の翌日だった。同窓会場の南禅寺・菊水旅館を出て三々五々に歩いていると、突然中塚君が、案内したい所があると連れて行いったのは夫人の実家の墓である。

突飛な言動には慣れていても余りに唐突だが、前日に、同窓会場に近い夫人の実家の墓へ京都駅から直行し、丹念に掃除して花を供えたマメさを見てもらいたかったという。

 ところが、その「安保家」の墓の前に立ったお千代が、「エエッ!」と奇声を発した。なんとそれは、同志社女子大生のとき下宿した安保家で、高校生だったその家の娘さんが中塚夫人になったのだ。とても珍しい苗字だったので忘れなかった、とお千代の弁。

 その同窓会には黒川紀章君も出たがっていたが、東京都知事・参院選に出馬した後で見つかったがんの悪化で出席は叶わなかった。五年ごとの同窓会の第一回に出ただけで、ずっと欠席続きだった彼は、晩年の数年、関東支部の集いに時たま顔を出していた。

宴席の私に、「キミはずっとお千代さんと一緒で幸せだね」と淋しげな顔で告げた。

二十数年前に若尾文子さんと再婚したが、前の奥さんは入学当時の工学部の紅一点で、黒川君に負けず劣らず、彼女をひそかに想った学友もいたようで、お千代もふくめて、かなりの学友が顔見知りだった。没後の同期会に二、三度、彼女を招いて歓談した。

 喜寿では、一足先に逝く友が増えるのも仕方がない。“散る桜 残る桜も散る桜“

45周年の奈良万葉荘で悪酔いして暴れた久徳敏治君も今はない。日本建築学会副会長のとき阪神淡路大地震に遭い、竹中工務店の設計施工の建物に思わぬ損壊を生じたことに衝撃を受けていた。母校名誉教授の森田司郎君は、がん闘病中の身で50周年の幹事を務めた。間もなく現職の後継者を決め、実家に築いた窯で陶芸に専心したいと宣言しながら、逝ってしまった。すでに、同期卒業三十人の十三人が鬼籍に入った。 

 

来年は55周年だ。学友各々の建築・都市の学識・実務経験を生かし、東日本大震災の復興構想会議もどきの同期会を、京都で開きたいと切に願う。



添付画像






2011/04/30 15:59 2011/04/30 15:59


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―13)                 

                             
2011年4月2ⅹ日(ⅹ)

 

 世界が見守る福島原発事故沈静化の行方が見究められない緊迫状況で、菅政権打倒の政局化を画策する政治家がいるとは、実に情けないことだ。“挙国一致”ば戦時中を思い出させる言葉で敬遠したいが、政治家と国民が総力を挙げて対処する事態には違いない。

 しかも、東日本大地震が襲った日本は、歴史的政権交代をしたものの、迷走する政治と経済不振で社会全体に閉塞感が充満しているのだ。

 年金制度への不信がきっかけの社会保障・福祉政策の見直し、リーマンショック以降の世界経済不況のなかの経済・財政構造改革、外交・安全保障の自立化政策など諸課題を抱えたままの「3・11」だったことを忘れてはならない。

 私たちは今、大震災と原発事故からの復旧と日本の国全体の復興を重ねて構想すべき地点にいる。京大建築学科の恩師西山卯三先生は、人間居住環境・地域計画の学術調査・建築都市計画学を、民衆の立場から推し進めた世界的権威だった。先生が安藤忠雄さんの座につかれたらどんな提言をされるかと想っても、鬼籍に入られて久しい。

 卒業同期には、大学教師となって先生の学術的所産を発展的に受け継いだ学友数人がいる。浦安被災で電話やメールをくれたそれらの学友らに、阪神淡路大震災の復興計画に関った際のノウハウを東日本の再生に生かせないかと聞くと、都市と農漁村の違いに加えて原発事故が複合している事態にすぐには歯が立たないと言う。そうかもしれない。

 喜寿とはいえ、専門学術的蓄積と複雑系課題のソリューション総合能力は、若い学者

に勝るとも劣らないのではないか。被災者にとっては不幸の極致だが、研究者にとっては千年に一度といわれる絶好のチャンスではないか。政府お抱えの学者より自在な立場で、西山卯三流の在野精神を発揮し、最後(?)のひと働きをしてみてはどうか。

 折りから、朝日新聞社が設立した「ニッポン前へ委員会」が、あすの日本を構想する提言論文を募集している。締切りの5月10日まで執筆の日数はわずかだが、ダメもとで、8千字の拙論を書いてみるか。

 土木工学分野でも同種の提言論文を公募しているらしく、一回り年下の次弟は、早々と「三陸海岸の『災害ゼロ都市』への復興再生」」と題した論文で応募したという。大手の海洋・河川土木建設会社のあと、二つ目の土木技術コンサルタントに勤めているが、海外勤務の経験もある彼にとって、またとない活躍の好機であろう。ガンバレ!!

 彼によると、海中に設けた高さ60米の津波よけコンクリート壁があっけなく押し倒されたのは、自然力を甘くみた設計思想の当然の帰結で、彼の復興計画コンセプトの第一番目に、「自然力に抵抗することなく受け入れて、生命・財産を守る」と書いている。

 自然の力を腕ずくでねじ伏せる考えは、西洋近代の科学技術思想と無縁ではないが、

しっかりした自然観(宇宙観)からは出てこないものだ。地震・津波・台風・洪水などの来襲・被災が常態化しているアジアでは、自然と親和性のある居住環境構築がなされてきた。巨大竜巻や大洪水に見舞われているアメリカ大陸ではどうであろうか。

 日本の復興・再生構想では、電力の生産・消費の大変革への提言がメダマになろう。

原子力発電依存から早期に離脱するか、段階的削減と自然エネルギーへの転換の道筋を選ぶかに分かれる論議を、世界中の人びとと共に深めて行こう。

 地球全生命との持続的共生を科学技術の光と影の中で探求するのは、人類の課題だ。




添付画像



2011/04/29 15:51 2011/04/29 15:51


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―12)                 
 
                               2011年4月2X日(X)


添付画像

 

 
 長期独裁政権下で勃発したチュニジア政変による前大統領の国外亡命、それに触発されたエジプト前大統領の退陣から3ヶ月近くが経つ。

その政変騒ぎが及んだアラブ諸国では、政権側と反体制派の衝突・攻防の一進一退が延々と続いている。多国籍軍の連日の空爆にもめげず、圧倒的な軍事力を維持しているカダフィ軍はしぶとく反撃し、イエメンやシリアでは治安部隊によるデモ隊への発砲で多数の死者が出て、民衆虐殺の観を呈している。

 ベンアリ前大統領の在位23年、ムバラク前大統領の29年におよぶ長期独裁政権の権力維持は、敵対する野党勢力や一般民衆に自由な政治活動を許さず、秘密警察や治安部隊によって徹底的に弾圧したからとされる。

 両国共に、王政打倒後は親欧米的な路線で外国資本に市場を開き、石油・観光資源を基盤にした経済発展を遂げたが、国富を権力者・支持者一族で独占して、失業と貧困による経済格差が、民衆の忍耐を超えるまでに至った。

 チュニジアは、外国人観光客には治安のよい国とみられていたが、人口1千万人中の175万人の与党・立憲民主連合(RCD)以外の民衆は経済的恩恵から疎外され、大卒8万人の2,3万人は職がなく、若者の失業率は25%という。

 これらの政変で注目されるのは、インターネットなどのソーシャルメディアの威力と若者の覚醒だ。ベンアリ政権は1990年代半ばからインターネットを導入して近代化の具としてきたが、民衆の利用には、「インターネット庁」による監視を怠らなかったとされる。

 青果物の露天売り若者の焼身自殺の動画配信で政変をリードしたスリム・アマモウは、言論の自由を求めて3年前からインターネットで活動を始めたが、検閲で逮捕された。

  釈放後は、検閲から逃れる独自のシステムを案出して活動をつづけ、ついに政変実現となった。暫定政権で青年・スポーツ省大臣に就任したアマモウ氏(33歳)を非難する向きもあるようだが、7月の議会選挙には立候補せずに、ソーシャルメディアの自由な展開推進に寄与したいと言っている。

 長期独裁政権を崩壊させた民衆革命の行方で見定めたいのは、政変の中核的な役割を担った若者たちと前政権が弾圧したムスリム組織のナハダ党(チュニジア)やムスリム

同胞団(エジプト)との連携である。

 両組織共にムスリム原理主義だが、過激主義的ではなく穏健な考えの集団とされる。

ベンアリ前大統領が禁止したムスリム支持集会では女性の権利を否定する保守的思想が主張されたが、政変後のナハダ党政治集会(7千人)では政教分離が主張されたそうだ。

 ムスリム同胞団の綱領に、議会制民主主義、基本的人権と自由、女性の権利向上などがあるのは、政権打倒後の綱領もなくて立ち上がった若者たちの連携の接点になるかもしれない。

 チュニジア独裁政権を支えたテクノクラートや実務経験者を擁したRCDを解体したあと、プロの政治集団のない国家統治が機能するかどうか。7月選挙に向けて50余の政党が誕生したが、密告逮捕や監禁拷問などで長年の政治不信と恐怖に晒された民衆が、果たして投票に参加するかどうか。政変後の行方はまだ、不透明感を免れない。


添付画像




  

2011/04/28 15:33 2011/04/28 15:33


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―11)             
 

201141X日(X



  T
さんから久しぶりの封書が届いた。Tさんは、日本建築学会樂友会男声合唱団の名代表幹事だ。団長名の文書で、創立25年記念演奏会への参加のお誘い。20周年でも誘われ、メインプログラムの『水のいのち』に惹かれて初参加した。そのときの勧誘は、元職場の先輩で団員のIさんからで、一年間、田町駅に近い学会本部の建築会館ホールに通い、初めて出会った先輩建築家のみなさんと楽しく練習し、知遇を得た。

特別参加を機に入団を勧められたが、古希を越えた身には、浦安男声合唱団で精一杯だったのでお断りした。

その後は、「東京都シルバー男声合唱コンクール」のための合宿や出場(「松本文郎のブログ」に紀行画文掲載)、毎年秋の学友会音楽会のご招待、わが合唱団の定期演奏会へのご来聴などで交流を深めてきた。

 今回は、“オールドボーイ”の合唱定番曲『沙羅』全曲と『月光とピエロ』から3曲

のほか、オペラ合唱2曲のプログラム。 好きな曲ばかりで参加しないわけにゆかない。

指揮者Fさんの提案だろうが、風景や情景が目に浮かぶ詩曲の選出。建築家がみんな絵が上手とは限らないが、ヨーロッパ画行展覧会の作品群はすばらしかった。

清水重道作詩、信時 潔作曲の名曲『沙羅』は、2000年の浦安男声合唱団第2回海外公演の国立台南師範学院雅音楼の第一ステージで唄い、満席の聴衆の喝采を浴びた。

8つの小曲からなる合唱組曲で、「丹澤」「沙羅」の卓越した自然描写、「あづまやの」「占ふと」の女心の情緒纏綿、終曲「ゆめ」の諦観を感じさせる静寂と孤独な安らぎの漂う詩曲のすばらしさは、筆舌に尽くしがたい。日々、描き/唄い/詩文を書いて多忙を極める喜寿の私に、「お歳を考えなさいネ!」といつも宣うお千代に、「30周年はムリだから、やりなさいヨ」と背中を押された。

 Fさんに電話すると喜んでくださり、間もなく、譜面と参考演奏音源のCDが届いた。

 翌朝、MDに移した音源と一緒に散歩に出た。久しぶりに聴く『沙羅』の一つひとつの歌を口づさみながら、見明川の遊歩道から「ふれあいの森公園」へゆっくり歩いた。

トップテナー・パートの高音部もまだ、それほどキツクはないようでホッとする。

遊歩道の並木はすっかり葉桜となり、伝平橋から稚鮎を釣り上げる人の数も増えた。

公園の木々の彩り豊かな新緑がさわやかな朝の風にゆれている。気持のいい季節だ。

「花まつり」の日から三日通い、公園の大芝生から満開の桜並木を描いた『被災地浦安の春』と題した20号の絵は、日比谷彩友会の春季絵画研究会での講師深澤孝哉先生に、過分のお言葉を戴いた。6月の「みなづき会展」に出そうかと思案している。

 ようやく平静に戻った浦安で美しい花々・新緑を愛でていながら、大震災の遺体捜索と被災者の苦渋に満ちた生活や、中東革命のうねりの中の強権的独裁者による民衆虐殺の報道に、胸がふさがる。

 菅政権が立ち上げた首相諮問機関「復興構想会議」は、建築家安藤忠雄を議長代理の一人にしたり、梅原 猛、玄侑宗久、内館牧子など親しみを感じる顔ぶれがまじるが、

官僚出身者がいないので、青写真の実行段階で中央省庁がどう出るかなどで、はやくも

場外では百家争鳴の態だ。安藤さんの阪神淡路大震災後の地道な活動に好感をもつ者として、リーマンショック後の経済復興構想と合わせた実効性のある提案を期待したい。



添付画像




 

2011/04/19 09:45 2011/04/19 09:45

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―10)        
                                           
 
2011年4月8日(金)

 

 五時半起床。ルーチンのストレッチを済ませ、朝の散歩コースへ。テラスハウス住宅地内の中央公園の“クジラの背”(幅20m・長さ50m)の桜はまだ二、三分咲きだが、十日に予定している住民有志の恒例のお花見には、七、八分の見ごろとなるだろう。

 親しみをこめて名づけた“クジラの背”の周囲をケヤキと桜が入り交じってとり囲む。その外側にも高い木立が並び、桜は、ケヤキと背を競うように枝を天に伸ばしている。大きな楕円形の“背”の北側を覆う色鮮やかなコケの絨毯が、踏む足ウラに心地よい。

 林を抜けて見明川沿いの市道に出る。伝平橋の欄干に数人の釣人が竿を上げ下げしている。この東京湾と江戸川を結ぶバイパスを稚鮎が遡上するのは、両岸の桜並木が葉桜になる頃の筈だが、今年は大地震に驚いて早まったのだろうか。

 両岸の自動車道と遊歩道に沿う桜並木も、まだ二、三分だ。橋を渡った舞浜三丁目の戸建住宅地の液状化現象の被害は大きく、上下水道・ガスの復旧工事は長引くと聞く。

傾斜した家屋も少なくないようだから、住まいから眺める桜の満開を心待ちする気分ではなかろうと想いながら歩く。

伝平橋の川上の歩道橋を渡ってわが住宅地側に戻り、「ふれあいの森公園」の広い芝生を歩くと、一角に立つ大きな桜が見ごろの美しい姿で立っている。ビオトープを回り、いつも座るベンチから舞浜三丁目の家並みを一望していて、ふと、「被災地浦安の春」と題した絵を、十五日の「日比谷彩友会」の春の研究集会に出そうと思いつく。

二、三日通って描けば、両岸の桜並木も満開となろう。画面に入れる家並みには傾いた家屋も混じるが、一日も早い修復を祈りながら描かしてもらおう。月末には、桜並木も葉桜となり、稚鮎の大群が遡上する浦安は春爛漫。 

 その日の予定の備忘で見るカレンダーに、今日は「花まつり」とあった。お釈迦さんの生誕を祝う仏教行事で、「灌仏会」「降誕会」「仏生会」などと呼ばれる。草花で飾った花御堂の中の甘茶の灌仏桶に在す釈迦像に、柄杓で甘茶をかける。「花まつり」の名称は、生誕の日とされる四月八日に関東以西の桜が満開になること、甘茶は、釈迦誕生の折に九頭の竜が天から清浄な水を産湯として注いだ伝説に由来するという。新妻のお千代と、六畳一間・共同炊事場・共同便所の社宅に近い新井薬師に詣でて、一緒に甘茶をかけた日も遠くなった。

 桜の花といえば、本居宣長の“敷島の大和心を人問わば、朝日に匂ふ山桜かな”の歌

がある。宣長は商家生れだが、儒学を学び、医業を開業した。加茂真淵の門人となって『古事記伝』の神代巻を完成。紀州藩主に国学を講じ、真淵の古道学を継承して、国学を大成させた。

 宣長の国学は、万世一系の天皇が治める神国日本の若者たちが、“特攻機”で出陣したときの精神的支柱とする向きもあるが、果たしてそうであろうか。天皇を奉じた国粋的な国学者らの主張はともかく、死地に向かう若い兵士らは、奥山に立つ一本の山桜が

朝日に輝き匂うさまを脳裏に、気高い心で逝ったのではないか。天皇のためというより、愛する家族のために国を守る潔さで出陣したにちがいない。

宣長は、万葉集の歌にみる”万物に触れて感動する魂”を大和心とし、山桜は日本人の心を象徴するものとした。若者たちは、その想いを胸に抱いて散った、と考える。



添付画像





2011/04/16 10:32 2011/04/16 10:32

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―9)                   
                                                         
2011年4月X日(X)

 

 東日本大地震を機に「残日録」を書き始めて、ほんとうによかったと思う。

T新聞社のご好意で、「松本文郎のブログ」の新設カテゴリーとして連載されることになったが、ブログに長期連載中の『アラブと私』とうまく連携して書けそうだ。

あの震度6弱の最初の揺れを感じたのは、この“創作ノンフィクション”の原稿執筆中の書斎だが、これをを書くきっかけは、同じ住宅地に住む日本ジャーナリスト会議(JCJ)会員のYさんだった。月刊「JCJ広告支部ニュース」の編集委員で、「電通」の元労組委員長の彼とは、見明川住宅管理組合の長期修繕計画委員会で出会った。

いずれはと考えていた、一九七○年からの四年間、家族ぐるみで在住したアラブへの想いを書きとめる絶好のチャンスを与えられたのである。あれからもう三年経った。

思い起こせば、二○○八年三月十九日の朝日新聞「天声人語」で揶揄された引退目前の元ブッシュ大統領の替え歌「思い出のグリーングラス」の引用が、書き出しだった。 ♪古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る。平壌の心配をしなくていい、

もうすぐ、わが家の芝に帰る・・・と記者団との夕食会で調子はずれに唄ったそうだ。

大量破壊兵器を言いがかりにした、あの意図的で無謀なイラク侵攻から五年になろうとしていた。侵攻の理由が事実無根とはっきりした今だが、国内外に四百万人もの難民が生じたイラクにとって、この戦争はいったい何だったのか。

『アラブと私』の執筆の動機は、個人的体験の記録だけではなく、911が発端とされたアフガン・イラク戦争が世界平和を脅かしている危惧からだった。「イラク三千キロの旅」を序章とする本論は、この旅の後で三年過ごしたクウエートの仕事と生活を通じて経験したアラブと、今日の激動のアラブを往来しながら、西洋近代の基盤のキリスト教文明と人類社会の未来を左右するイスラム教文明との共存・融和を希求するものにしたいと考えている。

 大地震発生時に書いていた『アラブと私』では、イード(断食月)の休暇に、イラク人土木技術者ユーセフとバスラ・バグダッド・モースルを往復した「イラク三千キロの旅」のバグダッドで、とあるホームパーティに招かれている記述に、チュニジア政変に触発された“中東市民革命”の連鎖のうねりと、五十年前のイラク軍事革命のかかわりを道草的に書き加えていたところだった。

 エジプトとリビアの長期独裁政権を支配した元軍人二人のうち、エジプトのムバラク元大統領はギブアップしたが、リビアのカダフィ大佐はしぶとく抗戦しているところに未曾有の大地震が起こり、それまでの連日、NHK「おはよう世界」で報じられていた“中東市民革命”の推移が、福島第一原発事故の非常事態経過に取って代わったのだ。

 四十年前のバグダッド訪問の場面の途中で、現在のアラブ諸国に沸き起こった革命の様子を『アラブと私』に書くのは文脈的に限度があり、さらに、東日本大地震の状況の

記述を挿入するのはかなりムリなこと。かねてから温めていた『文ちゃんの浦安残日録』に着手するときが来たのだ。

 これからの『アラブと私』は、「イラク三千キロの旅」を順調に進めて序章を終え、

早く本論執筆の日を迎えたいと願う。激動のアラブと混迷の福島原発事故処理の状況は、当面、『文ちゃんの浦安残日録』で交互に取り上げることとしたい。




添付画像
ジャスミンの花


2011/04/13 10:29 2011/04/13 10:29


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―8)                  

                                                         
2011年4月2日(土)

 

 東日本大震災の痛ましい報道がつづく中で、上野動物園のパンダ公開が報じられた。

このジャイアントパンダのペアは、中国四川省から三十時間かけて移動し二月二十一日深夜に上野に着き、三月下旬に公開される予定だったが、東日本大地震が起こって延期されていたのだ。

四川省大地震を体験していたオス・リーリー(力力)とメス・シンシン(真真)も、ビックリしたことだろう。中国名は比力(ビーリー)と仙女(シィエンニュ)だった

五歳の二頭は、東京都内が震度5強で揺れたとき、リーリーの方は落ち着かない様子でパンダ舎を歩き回ったが、現在はそろって元気だという。

 三年前の四川省大地震のころに死んだリンリン以来の“上野のパンダ”を見ようと、開園前から二千数百人の行列ができたので予定より早く開場。来園者たちは、ペアの

愛らしさに歓声をあげながら、写真を撮った。

 被災者の入園は十日まで無料。都内の長女宅に避難している福島市の老女は、「余震がひどくて眠れずに東京に避難したが、パンダを見て、ふさいでいた気持が和みました」。

 リンリンの後継を求めてきたパンダファンの熱意に、石原都知事は、「毎年95万ドル(約八千万円)もの保護協力金を中国に払ってまでしなくちゃならんことなのかネー」と嘯いていた。オリンピック東京再誘致の外国行脚の大名旅行を揶揄された氏の言である。

 十日の東京都知事選挙で、大地震発生の“国難”に身命を賭して4選出馬を決意した結果はどう出るか。T新聞社開設「松本文郎のブログ」の編集担当森下女史がオーナー

のカウンタースナックで、常連のⅠさんと都知事選候補者の品定めをしたが、石原知事だけは願い下げだよと言うと、会社経営者で知事とは昵懇の彼は、「石原の人間性は好きではないが、彼のほかに都知事が務まる候補者がいますか?」と切り返えされた。そう言われて返答に窮したが、なんとも情けない政治実力者不在ではないか。東京都の選挙民も困惑していることだろう。

 ともあれ、小宮輝之園長は、「被災した方々が、パンダを見て少しでも癒されるのなら」とインタビューで語った。

 中国が主張する日本軍による虐殺事件の内容を頑なに否定し、中国嫌いを公言してきた石原知事が4選されたとき、再編目前の政界にどんな影響力を持とうとしているのか、福島第一原発の事故対応と同様、予断を許さない。

 被災者を癒すといえば、避難所の学校体育館で、中学生のブラバンやNHK全国音楽コンクールに被災で出れなかったコーラス部員らの演奏を聴いた人たちが涙し、元気が出たと話すシーンをテレビで見た。

 折から、恒例の上野公園の夜桜見物の自粛や、東北地方のお祭り開催への賛否両論が喧しい。被災者自身が花見やお祭りに参加して元気を取り戻すのは大いに結構だが、日本中が一つになって大震災の苦境に立ち向うには、被災地以外での自粛や不謹慎にならない配意が大切だ。

 国内外のミュージシャン・アーティストによる遠隔の地の義捐金集めのイベントが、被災者への癒しになるのはうれしい。自分たちのファンだけでなく、人間社会の連帯の尊さに目を啓いた彼らの新しい活動展開を期待したい。




添付画像




2011/04/11 15:38 2011/04/11 15:38


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―7)                  

                                                        
2011年4月1日(金)

 

エイプリルフールの今日、ボランティア「歌の花束」の四月訪問コンサートが開けるとのうれしい知らせがあった。特別養護老人ホーム「愛光園」の建物が震災に遭って、高齢居住者の皆さんが避難生活を余儀なくされて三月は中止、四月の目途もたたないでいたところへの朗報だった。

 百一歳の義母が入居されているS女史主宰の「歌の花束」は3年目で、ピアニストのEさんと男女数名のヴォーカルが、入居者に懐かしい歌の数々を十曲ほど唱和する。

毎回の訪問を待ち遠く想ってくださる高齢の皆さんが、大きな声を張り上げて唄われる笑顔に、歌を“出前する”私たちもうれしくなる。

 プログラムには二、三のリクエスト・ソロの歌もあり、今回は『帰れソレントへ』を唄わせていただく私は、知人女性からパヴァロッティの『Best of  Italian  Songs 』のCDを借りて猛練習中。本番までに一度、ピアノ教室を開いているEさん宅で伴奏してもらう予定だ。喜寿老人はパヴァロッティならぬ“ばばっち爺”だが、昨秋、『恋人よ』をリクエストしてくださった八十三歳の可愛らしい女性を泣かせればいいのだが・・・。

 S女史からは、さらにうれしいメールがきた。

 初めて聞く話で、「歌の花束」の名称が昭和十二年の国民歌謡『春の唄』の歌詞一番の出だし“ラララ赤い花束車に積んで・・・”に由来するという。この歌は、五十数年後の阪神淡路大震災の被災者への励ましとなり、震災から二年経って、作詞者喜志邦三の歌碑が詩人所縁の地西宮に建立されたそうだ。

 さらに、愛光園復興を励ます歌として四月の曲目に入れたいので、追加の五番の詞を書くようにとのこと。私の詩に曲がつけられた歌は、NTT社歌『日々新しく』や浦安市合唱連盟の創立二十周年記念歌『みんなの歌』、邦楽山田流歌曲(合唱付)『早春浅間山』等数曲あるが、うれしいリクエストなので、“歌の花束”“愛”“光”“園”などの言葉を入れた詞を即興で書き、返信メールで届けた。

 歌が、聴く人・唄う人の双方に力を与え、いのちを掻き立てるとは、古今東西に遍く

認められてき、近頃、私と同じ食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんや桑田佳祐さんも、人生の大きな節目に立って、歌がもつ力の偉大さ、不思議さを改めて深く感じたと述懐しいる。

 愛光園を訪問するグループに邦楽仲間の「江戸の華」がある。昨年秋、数団体が参加した懇親会で、邦楽に傾倒されているYさんとのうれしい出会で、二十年ほど親しみ、十年ばかり遠ざかっていた長唄への想いが一気に蘇った。

 Yさんは、若宮流端歌・小唄の師範名取で、長唄も大好きと仰る。メールを交換するうちに、「江戸の華」の訪問の折にご一緒しませんかとお誘いをいただいた。年金暮らしを機に吉住小桃次師匠にお暇を告げた後、うたう機会はないものと断念していた私は、“ヤッター”と、パソコンに向かって叫んだ。

“渡りに舟”と、『都鳥』『安宅の松』の音源と本のコピーを戴いて、久しぶりに自習を始めたばかりだ。Yさんは、北千住の富本節師匠のお宅で大地震の激しい揺れに遭われたが、師匠のご家族の心遣いで無事に帰宅した由。自宅は門扉が傾いただけで済んだ。11日に初めてお宅を訪ねて三味線と合せる。どんな出来になるか、今からドキドキ。



添付画像



2011/04/08 13:34 2011/04/08 13:34


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―6)                  
 
                                         2011年3月3ⅹ日(ⅹ)

 

 五時に目覚めていつもの自己流ストレッチ。十八年前の食道がん手術後の入院生活で

始めたヨーガの3基本ポーズに、いろんなポーズを加えて二十分ほどに編成したものだ。体がほぐれて血行がよくなったところで、朝の散歩に出る。

添付画像
 雲ひとつない快晴だが、風はまだ冷たい。四百八十戸の鉄筋コンクリート造・テラスハウス住宅地には、欅・桜などの樹木三万余本(管理組合資産台帳記載)が立ち、住棟の間の共有地に芝生と潅木が植え込まれている。構内道路や駐車場の一部に液状化現象による隆起陥没が生じたほか無事なのは、植物たちが張っている根っこのお陰だろう。


 我が家に近い大島桜は五分咲きで、花の蜜を吸うヒヨドリが枝にゆれている。二階屋の倍以上も高い欅が天にさしのべる枝に、新芽が膨らみはじめている。住宅地外周道路の反対側の戸建木造住宅地を歩き、家が傾いたK君宅の前を過ぎる。この辺りと見明川を挟んだ舞浜三丁目に、傾いた家屋が少なくないと聞く。上下水道の復旧もまだらしい。

添付画像
家から歩いて三分の「ふれあいの森公園」のビオトープ(動植物の生息のために造成された小規模な空間。多くに流れ・池あり)に行くと、池の周辺に立つ枝垂れ柳の浅緑の枝が風になびいている。

 古代赤米の切株が残る小さな田の浅い水底で、ニホンアカガエルのお玉杓子の群れが、まだ眠っているのか身動き一つしない。この蛙は、千葉県のレッドデータブックにある重要保護動物の1つで、公園の運営管理を任されている「ふれあいの森公園を育む会」のボランティアのみなさんが大事に保護観察している。

 この田圃で、近隣幼稚園・小学校の子供たちが父兄と一緒に、田植・稲刈りをして、赤米のお握りを食べるのを楽しむのは、毎年恒例のイベントになった。ボランティアと子供たちで昨夏に作った五体の案山子は、二枚の田圃の畦に立ちっぱなしで居る。

添付画像


 

 ビオトープ脇のグリーンハウス内の正面壁に、公園オープンの際に寄贈した私の作品『ビオトープの絵と詩』の大きな額が飾られている。地震翌日の夕方、落下してないかと見に行くと、無事に架かっていてホッとする。

添付画像
 その折りしも、公園横のバス道路沿いの見明川対岸の空で、夕照の光のページェントが始り、被災した舞浜三丁目の家並みを空から包んだ。見る間に移ろいゆく彩りに染められた雲の三三、五五の編隊は、敦煌の洞窟の飛天さながらに、さまざまな楽器を奏で、舞い踊る天女の群れと化した。

それと同じ情景を、食道がんから再生して訪れたレインボーブリッジの空に見て描いた絵と詩『お台場の飛天』は、十年前の第二回「文ちゃんの画文展」で好評だった。

 大震災の被災者を励まし支えようと、日本で活動してきた世界のアーティストたちが音楽・絵画・詩文のメッセージを届けてくれている。 

添付画像
 数万年前の人類が洞窟に描いた動物・魚の狩りの絵、暗闇の洞窟の外で咆哮する猛獣への恐怖と地震・雷・山火事・大風の猛威に対する祈祷の歌、超越的存在に捧げた言葉・文字などの全ては、平穏な暮らを願う人間の祈りのメッセージの起源だった。

 自然災害で私たちが支援した国々の子供たちの絵や若者らの歌声が、被災地の人々の明るい笑顔を誘っているのが嬉しい。唄い、描き、詩文を書く私の日々のメッセージが、明日への希望と祈りに満ちたものとなるように努めたい。



添付画像

2011/03/31 14:55 2011/03/31 14:55

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―5)     

                                        
 201133ⅹ日(ⅹ)

 

 安全神話を錦の御旗に原発建設を推進した東京電力、カダフィ軍への軍事介入の正当性を真っ先に主張したサルコジ大統領とカダフィ大佐との過去のように、“一寸先は闇”の昨今である。

そのサルコジさん訪日の真意をめぐるマスコミのとりざたが賑やかである。なにしろ、電力総需要の80%を原発に依存するフランスは、原子力産業の王国でもある。

スリーマイルやチェルノブイリの事故処理で蓄積した専門技術を生かし事故沈静化に一役を担って、自国や欧米の安全性論議に主導的立場を確立する狙いや、世界の原子力産業のトップランナーだったフランスと日本との安全基準・世界標準化の主導権争いに決着をつける意図などが云々されているが、その論議は信頼できる専門家に任せよう。

世界の目が経済・技術大国日本の未曾有の原発事故の危機管理と処理体制に注がれて

いる今、官僚的メンツにこだわることなく、フランスやアメリカが国際協力で派遣する放射能汚染除去の専門部隊と一体で、沈静化作業に迅速に対処することだ。

 一方で、地震・台風など自然災害に“七転八起”のこの国では、鴨長明の「方丈記」(1212年)に大火・大風・地震・飢饉の悲惨さが記され、人生の無常が説かれている。

 現代文明を築いた西洋近代では、「自然」を、人間が征服し、利用するものと考えたが、彼らが未開とみたアジア地域では、“すべては自然の摂理”と、柔軟に対処しながら立ち直ってきた。民衆は、すべもなく傍観したわけではなく、治山治水は、治安と共に政治統治者の要件とみなしてきたのである。

 東日本大地震の被害状況には、原発立地の選定、地震・津波の規模想定で自然力の巨大さを甘くみた点もありそうだ。八百数十年前の津波の痕跡を調べてシミュレーション画像を作り、津波常襲地域の人びとに警告していた専門学者がいたが、住民や行政機関で耳をかす人が少なかったのだろうか。

現代文明は、科学技術の進歩に支えられ、私たちの生活はその恩恵に浴しているが、

「天災」と「人災」が複合した今回の地震被災の復興は、“想定外”の言い逃れを脱して、深刻な事態への謙虚な反省から始めたいものだ。

 日本人は古からこうした災難に遭うたびに、“神も仏もあるものか”と嘆き、鴨長明の無常観に身をゆだねてきたが、釈迦が遺したとされる「色即是空」の「無常」は、万物が生滅流転して常住ではないのを意味し、“神も仏もない”量子力学的な宇宙観を言い表していたのではないか。湯川秀樹博士の中間子理論のヒントが般若心経にあったとされるのは尤もである。

 「般若心経」を唐から将来した空海が果たして、「色即是空」に量子力学的な宇宙観をみていたかどうか分からないが、彼の“即身成仏”とは、死んで浄土をめざす無常観とは異なるものではないか。真言密教の大家、西行もまた即身成仏を究極の境地として、かねての願い通り、如月の花の下で死んだ。

 生身の人間にとって不条理としか思えない天災・人災(戦争も)で死に直面すると、絶望的な喪失感でウツに陥りがちだが、被災者のメンタルケアを重視するボランティア医師・看護士の活躍があるのは心強い。笑顔と復興への意欲が戻りつつある被災地報道に、見ている私たちの方が力をもらっている。 



添付画像

2011/03/31 14:47 2011/03/31 14:47


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ- 4)                  
 

                                       2011
32X(X) 

 

見明川防災本部から朗報があり、下水道復旧工事が急ピッチで進められているなかに、曜日指定で洗濯機・風呂の使用が試験的に可能との由。久しぶりで自宅の風呂に入ろうるとした矢先のさらなる連絡で、この地区の排水規制が全面解除となった。ブラボー!

夜分は零度前後となる避難所で不自由な暮らしを強いられている被災者の皆さんに、「なんだか申し訳ないみたい」と言うお千代と並んで湯船にひたった。

事故発生から十五日。福島第一原発の危機的状況打開のメドは、まだついていない。

当初からの東京電力の鈍い対応にイラついた政府の指揮ぶりもモタついて、打つ手が後手後手にまわっている感は否めない。でもそれを論っているときではなく、試行錯誤を重ねながら体制を整え、必死で取り組む外ないだろう。 

各号機の深刻な状況を伝えるテレビ報道にいらただしさを感じているのは、私だけではなかろう。東電側が把握していながら知らせず、高濃度放射能の水に足を晒した作業員が被曝するなど、危機管理体制の脆弱さを云々されてもしかたない。

こんな有様に、原発事故対応の基本“停める・冷やす・閉じ込める”での“冷やす”機能の電源が失われたと分かった時点で、いち早く海水注入を決断すべきではなかったか、と素人ながら言いたくもある。

“安全神話”を振りかざして原発設置を推進した電力会社・監督官庁と、地震・津波の想定規模を提案した学者・技術者らは、この想定外(?)の天災の数多の犠牲者の死をムダにしないよう、原発の今後を抜本的に見直す責務に、」真摯に取り組んでほしい。

 国難と称するほど未曾有の危機的状況のなかで、情報通信の重要性を再確認したい。

 原発・被災者支援の「官邸主導体制」と「セカンドオピニオン集団」を整える官邸の慌しい人事発表にも、情報処理・インフラ整備や危機管理の専門家がふくまれているが、大災害の憑き物、流言蜚語に振り回されないように、正確で分かりやすい情報を迅速に伝える体制づくりも遅れていたようだ。

原発を建設した関連メーカー・土木建築業者などの復旧現場作業を統括する東電の力不足も感じられる。メンツを捨て、会社組織の旧弊を破って危機を打開してほしい。

NTTグループは、情報通信インフラの復旧と維持に総力を挙げて取り組んでいることだろし、“電電建築”技術者の後輩たちがいるNTTファシリティーズも、情報通信施設

建物や通信鉄塔の被害調査や修復に大童と聞く。

 また、NTTBHNBasic Human Needs)組織は、人類にとって衣食住と同等に不可欠なICTによる国際援助活動をしてきたが、役割遂行の機会が国内に生じたのだ。

 ニュージーランド震災の瓦礫の下からの救助を求めるメールが日本に届いて、一命が助かった人の記憶も新しい。大きな災害時の情報通信の機能確保がいかに大切であるかは、NTTで仕事した私たちの肝に銘じている。

 千年に一回というマグニチュード9.0の体験で、情報通信インフラや建築都市の耐震設計上、かってない大幅な見直しが必要となるだろう。

 この大震災からの復興参加は、日本の電信電話サービスを独占的に担った電電公社の建築部門に身をおき、社会に役立つ志を抱きながら、全国情報通信施設の計画・設計・工事監理と建築技術開発に奮闘した私たちの後輩仲間の腕の見せどころである。




添付画像
傾いた公衆電話ボックス。奥にみえるのが新浦安駅




2011/03/30 14:24 2011/03/30 14:24


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ- 3)  
                
 

                                                                                                                 2011
32X(X)

 

居住区域には排水規制の不自由があるが、日常生活は、徐々に平常に向かっている。

喜寿残日に、音楽(唄い)/絵画(描き)/文芸(詩文を書く)を楽しんでいる私の予定表は、さまざまな変更を余儀なくされた。

<音楽>では、練習会場の公民館が避難場所に、第10回「浦安男声合唱団定期演奏会」(四月半ば)を開催する市文化会館が防災本部の拠点になったりで、演奏会どころか、これから毎週の練習さえ目途が立たない。今年中の開催は難しいと思われる。昨年暮れの第11回「IKSPIARI第九」がきっかけの「合唱団 LICHIT」の結団式と初回の練習会場も閉鎖され、五月まではムリのようだ。

鑑賞を楽しみにしていたコンサートでは、敬愛する山陽地方出身のソプラノ歌手・

横山恵子さんがプリマの『アイーダ』と、「浦男」常任指揮者の仁階堂 孝先生指揮の

「アンサンブルSZIA 15周年記念コンサート」の中止連絡があった。残念だろうが、被災地の惨状と不自由な避難生活に想いを馳せた苦渋の決断であろう。

 ボランティア仲間と月に一回出前する、高洲地区の特別養護老人ホーム・愛光園への三月十七日の訪問コンサートも、停電と施設の一部損壊で仮移住の破目となって中止。最高百歳の高齢入居者の不安な気持ちとヘルパーさんたちのご苦労を想い、みなさんが好きな懐かしい歌を一緒に唄い、リクエスト曲を聴いてくださる日が、一日も早く来るようにと祈る。

<絵画>では、「日比谷彩友会展」の作品講評と春秋の絵画研究会の講師をお願いしている白日会副会長の深澤孝哉先生に、「白日会展」(新国立美術館・三月十八日)をご案内いただく予定だった。余震を危ぶみ中止に踏み切ったが、案の定、当日は休館となる。

代替に二十日の案内を受けたが、連載『アラブと私』の原稿締切日で参加できなかった。

 また、NHK「新日曜美術館」で中川一政展(日本橋高島屋・最終日三月二十一日)見て出掛けたくなったが、編集長に送信した原稿の訂正が生じて断念する。

 うれしい出会いもあった。銀座教会ギャラリーで一見した個展がすばらしくて記帳してから五年ぶりに、「野島朱美透明水彩展」の案内状が届き、池袋の小さなギャラリーへ最終日の午後、出向いた。国内外の風景が多い水彩作品の数々を久しぶりに拝見すると、四季折々の色彩のみならず空気までも見事に捉えた透明感溢れる画面に感銘した。

 自己紹介のよすがに持参した『文ちゃんの旅と暮らしの絵・ポストカード集』を見てもらい親しくお話しすると、自然の感じ方や描くときの心得えなどが驚くほど似ていて意気投合した。うれしい出会いを互いに歓び合った、大震災後初の至福の時間だった。

<文芸>では、地震勃発で執筆が遅れた今回の『アラブと私』は締切りに間に合った。

 前々回は、約五十年前のイラク軍事革命と共和国成立の執筆中チュニジア政変が勃発。前回、それに触発されて中東・北アフリカ諸国に波及しはじめた反体制勢力の市民民主革命をめざす巨きなうねりを書き、今回は、さらに道草的な記述をつづけている最中の東北関東大地震だった。40年前の体験に基づく創作ノンフィクションだが、歴史的ともいえる事件や災害をリアルタイムで記述しておきたい衝動は、抑えきれないものだ。

 ふと思い立ち、この『文ちゃんの浦安残日録』を書き始めた。高校時代に文芸部や

新聞部を創設したときの“初心”が、喜寿老人に蘇ってきたのかもしれない。



 

添付画像

泥に沈んで傾いてしまった浦安市富岡交番






2011/03/30 14:14 2011/03/30 14:14

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―2)   

                                      
 2011
年3月2ⅹ日(ⅹ)

 

 福島原発の危機的事態は、依然として予断を許さない状況だ。関係者の必死の苦闘が

不眠不休でつづけられている。東京消防庁の福島第一原発への放水作業を指揮した隊長

らのテレビ会見の画面に、思わずねぎらいの言葉をかけた。

自衛隊・消防・警察など国の機関の隊員・署員は、国民の生命財産を守る重大な役割を担っている。この命がけの危険作業に出動した夫を、健気に励ました妻たちがいた。

その一方で、またあの知事の登場だ。官邸を訪ね、政府関係者の隊長への指示不適切と放水車が壊れたことに抗議したという。“国難”対処の総指揮官として多忙極まりない菅総理に、そんな難癖をつけに行くとは児戯にもひとしい行為である。 
 

報道陣にもアピールしたようだが、来月行われる都知事選を意識したパフォーマンスと見る都民も少なくないだろう。あの“天罰発言の直後、彼を揶揄する川柳が新聞に掲載された。己の言葉なら、”兵隊“(隊員か?忌まわしい戦時を思い出す)が命をかけてくれるとでも言いたいのだろうか。何様のつもりなのか!

彼には、“愛国心”や“自由”の言葉を振りかざして、アメリカの“良心たち”を蹂躙・抹殺した、あのマッカーシー議員に重なるイメージをぬぐいきれない。

東日本大震災の陰で最近まで報じられなかった浦安の被災を知った学友・元職場仲間・友人・知人から、つぎつぎと見舞いの電話やメールが届くようになった。ありがたい。

 481戸のわが住宅団地内の水・ガス供給が、二、三日前から相次いで復活したが、

広い範囲の下水道の復旧見込みは立たず、トイレの“大”以外の生活排水は庭の雨水桝に流すよう指示され、風呂・洗濯は厳禁だ。

断水で高層マンションから避難した娘一家の街区では下水道が使えるので、給水再開でトイレ・風呂・洗濯が可能となり、戻った娘から入浴と洗濯にくるよう言ってきた。

その日、ディズニーリゾートのホテル群が浦安市民に入浴サビースを始めたとの報。早速出掛けて12日ぶりに入浴した。立派な大浴場で手足をのばして湯に浸っていると、天国に湯浴みする心地だったが、寒さのなかで震えている被災地のお年寄り、災害の爪痕と闘っている関係者らに申し訳ないとも想った。

32年同期入社「三二会」の仲間数人から届いた見舞いメールに、仲間の一人K君宅が液状化現象で傾いて困惑しているとあった。訪ねると、ゴルフボールが容易に転がる床の傾斜だ。生活インフラのダウンで不自由している私には、メールを遠慮したと言う。やさしい人柄の彼ならでは。

 住友林業に勤める息子に連絡し、修復工事の相談にのる手配を頼む。リフォーム専門の子会社では震災の被害住宅の調査依頼・復旧工事が山積しているそうだ。上屋を建替えず、沈下した基礎だけを作り直す「建屋横引き工法」のスペースがとれるかどうか。費用も決して安くはないというが、建替えるほどに掛かるのなら意味がない。

K君のご近所・市内各所で同種被害が少なくないようだから、新しい工法を考案してはどうか。注文が多ければ、傾斜修復の新機械化システムも十分にペイするだろう。

復興への迅速で経済的な創意工夫が、さなざまな分野で生まれることを期待したい。

それにしても、喫緊の問題は福島原発の危機的状況の沈静化で、関係者の尽力成功を祈るばかり。被災地の日々を報じるテレビ像を、世界の目が見守り、励ましている。



添付画像


2011/03/26 16:07 2011/03/26 16:07


文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ-1)  
    
 
                
                                   2011320
日(日)

 

 

  まさに晴天の霹靂の東日本大地震だった。マグニチュードが8.8から 9.0に訂正されたほど、千年に一度くらいの未曾有の巨大地震という。建築家の私もビックリ仰天。

 そのとき私は、書斎のパソコンで、原稿締切りが数日後の『アラブと私』の原稿執筆二余念がなかった。

 ゆっくり始まったかなりの揺れで、正面の書棚の本が二、三冊落ちた。揺れはしだいに大きくなってきた。背面の書棚の上部には、重い大判の美術書がぎっしりと天井まで

積んである。一斉に頭上に雪崩れると危ない。私は、急いで廊下に飛び出した。

 リビングダイニングにいたお千代は、大事な食器戸棚の扉が開かないようけんめいに押し返している。私もいっしょになって戸棚全体を支えたが、かってない長くて大きい

地震動に、生まれて初めての恐怖を感じた。これは大変なことになるぞ!

 あれからはや十日が経った。

 わが浦安も被災地となった。小さな漁村の海を埋立てて拡張した街の海側半分の地区が液状化現象に見舞われたのだ。いたる所で道路や歩道の隆起陥没が生じて、泥水と砂が噴出して堆積した。私たちが住むテラスハウス住宅団地内の道路の一部も同じ状況だ。

 大きく揺れた住戸に損傷はまったくなかったが、ガス・水道はピタリと止まった。

 幸い電気はきており、テレビに映し出される巨大津波が襲う被災地の惨状から、終日、目が離せなかった。市内の海に近い19階建て高層マンションに住む娘からの電話で、16階の住戸内のほとんどの家具が転倒し、壁掛けの額の落下とペンダント照明の衝突で、家じゅうガラスの破片で足の踏む場所もないという。ガス・水道は遮断。

 渋谷幕張中学一年の孫遥大は幕張の校舎にいるはずだが、連絡がとれないという。

 会社員の婿ドノと息子健の安否は、それぞれのケイタイで、銀座と新宿のオフィスに無事との連絡があり、ひとまず安堵。娘は、3年前にバンコクから一緒に帰国した愛犬

トビーを連れて、わが家に緊急避難してきた。トイレが使えない高層住宅からの脱出だ。

 家に着くやいなや、人目のつかない庭の隅でガマンしていた小用を足す。娘は豪胆!

 十日間見つづけてきた、地震・津波・原発破損の三重の被害に苦悩する被災者の姿に、言葉もない。私たちの生活インフラ遮断による不便など、タカがしれている。

 地震・津波に被災した福島原発の危機的状況は予断を許さないが、最悪の事態回避に命がけで立ち向かっている全ての関係機関の方々の姿には、感動し、感謝している。

 地震から9日の昨日、つぶれた家の中から、80歳の祖母と孫の16歳男性が、奇跡的に発見・救助された。一万数千人とされる行方不明者の中のお二人だったのだ。

 今朝のテレビで、不自由な避難場所で9日ぶりに温かい汁わんを抱えて啜る人たちの笑顔を見た。一方で、半壊の自宅でがんばる人たちへの救援物資が届かないという。

でも、神戸淡路大地震で自発的に秩序立てられた避難所運営の経験とノウハウ、あのとき目を見張った若いボランティアの活躍などが、これからは期待できると信じたい。

それにひきかえ、あの東京都知事の不謹慎きわまりない言葉は、相変わらずの“暴言”として黙視することはできない。東京都民があの男を知事として再選するなら、日本の未来は絶望的と言わざるをえない。各政党こぞって、日本列島の復興に献身して欲しい。

 昨夜来の半徹夜で『アラブと私』の原稿残部を書き、締切りに間に合った。ヤレヤレ!! 



添付画像




2011/03/23 14:56 2011/03/23 14:56